第93話 石守の塔
毎日20時、更新予定です!
■1.古代の、石材
フォルスの、中心に、石守の塔は、立っていた。
石畳が、朝の、陽光を、受けて、白く、光っていた。市民の、声が、飛び交い、荷車の、音が、響いていたが、塔だけが、その、賑わいの、中で、静かに、沈黙していた。
高さは、二十階ほど。だが、外観が、他の、建物と、根本的に、違った。壁の、石が、滑らかでなく、荒く、削り出されたままだった。窓が、ない。装飾が、ない。ただ、積み上げられた、石の、柱のような、ものが、空へ、向かって、まっすぐ、伸びていた。陽光が、当たる、角度によって、石の、表面が、微かに、光った。刻まれた、文字の、ような、模様。だが、正面から、見ようとすると、消える。
近づくことは、できなかった。
鍵も、近づこうとした。三メートルほどの、距離に、さしかかったとき、足が、止まった。意識ではなかった。皮膚が、先に、知った。
透明な、結界が、塔を、丸ごと、包んでいた。見えない。触れない。だが、塔から、三メートルほどの、距離に、入ろうとすると、足が、止まる。体が、それ以上、前に、出ることを、拒んだ。意識ではなく、皮膚が、感じ取る、何かが、そこに、あった。
アリアが、ゆっくりと、手を、伸ばした。透明な、壁を、確かめるように。指先が、止まった。ミナは、一歩、後ろに、引いた。無言で。
ヴェンツェルは、広場の、端に、立って、手帳を、開いた。
「技術の塔と、同じ、建築様式だ」
確信を、持って、言った。
「螺旋状の、切り込みが、石材の、合わせ目に、入っている。これは、接着剤を、一切、使わずに、石同士を、噛み合わせる、古代の、工法だ。技術の塔の、基礎でも、同じ、切り込みを、見た。同じ、職人の、系譜か、あるいは、同じ、時代に、作られた、ものかもしれない」
「古代遺跡から、石を、持ってきた?」
鍵は、下の方の、石を、目で、追った。色が、違う。赤みがかった、暗い、色。フォルスの、他の、建物に、使われている、白っぽい、石とは、明らかに、年代が、違う。
「おそらく、千年以上、前の、ものだ。この、都市を、建てた、者が、意図的に、選んだ。なぜ、そんな、手間を、かけたのか」
ヴェンツェルは、問いを、答えに、変えなかった。空気に、置いた、まま、次の、観察に、移った。
広場には、市民が、行き交っていた。誰も、塔を、見上げない。荷物を、持った、老人が、塔の、すぐ、横を、通り過ぎた。子どもが、広場で、駆け回った。塔を、避けるために、走る、向きを、変えたが、それも、ごく、自然に、だった。習慣に、なっている。意識されていない。
他の、都市では、こんな、ものは、なかった。見慣れない、建物が、あれば、人は、一度、立ち止まる。高い、塔が、あれば、見上げる。だが、ここでは、誰も、しない。見ていないのではなく、見ることを、やめた、のだ。
その、無関心が、鍵には、むしろ、不自然に、見えた。
クロードは、少し、離れた、場所で、静かに、浮いていた。その、青白い、光が、普段より、弱かった。揺れていた。
「クロード」
鍵は、そっと、声を、かけた。
「聞こえているの?」
「正確には、聞こえていません。でも」
クロードは、少し、間を、置いた。
「塔の、方向から、何かが、来ています。音ではない。意味だけが、届く、もの。ずっと、発信されている。昼間から、ずっと」
■2.二百年間、目覚めたまま
夜が、来た。
街は、眠りに、就いた。人の、声が、消えた。足音が、消えた。窓の、明かりが、一つ、また、一つと、消えていった。静かに、なった。
部屋の、暖炉石が、心細く、揺れていた。窓の、外で、風が、低く、唸っている。毛布の、中でも、体の、奥が、冷えていた。
だが、クロードは、眠れなかった。
「信号が、強くなっています」
暗い、部屋の中で、クロードは、静かに、言った。
「昼より、ずっと、はっきり、届く。夜の方が、人の、意識が、落ちるから、かもしれません。あるいは、向こうが、意図的に、夜に、強く、発信しているのか」
「向こう?」
鍵は、起き上がった。
「管理者は、あの塔の、最上部に、います」
クロードは、窓の、外を、見た。
「ずっと、目覚めたまま、そこに、います」
ヴェンツェルが、毛布を、抱えたまま、眉を、しかめた。
「目覚めたまま?」
「二百年間」
クロードの、光が、揺れた。
「フォルスが、この、名前で、呼ばれるように、なった、最初の、日から。一度も、眠らずに、塔の、最上部で、管理を、続けている、存在が、います」
部屋が、静まり返った。
二百年。鍵は、その、数字を、頭の中で、ゆっくり、回した。一人の、人間が、一生を、生き切る、時間の、倍以上。ヴェンツェルは、黙った。長い、沈黙が、部屋に、満ちた。仮に、人間だとして、二百年間、眠れなかった体は、どうなっているのか。鍵には、想像が、届かなかった。
『帝国も、長い歴史を、持つ。だが、一人で、二百年、というのは、別の話だ』ヴェンツェルは、その数字を、帝国の歴史の縦軸に、重ねてみた。歴代の皇帝が入れ替わり、世代が移ろう時間の中で、一つの存在が、同じ場所に、留まり続けている。そんなことが、あるのか。
「人間?」
「わかりません。信号に、疲労の、気配が、ない。だが、完全な、機械でも、ない。その、中間の、ような、何か」
「信号は、何を、言っている?」
「確認です」
クロードは、静かに、答えた。
「誰が、ポイントを、使った。誰が、割り当て区域を、出た。誰が、登録時刻に、現れなかった。誰が、規定の、行動から、逸脱した。それを、夜通し、記録して、翌日の、配給量を、計算している。二百年間、毎夜、ずっと」
鍵の、胸の中で、何かが、静かに、冷えた。
『二百年間、ずっと、その、ことだけを』
鍵は、少し、迷った。その問いを、声に出してよいのか、一瞬、わからなかった。
「その、存在は、苦しいと、思いますか」
鍵は、思わず、聞いた。
クロードは、少し、考えてから、答えた。
「わかりません。信号には、感情が、ない。ただ、機能として、動いている。人を、管理するために、作られた、何かが、二百年間、それだけを、続けてきた。苦しさを、感じる、部分が、まだ、残っているのか。それとも、とうに、なくなったのか。信号からは、判断できません」
■3.縛るための、暖かさ
窓の外に、塔が、見えた。茶碗から、湯気が、ゆっくりと、立ち上っていた。
翌朝、鍵は、窓の、外の、塔を、眺めながら、口を、開いた。
「シャムールの、妹のことを、思い出した」
ヴェンツェルが、茶碗を、持ったまま、聞いた。
「砂漠の、村で、水を、送り続けた、人だ。毎日、疲れても、倒れても、また、立って、送った。それは、守るためだった。村の、人たちが、生きられるように。だから、与えることの、意味が、あった」
クロードが、頷いた。
「フォルスの、管理者も、配り続けています。ポイントを。食料を。住む、場所を。安全を。外から、見れば、同じに、見える」
「でも、目的が、違う」
鍵は、言った。
「妹は、守るために、配った。管理者は、縛るために、配っている」
ポイントが、もらえる。食料が、届く。雨を、しのげる、屋根が、ある。それらは、確かに、与えられる。だが、全て、従順さへの、報酬だった。自由の、代わりに、渡される、暖かさだった。
与えられる。だから、感謝する。感謝するから、逆らえない。逆らえないから、従う。従うから、また、与えられる。その、循環が、二百年、続いた。暖かい、檻の、中では、鎖が、見えない。鎖に、なじんだ、体は、自由を、欲しいとも、思わない。
「人は、苦しいと、思っているだろうか」
ヴェンツェルが、静かに、言った。
「思っていない、人の方が、多いかもしれません」
クロードが、答えた。
「苦しいと、感じるためには、自由がある、ことを、知らなければ、ならない。生まれた、時から、この、循環の中に、いれば、これが、当たり前になる。比べる、対象が、ない」
「だから、登録制を、維持する」
鍵は、言った。
「外から、人が、来ないように。別の、生き方を、見せる、者を、入れない。知らないまま、いさせる」
愛情と、支配は、外から、見ると、似ている。どちらも、相手に、与える。どちらも、相手を、気にかける。だが、内側が、違う。愛情は、相手が、自分を、必要と、しなくなることを、喜ぶ。支配は、それを、恐れる。
シャムールの妹のタラは、感謝を、望まなかった。誰かに「ありがとう」と言われるたびに、居心地悪そうに、首を、振った。村の人々が、自分なしに、生きられる日が、来ることを、静かに、待っていた。必要とされなくなることを、恐れていなかった。管理者は、その逆だ。必要とされ続けることが、管理の目的だった。
鍵は、塔を、見た。
『二百年間、恐れ続けているのか。それとも、恐れることも、忘れたのか』
■4.弟子の、足跡
登録制の仕組みを、ゆっくりと、整理していた。認定業者の一覧に、何が、あるのか。管理者は、何者なのか。どうすれば、塔の内側に、近づけるのか。問いが、積み重なったまま、答えは、来なかった。
昼過ぎ、鍵は、広場で、その、人物を、見た。
石守の塔の、入口に、若者が、近づいていた。十代、後半か、二十代、前半。フォルスの、一般市民とは、服装が、少し、違う。薄い、灰色の、上衣に、細い、白い、帯。足元は、他の、市民と、同じ、履き物だったが、歩き方が、違った。迷いなく、一定の、リズムで、歩く。
その、若者は、塔の、入口に、手を、当てた。
微かな、光が、走った。
扉が、開いた。
中へ、消えた。
「見えた?」
鍵は、クロードに、小声で、聞いた。
「はい」
クロードの、声が、わずかに、張った。
「この、一週間で、三回です。毎回、昼の、同じ、時間帯に、来ます。入って、約四十分で、出てきます。毎回、それ以上でも、それ以下でも、ない」
ヴェンツェルが、静かに、言った。
「立ち入り禁止の、塔に、定期的に、入れる、人間が、いる」
「弟子だと、思う」
鍵は、言った。
「管理者が、選んだ。次の、管理者の、候補か、補佐か。二百年間、一人で、続けてきた、何かが、今、誰かに、何かを、渡そうとしている」
四十分で、若者が、出てきた。ちょうど、四十分で。
その、顔に、表情は、なかった。笑ってもいない。悲しんでもいない。何かを、考えているようでも、ない。ただ、まっすぐ、前を、向いて、一定の、歩幅で、広場を、横切っていった。
鍵は、その、背中を、見送った。
『どんな、ことを、教えられている?』
『あの、若者は、まだ、自分で、そこへ、行っている?』
問いは、宙に、残った。答える、者は、いない。だが、鍵の、中で、何かが、確かに、動いた。あの、若者と、話さなければ、ならない。塔の、中で、何が、行われているのか。管理者は、何者で、二百年間、何を、守ろうとしてきたのか。どこで、接触するか。どんな、言葉から、始めるか。それは、まだ、わからない。だが、窓口が、見えた。それを、知るための、道が、あの、足跡の、先に、続いている。
『塔に、直接、入る』最初に、そう、考えた。だが、結界がある。昼間も、鍵自身が、三メートルで、止められた。一人で、押し通せる、ものではない。
『クルトに、情報を、頼む』次の、選択肢が、浮かんだ。だが、次の、光符牒が、来るまで、時間がかかる。今は、急いでいる。
『弟子を、通じる』三つ目の、考えが、来た。あの若者は、塔の中へ、入れる。その内側を、知っている。接触できれば、道が、開く。それだ。
鍵は、静かに、決めた。
(第94話へつづく)
面白いと思ったらブックマーク・評価をいただけると励みになります!




