二人の力
三日、という時間を与えられた時、ユイルはそれが長いのか短いのか、すぐには判断できなかった。王の間で答えを告げた直後は、ただ胸の奥が妙に静かで、自分でも驚くくらい感情の波がなかったからだ。怖さが消えたわけではない。それでも、それを押し込めるようにして「行く」と言った以上、もう迷う余地はないのだと、どこかで割り切ってしまっていた。
だが、その考えが甘かったと知るのは、翌朝の訓練場だった。
まだ日も昇りきらない時間、冷たい空気の中で木剣を握った瞬間、昨日までと同じはずの場所がまったく別の意味を持って迫ってくる。足元の石畳の硬さも、手の中の重さも、すべてが“これから先に進めるかどうかを測られている”感覚に変わっていた。
「遅い」
背後から落ちた声と同時に、衝撃が来る。反応はしていた。視界も開けていた。それでも、体が追いつかない。肩を打たれた瞬間に体勢が崩れ、そのまま押し込まれるように一歩下がると、次の一撃がすでに目の前にあった。
「考えろ」
低い声が重なる。ユイルは反射的に剣を合わせるが、受けた時点で主導権は完全に奪われていた。押される、耐える、崩れる――その一連の流れが、まるで最初から決まっていたかのように繰り返される。
「遅い」
腹に入った衝撃で呼吸が止まり、視界が白く揺れる。膝が落ちそうになるのを、かろうじて踏みとどまる。昨日までと同じ流れのはずなのに、意味が違った。昨日は“倒されていた”。今日は“倒される理由を見られている”。
「立て」
命令はそれだけだったが、その一言の重さは明らかに違っていた。ユイルは地面に手をつく寸前で体を引き上げ、乱れた呼吸を無理やり整えながら剣を構え直す。腕は震え、足も安定しない。それでも、剣だけは離さない。
「……はい」
かすれた声でも、確かに返す。そのまま自分から一歩踏み込む。遅いのは分かっている。それでも、止まらないことだけは選べると、昨日ようやく理解したばかりだった。
「……よし」
ガルドが小さく呟いた。それは褒めたわけではなく、“ようやく見始められる段階に来た”という確認に近い声音だった。
その様子を、少し離れた場所からミレアが見ていた。軽く息を吐きながら、しかし視線は逸らさない。
「ほんと、変わったね」
気軽な調子で言いながらも、その目はしっかりとユイルの動きを追っている。昨日までのぎこちなさと、今の踏み込みの違いを、きちんと見分けている目だった。
「お前もだ」
ガルドが短く返す。
「は?」
ミレアが眉をひそめる。
「見ているだけで終わる気か」
それだけで十分だった。ミレアは一瞬だけ黙り込み、軽く肩をすくめると、ため息混じりに木剣へ手を伸ばす。
「分かったよ、やればいいんでしょ」
軽く言いながらも、その動きに迷いはない。ユイルの隣へと歩み寄り、自然な距離で並ぶ。昨日までよりもずっと違和感のない位置だった。
「足引っ張らないでよ」
小さく言う。
「……そっちこそ」
短く返す。
「言うじゃん」
ミレアがわずかに笑う。そのやり取りは軽いが、意味は軽くない。どちらかが崩れれば、二人とも終わる。それが分かっている距離だった。
「始めろ」
ガルドの声で空気が変わる。ミレアが一歩踏み込み、その動きに合わせてユイルも動く。昨日よりも迷いがない。剣がぶつかり、距離が詰まり、呼吸が乱れる。それでも、止まらない。
「いいね、ちゃんと前に出てる」
ミレアの声が届く。余裕のある声ではない。それでも、言葉が届くというだけで、ほんの少しだけ体が軽くなる感覚があった。
だが次の瞬間、横から衝撃が走る。ガルドの一撃が二人をまとめて弾き飛ばす。
「一対一じゃない」
低い声が落ちる。
「試験はそうはならん」
二人はすぐに立ち上がる。呼吸が荒い。それでも視線を合わせる。ほんの一瞬、それだけで十分だった。次の瞬間、ユイルが前に出て、ミレアが横へ回る。誰にも教わっていない動きだったが、自然とそうなった。
ガルドの剣をユイルが受け止め、押し込まれながらも踏みとどまる。その一瞬の隙を、ミレアが逃さず踏み込む。振るわれた剣は直撃しなかったが、確実に体勢を崩した。
「……いい」
ガルドが小さく呟く。その一瞬だけ、確かに届いた。
だが次の瞬間には、すべてが崩される。
「甘い」
短い一言と同時に、二人まとめて吹き飛ばされる。地面に叩きつけられ、呼吸が止まり、視界が揺れる。
「まだ足りん」
それだけ言われるが、何が足りないのかはもう分かっていた。
夕方になる頃には、二人ともまともに立てなくなっていた。ミレアはその場に座り込み、空を見上げながら大きく息を吐く。
「これ三日でどうにかなるやつ?」
「……やるしかないだろ」
ユイルが答える。自然に出た言葉だった。
「だよね」
ミレアが軽く笑う。それから少しだけ顔をこちらに向ける。
「さっきの、よかったよ。ちゃんと戦ってた」
その言葉に、ユイルは少しだけ息を止める。昨日までの自分にはなかった評価だった。
「……まだ足りない」
「うん、全然足りない」
即答。それでも、そのあとに続く。
「でも、ゼロじゃない」
それもまた、即答だった。
空を見上げると、日が沈みかけている。三日。あと二日。圧倒的に足りない。それでも、止まる理由にはならない。
「……やるしかないな」
小さく呟く。
「うん、どうせなら通ってやろうよ」
ミレアが立ち上がる。その言葉は軽いが、芯はぶれていない。
ユイルも立ち上がる。体は重い。それでも足は前に出る。隣には、もう一人いる。
三日という時間は短い。
それでも――変えるには、十分かもしれなかった。




