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完結済【彼女の教室】:最後の回答―あの席に座っていたのは誰か。―後ろの席から、誰かが手を挙げた。その瞬間、とうとう十年の沈黙が破られる。―  作者: Taku
第二章(続編・同窓会) 『――同窓会の夜、まだ決まっていないこと』

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第6話 「そして、私たちは気づいた」【沙織視点】

同窓会翌日の夜。午後11時58分。


教室の時計はあと2分で深夜を指す。

秒針の音がやけに大きく聞こえる。

カチカチと、心臓の鼓動のように。

外は静か。

雨は上がり、雲の切れ間から星。

一番明るい星が、じっとこちらを見ているようだった。


六人はそれぞれの席に座っている。

誰も立たない。

誰も帰らない。

ただ時計の針を見つめている。

それぞれの呼吸が、次第に同じリズムになっていく。


「ねえ」


沙織が言った。

スケッチブックを開いている。

あの背中を描いたページ。


「私たち、さっき『忘れてもいい』って言ったけど」


「うん」


「本当に忘れられるのかな」


誰も答えない。


秒針だけが進む。


カチカチ。


カチカチ。


その時、後ろの席のノートが風もなく開いた。


ページがめくれる音。


一枚、二枚、三枚。白紙が続く。


めくれるたびに風が吹く。


でも窓は閉まっている。


最後のページで止まった。


『もうすぐ0時』


『あなたたちが決めたことが確定する』

 

『本当にこれでいいの』


全員が読んだ。


文字は誰かの筆跡だった。


でもその誰かは、この教室にいない。


「……『確定』?」


瞳の声がかすれる。


彼女は自分の腕を抱いている。


「どういうこと?」


Eが聞く。


拓が立ち上がる。


彼の動きはゆっくりだった。


まるで水中を歩いているようだ。


椅子を引く音が、異様に長く響く。


「確定って、もう戻れなくなるってことだ」


「じゃあ、私たち――」


「今、決めてる。これから先、ずっと」


時計の針が0時を指そうとしている。



あと30秒。



沙織はスケッチブックを見つめる。

あの背中。

何度も消そうとした。

消しゴムの跡がいくつもある。

でも消えない。

いや――さっきより鮮明になっている。

線が濃くなっている。

誰かが描き足した。


「忘れてもいい」

拓の声。

低く、確かだ。

「それが俺の答えだ。これ以上見つめ合うのが怖い」


彼は自分の席から立ち上がっていた。

誰も気づかなかった。

いつから立っていたのか。

その背中は、後ろの席を向いていない。

正面。

黒板の方。

未来の方。


「忘れたくない」

純の声。

かすかに震えている。

「それが私の答え。忘れたら、また同じことを繰り返す気がする」


純はノートを胸に抱きしめている。

指の関節が白い。

彼女だけは、まだ空席を見ている。

最後の最後まで、その「誰か」を見つめている。



あと20秒。



その時、どこか遠くで校舎の古い鐘が、軋むような音を立て始めた。


低い音。


響く音。


あの喫茶店の壁掛け時計と同じ音だった。

同じ瞬間だった。遠くて、近い。



あと10秒。


ノートが最後のページを開いた。

紙の擦れる音。

『どちらも正しい』

『どちらも間違っていない』

『だから――』


0時。



時計の針が重なった。



その瞬間、秒針が止まった。



カチ、という最後の音が、やけに長く響いた。そして――何も聞こえなくなった。

完全な静寂。


教室の空気が変わった。

温度が下がった。

湿度が上がった。

肌が冷える。

息が白い。

三月の終わりなのに。


ノートの文字がゆっくり消えていく。

上から、下から、インクが吸い込まれていく。まるで、最初から何も書かれていなかったかのように。


『さようなら』

『でもまた』

『あなたたちが不安を感じたとき』

『どこかに』

『その時はまた』

『よろしく』


完全に消えた。

純がノートを閉じる。

その音で、時間が動き出した――はずだった。



でも時計の秒針は動かなかった。

止まったまま。

時が、あの瞬間を指したまま。

10年前のあの日から、ずっと止まっていたのかもしれない。


その時、窓の外で一番明るい星が、瞬くのをやめた。消えたわけではない。ただ、光を失った。まるで役目を終えたかのように。


後ろの席の空席で、誰も触れていないのに、椅子がゆっくりと倒れた。乾いた音が、誰もいない教室に響く。誰も振り返らなかった。誰もがそれを聞いていた。でも、振り返らなかった。振り返ることが、許されなかった。


沙織はそっとスケッチブックのページを撫でる。あの背中。消えない。確定した。過去になった。その隣で、純はノートを胸に抱いた。ノートの表紙に、ほんの少しだけ体温が移る。


(忘れたくない。この感覚を。この「まだ決まっていない」気持ちを、ずっと持ち続けていたい)



「……確定しちゃったんだ」



沙織が言った。彼女はスケッチブックを閉じた。でも、その背中は消えていない。


もう一度開く。あの背中のページ。指先で輪郭をなぞる。線の一つ一つ。影の一つ一つ。そして、ゆっくりと閉じた。


「もう大丈夫。描かなくても、覚えてるから」


誰に言うでもなく呟いた。


「終わったの?」


瞳が聞く。


「わからない」


康介が答える。彼は緩んでいたネクタイを無言できゅっと締め直した。その動作は、もう「高校生」のそれではなかった。大人の動作。覚悟の動作。


「でも、何かが変わった」


その時、拓が窓の外を見る。


窓の外では夜明け前の空が、少しずつ青みを帯び始めていた。星はまだ残っている。でも、もうすぐ消えるだろう。一番明るい星は、もうどこにも見えなかった。


その時、遠くでトラックの走る音がした。始発列車の予感。信号が切り替わる、かすかな電子音。教室の外の世界が、動き出していた。静寂が、壊れていく。少しずつ、少しずつ。


空の色が変わった。青から、ほんの少しだけ――朝焼けのオレンジ。まだ眩しくはない。でも確かに新しい色だった。昨日まで見たことのない色。今日から見る色。


「まだ決まっていないこともあるんだろうな」


拓が言った。誰に言うでもなく。ただ、そこにある事実として。


彼は空席に背を向けて歩き出した。振り返らない。それが彼の答えだった。見つめ合うのをやめる。それが彼の「忘れてもいい」という選択の形だった。


純は、最後にもう一度だけ空席を見た。ノートを抱えたまま。その目には、何が映っていたのか。誰もいない席。倒れた椅子。誰も座らなかった場所。でも、確かに「いた」場所。


彼女はゆっくりと拓の後を追った。ノートを離さない。それが彼女の「忘れたくない」という選択の形だった。


瞳が教室の入り口で一瞬立ち止まった。振り返りたかった。でも、振り返らなかった。そのまま廊下へ一歩を踏み出した。彼女の背中は、少しだけ震えていた。でも、止まらなかった。


沙織は最後にスケッチブックを開いた。白紙のページ。何も描かれていない。これから描くためのページ。彼女はそれを閉じ、カバンにしまった。


康介が教壇の横を通りがけに、黒板の隅を見た。そこに、誰も書いていない文字があった。



『またね』



彼はそれを見て、何も言わなかった。ただ、小さく息を吐いた。


その言葉が、教室の空気に溶けていった。外では、鳥が鳴き始めていた。最初は一羽。次に二羽。やがてたくさんの声が重なる。


教室を出る最後の一人は、純だった。彼女はもう一度だけ教室を見渡す。机。椅子。黒板。時計。止まったままの秒針。そして――後ろの席。倒れた椅子は、誰かが起こしたのか、元通りになっていた。


純が電気を消す。パチンという小さな音。その瞬間、暗くなった教室の中で――沙織のスケッチブックの隅にだけ、朝日が当たっていた。誰かの手のひらの形に。一瞬だけ輝き、すぐに消えた。


純は、そっと扉を閉めた。カチッという音が響いて、教室の灯りが完全に消えた。


ノートは机の上に置き去りにされたまま。でも、最後のページにだけ――消えかけた文字が一行、残っていた。



『またね』



廊下に出ると、冷たい空気が頬を打つ。六人はそれぞれの方向へ歩き出していた。誰も手を振らなかった。誰も「またね」と言わなかった。


でも、その背中は――前に向いていた。

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