第5話 AIカンパニー、正式に動き出します
■1.ここが、私たちのオフィスです
部屋の第一印象は「埃」だった。
王城の外れにある使われていない小部屋——宰相から許可が出た翌朝、鍵はアリアとクロードを連れてその場所に来てみた。石造りの壁に木製の古い扉。中に踏み込んだ瞬間、三人そろって咳き込んだ。
「ここに……オフィスを?」
アリアが呟いた。
「いい立地じゃないですか。王城の敷地内なので信用力がある」
鍵はそう言いながら、部屋の奥まで歩いた。窓が一枚、小さい。床に積もった埃が足跡を残す。隅に木箱がいくつか放置されていて、壁には何年分かのシミが走っている。
「クロード、この部屋の清掃を自動化——」
「それは自分でやります」
鍵は口を開きかけていたが、自分の言葉を途中で遮って断言した。アリアがまじまじと見た。
「珍しい。なぜですか?」
「最初の仕事場くらい、手を動かして片付けたいんですよ。それくらいの話です」
アリアは一秒だけ沈黙してから、袖をまくった。
「……わかりました。私も手伝います」
クロードは部屋の入り口に立ったまま、ふたりを見守っていた。
「効率の最大化という観点では、コード魔法の活用が推奨されます」
「聞こえてます」
「承知しました。実行はしません」
そこから二時間、鍵とアリアは黙々と部屋を片付けた。埃を払い、木箱を端に寄せ、窓を開けて空気を入れ替えた。クロードは何もしないのに何となく邪魔にならない絶妙な位置に立ち続け、ときどき「現在の進捗は推定62パーセントです」などと言ってきた。
「黙っていてくれていいですよ」
「了解です。報告を停止します」
窓から差し込む午前の光が、少しずつ部屋を明るくしていった。
■2.看板が届いた
昼を少し過ぎた頃、アリアが「ちょっと待っていてください」と言って外に出た。
十分後、彼女が戻ってきたとき、小脇に木の板を抱えていた。縦30センチ、横80センチほど。ニスが薄く塗られた、できのいい板だ。
「木工職人のミランさんに昨日頼んでおいたんです」
アリアはそれを部屋の扉の横に立て掛けた。
板の表面には、丁寧に彫り込まれた文字があった。
AIカンパニー
鍵はしばらく、その文字を眺めた。
「これ……カタカナ」
「鍵さんが最初にノートに書いていたままの字形で頼みました。この世界にはない文字ですが、ミランさんが形だけ丁寧に写し取ってくれて」
異世界の木工職人が、カタカナを彫っている。その情景を想像したら、少し笑ってしまった。
「受け狙いじゃないです」アリアが真顔で言った。「この文字は鍵さんの世界のものです。だからこそ、ここにしかない看板になる。他の商店と見た目から違う——それが最初の信用になります」
「ビジネスの発想だな」
「商家の娘ですので」
アリアは板をまっすぐ扉の横に立て掛け直し、両手を腰に当てて満足そうに頷いた。
「これが私たちの旗印です」
鍵は改めて板を見た。
「AIカンパニー」というカタカナが、石造りの王城の壁を背景に、不思議な存在感を放っていた。
『本当に、始まったんだ。』
ノートに走り書きした「設立計画」ではなく、依頼をこなして宰相の許可を取って、こうして看板が壁に立っている。なんとなく準備をしていたつもりが、知らないうちに形になっていた。
「クロード、記録しておいてください。本日をもって、AIカンパニーのオフィスを設置しました」
「記録しました」クロードが答えた。「なお、正式な設立日の定義が曖昧なため——」
「今日です」
「了解です。設立日:本日。記録完了しました」
■3.最初のミーティング
午後、三人でミーティングをすることにした。
椅子はまだない。机もない。木箱を三つ並べ、それに座った。鍵がノートを開き、ボールペンを手に持つ。アリアが自分の帳簿を膝の上に載せる。クロードは木箱には座らず、いつもの場所——ふたりの少し斜め後ろ——に立っていた。
「では、最初のミーティングを始めます」
鍵は書いた。「議題」と。
「三つあります。①どんな仕事を受けるか。②料金をどう決めるか。③クロードはどこまで動けるか」
「④も追加でよいですか」アリアが言った。「営業の仕方——私がどうやって仕事を取ってくるか」
「では四つ」
ノートに書き足す。
最初の議題から話が弾んだ。
「受ける仕事は、文書の整理・帳簿の自動化・情報のとりまとめ、この辺が現実的です」鍵が言う。「逆に戦闘や護衛は無理。コード魔法でできることの範囲に絞る」
「物の移動や配置もできましたよね」アリアが確認する。「薪の件で見ました」
「できます。ただし大規模な土木工事とか、そういうのは試したことがない」
「わかりました。まず実績を積めるものから受ける、ということで」
「そうです」
次が料金の話になった。これはアリアが主導した。
「この王都の商慣習では、仕事の難易度と時間で決めます。ただし——」彼女は帳簿を指で叩いた。「コード魔法は速い。普通の人間が三日かかる帳簿整理を、一時間でやってしまったりしますよね。その場合、時間で料金を決めると損をする」
「成果で決める、ということですか」
「はい。かかった時間ではなく、生み出した価値で料金を設定する。そのほうが私たちには有利です」
鍵は少し考えた。現場の感覚で言えば、これは「固定費精算ではなく成果報酬」に近い。確かに筋が通っている。
「わかりました。その方針で行きましょう」
そして三つ目——クロードの稼働範囲の話になったとき、当の本人が口を開いた。
「稼働範囲の定義を明確にしてください」
ふたりが顔を見合わせた。
「いや、今それを決めようとしてるんですよ」
「承知しています。ですが、先に私の実行可能範囲の前提条件を共有しておいたほうが定義の精度が上がります」
「……どうぞ」
クロードが静かに続けた。「私は鍵さんが書いた指示を魔力に変換して実行します。指示が明確であれば正確に動けます。指示が曖昧であれば解釈を試みますが、誤る可能性があります。そのため、依頼案件ごとに指示書を書いてもらえると助かります」
「指示書」
「はい。こういう形式で——」
クロードが空中に光の板を展開し、文字を浮かべた。
『「目的:〇〇をする。対象:〇〇。完了条件:〇〇が〇〇の状態になっていること。」』
「この三項目があれば、ほぼ迷わず動けます」
アリアがすかさずそれを帳簿に書き写した。
「わかりました。受注票にこの形式を組み込みます」
鍵はその様子を見ながら、ちょっと笑いそうになるのを堪えた。「完了条件の明示」は、現場でプロジェクト管理をしていたときに何度も痛感したことだった。それをクロードが自然に要求してくる。
「……まあ、それが一番トラブルを減らしますね」
「はい。経験則として」
「お前に経験則があるのか」
「ございます」
短く、はっきりと答えた。
アリアが議題の四番目に移ろうとしたとき——
扉がノックされた。
■4.第一号の予感
三人が同時に扉を見た。
「……誰かいますか?」
外から声が聞こえた。低くて温かみのある声だ。
鍵が立ち上がって扉を開けると、五十代ほどの男が立っていた。丸い体格で、頭が薄く、エプロンをつけている。どこかの料理人か——と思ったが、表情に疲れが滲んでいて、目の下に薄い隈があった。
「あの……ここが、最近できた『AいいカンパニーさんとやらAいいカンパニー』でしょうか」
「AIカンパニーです」
鍵が訂正すると、男はぺこりと頭を下げた。
「宿屋を営んでおります、レンと申します。王城に近いところに店を構えておりまして……実は最近、予約管理が大変なことになっておりまして。ひと月で扱う人数が倍に増えたのですが、帳簿が追いつかなくて——」
男が口ごもる。
鍵はノートを開いた。
「もう少し詳しく教えてもらえますか。何をどうやって管理していて、どこが追いつかないのか」
「は、はい。あの……まず予約が口頭でばらばらと入って来て……」
アリアが男の隣に素早く立ち、笑顔で言った。
「よろしければ、今日のところは状況をお聞きするだけにします。正式なご依頼は、改めて条件をすり合わせてから——でよいですか、鍵さん?」
「そうしましょう」
鍵は男に向かって続けた。
「今日は話を聞くだけです。料金の話はまだしません。何が困っているか、正直に話してもらえれば」
レンと名乗った宿屋の主人は、少しだけ顔をほぐした。
「……ありがとうございます。では、お邪魔してもよいですか」
「どうぞ」
鍵はドアを大きく開けた。木箱の机しかない、できたばかりのオフィスに、最初の客が入ってくる。アリアが帳簿を新しいページに開いた。クロードが静かに一歩下がり、控えの位置についた。
『第一号の依頼が、来るかもしれない。』
■5.フェーズ1、完了
夜になった。
レンが帰り、アリアも「明日また来ます」と言って去った。クロードは光の気配を薄くして、部屋の隅で静かにしていた。
鍵は木箱の上に腰を下ろし、ランタンの光のもとでノートを開いた。
最初のページに戻る。
AIカンパニー設立計画
第1話の夜、中庭で走り書きした文字。目標、メンバー、フェーズ1——そこに書いたことが、今日ここまで来た。
鍵はペンを取り、「フェーズ1:一週間で王国の課題マップを完成させる」という行のとなりに、小さく書いた。
『完了。』
「フェーズ2の定義は?」
クロードの声がした。
暗がりの中でも、青白い光がほんのり揺れている。
「まだ書いてる」
「承知しました。書き終わったら教えてください。実行を開始します」
「急ぐな」
鍵はペンを走らせた。ノートに言葉が連なる。
『フェーズ2:最初の案件を完遂し、AIカンパニーの実績をつくる。』
窓の外、夜の王都は静かだった。遠くで馬車の音がして、夜警の声が流れて消えた。
『これが、AIカンパニーの初日だ。』
看板を掲げて、ミーティングをして、最初の客の話を聞いた。たったそれだけのことに思えるが、一ヶ月前——東京のオフィスで深夜に自動化スクリプトを書いていたあの夜から、ずいぶん遠いところに来た気がした。
「クロード」
「はい」
「今日はよく働いた」
一瞬の間があった。
「……私は本日、清掃に参加しませんでした。ミーティングで発言しただけです」
「それが仕事だから」
また少しの間。
「……ありがとうございます」
クロードがそう言ったのは、初めてだった気がした。
鍵はノートを閉じ、ランタンを吹き消した。
明日、レンの宿屋の話を正式に聞く。予約管理の仕組みを整理して、どう自動化できるか考える。それがフェーズ2の第一歩になる。
「クロード、明日の議題を一つ追加してください」
「はい」
「レン宿屋の予約管理、ヒアリング——です」
「記録しました」クロードが答えた。「業務定義、完了しました」
オフィスが暗くなった。
AIカンパニー、設立初日——こうして静かに終わった。
『(第6話へつづく)』
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