第6話 二件目の依頼が来ました
■1.ノックの主
翌朝、鍵がオフィス代わりの部屋でノートを広げていると、扉をノックする音がした。
昨夜と同じリズム。控えめだが、確認してほしいという意志が感じられる叩き方だ。
「どうぞ」
扉を開けたのは、大柄な男だった。年のころ四十代半ば。肩幅が広く、腹も出ているが、動きに無駄がない。エプロンをつけたままで、手にはタオルを持っている。宿の主人、という雰囲気がそのまま形になったような人物だった。
「昨夜ドアをノックした者です。レンと申します」
男は頭を下げた。声は低いが、温かみがある。
「この宿の主人を二十年やっております。無礼を承知で押しかけてしまいまして」
「いえ」鍵は椅子を引いた。「どうぞ座ってください」
アリアがちょうどお茶を持ってきて、レンの向かいに腰を下ろした。クロードは窓際に立ち、朝の光の中でうっすらと輪郭を保っている。
レンは三人を見回し、それからゆっくり口を開いた。
「聞きましたよ。農村の帳簿問題を解決したと。一晩で」
「鍵が解決したんです」アリアが即座に言った。「AIカンパニー、ご存じですか」
「看板を見ました。それで——お願いがあって参りまして」
男の顔が、ほんの少し困ったように歪んだ。
「うちの宿、困ったことが三つあるんです」
■2.三つの問題
レンが話した内容を、鍵はノートに書き留めた。
一つ目。予約が被る。
「先週も、遠方の商人の方が予約していた部屋に、地元の常連さんが入ってしまいまして。謝って他の宿を探したんですが、まあ気まずかった」
二つ目。帳簿が合わない。
「月末に集計すると、受け取ったはずのお金と帳簿の数字がいつもずれる。少額なんですが、毎月ずれる。どこかで書き間違えているんだと思うんですが、どこだか分からない」
三つ目。満室なのに空き部屋がある。
「一番よくわからないのがこれで」レンは太い指で頭を掻いた。「帳簿では満室のはずなのに、空いている部屋がある。逆に、空きのはずの部屋に荷物が入っていることもある」
鍵はペンを止め、ノートを見直した。
三つの問題。でも根っこは一つだ。
「少し確認させてください。予約は今、どうやって管理していますか」
「台帳に書いています。部屋番号と名前と泊まる日を」
「台帳は何冊ありますか」
「……二冊です。古い方と、新しい方と」
「なるほど」
鍵はアリアと目を合わせた。アリアが小さく頷く。
「現場を見せてもらえますか」
■3.帳簿の現実
宿「夜明けの宿」のカウンター裏に、台帳はあった。
分厚い羊皮紙の冊子が二冊。古い方は表紙が黄ばんでいて、ページの角が折れている。新しい方は半分まで書かれていて、ところどころ消した跡が残っていた。
鍵はページをめくりながら、声に出さず確認していく。
書き方がページごとに違う。ある日は「部屋番号・名前・日付」の順で書いてあり、別の日は「名前・日付・部屋番号」になっている。複数泊の記録が一行で書いてあるページもあれば、一泊ずつ行を分けているページもある。
消しゴムの跡の上から書き直した文字が読みにくい。
別の紙に書いたらしい走り書きが、台帳に挟まっている。日付と名前だけ書いてあり、部屋番号がない。
「この挟み紙はなんですか」
「あ、それは急いでいるとき用です。後で台帳に転記するつもりで」
「転記してありますか」
「……たぶん、してあると思います。してないのもあるかもしれません」
クロードが鍵のそばに寄ってきた。
「この台帳、入力形式が定義されていません」
静かな声だった。レンがびくっとして振り返った。
「定義、されていない?」
「日付の書き方が三種類あります。『六月の三日』『六・三』『第三日』。これは同じ日を指しているんでしょうか」
レンが台帳を覗き込んだ。しばらくして、「……確かに」と呟いた。
「混乱の原因はここです」鍵はペンを台帳の上で走らせた。「書く人が変わるたびに形式が変わっている。転記漏れが起きる。見た目は埋まっているのに実際は空いている部屋が生まれる」
「でも、二十年これでやってきたんですが」
「二十年できていたのは、レンさんの頭の中に正しい情報があったからだと思います。台帳はメモ、記憶が本体。でも人が増えるか、量が増えれば必ずずれ始める」
レンは腕を組んで黙った。否定する顔ではなく、腑に落ちた顔だった。
「……そういうことか」
■4.魔法台帳、起動
「作れます」鍵は言った。「予約を自動で管理する仕組みを」
「自動で、というのは」
「予約を入れると記録される。同じ部屋に被りがあったら教えてくれる。部屋の空き状況がいつでも見られる。そういうものです」
レンが目をぱちくりとさせた。「……それは、すごく便利なんじゃないですか」
「試してみましょう」
鍵はノートを広げ、書き始めた。
『部屋ごとの予約状況を一覧で表示する台帳を作成すること。部屋番号は一番から十番まで。予約を入れるとき、名前・泊まる日・泊まる日数を記録する。同じ日に同じ部屋で複数の予約が入った場合、その行を赤く光らせること。記録された予約は取り消しもできること。現在の空き部屋を一目で確認できること。』
クロードが一歩前に出た。
「指示を確認しました。いくつか確認させてください」
「どうぞ」
「『泊まる日』の形式はどう定義しますか。今後も書き方が混在する可能性があります」
鍵は一秒考えた。「月と日の数字だけ。六月三日なら『六・三』に統一する」
「了解です。もう一点。部屋番号の最大値は十番とのことですが、将来的に増える可能性はありますか」
レンが「息子のところも合わせると……」と何か言いかけて、口をつぐんだ。
鍵はその様子を見た。
「最大値は五十にしておいてください」
「了解です。では実行します」
クロードが両手をかざすと、カウンターの上に青白い光が広がった。
平らな光の板が現れ、縦に番号の列、横に日付の列が並んだ表が浮かんだ。各マスは空白で、光の中に薄く「空室」の文字が入っている。
「試してみていいですか」鍵はレンに訊いた。
「え、あ、はい」
「七番の部屋に、六月三日から二泊でマルコという予約が入っているとします。クロード」
「はい」
クロードが表に触れると、七番の列の六月三日と四日のマスに、薄い緑の光とともに「マルコ」と文字が浮かんだ。
「次。六月三日、同じく七番の部屋にベルタという予約も入ったとします」
クロードが操作した瞬間、七番の六月三日のマスが赤く光った。
「被りを検出しました」クロードが告げた。「七番・六月三日はマルコとベルタが重複しています」
レンが、声もなく表を見つめた。
しばらくして、ゆっくりと言った。
「……これが、出てきたら」
「予約を受ける前に確認できます。その場で日付をずらしてもらえる」
「帳簿の転記も——」
「記録した瞬間に入ります。転記の手間がない」
「空き部屋も——」
「緑が空室、色がついているのが予約済みです」
レンは表をしばらく見つめ続けた。
カウンターの向こうで朝の光が差し込んでいて、青白い魔法の光がそこに重なって揺れていた。
「こんな……便利なものが、あるんですか」
「今できました」鍵は答えた。
■5.報酬と口コミ
報酬は銀貨三枚だった。
レンが財布から取り出して、カウンターに並べた。銅貨ではなく銀貨。鍵が確認するまでもなく、アリアの目が光った。
「銀貨三枚ということは」アリアが素早く計算した。「農村の依頼の九倍です」
「妥当ですか」レンが心配そうに訊いた。「安すぎましたか」
「とんでもない」鍵は首を振った。「ありがとうございます」
「いや、こちらこそ。あの台帳を二十年抱えてきて、こんなにすっきり解決するとは思わなかった。妻にも早く見せたい」
レンは台帳——いまや光の板になったそれ——を何度も眺め、それから鍵を見た。
「一つ、お願いがあるんですが」
「何でしょう」
「息子が王都の南区で宿をやっていまして」レンは少し照れたように頭を掻いた。「あいつのところも似たような問題を抱えているんです。紹介してもいいですか」
鍵が返事をするより先に、アリアが身を乗り出した。
「もちろんです。ぜひ」
「アリアさん」
「紹介が広がれば仕事も広がります。レンさん、息子さんのお名前と場所を教えていただけますか。こちらから伺います」
アリアがさっさとノートを取り出してペンを構えた。レンは少し驚いた顔をしてから、嬉しそうに情報を話し始めた。
鍵は少し後ろに下がって、その様子を眺めた。
アリアの動きは早い。依頼が終わった瞬間を逃さず、次の糸を手繰り寄せる。これが「口コミが広がる」ということだと、鍵は理解した。満足した客が次の客を呼ぶ——その連鎖の最初の結び目を、今アリアが結んでいる。
レンが帰っていくのを見送って、三人だけになった。
アリアはノートを閉じて、目を輝かせたまま鍵に向き直った。
「これがビジネスの始まりです」
「うまくやるな、アリアは」
「レンさんが良い方で助かりました。ああいうお客さんが一人いると、口コミが三件になります。三件が九件になる」
「掛け算で考えるのか」
「商売はそういうものです」
鍵はノートに銀貨三枚と書き、その下に「依頼二件目・完了」と書いた。
農村の帳簿が一件目。宿の予約管理が二件目。まだ始まったばかりだが、少しずつ形になってきている。
クロードが静かに近づいてきた。
「次の指示は?」
「今日はここまでにします」
「了解です。ただ、一点確認させてください」
「なんですか」
「台帳に設定した部屋の最大値を五十にしましたが、もし息子さんの宿も同じ仕組みを使う場合、二つの宿のデータが混在する可能性があります。宿ごとに管理を分けますか、それとも統合しますか」
鍵はペンを持ち直した。
「……分けてください。宿ごとに別の台帳」
「了解しました。次の依頼があれば、最初にその点を確認します」
「助かります」
アリアが鍵の隣に来て、外を見た。「夜明けの宿」の窓から、王都の朝の通りが見える。商人たちが荷車を引き、子どもたちが走り、どこかで鐘の音が鳴っている。
「鍵さん」
「何ですか」
「この調子でいけば、一月で十件は取れると思います」
「楽観的だな」
「いえ、計算です」アリアはにっこりと笑った。「レンさんの息子さんで三件目。そこから紹介が出れば四件目、五件目。宿屋は横のつながりが強い。口コミが一番早い業種です」
鍵は窓の外を眺めた。
農村で最初の依頼を受けたのが三日前。今日で二件目が終わった。この世界に来てまだ一週間も経っていないのに、気がつけば商売の土台ができている。
『思ったより、早い。』
「では」鍵は立ち上がった。「三件目の準備をしましょうか」
「もうリストがあります」アリアはノートを広げた。「顧客候補、七件。優先度順に並べてあります」
「いつ作ったんですか」
「昨夜、寝る前に」
鍵はしばらくアリアのノートを見て、それからクロードに目を向けた。
クロードは窓際に立ち、朝の光の中に静かにいた。
「次の指示は?」と、また訊くでもなく、ただそこにいる。
次の仕事が来るまで、待つつもりらしい。
鍵はノートを閉じた。
AIカンパニー、二件目の依頼が完了した。
三件目は、もうそこまで来ている。
『(第7話へつづく)』
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