第37話 収穫予測モデルを王に提案する
■1.王都への道
馬車の窓から、ヴェルトの平野が流れていった。
収穫前の麦畑が続く。去年より色が薄い、と鍵は思った。目で見てもわかるくらい、土が消耗している。今年の収穫が終わったとき、この景色はどう変わるのか——あるいは変わらないのか。それは三ヶ月後にならないとわからない。
「緊張しますか」
アリアが向かいの席から言った。
「いや、別に」
「でも今日は国王ですよ」
「商会への提案と何が違うんですか」
アリアは少し黙った。馬車が石畳に差し掛かり、車輪の音が高くなる。整備された道で、揺れは少ない。王都に近いということだろう。
「違いますよ。商会なら断られても次があります。でも国王に無視されたら、この国では動きようがない。政策は国から動かないと、末端まで届かない」
「そうですね」
鍵はノートを開いたまま、窓の外を見た。
「でも相手が誰でも、やることは同じです。課題を整理して、数字で見せて、解決策を提案する。それだけ」
「……それだけ、か」
アリアがその言葉を繰り返した。呆れているのか、納得しているのか、どちらともとれる声だった。
クロードが手元の羊皮紙を確認した。過去10年分の採掘量と収穫量、魔力値の推移を書き込んだ三枚の図だ。昨夜、鍵とクロードで夜通しまとめた。クロードの字は読みやすく、線に迷いがない。鍵が口頭で説明しながら、クロードが図を仕上げるというやり方で、二人はいつの間にかそういう作業の分担ができていた。
「データの整合性は確認済みです。ただ——」
「わかってます」鍵が引き取った。「10年分でも、証明するには短い。それは最初から言うつもりです」
「正直すぎませんか」とアリアが言った。
「弱点を隠しても、あとで突っ込まれるだけです。先に認めておいたほうが、話が早い」
馬車が速度を落とした。王城の門が見えてきた。石造りの巨大な構えで、上部に王家の紋章が彫られている。門番が二人、槍を持って立っていた。
「行きましょう」
鍵はノートを閉じた。
■2.ヴェルト国王との対面
謁見の間は広かった。
鍵はそういう場所に立つ機会が増えてきたが、慣れるものではない。石畳の上を歩くたびに靴音が響く。天井が高い分、自分の声がどこかに吸い込まれていくような感覚がある。正面に玉座、左右に重臣たちが立ち並ぶ、定型の配置だ。どこの国も、こういう場所の作り方は似ている。
玉座にいたのは、想像より小柄な男だった。
年齢は五十代か六十代か。厳密には読めない。ただ、その顔は日に焼けていた。城仕えの君主というより、農地を自分で歩いてきた人間の顔だった。鍵は一瞬、自分の元上司を思い出した。会議室より現場が好きな人間の目をしていた。
「ヴェルト国王陛下。鍵と申します。AIカンパニー代表です」
「うむ」
国王——ブレインは短く応じた。値踏みするような目ではなく、ただ静かに観察している目だった。
「報告書は読んだ。鉱山の調査結果と、農業への影響についての仮説だ」
「はい」
「鉱山主カルドとも話したと聞いた」
「昨日まで現地にいました」
ブレインは少し身を乗り出した。
「田んぼを実際に見たか」
「見ました。ベリン村の三圃の一つが、今年は半分以上が不発芽でした。土は乾いていなかった。雨は降っていた。それでも芽が出ない」
「……そうか」
国王は椅子の背に体を戻した。横に立っていた農務大臣——初老の、背が高く顎の角ばった男——が、静かに腕を組んだ。その顔には感情が出ていなかった。警戒か、あるいは待機か。
「では、続けてくれ」
その一言で、鍵はノートを開いた。
■3.データ提案
羊皮紙を広げて、謁見の間の床に置いた。
本来は机で見せるものだが、謁見の間に机はない。床に置いて、玉座から見下ろしてもらうほうが視認性が高い。鍵はそれを判断して、あらかじめクロードに大きめに書かせていた。
広げたのは三枚。横軸に年号を並べ、縦軸は採掘量、収穫量、魔力測定値の三本だ。
「過去10年の記録です」
鍵は一枚目を手で示した。
「縦に三本の折れ線があります。上から採掘量、収穫量、魔力値です。まず採掘量を見てください。3年前と7年前、大きく上がっています。鉱山の拡張工事があった年です」
ブレインが身を前に傾けた。
「その翌年に何が起きているか、ここを見てください」
鍵は収穫量の線を指でなぞった。3年前の採掘増の翌年、線は急に落ちる。7年前の翌年も同じだ。
「22%、15%——二回とも、採掘増の翌年に収穫が落ちています」
「偶然では?」と農務大臣クロスが言った。静かだが、遮断するような声だった。
「それが三枚目です」
鍵は魔力値の図を広げた。
「ヴェルトの農地五地点で測定した魔力値の推移です。採掘が増えた年、周辺農地の魔力値が落ちています。翌年、発芽率が落ちています。この三つが連動しています」
「連動しているとしても」クロスが言葉を続けた。「因果は別問題だ」
「そうです」
鍵はすぐに認めた。
「これは相関です。因果を証明するには、もう少し時間がかかります。同じ気候条件で、採掘量だけを変えた対照実験が理想ですが、現実には難しい。ただ、この法則性は無視できないと判断しました」
「なぜ今、持ってきた」
ブレインが問いを割り込ませた。大臣に向けた牽制ではなく、純粋な疑問に聞こえた。
「今年の収穫期は三ヶ月後です。今から対策を組めば、今年の収穫に間に合います。来年まで待てば、もう一年分のデータが取れますが、来年の食糧備蓄が一年間リスクにさらされます。どちらを優先するか、判断をいただきたかった」
静かになった。
クロードが補足した。
「付け加えると、この地図を見てください」
地図は別紙だった。採掘が行われている鉱山の位置と、収穫率が下がっている農地の分布を重ねたものだ。
「赤く塗った地域が、魔力値の低下が顕著なエリアです。鉱山から南に広がっています。地下の魔脈の走り方と一致します。採掘が増えると、魔脈から魔力が吸い取られる。その影響が地表の農地に出る——これが仮説です」
ブレインは地図に顔を近づけた。
「……これを、数日でまとめたのか」
「カルドさんに記録を出していただきました。農地のほうは村長から直接聞きました。元データは現地にあります。私たちが持ってきたのは、それを整理したものだけです」
「なるほど」
国王がゆっくりと背を伸ばした。
■4.農務大臣の反発
「陛下」
クロスが一歩前に出た。
「発言を許可していただけますか」
ブレインが顎を引いた。それだけで大臣は喋り始めた。
「このデータには証拠能力が足りません。10年分の相関だけでは、採掘が原因とは言えない。それ以外の要因——気候、土壌の変化、種の品質——は考慮されていますか」
「気候データは含めています。過去10年の降水量と気温の記録です」鍵は二枚目の図を手で示した。「この期間、気候に大きな変動はありません。土壌については、採掘の前後で成分の変化を測定できていません。これは認めます。今後、測定できる体制を整えたい」
「認めます、で済む話ではない」クロスの声が少し硬くなった。「土壌が原因という可能性を排除できない限り、鉱山に制限をかけることはできません。鉱山業者はこの王国の重要な産業です。その権利を、10年分の紙で動かそうとしている」
「制限とは言っていません」
「採掘スケジュールを農業に合わせる、というのは制限そのものです」クロスは鍵を正面から見た。「外来者が来て数日、現地を歩いただけで国の産業政策に口を出す。それがどういうことか、わかって言っているのですか」
鍵は一秒だけ止まった。
外来者。それは事実だ。反論できない。
「おっしゃる通りです。私はこの国の生まれではない」
「ならば——」
「だからこそ、このデータがある」
クロスの顔が少し動いた。
「中にいると見えないことが、外から来るとわかることがある。私はカルドさんにも会いました。ベリン村の農家の方にも話を聞きました。鉱山業者も農家も、今の状況に困っている。どちらも悪くない。ただ、調整する仕組みがなかっただけだと思っています」
「きれいごとだ」
「きれいごとかどうかは、試してみないとわかりません」
クロスは次の言葉を探すように口を閉じた。
「大臣」
ブレインが静かに言った。
二文字だけだった。それだけで、クロスは口を閉じた。
「続けてくれ」
国王が鍵に向けて言った。
「提案を最後まで聞く」
クロスは表情を変えずに一歩引いた。腕は組んだままだった。反論を取り下げたのではなく、順番を待っているだけだ、という空気だった。
鍵はそれを見て、少し思った。
この人は悪くない。守ろうとしているものがある。だからこそ、簡単には動かない。それは正しいことだ。
「具体的な提案をします」
■5.試験運用の承認
「採掘スケジュールと農業サイクルを連動させれば、収穫量を15〜20%改善できると見ています」
鍵は最後の羊皮紙を広げた。タイムラインだ。横に月が並んでいて、縦に「採掘区画」と「農業フェーズ」が対応している。
「具体的には、発芽期の六週間、採掘量を現在の六割に絞る。その代わり、収穫後の冬場に採掘枠を増やす。年間の採掘総量は変えない。鉱山業者への影響を最小限にしながら、農地への魔力供給を安定させます」
「総量が変わらないなら、収益への影響は?」とブレインが聞いた。
「ほぼゼロです。ただ、繁忙期と閑散期が入れ替わるので、人員の調整は必要になります。冬の採掘を増やす分、そちらの労働力が必要になる。これはカルドさんと相談が必要です」
「試算はあるか」
「ここに」
クロードが別の紙を差し出した。鉱山側の収益変化、農地側の収穫量予測、双方の増減を並べたものだ。楽観的な見通しではなく、過去の相関から出した最低ラインと最大ラインの範囲で示している。
ブレインはしばらくそれを読んだ。読むのが速い人間だ、と鍵は思った。途中で止まらず、最後まで通した。
「カルドは何と言っていた」
「話しました。頭から反対はしませんでした。ただ、国から正式に動いてくれるなら、という条件つきでした。一業者の判断だけで農地の魔力配分を変えることは、業界的に難しいと」
「それは正しい判断だな」
「そう思います」
ブレインは椅子の肘掛けを指でゆっくりと叩いた。
クロスが静かに口を開いた。
「陛下。この提案に乗るなら、少なくとも今年の収穫後まで判断を待つべきです。データを増やしてから——より確実な根拠が出てから動いても遅くはない」
「大臣の言う通りかもしれない」
ブレインが言った。クロスの顔が少し緩んだ。
「ただ」と国王は続けた。「三ヶ月後に今年の収穫が来る。判断を先送りにすれば、それは今年は対策しないという選択と同じだ。どちらのリスクを取るか、という話だ」
「……陛下」
「六ヶ月、試してみよう」
ブレインは鍵に顔を向けた。
「発芽期の採掘制限を試験運用する。対象は鉱山南側の二区画。農地はその隣接三村。期間は次の発芽期まで、六ヶ月だ。その間、月ごとの魔力値と発芽率のデータを記録してくれ。比較できる形で」
「わかりました」
「失敗したら?」
「撤退してくれ。次の提案は聞かない」
「成功したら?」
「考える」
ブレインは少し笑った。細い目がさらに細くなった。農地を知っている人間の顔で笑うと、こういう顔になるのだと鍵は思った。
「約束はできん。だが——考える」
鍵はノートを閉じた。
「それで充分です」
後ろでアリアが小さく息を吐く音がした。クロスは顔の向きを変えずに立っていた。反対票を持ったまま、という姿勢だった。それでいいと鍵は思った。賛成した人間だけで始める試みより、懐疑的な目がそばにあるほうが、誤魔化しが効かない。
謁見の間を出て、廊下に入ったところで、アリアが前を歩く鍵の背中に小声で言った。
「……やりますね」
鍵は振り返らなかった。
「まだ何もやってないですよ。これからです」
「そうですけど」
廊下の石壁に、窓からの西日が斜めに差していた。三ヶ月後の発芽期まで、やることはまだいくつもある。カルドへの連絡、村長との調整、データの記録体制の整備、そして農務大臣への根回し。鍵はノートを開き、歩きながら箇条書きを始めた。
クロードがそのそばを無言でついてきた。
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