第105話 フォルス支社設立
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■1.看板を、作った。
木の板に、文字を、刻んだ。
カリンが、ノミを持った。鍵が、文字の形を、下書きした。アリアが、彫り方を、横で、確認した。クロードの光が、板の上を、照らした。
「AIカンパニー、フォルス支社」
刻む字は、それだけだった。余計なものは、書かなかった。
「もっと、書いた方がいいか」と、カリンが、言った。「業務内容とか、開所日とか」
「板に、全部、書く必要はない」と、鍵が、言った。「知りたい人が、来れば、話せる。看板は、そこにある、ということを、伝えるだけでいい」
カリンは、また、ノミを、動かした。
「字が、曲がっている」と、カリンが、言った。
「味がある」と、アリアが、言った。
「味があるは、失敗の言い換えでしょう」と、カリンが、言った。
「そうでもない」と、アリアが、言った。「機械で彫った文字は、完璧だ。でも、見た人が、誰かの手が、あると、感じない。あなたが彫った文字は、誰かがここで、時間をかけて、作ったと、伝わる。フォルスに根ざした支社だということが、文字から、伝わる」
カリンは、ノミを、止めた。板を、見た。
「俺には、まだ、その読み方は、できない」と、カリンが、言った。
「慣れる」と、アリアが、言った。
彫るのに、半日、かかった。
出来上がった板は、厚みがあった。フォルスの冬の雪に耐えられるように、木は、厚めにした。塗料を塗った。乾燥させた。鉄の金具を、四隅に、つけた。壁に、打ち付けられるように。
「設置は、明日の朝にしよう」と、鍵が、言った。「あした、一行そろって、やる」
カリンは、板を、持ち上げた。重かった。
「重い」と、カリンが、言った。
「そうだ」と、鍵が、言った。
カリンは、鍵を、見た。鍵は、真顔だった。
「毎回、それを言う」と、カリンが、言った。
「毎回、そうだから」と、鍵が、言った。
クロードが、光を、わずかに、強めた。それが、クロードの笑い方だった。
■2.看板を、立てた日。
翌朝、快晴だった。
フォルスの集落に、晴れた朝は、珍しかった。冬の間は、曇りか、雪か、どちらかが多かった。でも、その日の朝は、空が、青かった。雪の上に、光が落ちて、集落全体が、白く光っていた。
場所は、集落の中央広場に近い、石造りの建物の一角だった。もともと、倉庫として使われていた建物だった。カリンが、持ち主と、話し合って、貸してもらうことにした。家賃は、月ごとに、配給の一部で、払う。
建物の入口の脇に、壁が、ある。そこに、看板を、打ち付けた。
鍵が、脚立に上がった。カリンが、板を、支えた。アリアが、位置を、指示した。クルトが、後ろから、眺めた。
「もう少し、右」と、アリアが、言った。
「これくらいか」と、鍵が、言った。
「もう少し、右」と、アリアが、言った。
鍵は、板を、右へ、少し、ずらした。
「そこ」と、アリアが、言った。
鍵が、釘を打ち始めた。金槌の音が、集落に、響いた。
通りを歩いていた者が、足を止めた。一人、また一人。何をしているのか、様子を見に来た。老人が来た。子どもが来た。パン屋のセルジュが、のれんから顔を出した。布職人のマルゴットが、仕事場の窓を開けた。
看板が、固定された。
「AIカンパニー、フォルス支社」
その文字が、壁に、ある。カリンが彫った、少し曲がった字が。
誰も、最初は、何も、言わなかった。
老いたウィリアムが、前に出た。板を、近くで、見た。指で、文字を、なぞった。
「フォルス、と書いてある」と、ウィリアムが、言った。
「そうです」と、カリンが、言った。
「ここが、フォルスで、いいんだな」と、老人が、言った。
「そうです」
ウィリアムは、また、板を、見た。
「ずっと、この集落は、石守の塔の名前で、呼ばれていた」と、老人が、言った。「地図にも、行商人の帳簿にも、石守の集落、と書かれていた。でも——フォルス、という名前が、外の看板に、書かれたのは、初めて、かもしれない」
カリンは、気がついていなかった。
『フォルスという名前が、外に出た、初めての日』
カリンは、そう、思った。
セルジュが、パン屋から、出てきた。白い粉が、手についていた。
「開所式は、しないのか」と、セルジュが、言った。
「特に、予定していなかった」と、カリンが、言った。
「するべきだ」と、セルジュが、言った。「集落に、何か新しいものができたときは、みんなで、祝う。それが、ここの習慣だ」
マルゴットも、外に出てきた。
「賛成」と、マルゴットが、言った。「今夜、広場で、集まろう。石守の配給には、お祝いが、なかった。でも、今日は、違う。今日は、俺たちが選んだものが、できた日だ」
■3.夜の広場に、火が、燃えた。
夕暮れになると、集落の人々が、広場に、集まってきた。
誰かが、薪を積んだ。誰かが、火をつけた。誰かが、椅子を、持ってきた。誰かが、食べ物を、持ってきた。指示した者は、いなかった。でも、広場は、にぎやかに、なった。
カリンは、火の側に、立っていた。
「驚いているか」と、鍵が、横に来て、言った。
「みんなが、自分から動いた」と、カリンが、言った。「誰も、指示しなかったのに」
「それが、健全な状態だ」と、鍵が、言った。「誰かの指示を待つ集落は、その指示者に、依存している。自分たちで動く集落は、自分たちのものだ、という感覚を、持っている」
「石守が、それを、奪っていた」
「奪うつもりは、なかったと、思う」と、鍵が、言った。「でも、二百年間の管理が、結果として、そうした。意図と結果は、必ずしも、一致しない」
火が、高く、燃えた。
子どもが、走り回っていた。老人が、椅子に座って、火を見ていた。若い者たちが、笑い声を立てていた。
アリアが、カリンの隣に、来た。
「記録に、残したい」と、アリアが、言った。「今夜のことを」
「何を、書きますか」と、カリンが、言った。
「フォルスに、初めて、AIカンパニーの看板が立った日。そして——集落の人々が、自分たちで、祝いの火を焚いた日。誰も、指示しなかった。自分たちが、そう、したかったから、した、その日を」
カリンは、羊皮紙を、取り出した。
「書きます」と、カリンが、言った。
火の光が、羊皮紙を、照らした。
カリンが、書き始めた頃、ウィリアムが、火の側に、来た。
「良い夜だ」と、老人が、言った。
「そうですね」と、カリンが、言った。手を、止めずに。
「石守の塔の灯りは、昔から、あそこにあった」と、ウィリアムが、言った。「でも、あの灯りは、俺たちのものでは、なかった。今夜の火は——俺たちの火だ」
カリンは、手を、止めた。
老人の目が、火を、見ていた。その目に、光が、宿っていた。
「書いておきなさい」と、ウィリアムが、言った。「今夜のことを。俺は、じきに、いなくなる。でも、書いたものは、残る。残れば、誰かが、また、読む」
カリンは、また、書き始めた。
ペンが、動いた。火の音が、した。人々の声が、した。
■4.管理者が、来た。
夜も深くなった頃、広場の端に、人影が、あった。
管理者だった。
塔の外に出るのは、珍しかった。集落の者は、管理者が広場に来るのを、見たことが、なかったはずだった。数人が、気づいて、少し、距離を取った。でも、逃げるわけでは、なかった。見ていた。
カリンが、近づいた。
「来てくれたんですか」と、カリンが、言った。
「確認しました」と、管理者が、言った。「集落に、変化がありました。記録のため、状況を観察に来ました」
「参加していいですよ」と、カリンが、言った。「今夜は、みんなの日です」
管理者は、広場を、見た。火を、見た。人々を、見た。瞬きが、少なかった。
「記録します」と、管理者が、言った。「フォルス集落において、住民主導の集会が、自発的に開催された。配給代表者三名、および外部支援組織が、関与した。集会の性質:祝祭。参加者数:推定四十七名」
カリンは、管理者の横に、並んだ。
「あなたは、こういう夜を、見たことが、あった?」と、カリンが、言った。
管理者は、少しの間、黙った。
「二百年前の記録に、集会の記録が、あります」と、管理者が、言った。「ただ——私が、実際に見たのは、今夜が、初めてです」
カリンは、そうか、と、思った。二百年、塔の上から、集落を見ていた。でも、広場に、降りたことは、なかった。
「良かった、来てくれて」と、カリンが、言った。
管理者は、それには、答えなかった。でも、広場から、すぐには、立ち去らなかった。人々の輪の外で、火を、見ていた。
鍵が、近づいてきた。
「明日、案内すると、言っていた場所」と、鍵が、管理者に、言った。「今夜の後でも、いい。案内できるか」
「明日の方が、いい」と、管理者が、言った。「今夜は、まず、これを、記録させてください」
「そうか」と、鍵が、言った。
「案内する場所は、ここから歩いて、半日の距離です」と、管理者が、言った。「遺跡と呼ばれている場所です。正確には、遺跡ではありません。でも、そう呼ぶ以外の言葉が、私には、ありません」
「何が、あるのですか」と、カリンが、言った。
「確認していただいた方が、話が早い」と、管理者が、言った。「言葉で説明すると、誤解が生まれます。今日の設計に、関係します。七体の中継器の件と、関係します」
七体。その言葉が、カリンの胸に、戻ってきた。
フォルスの管理者は、七体の一つ。残りの六体は、他の地域に、ある。そして、七体が報告を送っていた先が、ある。四十七年前から、応答が、途絶えた、その先が。
「明日、案内していただけるなら」と、鍵が、言った。「行きます」
管理者は、うなずいた。
「準備しておきます」と、管理者が、言った。「早朝に出発しましょう。日暮れ前に、戻れるように」
管理者は、広場から、引き返した。火の光が、遠ざかる管理者の背中を、照らした。
カリンは、その背中を、見送った。
遺跡。七体の中継器。原点。その言葉が、頭の中で、つながろうとしていた。まだ、形にはなっていなかった。でも、何かが、そこにある、と感じた。
「明日が、楽しみか」と、鍵が、言った。
「怖い、の方が、近い」と、カリンが、言った。
「そうか」と、鍵が、言った。「俺も、そうだ」
広場の火が、高く、燃えていた。
今夜は、フォルスの人々の、夜だった。看板が立った日。自分たちで火を焚いた日。俺たちの火だ、とウィリアムが言った、その夜だった。
明日になれば、また、次のものが、見えてくる。
でも、今夜は、この火を、見ていていい。
カリンは、羊皮紙を、持ったまま、火の側に、戻った。
ペンを、持って、また、書いた。
今夜のことを。フォルスの人々の、自分たちの火を、持った夜のことを。
書いておけば、残る。残れば、誰かが、また、読む。
ウィリアムが、そう、言った。
カリンは、そう、信じることに、した。
『(第106話へつづく)』
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