第4話 宰相に説明する準備をします
■1.召喚の朝
調査7日目の朝、使者がきた。
鍵が王城の客間で昨夜からのノートを広げていたとき、扉のノックが三回。入ってきたのは紺色の制服を着た若い兵士で、まっすぐな姿勢で一枚の書状を差し出した。
「エドワード宰相閣下より。昼の三の刻、第一応接間へお越しくださいとのことです」
「わかりました」
鍵は書状を受け取り、落ち着いた声で答えた。兵士が去ってから、ノートのページに目を落とす。書き出して7日分の記録がある。農村の帳簿、城内の物資管理、徴税の記録様式、王都の人口分布。課題は思ったより多く、そして思ったよりバラバラだった。
「宰相から呼び出しですね」
扉が閉まる前にアリアが滑り込んできた。昨日も廊下で会ったとき、「そろそろ報告を求められると思います」と予告されていた。さすがに城内の空気を読むのが早い。
「本番です」アリアは言った。「一週間、何をやっていたのか。成果を見せろ。そういう場になります」
「わかってる」
鍵はノートを閉じ、椅子から立ち上がった。そのとき窓のそばで青白い光が揺れた。クロードが実体を半分だけ現している。
「説明の定義を明確にしてから臨むことを推奨します」
静かな、でも少し念押し気味の声だった。
「つまり?」
「伝えるべき情報の優先順位と、相手が何を聞きたいのかを事前に整理してください。準備なしで挑むと、言いたいことの30パーセント程度しか伝わらない可能性があります」
アリアが「精霊にも同じことを言われるとは」と呟いた。
鍵はもう一度ノートを開いた。三十分後、準備は整った。
■2.応接間での対峙
第一応接間は、王城の中でも格式のある部屋だった。
天井に紋章の彫刻が走り、窓は細長く高い。正面の机には地図と書類が几帳面に整理されている。その机の向こうに、エドワード宰相は座っていた。
六十代。白髪交じりの短い髪。背は高くないが姿勢がよく、ローブの上から体つきが引き締まっているのがわかる。目は細く、視線は動かさずに鍵を見ていた。話し方が論理的で、言葉を選ぶ人間だというのは第1話の短いやりとりでわかっていた。でも今日は違う——報告を受ける側として座っている。
「着席を」
指示は短かった。
鍵はアリアとともに向かいの椅子に腰を下ろした。宰相は書類に一度目を落としてから顔を上げた。
「一週間、何をやっていたのか、話してもらおう」
圧力はある。でも怒鳴っているわけではない。有能な上司が部下の報告を聞くときの、あの静かな重さだ。
「王国の現状調査と、課題の洗い出しです」鍵は答えた。「それと一件、小さな実証実験を行いました」
「実証実験」宰相が言葉を繰り返した。「勇者が」
「はい」
「勇者が、一週間かけて調査と実験をした」
「正確には調査8割、実験2割です」
沈黙が落ちた。宰相は天井に視線をやり、それから戻した。
「聞いている。東の村で帳簿仕事を引き受けたそうだな」
「ガルム村の農業組合の帳簿を自動化しました」
「銅貨20枚の仕事を」
口調は平坦だったが、含みがあった。呆れている。ただし怒鳴る手前の、頭のいい人間の呆れ方だ。
「帳簿屋になりに来たのか、勇者よ」
鍵は動じなかった。この種の言葉は現場でも聞いてきた。「なんでそんな細かいことを」「それは本質じゃないだろう」——そういう声の裏には、たいてい別の心配が隠れている。
「最初の実証実験です」
「実証?」
「コード魔法が農村の実務に使えるかどうか、検証する必要がありました。いくら理屈を並べても、動いた実績がなければ誰も信じない。小さく試して、記録して、そこから展開する。そういう順番です」
宰相の指が机の上で一度だけ動いた。
■3.データで反論
鍵はノートを取り出し、机の上に置いた。
「先に数字を見てもらえますか」
宰相が眉をわずかに上げた。何を出すかという顔だ。
「ガルム村、農業組合の帳簿業務。これまでは組合長の息子が毎月4日かけて計算と記帳をやっていました。自動化後は入力のみで、計算と整理は即時完了。4日が3時間になった。誤記も昨年と比較してゼロです」
「一村の帳簿の話だ」
「はい。でもこの構造は、王国の徴税記録や物資管理にも同じことが起きています」
鍵はノートを開き、次のページを見せた。
王国課題マップ(調査7日分より抜粋)
そこには五つの分野が整理されていた。農村の帳簿管理、城内の在庫管理、魔法使い団のスキル記録、街道の通行記録、徴税書類の照合——それぞれに「現状の問題」「自動化の可能性」「優先度」が書かれている。
宰相の目が細くなった。
「これは……自分で調べたのか」
「7日間でできる範囲です。城の管理担当者や農村の組合長に直接話を聞きました」
宰相は黙ってノートを見た。しばらく視線が動かない。鍵は何も言わずに待った。急かすのは悪手だ。この人は読む人間だ。
「徴税書類の照合に3人が専任している、と書いてあるが」
「はい。毎月の照合に10日かかっているそうです。書式が地域ごとにバラバラなのが原因で、一元化と自動照合ができれば半分以下になると見ています」
「……それは私も以前から問題視していた」
鍵の頭の中で、何かが少し噛み合った感触があった。
この人は数字を軽視するタイプではない。むしろ数字を見たがっている。ただ、「コード魔法」という概念を信じていないから足踏みしていた。
「宰相閣下は、問題は把握していた、ということですか」
「何年も前からな」宰相は視線を上げた。「だが予算も人手も足りない。魔法使いはもっと別の仕事に使う必要がある。だから後回しになってきた」
「それを、人手なしで解決できるとしたら」
沈黙。
「コード魔法で帳簿を自動化したように、書類の照合も、在庫の管理も、スキルの記録も——同じやり方で対応できます。一件ずつ実績を作りながら、信頼できる仕組みとして広げていく。それが私のやりたいことです」
宰相がノートに再び目を落とした。今度は読み込む目だった。
数字の行を指でなぞっている。農村の帳簿、徴税照合の工数、在庫管理の誤差率——鍵が7日間で聞き集めた生の数字が、この人の思考と少しずつ重なっていくのがわかった。
「お前は魔法使いではないな」宰相が言った。「経理でも統計の専門家でもない。なのにこれを7日で集めた」
「現場に聞けば、大抵の問題は出てきます」
「ふん」
それは否定ではなかった。
■4.「続けてみろ」
応接間に光が差していた。
昼過ぎの斜めの日差しが、窓から机の端を照らしている。宰相は背もたれに少しだけ体重を預けた。さっきまでの、品定めをするような姿勢とは少し違う。
「一つ聞く」
「はい」
「魔王を倒す気はないのか」
鍵は即座に答えなかった。これは答え方が大事な質問だ。
「あります」
「しかし」
「順番があります」
宰相が鍵を見た。
「魔王を倒しても、その後の統治が崩れれば王国は持ちません。物資の記録が滅茶苦茶なままで前線に補給を回せるか、帳簿が乱れたまま戦後の徴税ができるか。前の三人の勇者が敗れた原因の一部は、もしかしたら後方支援の問題だったかもしれない。記録がないから確かめられませんが」
沈黙が伸びた。
宰相の視線が、鍵からノートへ、また鍵へと動いた。値踏みするものではない。考えている目だ。
「面白い、とは言わない」
低い声だった。
「ただ——続けてみろ」
鍵の胸の中で、何かが静かにほぐれた。OKではない。信頼でもない。ただ、「やっていい」という許可。それで充分だった。
「ありがとうございます。次の実績を2週間以内に出します」
「出せなければ止める」
「わかりました」
宰相は立ち上がり、部屋の奥へ向かった。話は終わりという背中だ。でも出口に向かう前に一度だけ振り返り、鍵を見た。
「その課題マップ、写しを一部出せ。私の机に置いておく」
それだけ言って、宰相は部屋を出た。
鍵とアリアが廊下に出たとき、日差しはもう午後の角度になっていた。
二人はしばらく黙って歩いた。石畳に二人分の足音が響く。角を曲がり、大広間の手前まで来たところで、アリアが小さく息を吐いた。
「やりましたね」
声に抑えた興奮が混ざっている。
「続けてみろ、ですよ。あの宰相から」
「上出来ではないけどな」
「充分です。エドワード閣下があの言葉を言ったら、それは相当のことです。城の中でご存知ですか——あの方が先月、失敗した魔法使い部隊の隊長に言ったのは『役職を返せ』の一言だったんです」
鍵はそれを聞いて、ノートを手に取った。廊下を歩きながら、新しいページを開く。
「次の実績、どこにする?」
アリアが少し笑った。それは最初の夜、「お金になりませんか」と言ったときの、あの実務的な笑顔だった。
「徴税書類の照合、どうですか。あそこなら宰相も成果が見えます」
「そうだな。明日から動こう」
廊下の突き当たりに窓があって、王都の屋根が見えた。青い空に白い雲。鍵には、まだやることのリストが頭の中で回っている。課題マップの写し、次の実証案件の設計、アリアとの役割分担——
少し先を行くと、窓のそばに青白い光がぼんやりと揺れていた。
クロードが壁際に立ち、静かにこちらを見ていた。
「説明、定義どおりに進められましたか」
「まあな」
「宰相が課題マップの写しを要求しました。これは当初想定していなかったアウトプットです」
「そうだな」
「次回の指示に追加事項として記録しておきます。——あと、一点」
「なんだ」
クロードが少し間を置いた。精霊の「間」は、いつも意味がある。
「『2週間以内に実績を出す』と宰相に約束しましたが、現時点で達成可能性の根拠はありますか」
鍵はノートのページを開いたまま、一瞬止まった。
「……今から作る」
「了解です。定義ができたら教えてください。即時実行します」
アリアが隣で小声で「あの精霊、ちょっと怖いですね」と言った。
「そうか? 頼りになるぞ」
鍵はノートに一行書き加えた。
『徴税照合の自動化——2週間で動く版、最優先。』
廊下を歩く三人分の気配が、石造りの通路に静かに広がった。AIカンパニー、調査フェーズが終わり、次のフェーズが始まった。
『(第5話へつづく)』
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