試験当日、宝物庫にて
王の前に立っている間、ユイルは無意識に体に力を入れていた。
視線を外さないように、言葉を間違えないように、ただそれだけのことに意識を割いていたはずなのに、呼吸は浅くなっていた。
王の間を出る直前になって、ようやくその緊張がほどける。
靴底にまとわりついていた重さが消え、石の床に響く足音が少しだけ軽くなる。
詰まっていた息も、胸の奥で引っかかることなく抜けていった。
背後から、低い声が落ちた。
「宝物庫を開ける。お前たち好きな武器や道具を選び、持っていくがいい」
振り返ると、王は肘掛けに体を預けたまま、静かにこちらを見ていた。
その姿は動かないが、言葉だけがまっすぐに届く。
「これから先は、お前自身で切り開け。そのために必要なものは、自分で選べ」
与えるのではない。任せる、という声音だった。
何を持ち、どう戦うか。
そのすべてを、自分で決めろということ。
選んだ瞬間、その結果もまた自分で引き受けることになる。
ミレアが息を吐き、肩を一度だけ回す。
力を抜く仕草に見せながら、その視線はわずかに細められていた。
「責任重大だねー」
軽口の形を取っているが、測っているのは王の意図と、自分が選ぶべき基準だ。
案内された宝物庫は、意外なほど質素だった。
石の壁。整然と並ぶ武器。余計な装飾はない。だが一歩踏み入れた瞬間、外と同じ空気を吸っているはずなのに、喉の奥にわずかな重さが残った。
ミレアは槍を手に取り、軽く回して重心を確かめる。
指先で柄の節をなぞり、振り抜いたあとの戻りを一度だけ見て、すぐに首を振った。
「悪くはないけど……決め手がない」
次に短剣へ視線を移す。迷っているように見えて、実際は候補から外しているだけだった。
彼女の中で、基準はすでに決まっている。
ユイルは入口に立ったまま、並んだ武器を見渡し刃の長さや装飾ではなく、自分の動きを邪魔しないものを探す。
並ぶ剣の中に、一振りだけ妙に印象の薄いものがあった。
目には入る。けれど、強さを誇るような気配も、扱いにくそうな癖も感じない。
その剣だけは余計な主張がない。だからこそ、ユイルの意識に静かに残った。
近づき、手に取る。軽い――だが頼りなさも浮つきもなく、ただ手の中に収まる。
刃を一度だけ走らせる。
音が遅れない。振ったあとに手応えが来るのではなく、通った瞬間に結果が出ている。
腕で振っている感覚が薄い。
刃の通るべき軌道が先にあり、それに腕が自然と追いついていく。
振らされていない。
合わせるだけで、最適な軌道に収まり、そのまま通る。
余計な主張も、癖もない。
ただ、動きを歪めない。
ユイルは剣を鞘に収めた。
「これにしよう」
背後で、気配が止まる。
振り返ると、騎士団長が立っていた。
ミレアの父であり、この国で最も多くの戦場を越えてきた男だ。
視線はユイルの手元から外れない。
評価を言葉にする前に、結論は出ているようだった。
「……それを取るか」
低い声が落ちる。
問いかけだが、軽くはない。選んだ理由まで見られている。
ユイルは短く答える。
「手に取ったとき、違和感がありませんでした」
一度剣を見る。
「振ってもズレない。力を入れた分だけ、そのまま通ります」
余計な言葉は足さない。
「だから、これにします」
騎士団長の眉がわずかに動き、次の瞬間、深く息が落ちた。
「なるほどな」
それだけで評価は終わる。
「その剣は、使い手に余計なことをさせない。振ろうとすれば鈍るが、合わせれば勝手に通る」
説明は短い。
だが、聞く側が理解するには十分な芯があった。
ミレアが横から覗き込む。
「……分かりにく」
「ミレアには合わん」
即座に返される。
ミレアは軽く笑ったが、否定はしなかった。自分の基準と噛み合っていないことを、きちんと理解している。
騎士団長は背を向けた。
「本来なら、俺が見るべきだが」
歩きながら、言葉を落とす。
「王都を空けるわけにはいかん」
そのまま視線を横へ流すと、控えていた二人が一歩前に出た。
空気がわずかに変わる。
女は立っているだけで、場の空気を引き締めていた。
呼吸は乱れず、視線は周囲を捉えながらも揺れない。
無駄な力が一切なく、隙が見当たらない。
男は力んだ様子もなく、ただ立っていた。
肩も足も余計な力が抜けているのに、姿勢はわずかも崩れていない。
重心は自然に中央へ収まり、どの方向にも偏っていない。構えているようには見えない。
それでも、そのまま戦える立ち方だった。
「今回の試験官だ」
騎士団長が短く告げる。
女が口を開いた。
「最悪の安全だけは、私たちが保証します」
温度のない声だった。
脅しではない。事実だけを置くような響きがある。
男が肩を鳴らした。
「怖いならやめてもいいんだぞ」
軽い口調だが、勧めているわけではない。
ただ、逃げ道として提示しているだけだった。
ミレアが小さく笑う。
「どんな内容かわからないけど、合格しますから」
騎士団長が最後にミレアを見る。
ほんの一瞬だけ表情が変わり、父親としての色が混じる。けれど、それはすぐに消えた。
「死ぬな」
それだけだった。
ミレアは肩をすくめる。
軽く返そうとしたが、わずかに息が詰まった。
「……分かってる」
言葉はいつも通りだった。
それでも、指先には力が残っていた。
その横で、ユイルは一度だけ視線を落とす。
握った剣の感触を確かめるように、指がわずかに動いた。
ほんの一瞬の間。
それから顔を上げる。
「死なせない」
短い一言だった。
それだけなのに、空気がわずかに止まる。
ミレアが横目で見る。
何も言わない。けれど、その視線だけで十分だった。
騎士団長は何も返さない。
ただ、ほんのわずかに頷いた。
それでいいと、認めるように。
「行け」
短い命令。
その一言で、すべてが動き出した。




