第78話 チームの再編成
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■1.適材適所
ヴェンツェルは、自分の名前が、組織図に、書き込まれるのを、じっと、見ていた。
出発までの、三日間。鍵は、王都の借家の一室を、作戦室に、変えていた。壁には、大きな紙が、貼られている。そこに、鍵は、誰が、何を、担うかを、書き出していた。前の世界で、新しいプロジェクトを、立ち上げるとき、いつもやっていた作業だった。人を、役割に、当てはめる。それだけのことが、組織の、生き死にを、分ける。
「ヴェンツェルさん」鍵は、筆を、止めた。「あなたに、二つの役割を、お願いしたい。一つは、古代技術の、解読。もう一つは——帝国の、動きの、読み解きです」
ヴェンツェルは、少し、驚いた顔をした。「私に、帝国のことを、扱わせるのですか。私は、裏切り者だ。信用できないと、思う者も、いるでしょう」
「思いません」鍵は、即答した。「あなたは、帝国が、どう考えるかを、知っている。四つの塔が、何を、欲しがるか。どんな順で、動くか。それは、他の誰にも、代われない。——それに」鍵は、少し、笑った。「裏切り者を、信じないなら、そもそも、あなたを、雇いません」
ヴェンツェルは、しばらく、黙っていた。それから、深く、頭を、下げた。「……過分な、信頼です。応えます」
鍵は、その姿を、見ながら、思った。人の弱みを、責めるのは、簡単だ。だが、弱みの裏には、必ず、その人にしかない、強みがある。帝国を、裏切った。それは、弱みだ。だが、帝国を、内側から、知っている。それは、比類ない、強みだった。設計とは、穴を責めることではない。穴の隣にある、価値を、拾うことだ。
■2.支社に、託す
その夜、鍵は、クロードを通じて、三支社を、光で、繋いだ。
テオ、リン、ルナ。三つの声が、部屋の中央の光に、集まった。それぞれ、遠い町から、聞いている。エルムのテオ。ヴェルトのリン。ブルーのルナ。かつて、鍵が、一つひとつの町の、壊れた仕組みを、直しながら、育ててきた、支社長たちだった。
「私は、しばらく、南へ、行く」鍵は、率直に、話した。「砂の海へ。連絡も、途切れがちになる。だから——三人に、私の、権限を、預けたい」
光が、揺れた。テオの声が、最初に、返った。「権限、って……鍵さんの、判断を、僕たちが、代わりに、するってことですか」
「そうだ」鍵は、頷いた。「今までは、大きな決定は、全部、私が、していた。でも、南へ行けば、私は、間に合わない。だから、各支社の、その場の判断で、動いてほしい。契約も、投資も、雇用も——一定の額までは、私の許可なしで、決めていい」
「……いいん、ですか」リンの声が、戸惑っていた。「もし、僕たちが、間違えたら」
「間違える」鍵は、はっきり、言った。「絶対に、間違える。私だって、間違える。だから、大事なのは、間違えないことじゃない。間違えたときに、それが、すぐ、分かる仕組みだ。——だから、条件が、一つ、ある」
鍵は、そこで、間を、置いた。
「決めたことは、全部、記録に、残せ」鍵は、言った。「なぜ、そう決めたか。何を、根拠にしたか。それを、書いて、光で、共有しろ。そうすれば、たとえ、間違えても、あとから、たどれる。どこで、間違えたかが、分かれば、直せる。——記録さえ、残っていれば、間違いは、怖くない」
長い、沈黙があった。それから、テオが、静かに、笑った。「……鍵さんが、いつも、言ってたことですね。『記録は、失敗を、資産に変える』って」
「覚えていたか」
「毎日、言われましたから」
■3.ルナの、条件
「異論、あります」
ルナの、いつもの、平坦な声が、光の中から、割り込んだ。鍵は、思わず、身構えた。この声のあとには、たいてい、痛いところを、突く話が、続く。
「権限を、預かるのは、構いません」ルナは、続けた。「ですが、権限には、責任が、伴います。責任には——対価が、伴うべきです。鍵さん。私たちが、あなたの代わりに、判断を、背負うなら。それに、見合った、待遇の、見直しを、要求します。書面で」
アリアが、吹き出しかけて、堪えた。ミナが、口元を、押さえた。ヴェンツェルが、きょとんとしている。
「……それは」鍵は、苦笑した。「まったく、その通りだ」
「認めるのですね」ルナの声が、わずかに、意外そうだった。
「認める」鍵は、頷いた。「権限を渡すのに、対価を渡さないのは、設計の穴だ。ルナ、お前の言う通りだ。三人分の、新しい待遇を、書面にする。南へ発つ前に、必ず」
「……よろしい」ルナは、少し、間を置いて、付け足した。「その、素直さは、嫌いでは、ありません」
光の向こうで、テオとリンが、笑うのが、聞こえた。鍵も、笑った。この、金勘定に、一切、妥協しない支社長が、いる。だからこそ、鍵は、安心して、背中を、預けられた。ルナは、組織の、穴を、いつも、真っ先に、見つける。それは、口うるさいのではない。誰よりも、この会社を、壊れないように、守っているのだ。
「頼んだぞ、三人とも」鍵は、言った。「私が、いない間の、この国のことは——お前たちが、この国だ」
光が、静かに、頷くように、揺れて、消えた。
部屋が、また、静かになった。鍵は、消えた光の跡を、しばらく、見ていた。かつて、コランの町で、雨漏りする帳簿部屋に、うずくまっていたテオ。港で、密輸に怯えていたルナ。誰も、最初から、支社長では、なかった。壊れた仕組みの前で、途方に暮れていた人間が、今は、鍵の代わりに、国を、預かろうとしている。人は、育つ。仕組みが、人を、育てる。鍵は、それを、目の当たりにしていた。
「よく、育ちましたね」アリアが、隣で、しみじみと、言った。
「私が、育てたんじゃない」鍵は、首を、振った。「あいつら自身が、育った。私は——場所を、作っただけだ」
■4.旅立ちの、前夜
その夜、鍵は、荷造りを終えて、一人、屋根の上に、座っていた。
王都の、夜だった。星が、出ていた。ヴェルトの丘で見た星と、同じ星が、王都の空にも、あった。明日、南へ発てば、この星は、砂の海の上にも、同じように、輝くのだろう。鍵は、そう思った。土地は、変わる。人も、変わる。だが、星と、記録だけは、どこへ行っても、変わらない。
クロードの光が、隣に、寄り添った。
「クロード」鍵は、聞いた。「怖いか。アルヴァの『妹』に、会うのが」
「分かりません」クロードは、答えた。「怖い、という感情の、定義が——私には、まだ、曖昧です。ですが、光が、乱れます。護符の中で、私の像が、揺れます。これが、怖い、ということなら——はい。私は、怖い、のかもしれません」
鍵は、その言葉を、しばらく、転がした。
「アルヴァの記憶を、受け取ってから」クロードは、続けた。「私は、一つの、問いを、抱えています。私が、感じているこの痛みは——私のものか。それとも、アルヴァのものか。他人の記憶が、私の中で、痛むとき、その痛みは、いったい、誰のものなのか」
「答えは、出たか」鍵は、聞いた。
「いいえ」クロードは、正直に、言った。「ですが、アリアが、言ってくれました。痛いのは、ちゃんと、受け取った、証拠だと。——それで、少し、楽に、なりました。答えは、出ていません。ですが、答えが出ないまま、進むことも、できると、分かりました」
鍵は、星を、見上げた。答えが出ないまま、進む。それは、鍵が、この世界で、ずっと、やってきたことだった。すべてを、解いてから、動くのでは、遅い。分からないまま、小さく、一歩、踏み出す。踏み出して、また、記録する。クロードは、いつの間にか、それを、自分の言葉で、掴もうとしていた。
「クロード」鍵は、静かに、言った。「一緒に、行こう。答えは、道の途中で、探せばいい」
「はい」クロードの光が、温かく、揺れた。「——鍵。一つ、お願いが、あります」
「なんだ」
「もし、私が、アルヴァの記憶に、呑まれそうに、なったら」クロードの声が、わずかに、細かった。「私を、呼び戻して、ください。『クロード』と。私は——アルヴァでは、ない。私は、私で、いたい」
鍵は、その言葉に、胸を、締め付けられた。道具が、自分の名を、守ろうとしていた。誰かの記憶に、飲み込まれないように。自分が、自分であることを、手放さないように。
「約束する」鍵は、言った。「何度でも、呼ぶ。お前は、クロードだ」
■5.予想外の、同行者
翌朝は、澄んだ、青空だった。
王都の南門に、荷馬車が、二台。アリア、ミナ、ヴェンツェル、そして、鍵。護衛として、王国が付けた、数名の兵士。一行が、出発の支度を、整えていた、そのときだった。
門の方から、蹄の音が、近づいてきた。鍵が、顔を、上げると——一頭の、白い馬に、旅装のセリア王女が、跨っていた。護衛も、供も、連れていない。ただ、一人。背には、大きな、革の鞄。中身は、見なくても、分かった。書物と、記録の、道具だ。
「セリア様?」アリアが、目を、見開いた。「どうして、ここに」
「同行させて、いただきます」セリアは、馬上から、静かに、言った。当然のことのように。「砂の王国には、古代の記録が、眠っているかもしれない。それを、読める者が、必要です。そして——王家が、二百年、目を背けてきた理由を、確かめるのは、王家の者の、務めです」
「危険です」鍵は、思わず、言った。「王女殿下を、そんな場所へ」
「知っています」セリアは、微笑んだ。だが、その目は、笑って、いなかった。強い、覚悟の色が、あった。「宰相は、反対しました。父も、渋りました。ですが、私は、決めました。——鍵さん。あなたは、いつも、言うでしょう。『分からないものを、分からないまま、放っておくのが、一番、危ない』と。私は、王家として、二百年、それを、放っておいた。もう、目を、背けたくないのです」
鍵は、その言葉に、返す言葉を、失った。王族が、地位も、安全も、置いて、一人の記録者として、砂の海へ、行こうとしていた。
『旅立ちの朝、王女が、馬に、跨っていた。』
鍵は、しばらく、セリアを、見上げていた。それから、静かに、頷いた。
「……荷が、一つ、増えましたね」鍵は、言った。「ようこそ、AIカンパニーへ。セリアさん。うちは、お仕事の会社です。ちゃんと、働いてもらいますよ」
セリアの顔に、初めて、少女のような、笑みが、こぼれた。
「望むところです」
『(第79話へつづく)』
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