第104話 暖炉石の公平分配
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■1.公開の、朝が、来た。
集落の中央広場に、板が、一枚、立てられた。
カリンが、前日の夜から、作業していた板だった。幅が広く、背が高かった。集落の誰もが、立ち止まれば、読める位置に、立てた。釘を、打った。しっかりと、固定した。
夜明けが、遅い季節だった。空が白むより先に、カリンは、広場に出た。足元の霜が、砂利の上で、音を立てた。息が、白かった。手袋をしていても、指先が、かじかんだ。それでも、板の前に立った。
朝になると、カリンは、最初の紙を、貼った。
算式が、書いてあった。難しいものではなかった。「各世帯への配給量=基礎量(石二個)+(世帯人数×追加係数)+(高齢者・病人がいる場合の加算)」。その下に、各係数の説明が、続いていた。住民が読める言葉で、書いた。ヴェンツェルが確認した。クルトが、帝国の様式と照合した。アリアが、他の支社との整合を、確認した。
「式だけでは、信じない人も、出る」と、鍵が、昨夜、言っていた。
「わかってる」と、カリンが、答えた。「だから、実例も、貼る」
算式の隣に、もう一枚、紙を、貼った。世帯別の配給予定表だった。名前はなかった。世帯番号で、書いた。各番号に、算式を当てはめた結果が、並んでいた。一番少ない世帯で、石二個。一番多い世帯で、石七個。その差が、なぜ生まれるか、説明も、書いた。
「読める、か」と、カリンが、板を見ながら、つぶやいた。
「読める」と、鍵が、言った。後ろから、言った。「でも、読んでもらえるかどうかは、別の話だ」
「まずは、貼ること、から始める」と、カリンが、言った。
通りを歩いてくる人が、いた。早朝の、配給を受けに来る人だった。板の前で、足を止めた。最初の一人は、老いた女だった。字を、読もうとして、眉を寄せた。口を動かした。声には出さなかった。でも、読んでいた。
しばらして、また歩き始めた。でも、去り際に、一度だけ、振り返った。
それだけだった。でも、カリンには、十分だった。
板の前に、人が来る。立ち止まって、読む。それだけで、意味があった。読むということは、考えるということだった。考えるということは、次に疑問を持つということだった。昨日まで、この集落で、配給の算式を見た人間は、いなかった。今日から、見た人間がいる。その差が、始まりだった。
■2.配給が、変わった日を、市民の側から。
その日の午後、中継点の一つで、最初の新方式配給が、行われた。
場所は、集落の北端、セルジュのパン屋の前だった。セルジュが、北地区の代表者になっていた。住民が選んだ。昨日の夕方、五人が候補に挙がって、話し合いで、セルジュに決まった。
「俺でいいのか」と、セルジュは言った。
「あんたが一番、毎日、みんなと顔を合わせてる」と、隣人が言った。「パン屋だから」
それが、理由だった。簡単な理由だったが、納得のできる理由だった。
セルジュは、石の箱を、受け取った。管理者の塔から、中継点に、あらかじめ届けられた分だった。算式に従って、すでに、世帯別に、分けてあった。
列が、できた。十五人、ほどだった。最初は、黙って、待っていた。
セルジュは、一人ずつ、呼んだ。名前ではなく、世帯番号で。「三番世帯」「七番世帯」と。呼ばれた者が前に出て、石を受け取る。
最初の五人は、無言で、受け取って、帰った。
六人目が、老いた男だった。自分の石を受け取って、隣に並んだ若い女の石と、比べた。自分の方が、二個、多かった。
「なんで、俺の方が、多い」と、老いた男が、言った。
「板に、書いてあります」と、セルジュが、言った。「七十歳以上の方には、冬季の加算があります。昨日の朝、貼り出した説明に、書いてありました」
老いた男は、少し、黙った。
「昨日の板か。読んだ」と、老いた男が、言った。「でも、こういうことだったのか」
「そういうことです」
老いた男は、石を受け取った。歩き始めて、また、止まった。振り返った。
「ありがとう」と、老いた男が、言った。
セルジュは、少し、驚いた。石守の配給で、感謝を言われたことは、なかった。管理者は、感謝を、受け取る存在ではなかった。石が、ただ、届くだけだった。
「どういたしまして」と、セルジュが、言った。言葉が、少し、ぎこちなかった。でも、言えた。
感謝を言った老いた男も、言われたセルジュも、どちらも、その言葉のやりとりに、慣れていなかった。それが、カリンには、見えた。慣れていない、ということは、新しい、ということだった。
列の後ろで、一人の中年の男が、板を見ていた。受け取りを待ちながら、板の算式を、指でなぞっていた。声には、出さなかった。でも、読んでいた。読んで、何かを、確かめていた。
「三番世帯」とセルジュが呼んだ。中年の男が、前に出た。石を受け取った。三個だった。
「板の式で計算した」と、男が、低い声で、言った。「三個のはずだと思った」
「そうです」と、セルジュが、言った。
男は、石を、手のひらの上で、確かめるように、見た。それから、歩き出した。
受け取りに来た者が、自分でいくつになるかを、事前に、知っている。知っていて来て、確認して、帰る。昨日までは、ただ、届くものを、待つだけだった。今日は、確認する者が、いる。確認するということは、関与するということだった。数字が、自分のものになっていく。
列の後ろの方で、小さな声がした。子どもの声だった。
「セルジュのおじさん、今日の石、何個だった?」と、子どもが、聞いた。
「三個だよ」と、セルジュが、答えた。
「昨日の板を見て、計算した。三個のはずだと思った」と、子どもが、言った。「当たった」
周りで、大人が、笑った。
セルジュも、笑った。
列が、進んだ。配給が、続いた。算式通りに、数字が、配られた。受け取る側は、なぜ自分にこの数なのか、分かっていた。分かっていると、受け取り方が、違う。黙って受け取るのではなく、確認して、受け取る。確認することは、関与することだった。自分のものとして、引き受けることだった。
カリンは、離れた場所で、その様子を、見ていた。表に出なかった。今日は、セルジュの日だった。カリンの日ではなかった。
「うまくいっている」と、クロードが、言った。
「まだ一日目だ」と、カリンが、言った。
「そうだ」と、クロードが、言った。「でも、一日目が、一番、大事だ」
配給が、終わった。最後の一人が、石を受け取って、帰った。セルジュは、台の上の空になった箱を、見た。きれいに、空だった。余りも、不足も、なかった。算式が、正確だったから。
「きれいに、はけた」と、セルジュが、つぶやいた。
カリンは、それを聞いた。
『きれいに、はけた』
その言葉が、カリンには、何より、嬉しかった。余りが出ないことの意味を、知っていたから。余りは、誰かへの過少配給を、意味する。余りがなければ、誰も、少なくはなかった。算式が、正しかった。
■3.AIカンパニーの、役割を、決める。
その夜、アリアが、鍵に、言った。
「フォルス支社のポジションを、整理したい」
宿の食堂に、四人が集まった。鍵、アリア、クロード、カリン。
アリアは、紙を広げた。
「今日の配給を、見ていた」と、アリアが、言った。「うまくいっていた。セルジュが代表として動いた。住民が、確認して、受け取った。カリンは、後ろに、いた。それが、正しい形だと、思う」
「どういう意味ですか」と、カリンが、言った。
「AIカンパニーは、運用主体に、なってはいけない」と、アリアが、言った。「今日の配給を、動かしたのは、セルジュだった。住民が選んだ代表者だった。AIカンパニーではなかった。それが、続かなければならない」
「では、俺たちは、何をする」と、カリンが、言った。
「技術支援だ」と、鍵が、言った。「算式の設計、帳簿の形式、記録の管理方法、代表者が困ったときの相談窓口。それが、フォルス支社の仕事だ。石を配るのは、住民が、やる」
「それだと、支社の存在意義が、薄くなりませんか」と、カリンが、言った。
「それが、正しい」と、アリアが、言った。「存在感を出そうとするから、石守になる。いなくても、仕組みが回ることを、目指す。それが、目標だ」
「いなくても、回る仕組みを作って、いなくなる、ということですか」と、カリンが、言った。
「違う」と、鍵が、言った。「仕組みが自走できるようになるまで、支援する。自走できるようになったら、次の仕事に移る。でも、消えるわけじゃない。困ったときに、呼べる存在として、いる。それが、支社だ」
カリンは、少し、考えた。
「修理屋、みたいなものか」と、カリンが、言った。「建物を建てるのは、住民だ。でも、壊れたら、呼ぶ」
「悪くない比喩だ」と、鍵が、言った。
「でも、修理屋は、建物が壊れないと、仕事がなくなる」と、カリンが、続けた。「だから——壊れないように設計することが、最初の仕事か。自分が不要になることを、目標に、する」
アリアは、メモに、何かを、書いた。
「それを、ドキュメントに、残したい」と、アリアが、言った。「フォルス支社の設立方針として。次の支社を作るときの、参照になるように」
「俺が、書きます」と、カリンが、言った。
「あなたが書いたものが、一番、いい」と、アリアが、言った。「あなたが、今日、見て、感じたことが、入っているから」
カリンは、羊皮紙を、引き寄せた。ペンを、持った。
「どこから、書けばいいですか」と、カリンが、言った。
「きれいに、はけた、というところから」と、鍵が、言った。「今日の配給の、そこから」
カリンは、手を動かした。
ペンの音だけが、部屋に、あった。窓の外で、夜が、深くなっていた。集落は、静かだった。今日の配給を終えた住民たちが、それぞれの家に、戻っていた。石が、それぞれの炉に、入っていた。
誰がどれだけ受け取ったか、板に、書いてある。明日も、誰でも、確認できる。
書きながら、カリンは、思った。今日の配給で、石を受け取った一人一人のことを。なぜ自分がこの数なのかを知っていた人々のことを。知っていると、受け取り方が変わる。変わったものが、明日も、続く。
老いた男が「ありがとう」と言った。セルジュが「どういたしまして」と言った。子どもが板を見て計算した。中年の男が、石を受け取りながら、板の数字を確認した。
それぞれの場面が、カリンの頭の中に、並んだ。
書いた。書き続けた。
窓の外の夜が、深くなっていた。集落の灯りが、一つ、また一つ、消えていった。石が、それぞれの炉に入っている。今夜は、寒くない夜が、ある。算式が正しかった証拠だった。
その事実が、ただ、そこに、あった。
カリンは、書き続けた。
『(第105話へつづく)』
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