第13話 アリアが交渉します
■1.アリアの申し出
「俺が行く」
鍵がそう言ったのは、翌朝のことだった。
昨日の会議が終わったあと、テオが調べてきた情報によれば、王都魔法使いギルドの筆頭理事ガルド・マーセルは、かねてより「魔法の権威は魔法使いが守るべき」という信条の持ち主だとされていた。コード魔法の普及によって従来の魔法使いの仕事が置き換えられることを、彼は純粋に危惧しているという見方もある。
「直接話して、誤解を解く。それが一番早い」
鍵はそう結論づけた。三日後の臨時議会を前に、動議を封じるためには当事者と対話するしかない。
「それは、おすすめできません」
静かな声が割り込んだ。
アリアだった。オフィスの端、資料の束を抱えたまま、真剣な顔で鍵を見ていた。
「どうして」
「勇者が直接乗り込んでいけば、相手は身構えます。ガルド先生は魔法使いとしての矜持がある方です。力ある側から来られた、と感じた瞬間に、心を閉じる」
「でも話しあいなんだから——」
「目的が話しあいでも、形が対決になれば同じことです」
アリアは資料を机に置き、向き直った。
「私が行きます」
テオが眉を上げた。ミナが「え」と声を出した。鍵は少し間を置いて、聞き返した。
「アリアが?」
「はい」
「でも、相手は魔法使いギルドの理事だぞ。それなりの立場の人間が——」
「だからこそ、立場のない人間が行くべきです」
アリアはまっすぐな目で続けた。
「私は商家の娘で、AIカンパニーの事務方です。偉くも強くもない。ガルド先生からすれば、相手にするほどでもない存在。でも、だからこそ——相手は警戒しなくていい。壁を下げたところで話が始められる」
「……」
「それに」と、アリアは少し声のトーンを落とした。「私にはガルド先生に話しかけるための、ちょっとした理由があります」
鍵は黙って聞いていた。
テオが「でも一人で行かせるのは」と口を開いたが、アリアはそちらを向かずに言った。
「私は納品交渉で、気難しい商会の長と何度もやりとりしてきました。こういうのは、型があります。まず相手に話す理由を作る。次に、こちらが学びに来たという姿勢を見せる。相手のプライドを傷つけず、でも確実に席についてもらう」
部屋が静かになった。
鍵は腕を組み、アリアの言葉を反芻した。
間違っていない。むしろ正確だ。ガルドに関して手元にある情報を整理すれば、アリアの読みは筋が通っている。鍵が「話しあいに来た」と言っても、相手からすれば「脅しに来た」と変わらない可能性がある。立場の差が、言葉の意味を変えてしまう。
「……わかった」
鍵はそう言った。
「ただし、無理はするな。断られたら引き返せ」
「もちろんです」
アリアは短く頷いた。その顔に、緊張より先に、静かな集中があった。
■2.ギルドへ
王都魔法使いギルドは、大通りの突き当たりに建っていた。
石造りの建物は四階建てで、正面の柱には精巧な魔法陣が刻まれている。入り口のアーチには金文字で「Mages Guild of the Capital」と記され、その下に小さく「設立 王暦382年」とある。百年以上の歴史を持つ組織だ。
アリアは入り口の前に立ち、一度だけ深呼吸をした。
朝の光が石畳に落ちている。往来を行き交う人々は、この建物を避けるように少し遠回りして歩いている。知らず知らずのうちに距離を取っている——そういう威圧感が、建物そのものから滲み出ていた。
「でも、中には人がいる」
アリアは小声でそう言い、扉を押した。
内部は思ったより薄暗かった。受付カウンターの奥には棚が並び、羊皮紙の束が整然と収められている。カウンターには三十代ほどの男性職員が座っており、アリアが入ると顔を上げた。
「ご用件は」
「AIカンパニーのアリアと申します」
職員の表情が、わずかに固まった。
「ガルド理事に、お取次ぎをお願いできますか。先生に教えを請いに参りました」
「申し訳ありませんが」職員は慎重に言葉を選んだ。「理事は現在、外部の方とのご面会は——」
「先生のお書きになった『魔法概論・改訂第三版』を読みました」
職員の言葉が止まった。
アリアは続けた。
「その中の第二章に、〈魔法の本質は意思の伝達である〉という一節があります。魔法とは術者の意思を世界に伝えるための言語だ、と。ずっとその意味を考えていたのですが、最近、少し自分なりの考えが浮かびました。それをご本人に聞いていただけたら、と思って参りました」
職員は黙っていた。
しばらくして、「少々お待ちを」と言い、奥へ消えた。
アリアはカウンターの前に立ったまま、微動だにしなかった。
二分ほどで職員が戻ってきた。
「三階の第二応接室へどうぞ。ただし、お時間は三十分です」
「充分です。ありがとうございます」
アリアは礼を言い、案内された階段を上がった。
■3.ガルドとの三十分
オフィスに戻ったアリアが、鍵に語ったのはこういう内容だった。
——応接室に入ると、ガルド先生はすでに席についていました。七十代ぐらいの方で、白い顎鬚と、よく磨かれた杖。机の上に『魔法概論』が開いてあって、私が言った一節のページでした。最初から確認していたんだと思います。
「AIカンパニーの者が来るとは思わなかった」というのが、最初の言葉でした。声は低くて、刺がありました。「その概論を読んだというのは本当か」と聞かれたので、「はい」と答えました。「どこで手に入れた」と。王都の古書店で見つけました、と言ったら、少し間がありました。
——「あの本は絶版だ」とおっしゃって。
——「だから古書店で探しました」と答えたら、また間がありました。
最初の十分は、先生がこちらを試すような質問をしていました。第一章の定義について、第三章の応用理論について。私は読んだことをそのまま答えました。背伸びはしませんでした。「ここはよくわからなかった」という部分も正直に言いました。
転機は「第二章をどう読んだか」という質問でした。
——「意思の伝達が魔法の本質なら、伝える言語は何語でも関係ないのでは、と思いました。古来の魔法語でも、日本語でも、伝わる意思が本物であれば、それは等しく魔法なのではないかと。でも、そこに先生が反論されるとしたら、どんな反論がありますか」
先生の表情が変わりました。刺が消えた、という感じではありません。でも、向き合う角度が、少し変わった気がしました。
「若い娘がこんな本を読んでいるとは」と、おっしゃいました。批判ではなく、ただの驚きのように聞こえました。
それから先生が話し始めたのは、コード魔法への具体的な懸念でした。
「魔法には積み上げがある。術者が何十年もかけて培う制御と責任がある。それを、誰でも指示文を書けば動く仕組みに置き換えれば、魔法の持つ危険を扱える者が減る。使えても制御できない者が増える」
——それは技術の話でなく、安全の話でした。
アリアはそこで鍵を見た。
「先生が反対しているのは、コード魔法が怖いからじゃない。コード魔法が普及したとき、それを扱える人間の倫理と技術が追いつくかどうか、それを心配していました」
鍵は黙って聞いていた。
「だから私は、『AIカンパニーが考えていることをお伝えしていいですか』と聞きました。先生に許可をいただいて、鍵さんが日々実行していることを、できる限り正確に話しました。自動化する前に必ず課題を整理すること。実行の結果を記録すること。改善を重ねていること」
「ガルドは何て言った」
「『それは魔法の使い方として、間違ってはいない』と」
アリアはそこで少し笑った。
「褒めてはもらえませんでした。でも、否定もされませんでした」
■4.帰還と報告
「一週間後に、話し合いの場を設けてもらえました」
アリアがそう言ったとき、オフィスにはしばらく沈黙が流れた。
テオが最初に口を開いた。「一週間後って、議会より前じゃないですか」
「そうです」
「つまり、ガルド理事が議会で動議を出す前に、直接話しあえる、ということですか」
「そう考えています」
ミナが「すごい」と言い、テオが「どうやって説得したんですか」と続けた。
アリアは首を振った。
「説得していません」
「でも、承諾してもらったんですよね」
「話を聞いてもらえるようにしただけです」
テオが「それって同じじゃ……」と言いかけ、クロードが静かに言葉を挟んだ。
「補足します。『説得』は相手の判断を変えることを目的とした働きかけです。『聞いてもらえるようにする』は、相手が自分の判断をするための前提条件を整えることです。アリアの定義では、今日おこなったことは後者にあたります」
「……なるほど」テオが頷いた。「定義が違うんですね」
クロードはそのまま続けた。
「交渉の定義が、鍵とアリアで異なっています」
鍵は少し考えて、アリアに聞いた。
「俺が行っても、同じ結果になったと思うか」
「ならなかったと思います」
「……正直だな」
「事実を言っただけです」
アリアは椅子に腰を下ろし、持ってきたメモを机に広げた。三十分の対話の内容が、整然とした文字で記録されている。
「先生は、コード魔法そのものを否定しているわけではありませんでした。扱う人間への要求が、従来の魔法と同じかそれ以上でなければならない、という考えを持っていました。私たちがその水準で動いていることを示せれば——話は変わると思います」
「一週間後が勝負か」
「そうです。ただ——」アリアは少し声を落とした。「勝負というより、対話です。先生が聞く耳を持ってくださるかどうかは、私たちが一週間でどんな仕事をしているかにかかっています」
鍵はアリアのメモを受け取り、ざっと目を通した。
几帳面な字で書かれた対話の記録。ガルドの言葉が正確に拾われ、アリアが返した言葉も書き留められている。感情的な言葉は一つもない。事実と論点だけが並んでいた。
「一つ聞いていいか」
「何ですか」
「『魔法概論』、本当に読んだのか」
「半年前に読みました」
「なんで」
アリアは少し黙って、それから言った。
「コード魔法が何者かを知りたかったからです。鍵さんのスキルが何に近いのか、この世界の魔法とどう重なるのか。理解しておかないと、仕事にならないと思って」
鍵はアリアを見た。
半年前、というのはまだAIカンパニーが始まる前の話だ。アリアが「組みましょう」と声をかけてきたあの夜より、さらに前。
「準備してたんだな、最初から」
「備えていただけです」
クロードが静かに付け加えた。
「アリアの行動は、今日の交渉のためだけに行われたわけではありません。長期的な文脈形成として、半年前から機能していました」
「お世辞はいいです」とアリアが言った。
「事実の記述です」とクロードが答えた。
鍵はメモをそっと机に置いた。
一週間。それまでにやるべきことは、すでに頭の中で動き始めていた。ガルドに見せるべき仕事の内容。整理すべき記録。示すべき実績。
でもその前に、今日のことを一度きちんと整理しておきたかった。
「アリア、今日はありがとう」
「お役に立てましたか」
「充分すぎるくらいに」
アリアは小さく頷いた。
窓の外、王都の昼の光が石畳に伸びている。三日後の議会まで、まだ時間はある。そしてその前に、一週間後の対話が待っている。
AIカンパニーの次の一手は——まだ、書かれていない。
『(第14話へつづく)』
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