第15話 東の要塞を調査します
■1.失敗ログを探して
「宰相、一つ聞いていいですか」
王城の執務室。窓から差し込む午前の光のなか、鍵はノートを開いたまま顔を上げた。
先週完成した王国全体データマップが机の上に広げてある。各地の人口、物資の流れ、兵の配置、食糧備蓄、補給コスト——二週間かけてクロードと整理した情報が、羊皮紙の上に整然と並んでいた。
そしてそのなかに、一つ気になる数字がある。
「東の要塞周辺の補給コストが、他の拠点の三倍になっていますね」
「左様です」宰相のガルシアが眉を寄せた。「東の道は険しく、距離も遠い。そのぶんコストがかかる」
「それはわかります。でも、それだけで三倍にはならない」
鍵はペンを走らせながら続けた。
「もう一個、気になることがあって。前の三人の勇者が東の要塞で全員撤退しているんですよ。データを見ていたら気づいた。三人とも、同じ場所で同じように失敗している。これ、偶然ですか」
静寂。
ガルシアが目をわずかに見開いた。
「……それは確かなのですか」
「少なくとも記録の数字はそうなっています。でも理由がわからない。戦闘の詳細な記録が残っていれば確認できるんですが、そういうものって、どこかにありますか」
「戦闘記録でしたら……東の要塞の書記官が管理していると思います。ここ王都には概要しか届いていない」
「つまり現地に行かないと見られない」
「さようで」
鍵はノートを閉じた。
「行きましょう」
扉の外で声がした。
「俺も行きます」
テオだ。壁に背をあずけた格好で、腕を組んで立っている。鍵の副官を名乗り出てから二週間——まだ何かと顔を出してくる。今日もどこかで話を聞いていたらしい。
「別に止めませんが」
「心強いでしょう。俺、東の要塞には何度か行ったことあるし」
鍵は少し考えた。
「道を知ってるなら助かります。では三人で」
「三人?」
「私とテオとクロード」
「……クロードって、精霊ですよね」
「実質もう一人分の働きをするので、三人でいいです」
テオが少し口をつぐんだ。反論するよりも、この勇者に何か言うのは無駄だと学習したのだろう。
「……わかりました。では明朝、出発でどうですか」
「問題ありません」
鍵はノートを脇に抱えた。やることリストに新しい項目を書き加える。「東の要塞・記録確認」。それだけのことだ。でも、この調査が何かを変えるかもしれないという感覚が、うっすらとある。
根拠はまだない。でも——データが三人の失敗を指さしているなら、その理由を探す価値はある。
■2.勇者、登場してしまう
東の要塞まで馬で二日。
険しい山道を抜けると、石造りの大きな砦が見えてきた。高さのある城壁、見張り台に立つ兵士の影、城門には「王国東方防衛拠点」と彫られた石板。第14話で数字だけ眺めていた場所が、今は目の前に実物として存在している。
「思ったより大きいですね」
鍵がぼそっと言うと、テオが頷いた。
「王国東端の守り。長年かけて拡張してきたんで」
城門に近づいたところで、見張りの兵士が声を上げた。
「止まれ! 何者だ」
テオが前に出て、腰の剣を見せるような格好をした。身分を証明する王城の紋章入り通行証を取り出す。
「王城からの使者だ。勇者鍵様のご一行——」
そこまで言い終わらないうちに、城門の向こうで誰かが叫んだ。
「勇者だと?!」
一瞬の静寂のあと、それは波紋のように広がった。
「勇者がいらした!」
「本当か!」
「第四の勇者だ!」
城門が開くより先に、兵士たちが城壁の上から顔を出し始めた。詰め所から人が飛び出してくる。厩の方角からも足音が聞こえる。気がつくと、城門の両脇に二十人近い兵士が並んでいた。
全員が鍵を見ていた。期待と興奮で目が輝いている。
「……テオ」
「はい」
「私、ここで何かしましたか」
「まだ何もしてません」
「では、この歓迎は」
「勇者というだけで充分なんじゃないですかね」
鍵は軽く目を閉じた。そういうものか。
兵士たちのなかから、年配の隊長格の男が一歩前に出た。胸に勲章、白髪まじりの短い髭。
「勇者様! 東方守備隊長のハルクと申します。よくぞお越しくださいました。魔王軍の動きが活発な昨今、勇者様のご到来はまさに天の助け——」
「えっと」鍵は遮るように手を上げた。「私は戦闘スキルがないので、魔王軍とは直接戦えません」
ハルク隊長の顔が一瞬止まった。
「……左様で」
「記録を見に来ました。過去の戦闘記録。書記官に話を聞かせてもらえますか」
「記録……でございますか」
「三十年分あれば理想的です」
誰かが「え」と小声で言った。誰かが「記録?」と繰り返した。静寂が三秒ほど続いた。
そのとき、鍵の隣で明るい声がした。
「皆さん、長旅でお世話になります! 勇者鍵様の副官、テオと申します。ご配慮いただけますと幸いです!」
テオが満面の笑みでぺこりと頭を下げた。兵士たちの緊張が少し解けるような笑い声が起きる。
鍵はテオの顔を見た。
「なんで急にそんなに元気なんですか」
「こういうとき、愛嬌が大事なんです」
「……そうですか」
鍵はもう一度、兵士たちを見渡した。
「とにかく記録庫を案内してもらえますか。始めたいので」
■3.三十年分の記録
書記官のロランは、小さな眼鏡をかけた五十代の男だった。
記録庫は要塞の東棟、地下一階にある。木棚が天井まで続き、羊皮紙の束が年代ごとに整理されている。三十年分の戦闘記録、補給台帳、兵の配置メモ、斥候報告——それらが積み重なって、かすかに羊皮紙の匂いがした。
「全部、ここにあります」ロランが羊皮紙の棚を示した。「ただ、整理しきれていない部分もあって。昨年分の一部は仮ファイルのままで——」
「クロード」
鍵がぼそっと呼んだ。クロードが静かに前に出た。
「整理しながら読みます」クロードが言った。「三十年分であれば、数時間あれば通読できます」
ロランが目をまるくした。
「し……精霊様ですか」
「はい」
「精霊様が読書を」
「通読・分類・要点抽出まで対応します。条件を指定していただければ、絞り込みも可能です」
ロランはしばらく口を開いたまま棚を見て、それからクロードを見た。
「……お願いしてよいものか」
「遠慮なく」
「ではお任せしても」
「もちろんです」
鍵はロランに礼を言い、棚の前に椅子を出して座った。ノートを開く。クロードが棚の左端から羊皮紙の束を手に取り、静かに読み始めた。
二時間が過ぎた。
クロードが「一度整理します」と言い、鍵の前に紙を三枚並べた。
「まず概要から」クロードが淡々と話し始めた。「三十年のあいだに東の要塞周辺で記録された大規模な戦闘は十七回です。うち七回は魔王軍の小規模な侵攻で、こちら側が撃退に成功している」
「残り十回は?」
「撤退または押し込まれています。そのうち三回が、歴代の勇者が関与した戦闘です」
鍵はペンを構えた。
「三回全部、撤退か」
「はい。第一の勇者・ガレット。七年前。第二の勇者・シエラ。四年前。第三の勇者・ライノ。一年半前」
「詳細は」
クロードが中央の紙を指した。三列の記録が並んでいる。
「見てください」クロードが言った。「三件とも、戦闘の流れが同じです」
鍵は身を乗り出した。
第一の勇者・ガレット。魔王軍が東の山道に現れ、勇者率いる部隊が追撃。追いかけたところで、本隊が南の補給路に現れた。補給が断たれ、一週間後に撤退。
第二の勇者・シエラ。魔王軍の一部隊が北側の集落に侵入。守備隊が対応。そのあいだに別動隊が東の補給倉庫を焼いた。食糧が尽き、二週間後に撤退。
第三の勇者・ライノ。前衛部隊が押し寄せてきたため迎撃。三日間の激戦の末に押し返したが、その間に後方の補給ルートを奇襲された。弾薬と食糧が途絶え、十日後に撤退。
三件とも、戦闘の構造がほぼ同じだ。
「……前に出てきた部隊は、おとりだった」
「そう解釈できます」クロードが頷いた。「勇者率いる部隊が前線に引き寄せられているあいだに、本隊が補給路を断っている。補給が切れると戦えない。撤退するしかない」
鍵はしばらく紙を見つめていた。
「パターンがある」
「はい。三回とも同じです」
「これ、魔王軍の側は意図的にやっているんですかね」
「一度ならば偶然。二度ならば偶然の可能性がある。三度は」
「戦術だ」
部屋が静かだった。ロランが棚のそばで息を呑んでいる。テオが腕を組んで、難しい顔をしていた。
「つまり」鍵はゆっくりと言葉を選んだ。「魔王軍は、勇者をおとりで前に引き出して、その隙に補給を断く。これが基本の手口」
「少なくとも過去三回はそうです」
「次の侵攻でも、同じ手を使ってくる可能性がある」
「高いと思います」
鍵はノートを開き、図を描いた。前線と後方を分ける線。前に出るおとり部隊。後方を回る本隊。補給路の位置。
「だったら」鍵は線を引いた。「先に補給路を守ればいい」
テオが口を開いた。
「……それだけで変わりますか」
「おとりに引き寄せられても、補給路が守られていれば持ちこたえられる。相手の手が通用しなければ、同じ戦術は機能しない」
「でも、それを実行するには」
「兵の配置を変える必要がある。それは将軍の仕事です」鍵はペンを置いた。「私の仕事はこれを王都に持ち帰ること」
テオがしばらく黙って、それからゆっくり頷いた。
「……なるほど」
クロードが「一点追加で」と言った。
「補給コストが三倍になっている原因も同じパターンが関係していると思われます。過去に補給ルートを何度か迂回させられた記録があります。その迂回路が今も使われているため、距離と時間が余計にかかっている」
「補給コストの原因も、魔王軍の戦術か」
「可能性が高いです」
鍵は天井を見上げた。数字の裏に理由があった。理由の裏に意図があった。意図の裏に、誰かの戦略がある。
「クロード、この分析を文書にまとめてください。王都に持ち帰ります」
「了解です。書き起こしますか、それとも口頭での説明用に整理しますか」
「両方。宰相と将軍に見せます」
■4.帰還と報告
王都まで戻る二日間、テオはほとんど口数が少なかった。
馬を並べながら、ときどき「あの記録、本当に三回とも同じだったんですね」とか「補給を守るだけで変わるのか、まだ信じ切れなくて」とか、ぽつぽつとつぶやく程度だ。
「信じなくていいですよ」鍵は言った。「判断するのは将軍です」
「勇者がそれを言うんですか」
「私は分析しかできません。実行するのは軍の人間。分析が正しければ結果に出る」
テオがしばらく黙った。
「鍵さんって、あまり『俺がやる』とは言わないですよね」
「言う必要がないことには言いません」
「三人の勇者が失敗した場所に行って、原因を見つけて、それを将軍に渡す。それだけですか」
「それで充分なら、それだけです」
テオがまた黙った。馬の蹄の音だけが続く。
王都の門をくぐると、クロードが静かに口を開いた。
「整理が終わりました」
「どんな内容に」
「表題は『東方戦線における魔王軍戦術の分析と対策案』。三章立てで——第一章が過去の戦闘パターンの整理、第二章がパターンから導かれる戦術の仮説、第三章が次の侵攻に備えた配置変更の提案です。補給コストの改善策も付録にまとめました」
「さすがに速い」
「なお一点、この分析はあくまで過去データに基づく推論です。魔王軍が同じ手を使うかどうかは断言できません。その点は報告時に明記すべきかと」
「もちろん」
鍵はノートに「不確実性を明記する」と書き加えた。
宰相の執務室を訪ねたのは夕刻だった。ガルシアが机の前に座り、文書を確認するように眉をひそめながら聞いた。
「三回とも同じパターンで撤退した、と」
「はい。詳細はこちらに」
クロードがまとめた報告書を差し出すと、ガルシアは一枚ずつ丁寧に読んだ。ページを繰る音だけが響く。
「……将軍には、私から話を通しましょう」
「お願いします」
「ただ、将軍は保守的な方でして。過去の記録だけで配置を変えるというのは、説得に時間がかかるかもしれません」
「わかります。急かしません」鍵は頷いた。「でも次の侵攻が来る前に、少なくとも補給路に守備を一部回すことだけはしてほしい」
「それならば」ガルシアは考える顔をした。「検討の余地はあります」
「充分です」
鍵は立ち上がり、書類をまとめた。クロードが鍵の手元を見ながら静かに言った。
「このデータ、宰相だけでなく将軍にも直接共有すべきです。宰相を通すと解釈が変わる可能性があります」
「お前が言うか」
鍵は少し笑った。
「……正しいけど、直接言うのはなかなか難しい」
「難しい理由が人間関係に起因するなら、私には判断できません」
「そうだな」
鍵はもう一度、報告書の表紙を見た。
「とりあえず宰相から動かして、将軍に届くかどうか見てみましょう。届かなければ別の手を考えます」
「了解です」
廊下に出ると、テオが壁に背をあずけて待っていた。
「どうでしたか」
「宰相は動く気がある。将軍は時間がかかるかも」
「変わるといいですね」
「変わらなくても、またやります」
テオが苦笑した。
「本当に勇者ですか、あなた」
「記録上はそういうことになっていますね」
鍵はノートを開き、今回の調査で浮かんだ次のタスクを書き連ねた。将軍への直接説明ルートの確保。補給路の地図と守備兵の配置案。万が一、次の侵攻が同じパターンで来たときの対応フロー——やることが増えていく。
それでいい。
仕事というのは、一つ終わると次が見えるものだ。三人の勇者が残したログが、ようやく意味を持ちはじめた。
「クロード」
「はい」
「次は将軍への説明資料を作りたい。軍人向けに、数字より図を多めにしてもらえますか」
「承知しました。明日の朝までに初稿を用意します」
テオがぽかんとした顔で鍵とクロードのやりとりを見ていた。
「……この二人のペースについていけない気がしてきた」
鍵はノートを閉じた。
「別についてこなくていいですよ」
「いや、ついていきます」
「なぜ」
「なんか、面白いので」
理由になっているのかどうかわからないが、鍵はそれ以上は聞かなかった。
東の要塞の記録庫で見つけたパターンが、いつかの戦いで使われる日が来るかもしれない。その日まで、やることは続く。
それだけのことだ。
『(第16話へつづく)』
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