第92話 登録と配給
毎日20時、更新予定です!
■1.窓口の書類
石守の塔の、受付建物は、古く、石造りで、小さかった。入口の正面に、木の看板が、かかっていた。「新規登録 毎朝八時より」と、色の褪せた文字で、刻んであった。
前庭には、灰色の小石が、細かく敷き詰められていた。建物の壁には、窓が、一つも、なかった。外から中は見えず、中から外も見えない、閉じた石の箱だった。
アリアは、その建物の前に、立ち止まった。ひとつ、息を整えた。南部の商人ならば、こういう場でどう話すか、と頭の中で、さらった。急ぎすぎない。敬語を崩さない。取引先の話を、自然に、挟む。外套の釦を、一つ、確かめるように、留め直した。昨夜、ミナが、用意してくれた格好だった。仕立ての良い外套、きれいに編んだ荷紐、南部の商人が、よく持つような、皮の書き包み。商人らしく、見えるように、細かく、整えてあった。
「行ってきます」
「気をつけて」
ミナは、路地の角から、短く、答えた。
アリアは、建物の中へ、入った。中には、すでに、三人が、順番を待っていた。老いた男が、一人。若い女が、一人。子どもを、連れた母親が、一人。みな、黙って、立っていた。目が、合うと、すぐに、逸らされた。
受付の机には、中年の女が、座っていた。書類の山が、机の上に、重なっていた。女は、アリアを、一度、見て、すぐに視線を、書類へ、戻した。
「新規ですか」
「はい。商人として、登録を、お願いしたいのですが」
女は、束になった羊皮紙を、机の端から、取り出し、音を立てて、アリアの前に、置いた。
「全部、記入してください。名前、出身地、前の居住地、生業の内容と実績、取引品目、主な取引先、保証人の有無、それから——石守への、寄付実績」
「寄付実績、ですか」
アリアは、思わず、繰り返した。女は、表情を変えず、
「実績のない方は、暫定登録になります。暫定の期間は、三ヶ月。その間、配給ポイントが、半分になります」
と、答えた。
アリアは、書類を受け取り、脇の長机へ、移った。羊皮紙が、五枚あった。文字は、細かく、欄が、多く、いくつかの問いは、意味が、掴みにくかった。「前居住地における石守機関との連携実績」という欄は、何を書けば良いのか、見当もつかなかった。
『これは、わざと、複雑に、してある』
アリアは、心の中で、思った。
読み書きが、不得意な人には、書くこと自体が、難しい。代筆を頼めば、内容が、他人に、知れる。難しい設問が多いと、人は、諦めて、空白にしてしまう。空白の多い書類は、暫定扱いになる。そして暫定は、配給が、半分だ。最初から、萎縮させる、仕組みだ。「連携実績」欄は、空白にすれば後で不利になる。だが、書けば嘘になる。どちらを選んでも、傷が残る仕掛けだった。
アリアは、丁寧に、一枚ずつ、記入した。保証人の欄には、ミナが事前に、段取りしてくれた、宿の亭主の名前を、書いた。取引実績には、でたらめではなく、南部で実際に、仕入れた織物の記録を、計算して、書いた。寄付実績は、ゼロだったが、正直に、書いた。
三十分後、女に、書類を、返した。
女は、黙って、一枚ずつ、目を走らせた。最後に、朱色の印を、押した。
「登録番号は、FR-4492です。今日から、働きポイントの積算が、始まります。来週の配給日に、初回受け取りができます」
「ポイントは、どうやって、積まれるのですか」
「石守が、認定した仕事を、した分だけ。詳しくはこちらを」
薄い冊子が、差し出された。
■2.ポイントの設計
宿に戻ったアリアは、冊子を、ミナに渡した。ミナは、素早く全体を、読み通し、
「整理します」
と言って、羊皮紙に、書き始めた。
「暖炉石を受け取るには、配給ポイントが必要。ポイントは、石守が認定した業者に、登録された仕事から、のみ、発生する。認定業者の一覧は、塔が管理している。つまり、塔が認めた仕事しか、ポイントにならない」
アリアは、そこで、少し、間を置いた。塔が認めた仕事だけが、ポイントになる。それが意味することを、頭の中で、たどった。仕事の種類を、塔が決める。塔に認められない仕事をしている者は、ポイントが積まれない。
「農家や、自給の人は?」
「塔の認定業者に、登録されていなければ、ポイントが積まれません。自分の畑で、自分の家族分を、育てて暮らしている人は、石守との取引がない。だからポイントがなく、配給を受けられない」
アリアは、小さく、息を吐いた。
「自給の人は、暖炉石なしで、冬を越せということ?」
「そうなります。ただし、例外が、あります」
ミナは、冊子の後半を、開いた。
「石守への奉仕活動を行った者は、ポイントの上乗せがされます。塔の修繕作業への参加、祭事の補助、情報の提供——」
「情報の提供」
アリアは、その文字を、じっと、見た。
「誰の、何の情報を、提供するのですか」
「冊子には、書かれていません。奉仕申請は、塔の担当者に、口頭でする、と書いてあるだけです」
「口頭で」
アリアは、繰り返した。記録が、残らない。何を提供したか、受け取った側が、すべてを、握る。
窓の外から、石畳を行く人の声が、聞こえていた。その音は、変わらなかった。だが、部屋の中だけが、静まった。音が消えたのではなく、室内の空気が、密閉されたように、なった感じだった。
部屋が、しばらく、静かになった。
窓の外で、フォルスの街が、灰色の午後を、過ごしていた。石畳を、人が、行き交っていた。みな、急いでいた。立ち止まって、話す人が、いなかった。
■3.ミナの調査
日が、西へ傾いていた。市場の人出は、朝より少なく、石畳の上が、少し、広く見えた。
午後、ミナは、市場の周辺を、歩いた。表向きは、新入りの商人の助手として、地元の慣習を、教えてもらうふりをした。声をかけやすそうな人を、選んで、話しかけた。配給の話を、さりげなく、混ぜた。
七人から、話を、聞いた。
夕方、宿に戻ったミナは、書き留めた数字を、紙の上に、並べた。
「配給量と、仕事量が、一致していません」
アリアは、数字を、見た。
洗濯屋で週三日、働く老婆のエルダは、月に暖炉石を、十二個、受け取る。毎日荷運びをするダグは、月に、十四個。エルダは五人家族で、ダグは単身だ。家族が、多い方が、少ない。
農家のヴェルは、塔の認定業者で、働いておらず、配給は、ゼロだった。
「家族の人数と、配給量の間に、明確な相関が、ない」
「はい。別の要因が、効いています」
ミナは、メモを、指で辿った。紙の上の数字を、一つ一つ、確かめるように、読み上げた。
「ダグは去年の冬、配給が急に増えたと、言っていました。理由を聞いたら、『塔の人に、親切にした』と。具体的には、教えてくれませんでした。別の人、荷造り職人のソルは、配給が少ないと、訴えたことがある。それ以来、配給の量が、さらに減った、と言っていました。ヴェルは、二年前に、石守の役人と、口論になったことがある。それ以来、例外ポイントの申請が、一度も、通っていない」
アリアは、静かに、言った。
「依存を作りながら、格差も作っている」
「そうです」
「おとなしい人には、たくさん。声を上げた人には、少なく」
「そう、思われます。データが七人分しかないので、断定は、できません。ただ、構造は、見えます」
「シャムールの水と、同じだ」
アリアは、少し、考えた。シャムールでは、水路の支配者が、誰の目にも明らかだった。怒りは、向かうべき場所を知っていた。しかし、ここは違う。
「はい。ただ——」
ミナは、少し、間を置いた。
「もっと、精巧です。シャムールは、水路を、物理的に支配していました。こちらは、登録制度と、ポイント計算と、認定制度と、奉仕申請を、組み合わせている。どの仕組みが不公平なのか、見えにくい。不満を持っても、どこへ向ければ良いのか、わからない。訴えようとすれば、どの窓口も、規則を、盾にする」
アリアは、窓の外を、見た。夕暮れのフォルスが、くすんだ光の中に、沈んでいた。路地の奥に、子どもが、走っていた。暖炉石の乏しい家の窓が、暗く、並んでいた。
■4.記録と問い
ランプが、一本、灯っていた。
夜、アリアは、紙に、今日分かったことを、書いた。
登録番号。配給の仕組み。ポイントの設計と、その抜け穴。奉仕申請の、不透明さ。エルダ、ダグ、ヴェル、ソルの、四つの事例。
書きながら、問いが、浮かんだ。
『石守の塔は、何のために、こんな仕組みを、作ったのか』
ただ暖炉石を配りたいだけなら、もっと単純にできる。戸数に応じて、渡せば、いい。人数が多い家には、多く渡す。寒さの厳しい地区には、余分に回す。それで、済む。
だが、塔は、そうしない。
仕事の種類を、認定する。奉仕活動を、ポイントに換える。情報提供を、報酬の対象にする。登録番号で、全員を、識別する。配給の量を、個人ごとに、調整できるようにする。記録を、口頭申請という形で、可視化させない。
それぞれの手続きは、単独で見れば、意味があるように、見える。認定は、品質のためかもしれない。ポイントは、公平さのためかもしれない。しかし、組み合わさると、一つの方向を向いている。
それは、配給のための制度では、ない、とアリアは、思った。
人を、把握するための制度だ。把握し、分類し、動かすための仕組みだ。冬の寒さを、梃子にして。暖炉石の量を、飴と鞭にして。逆らえば減らされる、という恐れを、静かに、積み上げて。
ミナが、湯気の立つ椀を、二つ、運んできた。宿の夕食だった。麦と根菜の、粥だった。
「今夜は、早く、休んだ方がいいです。明日も、調べることが、多い」
「そうね」
アリアは、筆を、置いた。椀を、両手で、包んだ。温かかった。
「明日は、認定業者の一覧を、確認したい。どの仕事が認定されていて、どの仕事が、されていないか。その境界線に、何かが、あるはずだから」
「わかりました。私は、明朝、市場をもう一度、歩いてきます。昨日話せなかった人にも、声をかけてみます。できれば、石守の側で、働いている人にも」
「お願い」
二人は、黙って、椀を、すすった。フォルスの夜は、静かで、冷えていた。遠くで、風が、低く、唸った。
ろうそくの火が、一本、揺れていた。暖炉石の少ない部屋に、小さな、黄色い光だけが、あった。その光の中で、アリアは、紙の上の数字を、もう一度、見た。七人分の、少ない記録。でも、形は、見えた。
次の問いは、もう、決まっていた。
認定業者の一覧を見れば、どの仕事が塔に都合よく組み込まれ、どの仕事が排除されているか、その境界線が、見えるはずだ。境界線には、必ず、意図がある。
(第93話へつづく)
面白いと思ったらブックマーク・評価をいただけると励みになります!




