第76話 王都へ、報告と再出発
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■1.揺れる馬車の中で
馬車が石畳を踏むたび、二百年前の話が、揺れた。
ヴェルトを発って、三日。王都へ続く街道は、収穫を終えた麦畑の間を、まっすぐに伸びていた。窓の外を、刈られた畑が、ゆっくりと流れていく。鍵は、向かいの席に座るヴェンツェルを、見ていた。この男が、帝国の内側を知る、唯一の人間だった。そして今、その内側の話を、初めて、聞こうとしていた。
「帝国のことを、教えてください」鍵は、静かに切り出した。「敵の形が、見えていない。それが、一番、怖い」
ヴェンツェルは、しばらく、窓の外を見ていた。故郷の方角を、確かめるような目だった。
「帝国は、一人の皇帝が、支配している国だと——あなたは、そう思っているでしょう」ヴェンツェルは、ゆっくりと言った。「半分は、正しい。だが、半分は、違う」
「違う?」
「カイゼル皇帝の下には、四つの塔がある」ヴェンツェルは、指を、四本立てた。「軍務の塔、財務の塔、祭祀の塔、そして——技術の塔。私が、いた場所です。四つの塔は、皇帝に仕えながら、互いに、競い合っている。誰が、皇帝の寵を得るか。誰が、次の予算を、握るか」
鍵は、その言葉を、頭の中で、図に描いた。単一の意思ではない。四つの部門が、権力と資源を、奪い合っている。それは——鍵が、前の世界で、嫌というほど見てきた、大きな組織の姿だった。
「縦割りの、部門争い、か」鍵は、思わず、呟いた。
「?」ヴェンツェルが、聞き返した。
「いえ。……こっちの話です」鍵は、首を振った。だが、腑に落ちるものが、あった。帝国は、怪物ではない。人間の組織だ。組織なら、綻びがある。部門と部門の、隙間がある。そこに、つけ込む余地が、あるかもしれない。
「一つ、聞いていいですか」鍵は、続けた。「四つの塔は、情報を、共有していますか。たとえば、技術の塔が掴んだ遺跡の場所を、祭祀の塔も、知っている?」
ヴェンツェルは、少しだけ、驚いた顔をした。「……鋭い質問だ。答えは、否です。塔は、互いを、信用していない。掴んだ情報は、抱え込む。皇帝への手柄を、他の塔に、渡したくないからだ。だから——同じ遺跡を、二つの塔が、別々に、探していることも、ある」
「なるほど」鍵は、頷いた。敵は、一つの目で、大陸を見ているのではない。四つの目が、それぞれ、別の方向を、睨んでいる。そして、その四つの目は、互いの視界を、共有しない。もし、こちらが、大陸全体の記録を、一つに束ねられたなら——見え方の速さで、勝てるかもしれない。統一された記録は、分断された諜報に、勝つ。それが、鍵の、商売の、原理だった。
「あなたは」ヴェンツェルが、ふと、言った。「敵の弱点を、探すときの目が、私が知る、どの将軍とも、違う。将軍たちは、敵の兵の数を、数える。あなたは、敵の、情報の流れ方を、数えている」
「兵の数は、数えても、勝てませんから」鍵は、窓の外を、見た。「私は、剣が、使えない」
■2.四つの塔
「あなた方を、追っているのは」ヴェンツェルは、続けた。「主に、技術の塔と、祭祀の塔です。技術の塔は、古代の遺物そのものを、欲しがっている。動力、兵器、失われた工法——それらを、帝国の力に、変えたい。私が、いた場所です」
「祭祀の塔は?」
「あちらは、もっと、厄介だ」ヴェンツェルの声が、低くなった。「彼らは、管理者を——精霊を、神として、崇めている。古代の管理者を目覚めさせ、その託宣を、皇帝の権威に、繋げたい。技術の塔が、道具として欲しがるものを、祭祀の塔は、神として、欲しがる。目的は違う。だが、探しているものは、同じです」
鍵は、クロードの光を、傍らに感じた。旅の間、クロードは、鍵の胸元の護符の中で、静かに、聞いていた。神として崇められる、という言葉に、その光が、わずかに、揺れた気がした。
「クロード」鍵は、小さく、聞いた。「聞いてるか」
「はい」クロードの声が、護符から、返った。「祭祀の塔の話は——不快です。私は、神ではありません。私は、記録を管理し、判断を助ける、道具です。道具を、神と呼ぶのは、記録を、迷信に、変えることだ」
その言葉に、迷いがなかった。鍵は、少しだけ、安心した。アルヴァの記憶を受け取ってから、クロードは、「自分とは何か」という問いを、内側に抱えていた。その揺らぎの中で、それでも、クロードは、自分の役割を、手放していなかった。
ヴェンツェルが、その声に、目を細めた。「……精霊が、そう言うのですか」
「言います」クロードは、答えた。「私を、神と呼ぶ者は、私を、理解していない」
■3.王都、ふたたび
王都の門が、見えてきたのは、四日目の夕刻だった。
白い城壁が、夕日を受けて、淡く、燃えていた。門をくぐると、市が、賑わっていた。パン屋の煙、香辛料の匂い、荷を運ぶ声。ヴェルトの、地下と炭塵の日々のあとでは、それが、別の世界のように、明るく、感じられた。ミナが、馬車の窓から顔を出して、大きく、息を吸った。
「……人が、いっぱいですね」ミナが、しみじみと、言った。「生きてる、って感じがします」
「そうだな」鍵も、頷いた。守るべきものは、こういうものだ。市の喧騒。パンの匂い。誰かが、誰かに、値切っている声。大陸規模の謎も、帝国との暗闘も、突き詰めれば、この日常を、回し続けるための、ものでしかない。鍵は、そう思っていた。
宰相府へは、翌朝、通された。
エドワード宰相は、以前と変わらず、書類の山に、囲まれていた。白髪を後ろになでつけ、細い眼鏡の奥から、鍵たちを、見た。セリア王女が、先に、要点を、書面で送っていた。だから、宰相は、あらましを、すでに、知っていた。
「無事の帰還、何よりだ」宰相は、まず、そう言った。事務的だが、そこに、確かな安堵が、あった。「遺跡を、封じた。管理者を、目覚めさせずに。——王女殿下の報告書を、読んだ。見事な、判断だった」
「運が、良かっただけです」鍵は、正直に、言った。「あと一歩、遅ければ、帝国が、先に、起動させていた」
「運を、掴めるのも、実力のうちだ」宰相は、そう言って、書類を、一枚、置いた。「それより、鍵殿。私は、貴殿の報告書の、ある一行が、気になっている」
■4.宰相の目
宰相が、指さしたのは、報告書の、末尾の一文だった。
『大陸各地に、封じられていない管理者が、複数、眠っている可能性がある』——クロードの推測を、鍵が、そのまま、書き記した一行だった。
「この推測の、根拠は」宰相は、鍵を、まっすぐ、見た。「精霊の、直感か。それとも、遺跡で得た、具体的な証拠か」
「両方です」鍵は、答えた。「あの遺跡の設計は、精巧すぎた。一体だけ作って、終わりとは、思えない。それが、クロードの、見立てです。——ですが、証拠、と言えるものは、まだ、ありません。だから、これから、探すつもりでいます」
宰相は、しばらく、黙っていた。眼鏡を外し、目頭を、指で押さえた。何かを、決めかねている——鍵には、そう見えた。宰相ほどの人物が、迷う。それが、この話の、重さを、物語っていた。
「……鍵殿」宰相は、ようやく、口を開いた。「一つ、貴殿に、話しておかねばならぬことが、ある。これは、王家の、深い部分に、触れる話だ。本来なら、口にすべきでは、ない」
部屋の空気が、変わった。アリアが、姿勢を、正した。ミナが、息を、詰めた。
「貴殿の推測は、正しい」宰相は、低く、言った。「大陸に、管理者は、複数、いた。それを、我が王国は——二百年前から、知っていた」
鍵の中で、何かが、静かに、崩れた。王国は、知らなかったのではない。知っていて、黙っていた。味方だと思っていた側にも、伏せられた、二百年分の、沈黙があった。
「知っていた……?」鍵の声が、掠れた。「なぜ、今まで」
「なぜ、黙っていたか」宰相は、静かに、繰り返した。「それは——知る者が、少ないほうが、安全だと、信じられてきたからだ。管理者の力は、大きすぎる。国を、ひとつ、傾けることが、できる。だから、初代の王は、決めた。管理者のことは、封じ、忘れ、触れない。触れねば、誰も、それを、悪用できない。——二百年、それで、うまくいっていた。帝国が、動き出すまでは」
鍵は、その論理を、理解した。危険なものは、隠す。隠せば、誰も、使えない。それは、一つの、防御の設計だった。だが、鍵は、その設計の、弱点も、知っていた。隠した知識は、いつか、必ず、漏れる。そして、漏れたとき、隠していた側は、何も、備えていない。秘匿は、時間を、稼ぐだけだ。永遠には、守れない。
「隠すことで、守れたのは、平和な二百年、だけです」鍵は、静かに、言った。批判ではなかった。ただ、事実を、置いた。「帝国が、探し始めた、今。地図を、隠し続けることは——地図を、帝国に、先に、見つけさせることと、同じだ」
宰相の目が、わずかに、揺れた。この老練な政治家は、その理屈を、とうに、分かっていた。分かっていて、なお、王家の掟を、破る決断が、重かったのだ。
「王家の、書庫の、最も深い場所に」宰相は、鍵の問いに、答えるように、続けた。「一枚の、古い地図が、ある。二百年前、初代の王が、封印したものだ。そこには——大陸に眠る、管理者たちの、配置が、記されている、と伝わっている」
宰相は、そこで、言葉を、切った。
「私は、その地図を、見たことが、ない。開くには、王家の、許しがいる。だが——帝国が、管理者を探し始めた、今」宰相は、鍵を、見据えた。「その地図の存在を、貴殿に、伏せておくことは——もはや、できぬ」
窓の外で、王都の鐘が、鳴った。鍵は、その鐘を、遠くに聞きながら、思っていた。敵の形が、見えてきた、と思った矢先だった。だが、見えてきたのは、敵の形だけでは、なかった。味方の足元にも、開かれていない、古い扉が、あった。
『二百年、伏せられていた地図。それを、今、開こうとしている。』
「宰相」鍵は、静かに、聞いた。「その地図を、私に、見せてもらえますか」
エドワード宰相は、長い、長い、息を、吐いた。
「そのために、貴殿を、呼んだのだ」
『(第77話へつづく)』
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