第114話 帝国との1年
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■1.ルナの補足報告は、翌朝から続いた。
本社棟の会議室に、五人が揃った。
昨夜の宴の余韻は、すでになかった。テオとリンは、それぞれ帰路につく前に一度だけ報告を聞く、という顔をしていた。ルナは、革袋から、昨日より多い枚数の紙を取り出していた。
机の上に、紙が並んだ。
「整理してから話します」と、ルナが言った。「数字が多いので、先に結論を言います」
一同が、ルナを見た。
「カイゼル皇帝の態度が改善された日と、変わらなかった日に、明確なパターンがあります。そして、そのパターンは——フォルスの地下装置の動作記録と、連動している可能性があります」
カリンが、わずかに前のめりになった。
「フォルスの装置と?」
「可能性がある、という段階です」と、ルナが言った。「確定ではありません。でも、無視できない一致があります」
鍵は、机の端に手をついて、ルナを見ていた。クロードが、鍵の近くで静かに光っていた。
「詳しく話してください」と、鍵が言った。
ルナは、紙の一枚を、机の中央に置いた。
「帝国では、私の現地連絡先であるクルトが、この一年で動いています。改革派の動きが、内部でも表に出てきた。カイゼルを中心とした旧来の派閥と、クルトを中心とした改革派が、表面上は共存しながら、水面下で綱引きを続けている。その中で——カイゼルの態度が、日によって、大きく変わる」
「変わる、というのは」と、テオが言った。
「穏やかな日があります。クルトの提案を素直に聞く日。改革派が出した報告書を、否定せずに受け取る日。そういう日が、一年で二十三件、記録されています」と、ルナが言った。「逆に、硬直した日もある。旧来の慣習に戻る日。改革派の提案を拒絶する日。そういう日が、十一件です」
「改善の日の方が、多いか」と、カリンが言った。
「数は多い。でも、変わらない日が、重要な局面に集中しています。何かが決まりそうな日に、カイゼルが戻る」
室内が、静かになった。
ルナは、次の紙を、机に置いた。
「これが、この一年の記録の対照表です。左が、カイゼルの態度の記録。右が、帝国内の別の観測データです」
■2.カイゼルの変化のパターン。
ルナが、対照表を指で示した。
「改善の日と、変わらない日の違いを、私は最初、カイゼル個人の体調や、宮廷内の政治状況で説明しようとしました。クルトとの関係性の変化。重臣の意見。季節的な疲労——そういった要因で、説明できないかを、試みた」
「できなかったのか」と、鍵が言った。
「できる部分と、できない部分がありました」と、ルナが答えた。「体調や政治状況で説明できる日が、半数以上あります。でも、残りの半数——特に、変わらない日の八件について、外部からの説明がつかない」
ルナは、対照表の右側を、指でなぞった。
「その八件に、共通していることがあります。帝国の東部——東境と呼ばれる地域——から、定期的な信号に似たものが観測されている日と、重なっています」
「信号」と、リンが言った。「どういう信号?」
「正確には、私が信号と呼んでいるだけです」と、ルナが言った。「クルトの報告によれば、東部の特定の遺跡周辺で、魔力的な干渉が観測されることがある。周期的な、微細な揺れのようなもの。住民には感知できないほどの、小さな揺れです。でも、測定できる技術を持っていれば、記録できる」
「それが、カイゼルの変わらない日と、重なっている」
「八件のうち、七件で、重なっています」と、ルナが言った。「一件は、別の要因が大きかった可能性があります。でも、七件の一致は——偶然ではないと、私は判断しました」
テオが、ゆっくりと言った。「カイゼルは、その信号を、受け取っているのか?」
「そうではないか、と思っています」と、ルナが言った。「カイゼルが意識的に受け取っているのではなく——何らかの形で、その信号に、影響されている。操られている、という言い方が近いかもしれません」
「以前、代表がそう言っていた」と、カリンが言った。
鍵は、静かに頷いた。
「カイゼルが声に操られているかもしれない、と言った」と、鍵が言った。「一年前に。その仮説が、ルナの調査で、形になってきた、ということか」
「まだ仮説の段階です」と、ルナが言った。「でも、今日の話の本題は、その先です」
ルナは、もう一枚の紙を取り出した。
「この信号が、どこから来ているのか——という問題です」
■3.「声」は、止まっていなかった。
机の上に、新しい表が置かれた。
横軸に、日付。縦軸に、地域名。帝国東部の各地域が、縦に並んでいた。日付ごとに、信号の有無が記されていた。
「一番上の行を見てください」と、ルナが言った。
フォルス、と書かれた行があった。
「フォルスの地下装置が、止まった日付を、覚えているか確認させてください」と、ルナがカリンに言った。
カリンは、少し考えた。「一年前の、秋の終わり、だ。具体的な日付は——十月の末」
「この表の、十月二十九日の列を見てください」と、ルナが言った。
フォルスの行の、十月二十九日の欄が、空白になっていた。
「この日から、フォルスの観測記録が、止まっています。装置が止まったことと、一致します」と、ルナが言った。「そして——この日を境に、カイゼルの態度が、一日だけ、改善されました。十月三十日の記録です」
カリンが、表をじっと見た。
「フォルスが止まった翌日に、カイゼルの態度が改善された」
「一日だけ」と、ルナが繰り返した。「そして、十一月二日から、また戻りました」
「なぜ、一日だけ?」と、テオが言った。
ルナは、別の行を指した。
「東境の観測記録です。フォルスが止まった後も、この地域の信号は、続いています。十月三十一日から、十一月一日にかけて——東境の観測値が、急に上がっています。そしてその後、カイゼルの態度が戻っています」
部屋が、静かになった。
鍵が、口を開いた。
「フォルスの装置が止まっても、別の場所から同じ信号が来た、ということか」
「そう読んでいます」と、ルナが言った。「フォルスは、信号源のひとつだった。ひとつが止まっても、別の信号源が補った。だから、カイゼルへの影響は、一日しか、止まらなかった」
カリンは、机の上の表を、もう一度、見た。
フォルスの行が、止まっている。でも、東境の行は、続いている。
「装置は、一つじゃない」と、カリンが言った。声が、低くなっていた。「フォルスは、末端の一つだった」
「そう思っています」と、ルナが言った。「そして、信号の原点——これだけの規模で、複数の地域に同時に送れる何かが、どこかにある。フォルスの管理者は、その末端でしかなかった」
クロードが、鍵の近くで、わずかに、光を変えた。
カリンだけが、それに気づいた。クロードが何かを言いたそうだ、と感じた。でも、クロードは、何も言わなかった。
「昨夜のセリアの書簡」と、テオが言った。「東境の遺跡で、フォルスと酷似した記録が見つかった、と書いてあった」
「はい」と、ルナが言った。「その遺跡が、東境の信号源と、関係している可能性があります」
「つまり」と、リンが言った。「フォルスを止めても、東境の遺跡が動き続けている。そこから、同じ信号が、カイゼルに届いている」
「現時点でそう読んでいます」と、ルナが言った。「確定ではない。でも——帝国からの報告書が、五日、遅れた理由も、これかもしれないと思っています。東境付近で、何かが起きているとすれば、クルトの連絡網に影響が出る可能性がある」
鍵は、しばらく、黙っていた。
テオも、リンも、カリンも、黙っていた。
「フォルスの末端が止まっても、原点は動いている」と、鍵が、静かに言った。「その原点がどこにあるのか——それが、次の問いだ」
■4.装置と、原点と、次の問い。
ルナが、紙をまとめながら、言った。
「私が追えるのは、ここまでです。帝国内の観測データと、カイゼルの行動記録の照合——その分析は、私の仕事です。でも、原点が何であるか、どこにあるか——それは、私にはわかりません」
「わかる者が、いるか」と、テオが言った。
全員が、少し、黙った。
「クロードは、どうだ」と、カリンが言った。
鍵が、青白い光を見た。クロードは、答えなかった。正確には——答えが、出てこなかった。フォルスの管理者と交信したとき、クロードは多くを読み取った。でも、「原点」については——読み取れなかった。
「クロードには、わからない」と、鍵が言った。「フォルスの管理者が持っていた情報の範囲で、クロードが処理できることはやった。でも、管理者自身も、原点の全貌を知っていたわけではなかった、らしい」
「らしい?」と、カリンが聞いた。
「クロードが読んだのは、管理者の残した記録だ。その記録の中に、原点を示す文字列があったが——クロードは、それが何を意味するか、まだ解釈できていない。記号が、特殊な形式だった」
カリンは、思い当たった。フォルスの地下で見た、壁面の刻印。あの記号が、解読できていなかった。
「セリアが報告した東境の遺跡で、同じ記号が見つかったなら」と、カリンが言った。「照合できるかもしれない」
「その可能性がある」と、鍵が言った。
テオが、言った。「そうなると、昨日決めた限定的な調査——その対象が、フォルスだけじゃなくなるかもしれない」
「そうだ」と、鍵が答えた。「フォルスとセリアの遺跡の、両方を調査する必要が出てくる。ただし——セリアの書簡には、別の入口が発見された、とあった。今は封じられている。急いで開けることが、正しいかどうか」
ルナが、言った。「セリアは、なぜ今、急使を送ってきたんでしょうか。五年間、調査を続けて、今になって連絡した理由が——」
「タイミングが、引っかかる」と、カリンが言った。
「五周年の集会に合わせた可能性はある」と、ルナが言った。「でも、それよりも——東境の信号が最近、強くなっているとしたら、セリアの調査団がそれに気づいた可能性がある」
「信号が、強くなっている」と、テオが繰り返した。
「観測値で言えば」と、ルナが言った。「この一年で、ゆっくりと、上がっています。急激ではない。でも——下がっていない」
部屋が、また静まった。
鍵が、机の上に両手をついた。
「整理する」と、鍵が言った。「フォルスの装置は、止まっている。でも、それは末端の一つが止まっただけかもしれない。東境の遺跡が、別の信号源として動いている可能性がある。その信号は、カイゼルの行動に影響を与えている可能性がある。セリアの調査団が、東境で新たな入口を発見した。信号は、ゆっくりと強くなっている」
一息、置いた。
「これが、今わかっていることだ」
テオが言った。「わかっていないことは?」
「原点がどこにあるか。信号が何を目的としているか。それが強くなっていることの意味。フォルス末端が止まって以来、何が変わったか」
「多い」と、テオが言った。
「多い」と、鍵が認めた。「だから、次の一年で、どこから調べるかを、決める必要がある」
カリンは、机の上の表を見ていた。日付と、地域と、観測値が並んでいた。数字が、何かを語っていた。でも、数字が語らない部分が、まだ、大きかった。
「セリアとは、直接、話す必要があるな」と、カリンが言った。
「そうだ」と、鍵が言った。「できるだけ早く。フォルスの調査と並行して」
窓の外で、秋の風が、一度、強く吹いた。
カーテンが、揺れた。
ルナは、紙を、全てしまった。革袋の口を、閉じた。
「報告は、以上です」と、ルナが言った。
鍵は、頷いた。
「ありがとう」と、鍵が言った。「この一年で、これだけのデータを集めた。それが、今日の決議の根拠になった」
ルナは、黙って、頷いた。
テオとリンが、帰りの準備を始めた。カリンは、机の上の地図を、頭の中で広げた。フォルスの地下装置。東境の遺跡。その間の距離。その間にある何か——まだ見えていないものが、地図の上に、存在する気がした。
会議室を出る直前、カリンは、一度だけ振り返った。
机の上に、ルナの表の、一枚が残っていた。
風で、端が、めくれていた。
誰かが、置いていったのか、忘れたのか——カリンには、わからなかった。
手に取って、折りたたんで、ポケットに入れた。
次の一年のことを、考えながら。
『(第115話へつづく)』
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