第103話 カリンの選択
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■1.夜が、長かった。
集落の宿に、戻った。
カリンは、窓際の椅子に、座った。外は、暗かった。雪が、また、少し、降り始めていた。音のない雪だった。それが、ゆっくりと、地面に、積もっていく。
鍵は、ノートを、開いていた。クルトは、隣の部屋に、引き取っていた。クロードは、部屋の隅に、静かに、浮いていた。青白い光が、ぼんやりと、壁を照らしていた。
「支社長、という話を、するつもりか」と、カリンが、言った。
鍵は、ノートから、顔を上げた。
「聞いていたか」
「アリアさんから、聞いた。昨日。フォルスに支社を作るなら、カリンが候補だ、と」
鍵は、ノートを、閉じた。
「そうだ」と、鍵が、言った。「あなたが、最適だと、思っている。ここの人間で、ここの事情を知っていて、記録の扱いを、学んでいる」
カリンは、窓の外を、見たまま、言った。
「俺が引き受けたら、同じことに、なりませんか」
「同じこと、というのは」
「石守のこと」と、カリンが、言った。「一人の人間が、管理する。決める。それが続いていく。最初は、いい意図で、始める。でも——」
鍵は、何も、言わなかった。
「俺は、管理者の塔で、三年、学んだ」と、カリンが、続けた。「石守の記録の仕方を、配給の計算を、帳簿の形式を。それが、正しいものだと、思って、学んでいた。今日まで。でも——あの帳簿を読んで、わかった。正しい意図が、正しい結果を、保証しない。仕組みが、正しくなければ」
カリンは、椅子から、立ち上がった。
部屋の中を、少し、歩いた。狭い部屋だった。三歩で、端から端まで、行き来できた。
「支社長を、引き受ける前に、一つ、確認したいことがあります」と、カリンが、言った。
「何だ」
「仕組みを、先に、作ってください」
■2.アリアが、来た。
翌朝、アリアが、フォルスに着いた。
AIカンパニーのCOOは、馬そりで来た。馬が息を弾ませていた。アリアは、厚い外套を着ていた。顔だけが出ていた。でも、目は、しっかりと、前を見ていた。
「遅れてごめんなさい」と、アリアが、言った。「道が、途中で、雪で塞がれていた」
「来てくれてよかった」と、鍵が、言った。
一行は、宿の一室に、集まった。鍵、カリン、クロード、アリア。クルトは、別の用があると言って、席を外した。
アリアは、カリンを、見た。
「話は、聞いた」と、アリアが、言った。「支社長候補、として」
「仕組みを、先に、作ってほしいという話も、したのか」と、カリンが、鍵に、向いた。
「していない」と、鍵が、言った。「直接、アリアに、話してくれ」
アリアは、椅子に、座った。カリンの前に。
「言ってみて」と、アリアが、言った。
カリンは、少しの間、考えた。考えながら、言葉を、選んだ。
「支社長を、引き受けるのは、構わない。でも、その前に、二つの仕組みを、作ってほしい」
「一つ目は?」
「支社の決定に、住民代表が、入ること。俺一人で、決めない。配給量も、分配の優先順位も、代表者との合議で、決める。俺が、一人で、正解を出せる保証は、どこにも、ない。だから、チェックする仕組みが、必要だ」
アリアは、メモを取った。
「二つ目は」
「俺の任期を、決めること。三年、と思っている。三年後に、住民投票で、継続か交替かを、決める。俺が、ずっと続けたいと思っても、住民が嫌だと言えば、交替する。それが、できる仕組みを、最初に、作る」
アリアは、メモを取りながら、カリンを、見た。
「もっと、あるか」と、アリアが、言った。
「ある」と、カリンが、言った。「配分のアルゴリズムを、公開する。誰がどれだけもらうか、その計算式を、住民が読める言葉で、掲示する。俺が、何かを隠しているかどうかを、外から、確認できるように、しておく」
「それは」と、アリアが、言った。「あなたが、自分を監視する仕組みを、自分で作る、ということか」
「そうです」と、カリンが、言った。「俺を信じるな、とは言わない。でも、信じることだけに、頼るな、ということです。信じるのは、行動だ。行動は、記録される。記録は、公開される。その三つが、揃って、初めて、信頼になる」
アリアは、しばらく、カリンを、見た。
「あなたは、何歳だった」と、アリアが、言った。
「十七です」と、カリンが、答えた。
アリアは、メモから、目を上げた。
「どこで、それを、学んだの」と、アリアが、言った。
「管理者の帳簿から、学んだ」と、カリンが、言った。「正直に言うと。二百年分の記録の、失敗から、学んだ」
■3.条件の意味を、アリアが、問いただした。
「一つ、確認させてください」と、アリアが、言った。
カリンは、向き直った。
「あなたが出した条件は、全部、正しい」と、アリアが、言った。「住民代表の合議、任期制、アルゴリズムの公開。どれも、理にかなっている。でも——」
アリアは、言葉を、選んだ。
「それは、あなたが、支社長を、引き受けたくないから、出した条件ではないか。条件が通らなければ、断れる。条件が通れば、引き受けざるを得ない。どちらでも、困らない立場に、置いている。そう、読めるけど」
カリンは、すぐには、答えなかった。
部屋が、静かだった。外の雪が、窓を、かすかに、たたいた。
「半分、そうです」と、カリンが、言った。
「半分?」
「怖い、という気持ちが、ある。正直に言うと。石守がどうなったかを、見た。意図が良くても、仕組みが悪ければ、二百年後に、ああなる。俺が、ああなりたくない。だから——条件を出した。仕組みが整わなければ、断る。それは、本当のことだ」
アリアは、何も言わなかった。
「でも、もう半分は」と、カリンが、続けた。「本当に、必要だと、思っている。俺が、恐れているかどうかに関係なく、この仕組みは、必要だ。フォルスに、また同じことが起きないために。俺が後で変わってしまっても、仕組みが止められるように。俺を、信じなくていい。仕組みを、信じてほしい」
アリアは、メモを、閉じた。
「わかった」と、アリアが、言った。「条件を、全部、受け入れる」
カリンは、少し、目を、細めた。
「こんなに、あっさり、通るとは、思わなかった」と、カリンが、言った。
「あっさりではない」と、アリアが、言った。「この三つの条件を、形にするのは、簡単じゃない。住民代表の選出方法、任期制の詳細、アルゴリズムの公開形式、全部、設計しなければならない。でも——やる価値がある。フォルスだけじゃなく、次の支社を作るときの、モデルになる」
「モデル、ですか」
「そう。エルムで、同じ問いを、立てなかった。ヴェルトでも、立てなかった。でも、フォルスで、あなたが立てた。それは、大きい」
鍵が、静かに、言った。
「カリン」
カリンは、鍵を、見た。
「引き受けるか?」と、鍵が、聞いた。
カリンは、少しの間、黙った。窓の外の雪を、見た。集落の屋根を、見た。十七年間、見てきた景色だった。石守の塔の影の下で、ずっと、見てきた景色だった。
「引き受けます」と、カリンが、言った。
■4.決めた日の、夜は、静かだった。
夜になった。
カリンは、一人で、外に出た。集落の中央通りを、歩いた。足元の雪が、締まった音を、立てた。
誰かが、掲示板の前で、立ち止まっていた。老人だった。ウィリアムだった。老人は、数字を書いた紙を、指でなぞっていた。ゆっくりと、読んでいた。
「カリン、か」と、老人が、言った。振り返らずに。
「こんな夜に、出てきたんですか」と、カリンが、言った。
「毎晩、見に来る」と、老人が、言った。「この数字を。自分の目で、確認しに来る」
「何年か前には、確認できなかった数字です」
「そうだ」と、ウィリアムが、言った。「だから、毎晩、来る。確認できることが、嬉しくて。誰かが、この数字を、明日も、出し続けてくれるなら——俺は、毎晩、見に来る」
カリンは、掲示板を、見た。自分が書いた数字が、そこに、ある。今日の配給量。集落全体の薪の在庫。自製の暖熱装置が稼働している世帯数。
「出し続けます」と、カリンが、言った。「俺が、続けます」
ウィリアムは、カリンを、見た。老人の目が、静かだった。
「信じているよ」と、老人が、言った。「でも、信じることだけに、頼るなよ」
カリンは、止まった。
「それを、どこで」
「あんたが、言った言葉だ」と、老人が、言った。「セルジュから聞いた。信じるのは行動だ、行動は記録される、記録は公開される。その三つが揃って、初めて、信頼になる、と」
カリンは、少し、間を置いた。
「俺の言葉が、もう、伝わっていた」
「集落は、狭い」と、老人が、言った。「言葉は、すぐ、広まる。今日、あんたが言ったことは、明日には、全員が知っている」
ウィリアムは、また、掲示板の方を、向いた。
カリンは、しばらく、老人の隣に、立っていた。掲示板の数字を、見ていた。自分が書いた数字が、この集落の人たちの、毎晩の確認になっていた。それが、嬉しかった。でも、それが、いつか重荷になるかもしれない、とも、思った。だから、仕組みが、必要だった。自分の重荷を、分かち合う仕組みが。一人で持ちすぎないための仕組みが。
『俺が変わっても、仕組みが続くように』
カリンは、そう、思った。
夜風が、吹いた。冷たかった。でも、今夜は、それを、嫌だとは、思わなかった。
「帰ります」と、カリンが、言った。「ウィリアムさんも、早く戻ってください。寒い」
「若者に、心配される年になったか」と、老人が、言った。声に、笑いが、混ざった。
カリンは、歩き始めた。後ろで、老人が、また、掲示板の数字を、読んでいる気配があった。確認する、ということの、静かな重さを、カリンは、背中に、感じながら、歩いた。
宿に戻ると、鍵が、まだ、起きていた。
「どこへ行っていた」と、鍵が、言った。
「確認しに行ってた」と、カリンが、言った。「掲示板の数字を」
「自分で書いた数字を、自分で確認しに?」
「そうです」と、カリンが、言った。「これから、毎晩、そうするかもしれない。癖に、なりそうだ」
鍵は、少し、笑った。
クロードの光が、窓際で、静かに、揺れた。
『(第104話へつづく)』
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