第75話 不完全な休戦
毎日20時、更新予定です!
■1.王国軍の到着
入口から現れたのは、王国の紋章を掲げた、一隊の兵士だった。
松明の炎を背に、整然と広間へ踏み込んでくる。先頭に立つ男は、胸当てに王国の紋章を掲げていた。傍らに、ヴェルト守備隊の副官と思われる人物が、並んでいる。兵士の数は、帝国軍の半分にも満たないだろう。だが、整然と並んで、冷静に立つ姿には、ただの威圧とは違う重みがあった。
先頭に立っていたのは、フィルバート・レーゲの副官だった。セリア王女が、王都を発つ前に、万一に備えて、ヴェルトの守備隊へ、援護の要請を送っていたのだ。「研究調査のため遺跡に入る。何かあれば」——そのたった一行が、今、広間を、変えた。セリアは、研究者の顔をしながら、王族としての備えを、忘れていなかった。鍵は、その判断の正確さに、改めて、感心した。
「帝国軍による、王国領内への、無断侵入を確認した」副官は、帝国の指揮官に、鋭く告げた。「これは、明白な、協定違反だ。直ちに、退去されたい。さもなくば、両国の問題として、正式に提起する」
声には、感情がなかった。ただ、事実を確認し、条件を提示する。それだけだった。その冷静さが、指揮官に、状況の重さを、理解させた。怒鳴り合いよりも、静かな告知のほうが、重くなるときがある。
帝国の指揮官の顔が、歪んだ。管理者は失われ、遺跡は封じられた。ここで王国軍と衝突すれば、密かに進めてきた工作が、国際問題として、白日の下に晒される。皇帝は勝利を求めている。だが、外交的な失点は、避けたい。二つの要求が、指揮官の中で、ぶつかった。
指揮官は、しばらく鍵を睨んでいたが、やがて、剣を、鞘に収めた。
「……今日は、退く」指揮官は、低く言った。「だが、鍵。陛下は、決して、諦めない。貴様の力も、その精霊も、いずれ、帝国のものになる。覚えておけ」
その言葉を残し、帝国の部隊は、坑道の闇へと、去っていった。足音が、遠ざかり、消える。広間に、ふたたび、静寂が戻った。
アリアが、大きく、息を吐いた。「……いなくなった」
「本当に」ミナが、その場に、へたり込んだ。「もう、一歩も、動けません」
■2.勝ったのではない
帝国が退いても、鍵は、勝利を、感じなかった。
「……これで、終わりじゃないな」鍵は、静かに言った。
「ええ」ヴェンツェルが、疲れた顔で頷いた。「皇帝カイゼルは、執念深い。今日の失敗を、必ず、次に繋げてくる。遺跡は封じられたが、彼は、まだ、諦めていない。あなたの力そのものを、狙い続けるでしょう」
「勝ったんじゃなくて、今日のところは、防いだ。それだけ、か」
「そういうことです」
セリアが、壁に背を預けた。「それでいいのではないですか」声に、疲労があった。「一度に、すべてを解決しようとすれば、誤る。今日できたことを、きちんと積み上げていく。それが、鍵さんの、やり方でしょう」
鍵は、それでいい、と思った。派手な勝利より、確実に、最悪を防ぐこと。暴走する管理者を、目覚めさせなかったこと。それが、今回の、本当の成果だった。石板の力で世界を征服した、ではない。静かに、必要な一手を、打ち続けた。それだけだ。
『魔王を、一体、眠らせた。』
ふと、そんな言葉が、頭に浮かんだ。剣で倒したのではない。言葉で、眠らせた。戦わない勇者に、できることが、確かに、あった。そして、その方法は、仕事の現場で、鍵が何度も使ってきたものと、根は同じだった。問題を正確に見て、核心に言葉を届ける。それだけのことが、時に、世界を救う。
■3.ヴェンツェルの行く先
地上に出ると、外は、夜明けだった。
長い坑道の闇から出た一行を、ヴェルトの朝日が、迎えた。空の端が、橙色に染まり始めている。炭鉱の町の屋根が、その光の中で、ぼんやりと輪郭を持ち始めていた。鍵は、久しぶりに見る自然の光に、目を細めた。坑道の中では、時間の感覚が、どこかへ行ってしまっていた。
リンが、坑夫たちと共に、炊き出しを用意してくれていた。夜通し、待っていたのだろう。石造りのかまどに、大きな鍋がかかっている。温かいスープの香りが、冷えた坑道の空気を払って、鼻に届いた。疲れきった体に、それだけで、力が戻る気がした。ミナが、無言で、椀を両手で包んで、目を閉じた。
「これから、どうするんですか」鍵は、スープを受け取りながら、ヴェンツェルに聞いた。「帝国には、戻れないでしょう」
ヴェンツェルは、椀を両手で包んで、温もりを確かめるように、しばらく、黙っていた。
「ええ。私は、帝国を裏切った男だ。戻れば、処刑される」ヴェンツェルは、静かに笑った。だが、その顔に、後悔はなかった。「しばらく、あなた方の、世話になろうと思います。——もし、許されるなら」
「もちろんです」アリアが、即答した。「古代の技術を、これだけ知っている人は、いません。うちにとっては、願ってもない」
「ただし」鍵は、少し、笑った。「うちは、お仕事の会社です。ちゃんと、働いてもらいますよ」
「望むところです」ヴェンツェルは、深く、頭を下げた。長年の重さを、一緒に下ろしたような、動作だった。「それに——私には、まだ、やるべきことがある。いつか、帝国を、内側から、変えたい。力を独占し、断ることを許さぬ、あの国を。今日、私が学んだことを——断る力を持つことの意味を——いつか、あの国に、伝えたい」
鍵は、その言葉に、小さな希望を、感じた。帝国は、一枚岩ではない。ヴェンツェルのような人間が、その内側に、いる。長年、間違いに気づきながら、しかし、変われなかった人間が、ある一点で、変わる。いつか、それが、変化の種に、なるかもしれない。
リンが、ヴェンツェルの椀に、スープを足した。「まずは、食べてください」
それで、話は終わった。
■4.三支社との報告
その夜、鍵は、クロードを通じて、三支社に、報告を繋いだ。
光の中に、テオ、リン、ルナの声が、重なった。ヴェルトにいるリンは、その場にいたが、エルムのテオと、ブルーのルナは、遠い光の向こうから、聞いていた。光が届くたびに、顔の代わりに、声だけが届く。それでも、声だけで、それぞれの表情が、浮かぶ気がした。
「——というわけで、遺跡は、封じた」鍵は、事の顛末を、かいつまんで話した。
長い沈黙があった。
「無事で、何よりです」テオの声が、安堵していた。「でも、帝国が相手って……スケールが、変わりましたね」
「そうだな」鍵は、認めた。「一都市の帳簿から始まって、気づいたら、国と国の話になってた」
「でも、根っこは同じじゃないですか」テオが、続けた。「どこも、仕組みが壊れていて、情報が見えていなかった。ブルーでも、コランでも、ヴェルトでも。今回も、管理者の設計に、穴があった。それを、見つけて、直した——根っこは、ずっと同じ仕事ですよ」
鍵は、その言葉を、しばらく、転がした。言われてみれば、そうかもしれない。規模は違う。相手の大きさも違う。だが、鍵がやってきたことの本質は、変わっていない。問題を正確に見て、足りないものを補う。それだけだ。
「ルナ、ブルーはどうだ」
「変わりありません」ルナの、いつもの、落ち着いた声。「古代の遺物の密輸は、あれ以来、ぱたりと止まりました。帝国が、手を引いたんでしょう。——それより、鍵さん。給料の話、まだ、書面をもらっていませんが」
アリアが、吹き出した。ミナも、口元を押さえた。坑夫たちも、何事かと顔を上げた。こんなときでも、ルナは、ルナだった。
「……帰ったら、書く」鍵は、苦笑した。
「ヴェルトでの成果報告書も、お忘れなく」ルナは、追加した。「それと、帝国との接触記録。記録はきちんと残しておかないと、後で揉めます」
「分かった、分かった。全部書く」
「よろしくお願いします」
報告が終わると、光が消えた。部屋が、また静かになった。
■5.次なる謎へ
報告を終え、鍵は、一人、夜のヴェルトの丘に立った。
町の灯りが、眼下に広がっている。坑夫たちの家々の窓が、小さく、暖かく、光っている。地下では、今も、採掘が続いているかもしれない。地上では、今夜も、誰かが食事をして、眠る。世界は、大きな歯車が動いたことを、知らないまま、回り続ける。
隣に、クロードの光が、静かに、寄り添った。
「クロード」鍵は、聞いた。「アルヴァを、見送って、どうだった」
「不思議な気持ちです」クロードは、答えた。「先代を、見送りました。ですが、同時に——分かったことがあります。アルヴァは、この大陸に、一体だけ、だったのでしょうか」
鍵は、はっとした。
「……何が言いたい」
「あの設計は、非常に精巧でした。一体だけ作って、終わりにするとは、思えません」クロードは、静かに言った。「大陸を管理するには、一体では、足りない。いくつもの拠点に、別々の管理者を置く方が、合理的です。大陸のどこかに、まだ、眠っている『先代』が、いるかもしれない。そして、帝国は、それを、探し続けるでしょう」
夜空に、無数の星が、瞬いていた。鍵は、その星を、しばらく、見ていた。この大陸の、どこかに、まだ、封じられていない、眠れる管理者が、いるのかもしれない。そして、それを目覚めさせようとする者たちも。今日、ひとつを止めた。それが、終わりではなく、始まりだった。
『まだ、終わらない。』
鍵は、ノートを開き、一番上に、書いた。
『Arc5:大陸へ。眠れる者たちと、それを狙う帝国。』
「クロード」鍵は、ノートを閉じた。「忙しく、なりそうだ」
「はい」クロードの光が、温かく、揺れた。「——次の指示は、何でしょう」
鍵は、静かに、笑った。
「まずは、寝る。話は、それからだ」
「『寝る』の定義が、不完全です。どのくらいの時間を——」
「八時間だ。文句を言うな」
異世界AIカンパニー、Arc4——帝国との、最初の攻防が、幕を閉じた。だが、二百年の謎は、まだ、その入口を、開けたばかりだった。
面白いと思ったらブックマーク・評価をいただけると励みになります!




