第11話 軍の物資管理を受注します
■1.宰相からの呼び出し
エドワード宰相から使者が来たのは、創業101日目の朝だった。
「今日の午後、宰相府に来い。軍の件だ。」
それだけだった。テオが受け取った伝言を読み上げると、事務所に沈黙が落ちた。
「軍……」
ミナがペンを止めた。帳簿の数字から目を上げ、鍵を見る。その顔に「これは面倒な話になる予感がします」と書いてある。
アリアが腕を組んだ。
「断れませんよね」
「断れない」
「ですよね」
アリアは溜息一つで立ち上がり、外套を羽織った。
「では行きましょう。私が同行します。軍の案件は、最初の印象が重要です」
鍵はクロードに目をやった。クロードは静かに頷いた。否定の理由が見当たらないという顔だった。
宰相府の応接室は、いつもより空気が硬かった。エドワード宰相はソファに深く腰かけ、手元の報告書をいくつか机に放った。
「東の要塞への補給が、うまくいっていない」
「うまくいっていない、というのは」
「物資が消える。正確には、消えてはいない。届く。だが、毎回どこかで詰まる。量が足りないと現場から報告が来る。倉庫には余っているはずの物資がある。なぜそうなるか、誰もわからない」
鍵はノートを開いた。
「それは以前からですか」
「少なくとも三年は同じことが続いている」宰相は一瞬間を置いた。「いま、軍部と補給担当の間で責任の擦り合いをしている。そこに割って入る気はない。ただ——お前たちが整理できるなら、やってみろ。結果が出れば金を払う」
アリアが小声で「明確な条件提示ですね」と囁いた。
鍵は報告書を一枚手に取った。品目の羅列と数量の数字。発送日と到着日。だが各欄に書き込みが少なく、空白が多い。
『これは配送の問題じゃないかもしれない。』
「現地を見てもいいですか」
「手配する」
宰相はそれ以上、何も言わなかった。
■2.補給基地にて
東の補給基地は、王都から半日馬を走らせた場所にあった。
石造りの倉庫が五棟。その間を、兵士たちが荷台を押して行き来している。活気があるというよりは、慣れた動きで淡々と動いている、という印象だった。
出迎えたのはサルス軍曹だった。
四十がらみ。肩幅が広く、動きに無駄がない。鍵たちを見た目は一瞥だけで、特に愛想もなく「こちらへ」と歩き出した。口数が少ない。でも不機嫌ではない。こういう人間がいる、と鍵は思った。言葉を節約することを覚えた人間。
「補給の流れを教えてもらえますか」
「王都から物資が来る。仕分けして各拠点に送る。それだけだ」
「記録はどこに」
「記録?」
サルス軍曹が初めてこちらを正面から見た。
「必要か」
「あると助かります」
「ない」
ミナが表情を変えないまま、ノートに何か書いた。テオが倉庫の端を見回して、何か数えている。
「記録なしで、どう管理を?」
「覚えている。経験だ。ここで十二年やっている」
鍵はその言葉を否定しなかった。十二年の経験は本物だ。サルス軍曹は嘘をついていない。問題は、その経験が伝わらないことだと思った。
クロードが静かに口を開いた。
「軍曹、一つだけ確認していいですか」
「なんだ」
「今週、北倉庫から何を送りましたか」
「……小麦袋が三十。矢が二箱。それと毛布が」
「南倉庫から送ったものは」
「食料が中心だった。肉の干し物が——」
サルス軍曹の言葉が止まった。
「……どこかと混線したか」
「わかりません。記録がないので」クロードの声は静かだった。批難ではなく、事実として「記録がなければ、最適化できません」
サルス軍曹は口を閉じた。
鍵はその沈黙の中で、問題の輪郭を掴んでいた。
『これは配送最適化の問題ではない。記録が存在しない問題だ。まずログを作ることから始めなければならない。』
「一週間、全部記録させてもらえますか。誰が、何を、どこへ送ったか。それだけでいい」
「邪魔はしないのか」
「しません。観察だけです」
サルス軍曹はしばらく鍵を見た。それから一言。
「好きにしろ」
それが許可だった。
■3.最初のログ
最初の三日は、ただ記録するだけだった。
鍵がノートを持って倉庫の横に立つ。テオが荷台の傍らで品目と数量を確認する。ミナが数字を書き取る。クロードが夕方にまとめて整理する。
兵士たちは最初、奇妙な目でこちらを見ていた。でも妨害はしなかった。サルス軍曹が「放っておけ」と言ったからだろう。
四日目の夜、ミナが表を広げた。
「これを見てください」
縦に日付、横に品目と行き先。数字が並ぶ。ミナの帳簿は読みやすかった。訓練を受けた書き手の字で、どこに何が書いてあるか一目でわかる。
「北倉庫から小麦が南に送られています」
「南には小麦がある?」
「南倉庫の在庫がここです」ミナがべつの欄を指さした。「三日分の在庫があります。同じ日に南からは塩が北に送られています」
「北に塩はあるか」
「北倉庫の欄がここ。塩が二日分。足りています」
テオが口を開いた。
「つまり、お互いに持ってるものを交換してるってこと?」
「交換というより——」鍵はしばらく考えた。「情報がないから、足りてる場所に送ってしまっている」
ミナが頷いた。
「在庫がどこにいくつあるか、送り手が知らないんです」
「記憶と経験でやっているから」
鍵はクロードを見た。
「これを整理してくれるか。どこに何があって、どこに何が足りないか。一覧にできると思う」
「できます」クロードが答えた。「品目と倉庫と数量をもとに、在庫マップを作ります。実行しますか」
「頼む」
クロードの手のひらから光が出た。いつものコード魔法の光だ。それが倉庫の壁に投影されると、羊皮紙に似た質感の一覧表が浮かんだ。
縦軸に倉庫名。横軸に品目。マス目に数量。余っている場所と足りない場所が、一目で並んでいた。
「北倉庫に矢が過剰、東拠点に矢がゼロ」
「南倉庫の水筒が三日前から動いていない。東拠点では水筒不足の報告が二件あります」
「毛布は……全倉庫に分散しているが、西側に偏っている。冬に向けて東に移動すべきタイミングです」
鍵はその一覧を眺めながら、妙に静かな気持ちになった。
これは何も特別なことではない。「何がどこにあるか」を書いただけだ。ただ、誰もそれをやっていなかった。
『記録がなければ、経験も再現できない。』
七日目の夜、サルス軍曹が倉庫に残っていた。
「見ていいか」
軍曹は鍵に近づき、クロードの作った在庫一覧を見た。ランタンの光のもとで、その表情がゆっくりと変わった。
「……これが、今日の状態か」
「はい」
「全部の倉庫が」
「全部の品目と数量です」
軍曹は一言も言わなかった。ただ、一覧の中の矢の欄に指を置いた。東拠点の欄に「0」と書いてある。
「そうか。だから足りないと言っていたのか」
鍵は何も言わなかった。それで充分だったから。
軍曹はしばらくそのまま立っていた。それから静かに言った。
「こういうのが、あればよかったのか」
■4.将軍と宰相
報告の場には、想定外の人物がいた。
宰相の後ろに、鎧を着た大柄な男が立っていた。グレン将軍——エドワード宰相の旧友で、軍部の実権を持つ人物だと、アリアが耳打ちしてくれた。「武闘派です。書類仕事は嫌いで有名」とも言った。
アリアはそういう情報を事前に持っている。それがありがたかった。
鍵はクロードに在庫マップを投影させ、七日間のデータを示した。どこから何が余分に送られ、どこで何が詰まっていたか。数字が動いた経緯が、時系列で見えた。
グレン将軍は途中から黙っていた。腕を組んで、光の一覧をじっと見ていた。
「北から南に小麦が行って、南から北に塩が来ていたのか」
「一週間のあいだに、二往復しています」
「輸送にかかったコストは」
ミナが別の羊皮紙を取り出した。「荷台一往復あたりの馬の数と日数を算出しました。概算ですが——」
将軍が数字を見た。目が細くなった。
「これが、ただ記録するだけで分かるのか」
「記録があれば、わかります」
「記録がないと」
「何が起きているか見えません」
グレン将軍は少しのあいだ、黙っていた。部屋に音がなかった。宰相も口を挟まなかった。
それから将軍がゆっくりと口を開いた。
「……こういうのが、欲しかった」
声は低く、感情がなかった。でも否定でもなかった。鍵にはそれが、この人間なりの認める言い方だと分かった。
エドワード宰相が静かに言った。
「使えるだろう」
それだけだった。問いかけでも念押しでもない。ただの確認だった。
帰り道、アリアが隣を歩きながら言った。
「将軍に認めてもらえましたね」
「認めてもらえたかどうかは分からないけど」
「あの人が『こういうのが欲しかった』と言ったんです。それ以上の評価はありません」
テオが後ろから口を挟んだ。
「将軍、最初すごく怖い顔してましたよ。でも数字見てから変わりましたよね。なんか、ほっとしてる感じ」
鍵はそれを聞いて、思い当たることがあった。
サルス軍曹も同じだったと思う。記録がないことに、罪悪感があったわけじゃない。ただ、あれば違ったと知らなかった。知らなければ、求めようもない。
夜、事務所に戻ってクロードと二人になった。
「軍と繋がったな」
「そうですね」クロードが静かに言った。「補給の記録から始めれば、次は配置の最適化ができます。そのあとは予測発注も」
「一個ずつだ」
「わかっています。ただ、手順が見えているので」
鍵はノートを開いた。次にやることを書く。いつもの習慣だ。
「サルス軍曹、ああ見えて仕事が丁寧だった。記録の意味を分かってくれれば、続けてくれると思う」
「そうですね」クロードが言った。「あの方は正直です。それは長所です」
鍵はペンを置いた。
AIカンパニーが軍と繋がった日。派手な締結でも、握手でも、祝杯でもなかった。ただ一覧表を見た将軍が「こういうのが欲しかった」と言った、それだけだった。
『でも、それで充分だと思う。』
ランタンの炎が揺れた。クロードの光が、その揺れに合わせて少し動いた。
「次の依頼、来ると思いますか」
「来ます」クロードは確信を持って言った。「在庫マップは一度見たら、なければ困るものです」
「そうだな」
鍵はノートを閉じた。
創業101日目は、こうして終わった。
『(第12話へつづく)』
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