第7話 チームが増えます
■1.仕事が増えすぎた
深夜2時。AIカンパニーのオフィスに、ランタンがひとつだけ灯っていた。
鍵はデスクに広げた羊皮紙を見つめ、右手でこめかみを押さえた。目の下がじんわり重い。昨日もこの時間まで仕事をしていた。一昨日も。
「クロード、宿屋レンの先月分の集計、終わった?」
「終わっています。加えて、酒屋ガルドから新しい依頼が届いています。仕入れ台帳の自動更新です。それから薬草店からも問い合わせがありました。予約管理ではなく、在庫の引き当て計算をしたいとのことです」
「三件同時か」
「並行して処理は可能ですが、各案件の要件整理は私だけでは対応できません。ヒアリングが必要です」
『ヒアリングはアリアができる。でも整理して実装に落とすのは俺がやるしかない。』
鍵は羊皮紙の端に「酒屋・薬草店・◎要件確認」と書いた。文字が少し斜めになった。眠い。ペンを置いて、天井を仰いだ。
このままでは崩れる。依頼が増えるのはいいことだ。でも受けた仕事を雑にするのは違う。
翌朝。アリアが出勤してすぐ、開口一番で言った。
「昨日また二件、飛び込みがありました。製粉屋と、馬具屋」
「飛び込み?」
「口コミです。宿屋レンのおかみさんが話したらしくて。評判、広がってますよ」
それは嬉しい話だった。でも鍵は素直に喜べなかった。羊皮紙の山を見た。こちらが見ているものに気づいて、アリアも黙った。
「アリア、正直に言う。今の体制では回らない」
アリアは椅子を引いて向かいに座った。腕を組んで、まっすぐな目でこちらを見た。
「私も同じことを言おうとしていました。人を雇いましょう」
「候補はいる?」
「います。明日、連れてきます」
■2.テオとミナ
その日の午後、アリアが二人を連れてきた。
「ご紹介します。テオと、ミナです」
先に入ってきたのは背の高い青年だった。二十歳くらい。肩幅があって、農作業で鍛えたような体格をしている。日焼けした顔がどこか落ち着きなく、入り口で帽子を脱いだり被ったりした。
「テオ・バルトといいます。農家の三男で、去年から王都に出てきました。字は読めますし、足し算引き算もできます。でも、かけ算は……少し時間がかかります」
「少しって、どのくらい?」
「紙に書かせてもらえれば、なんとか」
素直な答えだった。嘘をつかないタイプだと鍵は思った。ノートにテオと書いた。
もう一人、テオの半歩後ろに立っていたのは小柄な少女だった。年は十七、八くらい。商家の娘らしく、身なりはきちんとしているが、こちらの視線に気づくと少し肩をすくめた。
「ミナ・ソルといいます。親の帳簿を手伝ってきたので、数字は得意です。ただ……初対面の方とお話しするのが苦手で」
「今もちゃんと話せてるよ」
「……それは、言わなければよかったことも言ってしまう癖があるので」
クロードが静かに口を開いた。
「自己分析は正確です」
ミナが少し驚いた顔でクロードを見た。テオは「こいつが噂の精霊か」という顔で天井近くのあたりを眺めた。クロードは宙に浮いている。
四人がオフィスに揃った。鍵はテオとミナを交互に見て、それから立ち上がった。
「今すぐ採用とは言えない。少し時間をもらっていいですか」
テオが首を傾げた。アリアが「ですよね」という顔で鍵を見た。
■3.採用基準をつくる
テオとミナを外の廊下で待たせて、鍵はアリアとクロードと向き合った。
「採用基準を整理したい」
アリアが眉を寄せた。
「そんな仰々しいものが要るんですか。二人とも真面目そうでしたし、仕事が増えているんだから早く決めたほうが」
「どんな人でもよくはない。ここでの仕事は、お客さんの業務に直接触れる。間違えたら迷惑をかける。だから先に、この仕事で大事なことを決めておきたい」
「大事なこと、とは?」
鍵はノートを開いた。
「まず、何ができるかより、なぜやりたいかを聞く。スキルは教えられる。でも、理由は本人の話を聞かないとわからない」
「難しいことを言いますね」
「難しくない。聞けばわかる」
クロードが口を開いた。
「採用基準のデータ型を定義してください」
アリアが固まった。鍵も一瞬止まった。
「……データ型?」
「はい。文字列型の情報なのか、数値型なのか、あるいは条件分岐を含む複合型なのか。処理するためには型が必要です。今のままでは基準が曖昧な文字列として扱われます」
アリアがクロードを見て、鍵を見て、また戻した。目が「助けてくれ」と言っていた。
「この精霊、いつもこういうことを言うんですか」
「言う」
「……こういう会社、見たことないです」
鍵は笑いをこらえて、ノートにペンを走らせた。
「型の話はあとでいいとして。確認したいのは三つだ。ひとつ、間違えたときに報告できるか。ふたつ、わからないことをわからないと言えるか。みっつ、誰かの仕事がきちんと動くことに満足を感じられるか」
「三つ目が難しい」
「そう?」
アリアは少し考えた。「ここの仕事って、目立ちませんよね。お客さんの台帳が自動で更新されても、やったのは私たちって見えない」
「そう。それで嫌になる人もいる。だからそこだけは確認する」
「じゃあ、どうやって聞くんですか。『目立たない仕事でも大丈夫ですか』と直接聞いても、誰でも大丈夫と答えますよ」
「聞き方がある」
鍵はペンを置いた。
「今まで誰かのために何かをして、その人が喜んでいるのを見た経験があるか、と聞く。そのエピソードがすらすら出てくるかどうかで、だいたいわかる」
アリアがしばらく黙った。
「……なるほど」
クロードが補足した。
「エピソードの有無より、語るときの速度と具体性が指標として有効です。データとしては主観的ですが、相関は高い」
「相関って何ですか」
「関係の強さです」
「……了解しました」
アリアが立ち上がった。「わかりました。三つの確認と、エピソードを聞く。私がやります」
「待って。俺も聞く。二人で聞いたほうがいい」
「一緒に?」
「片方が話を引き出して、もう片方が聞く。役割を分ける」
アリアが少し目を細めた。
「この採用の仕方……本当に元の世界にあったんですか」
「あった」
「よその会社も全部こうなんですか」
「いや、そうじゃない。でもこっちのほうが後悔しない」
アリアは何かを言いかけてやめた。それから静かに頷いた。
話し合いが終わって廊下に出た。テオが壁に背中をつけて立っていた。ミナは廊下の窓から外を見ていた。
「お待たせしました。いくつか質問させてください」
テオが背筋を伸ばした。ミナが振り返った。
最初に聞いたのは「間違えたとき、どうするか」だった。
テオは「言います。隠しても後で必ずバレるので」と即答した。「バレる前提なんだな」と鍵が言うと、「農作業は隠しても作物が証明するんで」と返ってきた。それは筋が通っている。
ミナは少し考えてから「言います。ただ言い方が悪いかもしれません。感情が顔に出る前に口が動くことがあって」と答えた。アリアが横で「正直な人だ」と小声で言った。
次に「わからないことがあったとき、どうするか」を聞いた。
テオは「聞きます。農家だと勘違いして失敗すると翌年に響くんで。聞く方が早い」。ミナは「わからないまま進めることが一番怖いので、絶対に聞きます。ただ何度も同じことを聞くのは申し訳ないので、聞く前に一度自分で調べます」と答えた。
二人の回答の方向が微妙に違う。テオは経験則から動く。ミナは手順から入る。どちらが正しいわけでもないと鍵は思った。補い合える、という感覚の方が近かった。
最後にエピソードを聞いた。
テオはエピソードを聞かれると、少し迷ってから「弟が怪我をして田畑の仕事ができないとき、俺が全部やった。弟が回復したとき、親父より先に礼を言ってくれた」と話した。声が小さくなった。照れているのか、当時の記憶に戻っているのか、判断がつかなかった。でも止まらなかった。それでわかった。
ミナは同じ質問に「毎月、母の帳簿を整理していました。母は計算が苦手なので、私が合わせると安心した顔をしました。それが嫌ではなかった」と答えた。事務的な言葉遣いだったが、最後の一文だけ少しゆっくりになった。
「最後に一つ聞いていいですか」
ミナが手を上げた。「ここでは何をする会社なんですか。アリアさんに誘われるまで、ちゃんとは知らなくて」
「仕事の段取りを整える。手作業でやっていることを自動にする。そのかわりに報酬をもらう」
「魔法でやるんですよね」
「クロードという精霊がいる。俺が指示を書いて、クロードが実行する」
ミナはしばらく考えた。
「それって、すごく地味じゃないですか」
テオが横で「おい」と小声で言った。ミナは気にしなかった。
「お客さんの仕事が動く。自分たちの名前は表に出ない。そういう仕事ですよね」
「そう」
「それ、好きです。目立つより、動いてる方が好きなので」
鍵は質問を終えて、アリアと目を合わせた。
アリアが小さく頷いた。
■4.採用決定と初日
翌朝、テオとミナの両方から「来ます」という返事が届いた。
採用を伝えたのはアリアだった。戻ってきたとき、本人も少し驚いた顔をしていた。
「テオ、泣きそうになってました。ミナは表情が動かなかったけど、目が赤かった」
「それでいい」
初日、テオは早朝に来た。アリアより三十分早く、鍵よりも早かった。鍵が出勤すると、オフィスの床が磨かれていた。窓際の棚に積まれていた羊皮紙が、種類ごとに束ねて並べてあった。
「掃除、お願いしていないけど」
「やることが思いつかなかったので、できることをしました。もし邪魔なら戻します」
「戻さなくていい。助かった」
テオは帽子のつばを触った。照れる仕草だと気づくのに少しかかった。
ミナは昼頃に来た。仕事が押していたと後で聞いたが、本人は謝らなかった。代わりに机の前に座るなり、台帳の束を引き寄せて静かに読みはじめた。一時間後、ミナが顔を上げた。
「この台帳の並びなんですが、取引先の名前で並べるより、取引の頻度順にしたほうが使いやすくないですか。よく使う取引先が後ろにあると、毎回めくるのが手間なので」
アリアが振り向いた。「最初からそうすればよかった」
「でも今変えると混乱するので、新しい台帳からにしますか。それとも今のものを移し替えますか。どちらがいいか決めてもらえれば、私でやります」
鍵はミナとアリアを交互に見た。
『採用基準、正しかった。』
声には出さなかった。ただ、ノートに「初日合格」と書いた。クロードがそれを見ていた。
「チームの定義が拡張されました」
クロードの声は静かで、報告というより確認に近かった。
「人数で言えば三人から五人。処理できる案件の並行数が上がります」
「わかってる」
「それと——」クロードがわずかに間を置いた。「今日、オフィスが少し明るくなりました」
鍵はペンを止めた。クロードを見た。
「……そういうことも言うんだな、お前」
「気温データではありません。印象です。精霊にも印象はあります」
窓の外、午後の日差しが石畳に落ちていた。テオが棚の整理の続きをしている。ミナが台帳をめくっている。アリアが次の顧客リストを書いている。
鍵はノートを閉じた。
また仕事が増える。でも今日から、一人でやらなくていい。
それだけのことが、思ったより大きかった。
『(第8話へつづく)』
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