第12話 魔法使いギルドが動きます
■1.市場からの知らせ
テオが帰ってきたのは、昼過ぎだった。
「大変です。市場でやばい話を聞きました」
扉を開けるなり声を上げたので、アリアが棚の在庫帳簿から顔を上げた。鍵はテーブルの端でクロードと一緒に軍の物資管理報告書の確認をしていたところだった。
「やばい、の定義は」鍵は顔を上げずに聞いた。
「コード魔法が、禁止されるかもしれないって話です」
今度は鍵も手を止めた。
テオは革バッグを床に置きながら続ける。食材の買い付けに王都の中央市場へ行ったとき、馴染みの薬草商から聞いたという。魔法使いギルドの長、ガルドが国王に直訴した。コード魔法は制御不能で危険だ、禁じるべきだ——という内容だった。
「それ、誰から聞いた話ですか」
鍵の最初の言葉はそれだった。
「ダニエル薬草商から。彼の息子がギルドの下働きをしていて——」
「ひとを介した話が二段階、ですね」
テオが「そうです、けど……」と口ごもる。横でアリアが立ち上がっていた。
「本当ですか、それ!」
「ですから、ソースが」
「待って」アリアはテーブルに両手をついた。「ギルド長のガルドが動いているなら、これは本当の話です。あの人は軽率に王宮へ行くような人じゃない」
「アリアはガルドを知ってるんですか」
「顔を見たことがある程度ですが、評判は聞いています。魔法使いギルドを五十年仕切っている人で、この国の魔法体系を作った人です。あの人が動議を出すとなれば、議会は無視できない」
鍵は報告書を脇に置いた。
「でも今の段階では、市場の噂話です」
「放置できません」
アリアの声は、いつもより少し高かった。営業先の交渉で追い詰められたときでも崩れないあの落ち着きが、今日は微妙にずれていた。
『珍しい。アリアがこれだけ即座に反応するのは』
「確認しましょう」鍵は立ち上がった。「一番確度が高い情報源は何ですか」
アリアがすぐに答える。「宰相のエドワード様」
「なら、そこへ行きます」
■2.エドワードの言葉
王宮への来客通路は、三度目になると慣れてきた。
衛兵に顔を覚えられていたのか、案内の手続きが前より早い。エドワード宰相はちょうど午後の執務を終えたころで、応接の間に通された。
「来ると思っていました」
エドワードは椅子に腰かけたまま、茶の入った杯を手に言った。五十代で細身、物事を測るような目は今日も変わらない。
「市場で噂が流れているようですが」鍵は座りながら言った。「事実ですか」
「本質的には、そうです」
エドワードは杯を置いた。
「ガルド卿が先週、陛下への謁見を求めました。内容は私も把握しています。コード魔法を危険な異種魔法として規制する、あるいは禁止するよう求める上奏でした」
アリアが小さく息を吸う音がした。
「陛下は」
「受け取りました。ただし即断はされていない。ガルド卿は次の臨時議会で正式に動議を提出する予定です」
「臨時議会は」
「今月の末、二十七日です」
鍵は少し計算した。三週間ほどある。
「エドワード殿は、どうお考えですか」
宰相は少し間を置いた。これは考えているのではなく、言い方を選んでいる間だと鍵にはわかった。
「私個人は、AIカンパニーの仕事ぶりを評価しています。軍の物資管理も、今のところ問題は出ていない。ただ」
「止められない、と」
エドワードが目を細めた。「察しが早い」
「議会は多数決です。ガルド卿の影響力を考えると、発議が通る可能性がある。私の一存でどうこうできる話ではありません」
アリアが「止めていただけないんですか」と言いかけるのを、鍵が手で制した。宰相を責めても意味がない。
「ガルド卿の主張は、具体的にどういう内容ですか」
「日本語という未知の言語で操る魔法は制御が難しく、何が実行されているか第三者が確認できない。魔法使いギルドの審査基準を満たさない。加えて——」エドワードは言葉を選んだ。「言語による自動化は、魔法の本質を損なうという哲学的な主張もあります」
「哲学的」
「ガルド卿にとって、それは技術論より重要なようです」
鍵はそこで黙った。
外が風で窓を揺らす音がした。アリアが唇を引き結んでいるのが視界に入った。
「ありがとうございます」鍵は立ち上がった。「状況はわかりました」
「AIカンパニーとしては、どうされますか」
「まだ決めていません。ただ、動く前にもう少し情報を集めます」
エドワードが小さく頷く。「慎重なのはいいことです。……ただ時間はそう多くない」
廊下に出てから、アリアが口を開いた。「急がないんですか」
鍵は前を向いたまま答えた。「急ぐのと焦るのは違います」
■3.ガルドという人物
オフィスに戻ってから、鍵はテーブルにノートを広げた。
「ガルドについて調べましょう」
クロードが静かに答える。「調査の範囲を定義してください」
「公開情報でいい。ギルドの記録、過去の発言、業績。あと人柄がわかるエピソードがあれば」
「承知しました。王都文書館の資料と、ギルドの公式記録から当たります。少し時間をください」
クロードが情報の整理を始める間、アリアが椅子に腰かけて足を組んだ。珍しく、何も言わなかった。
三十分後、クロードが整理した内容が書面にまとまった。
ガルド=ラントス。七十二歳。魔法使いギルド長、在任歴三十一年。その前は王立魔法研究院の主任研究官として二十年。通算で五十年以上、この国の魔法行政の中心にいた人物だ。
業績は具体的だった。かつてバラバラだった各地の魔法使いの流派を統合し、王国標準魔法体系を整備したのがガルドだという。現在の魔法教育課程も彼の設計によるもので、ギルドに登録されている魔法使いはみな、ガルドが作った基準で審査を受けている。
「功績のある人ですね」テオが言った。
「これだけの実績を作った人が、なぜコード魔法を禁じようとしているのかが問題です」
鍵はクロードのまとめた記録の続きを読んだ。
そこに一文があった。
四十年前、ギルドの年次報告書に収録された寄稿文から引用されていた。
『魔法は人の感性が形を取るものである。術者の意志と理解が、魔力に意味を与える。それなくして発動する力は、魔法ではなく機械だ。』
「機械、か」鍵は声に出した。
「言語による自動化は魔法の死だ、という言葉が最近の記録にも出てきます」クロードが続けた。「ギルドの内部資料ではなく、弟子への指導記録です。非公式ですが、複数の弟子が同じ言葉を聞いている」
「つまり本気で言っている、ということですね」アリアが静かに言った。
「そうです」
テオが首をかしげた。「でも、コード魔法で迷惑をかけた事案は今のところゼロですよね。具体的な被害がないのに禁止するのはおかしくないですか」
鍵はしばらく考えた。
「具体的な被害があってから動く人と、原理的に危険だと判断したら動く人がいます。ガルドは後者に見える」
「どっちが正しいんですか」
「どっちも正しい局面がある」
答えながら、鍵は記録をもう一度読み返した。七十年以上かけて積み上げた魔法への信念がある。自動化された指示が魔法と呼べるのか、という問い。それはガルドにとって、運用上の問題ではなく根本的な問いなのだ。
『怠惰な人ではない。信じているものがあって、それと相容れないと判断している。それだけのことだ。』
「アリア」
「なんですか」
「ガルドはどんな見た目の人ですか。実際に見たことがあると言っていたので」
アリアが少し考える顔をした。
「背が高くて、白い髭を整えていました。立ち姿が、こう——真っ直ぐで。場に緊張感をもたらす人でした。声は低くて落ち着いていて、でも通る声でした」
「怒っていましたか」
「いいえ。怒っている感じはなかった。ただ、何かを確信している人の顔でした」
鍵はノートに短く書いた。
「信念がある人。感情で動いているわけじゃない」
■4.どう動くか
夕方になった。
オフィスの窓から王都の街並みが見える。日が傾いて、石造りの建物が橙に染まっていた。
「で」アリアが言った。「どうするんですか」
鍵はノートを閉じた。
「ガルドに会いに行きます」
沈黙があった。
テオが「え」と言い、アリアが目を細めた。
「ギルドが門前払いしますよ」アリアはきっぱり言った。「ガルドはAIカンパニーを潰そうとしている側です。そこへ乗り込んでも追い返されるだけじゃないですか」
「それはそうかもしれない」
「じゃあなぜ」
「禁止令に正面から抵抗しても意味がありません」鍵はテーブルに肘をついた。「議会で数を集めて対抗する? 影響力のある人に根回しをする? どれも今の私たちにはリソースがない。それより」
「それより?」
「相手が何を問題にしているかを、ちゃんと聞きたい」
アリアが押し黙った。
テオが「でも向こうは禁止しようとしているんですよね」と言う。
「そうです。だから聞きにいく。なぜ禁止しようとしているのか。どういう条件なら禁止する必要がないと思うのか。そこを確認せずに動いても、空振りになります」
窓の外で鳥が鳴いた。
クロードが静かに口を開いた。
「補足すると」
全員が精霊の方を向いた。
「相手の定義を理解する前に反論することは、非効率です。ガルドが懸念しているのは運用の問題なのか、原理的な問題なのかによって、対処は変わります。同じ問題に見えても、出発点が違えば解決策も変わる。まず定義を確認することが必要です」
「……確認する方法がないと言っているんですが」アリアがクロードを見た。
「扉を叩くことはできます。開くかどうかは別の問題です。でも叩かなければ開く可能性はゼロです」
沈黙が続いた。
アリアが息をついた。「……わかりました。私も行きます」
「助かります」
「ただし」アリアは人差し指を立てた。「追い返されたときの次の手も、並行して考えておいてください。最悪の場合、議会前に手が打てなくなる」
「そうしましょう」
鍵はノートに書き足した。
ガルドへのアポイントメント。ギルド訪問の可否確認。並行して議会筋の情報収集。
やることは多い。時間は三週間ない。
『でも今日、動けることは増えた。昨日より情報が増えた。それで充分だ。』
窓の外の空が、暗くなり始めていた。
「明日の朝、ギルドへ行きます」
それだけ言って、鍵はペンを置いた。
『(第13話へつづく)』
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