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呪文は日本語。IT社員の俺、コード魔法で異世界の壊れた仕組みを全部直します  作者: ノーコードLab


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第55話 行商人サイラス

毎日20時、更新予定です!

■1.囮に食いついた男


灯りは、架空の倉庫の前で止まった。


鍵は丘の陰から目を凝らした。フードをかぶった男が一人、扉に手をかけ、中を確かめている。そこには荷などない。あるのは、空っぽの小屋だけだ。板張りの床に、枯れ草が少し積もっているだけの、何年も使われていない建物だ。


男がランタンを掲げて中を照らした。荷がない。男の動きが、一瞬固まった。だまされたと気づいたのだろう。踵を返そうとした、その瞬間——


「動かないで」


アリアの声が闇に響いた。同時に、会所の役人と町の警備が、事前に取り囲んでいた位置から動いた。男を四方から囲む。逃げ場はなかった。退路になりそうな道はすべて、昼のうちに人を置いてある。段取りは、時間をかけて組んであった。


男は抵抗しなかった。ゆっくりと両手を広げ、フードを外す。


男が両手を上げたまま、ゆっくりと動いた。焦りの様子はない。逃げようとする気配もない。ランタンをそっと地面に置き、役人に囲まれながらも、足取りは落ち着いていた。これが初めての経験ではない、という動き方だった。捕まることを、ある程度計算に入れていたのかもしれない。


現れたのは、どこにでもいそうな中年の顔だった。四十代か五十代か、判断がつかない。目の端に笑い皺がある。人当たりのよさそうな、行商人の風貌。愛想がよく、子どもたちに飴を配る——村長が語っていた通りの顔だ。この顔で、いくつの村の台帳に触れてきたのか。


「サイラス、だな」鍵は静かに言った。


男は薄く笑った。「よく仕込んだものだ。ありもしない倉庫を、本物らしく見せた。あんた、いい仕事をする」


「座って話そう」


会所までの道を、サイラスは言われた通りに歩いた。声もあげず、急ぎもせず、腰縄を引かれながら石畳を踏む音だけが暗がりに響いた。空が少しずつ白み始めていた。東の稜線に、夜明けの色がにじんでいる。


■2.合わない身元


会所の一室で、鍵はサイラスと向き合った。


机を挟んで、二人きりになった。アリアとミナは隣室で控えている。会所の役人に頼んで、記録用の羊皮紙と筆を用意してもらった。窓から夜明け前の空が見える。暗いが、すでに星の数が減り始めていた。


殴るわけでも、脅すわけでもない。鍵のやり方はいつも同じだ。証拠を並べて、食い違いを突く。相手が嘘をついても、記録は嘘をつかない。


「あんたは行商人だと名乗って、東の村々の台帳を見せてもらっていた。荷の確認だと言って。だが、村の記録からは荷運びに関わる家が消え、帝国方面の荷が抹消されていた」


サイラスは黙っている。表情は穏やかだ。怯えてはいない。捕まることは、ある程度予想していたのかもしれない。


「クロード、この男が名乗った身元を照合してくれ」


クロードの光が、各地の商人組合の記録を走査した。名前と特徴、活動記録を引き出す。少し時間がかかった。複数の都市のデータを横断しているからだ。


「行商人サイラスの登録は、三つの都市に存在します。ですが、登録された筆跡と、活動時期が一致しません。同じ名前が、離れた場所で同時に取引しています。物理的に不可能です」


「つまり」鍵はサイラスを見た。「サイラスという行商人は、一人じゃない。何人かが同じ名前を使い回している。組織だ」


サイラスはまた何も言わなかった。だが手が、わずかに動いた。机の端を、指先でかすかになぞる仕草だ。図星をつかれたときに人が取る、無意識の動作だった。


「記録を消した件数も確認した」鍵は続けた。「少なくとも五年間、七つの村で同じ手口を使っている。台帳の番号を振り直し、行を詰める。秋の査定が終わった直後に手が入る。訓練を受けた人間でないと、これだけ一貫した手口は作れない」


サイラスは視線を机の木目に落としたままだ。


「どこで訓練を受けた」


答えはない。


「記録の消し方も、素人じゃなかった」鍵は続けた。「番号の振り直しまでやる。荷を盗むだけの盗賊には、そんな技術はない。あんたたちは、記録を扱うことを訓練された人間だ」


「どこで訓練されたんだ」


サイラスは答えない。


「それに」鍵は、囮の一件を口にした。「昨夜、あんたはありもしない倉庫に向かった。存在しない集積地を、本物だと思い込んで。なぜだと思う」


サイラスは答えない。


「俺たちの解析結果を、横から覗いていたからだ。だが、その結果は俺が仕込んだ偽物だった。あんたは、俺の書いたコードを読める。読めるからこそ、偽の情報に引っかかった。——あんたたちが俺の魔法を盗み見ていること、それを自分で証明したことになる」


サイラスの口元から、笑みが消えた。初めて、余裕をなくした顔だった。


長い沈黙があった。会所の灯りが揺れる。外で、誰かが歩く音がした。やがてサイラスが、静かに息を吐いた。


「どこから辿り着いた」


鍵は答えた。「記録から。数字の食い違いを、ひとつずつ確認した。それだけだ」


「大したものだ」サイラスは言った。「ここまで辿り着いた人間は、あんたが初めてだよ」


「それは光栄だ。で、誰の指示で動いている」


■3.帝国の影


長い沈黙のあと、サイラスは答えなかった。代わりに、こう言った。


「一つだけ、忠告しておく。あんたたちは、触れちゃいけないものに手を伸ばしている。『古代の遺物』——あれを集めているのは、私利私欲の盗人じゃない。もっと大きな意志だ」


「帝国か」


サイラスの目が、ほんの一瞬揺れた。それで十分だった。肯定より雄弁な沈黙だった。


「あんたのその力」サイラスは鍵の石板に目をやった。「言葉で魔法を動かす力。それを、ずっと欲しがっている連中がいる。あんたが思っているより、ずっと前から、あんたは見られていたんだよ」


鍵は背筋が冷えた。


『ずっと前から——いつからだ。』


農村の帳簿を整えた頃からか。王国のダッシュボードを作った頃からか。それとも、召喚されたその日からか。コード魔法を使うたびに、光の板を出すたびに、誰かがそれを見ていた。写し取り、書き残し、教材のように読み解いていた。


「記録を追っているのは、俺たちだけじゃなかったんだ」鍵はゆっくりと言った。「相手も、俺たちの記録を追っていた」


サイラスはそれ以上、何も言わなかった。だが、彼の懐から見つかった小さな革袋の中身が、すべてを物語っていた。


そこには、あの文様の刻まれた金属片——「古代の遺物」が、一つ入っていた。手のひらに乗るほどの大きさで、表面の線はブルーで見た覚書の写しと一致していた。そして、鍵の書いたコードの写しが、几帳面に折り畳まれて添えられていた。


鍵はその写しを手に取った。自分が半年前、王国のダッシュボードを組んだときに書いた指示だった。丁寧に書き写され、余白には見慣れない文字で注釈が付けられている。誰かが、これを教材のように読み解いていた。条件の意味を、分岐の意図を、繰り返しの構造を——一行ずつ、解釈しようとしていた。


注釈の文字を、クロードが読み取った。「翻訳できます。一部ですが」


「読んでみてくれ」


「『この行は、真偽が分かれるところ』『繰り返しの終わりの条件が鍵』『石板への依存を切り離せるか』——そういった内容です。読んだ者が自分なりに解釈し、次のステップを模索しています」


鍵は革袋の中の紙束をもう一度数えた。薄い紙が、几帳面に折り畳まれて束になっている。二十枚以上あった。半年分、いや、もっと長い期間をかけて集めていることになる。


「一枚や二枚じゃない」鍵は言った。「俺のコードを、順を追って、体系立てて集めている。理解しようとしている」


アリアがそれを見て、硬い声で言った。


「……敵は、私たちの魔法を、研究してる」


ミナが青ざめたまま、小さく言った。「だから、クロードの記録を参照できた。構造を理解していたから、同じ方法で覗き込めた」


「そういうことだ」鍵は写しをゆっくりと置いた。「覗けるだけじゃなく、そのうち、同じものを使えるようになるかもしれない」


サイラスは、もう何も言わなかった。ただ、床の一点を見つめている。その沈黙が、彼の背後にいる「大きな意志」の存在を、いっそう重く感じさせた。


「帝国は、なぜ古代の遺物を集めている」鍵は最後にもう一度、聞いた。


サイラスはゆっくりと顔を上げた。答えるかもしれないと思った。しかし彼は、ただこう言った。


「あれは、ただの遺物じゃない。誰かが作った。目的を持って」


鍵はその言葉を反芻した。誰かが作った、目的を持って。それはつまり——かつてこの世界に、コード魔法に類する技術を持った人間がいて、その人間が遺物を作り、帝国がそれを集めている、ということだ。


「その作った人間は、今もいるのか」


サイラスは答えなかった。ただ、目をそらした。それが、もう一つの答えだった。


鍵は革袋を会所の役人に渡した。証拠として保管するよう、伝えた。古代の遺物の金属片と、コードの写しの束。どちらも、これから先の鍵になるものだ。


窓の外が、少しずつ明るくなり始めている。夜が終わる。だが、ここから先の問いは、むしろ重くなった。誰かがコード魔法を研究していて、帝国が遺物を集めていて、その遺物にはコードと同じ構造の文様が刻まれている。点が三つ、同じ方向を向いている。


鍵は机に肘をついた。コードの写しが二十枚以上あった。半年以上をかけて、一行ずつ注釈を付けていた誰か。その注釈の筆跡は几帳面で、急いで書き写した形跡がない。長い時間をかけて、少しずつ読み解いてきた。


コードの写しと「古代の遺物」を並べると、向いている方向が見える。誰かが、この二つを結びつけようとしている。遺物が先にあって、その解読のために鍵のコードを参照しているのか。それとも——鍵のコードを再現するために、遺物が何かの手がかりになっているのか。どちらが目的で、どちらが手段か。まだ、分からない。それでも、問いを立てられるということは、それだけ近づいたということだと鍵は思った。


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