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呪文は日本語。IT社員の俺、コード魔法で異世界の壊れた仕組みを全部直します  作者: ノーコードLab


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第30話 商業データ統合システム完成

■1.完成の朝


夜明けの光が差し込んだとき、鍵はまだ作業台の前にいた。


エルムの商業区に借りた事務所——もとは倉庫の二階を改装した小さな部屋だ——のランタンはもう必要なくなっていた。窓から薄明かりが滲んでくる。鍵はノートを閉じ、背筋を伸ばした。肩が鳴った。


「動作確認、完了しました」


クロードの声がした。机の端に置いた魔法板——七商会からのデータが流れ込む統合基盤として設計したもの——の上に、青白い光の格子が広がっている。


「全商会のデータが繋がっていますか」


「はい。グレン商会、ソル商会、ファルク商会、東門商会、カーラ商会、港湾商会、ニーム商会——七つ全てのデータが一つの流れに統合されています。更新頻度は各商会の記録が書き込まれるたびにリアルタイムで反映されます」


「遅延は」


「最大で30秒。実用上の問題はありません」


鍵は一度だけ目を閉じた。三週間かかった。最初の一週間は七商会の帳簿書式がバラバラで、そもそもデータの「単位」が統一されていなかった。布地の取引を反反で記録している商会もあれば、重さで記録している商会もある。通貨の換算基準も微妙にずれていた。


それを整理したのはミナだった。


アリアの商会で帳簿補佐をしていた若い女性で、最初は「見よう見まねで手伝っているだけ」と言っていたのに、二週目には七商会全ての書式パターンを自分でノートに書き出し、「共通フォーマット案を作ってみました」と持ってきた。あの草案がなければ、あと一週間はかかっていた。


三週間のあいだ、倉庫の奥も少し整理した。崩れかけた棚の裏から、黄ばんだ帳簿の束が出てきたのは第一週の終わりだった。表紙の文字はかすれているが、「エルム商業記録」と読める。開くと、二百年以上前の取引記録が整然と並んでいた。


「これは」と鍵は言った。


「言語魔法による帳簿です」とクロードが答えた。少し間があった。「ただ、記述形式が……既視感があります」


「どういう意味ですか」


「上手く言えません。コード魔法に似た何かです」


鍵は帳簿を棚の端に戻した。気になったが、今はそれどころではなかった。


「ミナが来るのは何時ですか」


「朝の七時に来ると言っていました」とアリアの声がした。


振り返ると、部屋の隅でアリアが上着を着ていた。短い仮眠から起き上がったばかりの顔だ。


「おはようございます」


「おはよう。今日の発表に間に合った」


「間に合いました。あとは見せるだけです」


鍵は魔法板に向き直った。光の格子の中に、七商会の昨日の取引データが並んでいる。数字は生きていた——書き込まれるたびに変わる。鍵はその表示を見ながら、静かに思った。


『これが動いている。』


技術的に正しいことと、実際に動くことは別だ。三週間、そのあいだには何度か「本当にできるのか」と思う夜があった。でも今、目の前の数字は変わり続けている。


「クロード、発表用のダッシュボードを表示してください」


「了解です」


光の格子が再構成された。シンプルで読みやすい一覧表が現れた。今日、この数字が七商会の代表たちの前に示される。



■2.商会連合への発表


会議室はエルム最大の宿屋「白鷺亭」の二階だった。


七商会の代表が一堂に集まるのは珍しい。グレン商会の当主ガラントは太い腕を組んで上座近くに座り、ファルク商会のヴィールは文書を手にしたまま鍵の装置を横目で見ていた。そしてソル商会のソルは、最も端の椅子にいた。アリアの父だ。六十近い、背筋の通った男で、表情は最初から動いていない。


商業連合の議長——白髪の老商人で名をケインという——が口を開いた。


「では、鍵殿。三週間の成果を見せていただきましょうか」


「はい」


鍵は魔法板を会議机の中央に置き、クロードに表示の切り替えを頼んだ。光が広がった。


「これは統合データダッシュボードです。七商会それぞれの取引記録が、共通のフォーマットに変換されてここに集まっています。今日の午前中のデータを表示します」


数字が並んだ。


「今朝の布地取引——グレン商会が46件、ソル商会が31件、東門商会が22件、ファルク商会が18件……」


読み上げながら、鍵は部屋の空気が変わるのを感じた。


代表たちの目が細くなった。誰かが椅子を引く音がした。ガラントが腕を解き、前に身を乗り出した。数字が出る前は半信半疑だった顔が、今は別の顔をしている。


「その数字は」ヴィールが静かに言った。「今朝の、ということですか」


「はい。一時間前の記録です」


沈黙があった。


「この商会のデータは、本当にリアルタイムで入っているのか」ガラントが言った。「試してみていいか」


「どうぞ」


ガラントは懐から小さな記録石——商会の帳簿と連携している携帯用の魔道具だ——を取り出し、何かを書き込んだ。数秒後、ダッシュボードの数字が一つ増えた。


ガラントが笑い声をあげた。低く、驚いた笑いだった。


「本物だ」


議長ケインが「鍵殿」と言った。声が落ち着いていた。


「この数字は、正確ですか。各商会が記録を誤魔化せば、表示も変わるということではないですか」


「そのとおりです」鍵は答えた。「このシステムは各商会が正直に記録することを前提にしています。ただ、全商会のデータが一つに見えるようになった結果、どこかの数字が不自然に見えれば、それも分かるようになります」


議長が頷いた。


「なるほど。『見えることで、嘘がつきにくくなる』ということですな」


「そういうことです」


「それで争いが減る、ということか」ケインは一度目を閉じ、開いた。「三十年この仕事をしてきたが、商会間の揉め事の半分は『どちらが先に取引したか』『実際の件数はいくらか』という確認の問題でした。これがあれば、そこは自動で解決する」


室内が静かになった。反論の声は出なかった。



■3.ソルの「4位か」


会議が終わったのは昼前だった。


代表たちは連れ立って宿屋の食堂へ降りていった。鍵は機材の片付けをしながら、アリアが出口で何人かの代表と話しているのを横目で見ていた。


一人だけ、残っている人間がいた。


ソルだった。


机の端、窓際の椅子に座ったまま、ダッシュボードを見ていた。視線は動かない。鍵は声をかけずに片付けを続けた。


「4位か」


低い声だった。


ダッシュボードには商会別の取引量ランキングが出ていた。午前中の集計でグレン商会が首位、次いで東門商会、カーラ商会、そしてソル商会が4位だった。


鍵は手を止めなかった。


しばらくして、足音がした。ゆっくりとした足音が、ダッシュボードに近づいてくる。


アリアだった。


鍵は気づかないふりをして片付けを続けた。


アリアはダッシュボードの前、父の斜め後ろに立った。距離は三歩ほどある。


「データは正確です」


アリアが言った。声は静かだった。


「知っている」


ソルは振り向かなかった。


「知りたくなかったが、知る必要があった」


短い沈黙があった。


「グレン商会に抜かれたのは五年前から分かっていた。ただ、数字で突きつけられると」ソルはそこで言葉を切った。「別のことを考える」


「何を」


「昔の話だ」


アリアは一歩近づいた。二歩ぶんの距離になった。


「父さん」


ソルが初めて振り向いた。娘を見た。鍵は視線を机の上に向けたまま、手を動かし続けた。


「お前がこのシステムを手伝ったと聞いた」


「フォーマットを作ったのはミナです。私はつなぎをしただけです」


「その鍵という男は、信用できるのか」


「できます」


「何故だ」


アリアは少し間を置いた。


「データを嘘にしないからです。見たくない数字でも、そのまま出す。それだけで信用するには充分です」


ソルはしばらく娘の顔を見ていた。それから、短く「そうか」と言って立ち上がった。椅子を引く音がした。出口に向かう前に一度だけ振り返り、鍵に向かって軽く頭を下げた。鍵も頭を下げた。


足音が階段を降りていった。


アリアはしばらくダッシュボードを見ていた。


「ありがとうございました」


「片付けを手伝ってください」


鍵は言った。アリアが少し笑った気がした。



■4.夜の報告


その夜、事務所に戻ると、テオが夕食の用意をして待っていた。


テオはアリアの商会から引き続き手伝いに来ている青年で、雑用全般を担っている。炒めた野菜と硬いパンという質素な食事だったが、今夜は三週間ぶりにゆっくり食べる気がした。


「発表、うまくいったんですか」テオが聞いた。


「うまくいった」


「すごいですね。七商会のデータが一つに……」


「ミナの草案があったからです。あの整理がなければもっとかかっていた」


テオが「ミナさんに伝えておきます」と言った。


食事が終わった頃、クロードが静かに「本日の報告をまとめますか」と言った。定時の報告——その日の成果と翌日の優先事項を整理する習慣だ。


鍵はノートを開いた。


「アリア、今日気になったことは」


アリアが少し間を置いた。


「父と少し話しました」


テオが手を止めた。鍵はペンを動かし続けた。


「そうか」


「……明日また話してみます」


声は静かだったが、どこか決めた、という感じがあった。三週間のあいだ一度も口にしなかったことを、今夜初めて言っている。鍵はそれ以上聞かなかった。


「クロード、今日の数字を整理してください。明日の朝に各商会へ送る報告書のフォーマットも準備しておいてほしい」


「了解です」少し間があった。「一つ報告があります」


「何ですか」


「アリアさんの発話パターンを分析したところ、感情変数が本日を境に安定傾向に入っています」


テオが顔を上げた。


「……それ、いい意味ですか?」


「いい意味です」


「どういう指標なんですか、感情変数って」


「説明すると長いので省略します」


鍵はノートに一行書き加えた。


『統合システム稼働。第一報告、明朝送付。』


ランタンの炎が揺れた。外から、夜のエルムの声——荷馬車が通る音、遠くで誰かが笑う声——が聞こえた。


三週間かかった。七商会のデータが一つに繋がった。


それだけのことだ。でも鍵には、今日の数字が動いた瞬間と、アリアが「明日また話してみます」と言った声が、同じ重さで残っていた。


どちらも、昨日まではなかったものだ。


「明日の予定を確認してください」


「はい。午前9時に議長ケイン殿との個別面談。午後はミナさんの操作研修——七商会の担当者向けです。夕方は港湾商会からの追加要件の確認があります」


「詰まっているな」


「詰まっています」


「では早く寝ます」


テオが「おやすみなさい」と言った。アリアも同じように言った。クロードは「了解です」と言った。


鍵はノートを閉じた。



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