少女が抱えていたモノ
――そこは黒く、ただひたすらに黒に埋め尽くされた部屋だった。
暗い、というのは適切ではない。一筋の光もなく、あたり一面黒一色ではあるが、視線を下に向ければ自分の体がはっきりと見える。故に、暗いのではなく黒い。
そもそも、部屋という表現も間違っているのかもしれない。
どれだけ歩いても端に行き着くことができず、おそらく天井もないであろう空間。世界と言った方が正しいだろう。
そんな、黒に包まれただけの何もない世界に、一人の少女がいた。
セミロングで美しい銀の髪が特徴のその少女は、何かを探すように忙しなく頭と視線を動かしながら歩く。
時には走って、転んで、先の見えない黒の世界を一生懸命に探し回る。
そしてふと、少女の視界に二つの人影が映りこんだ。
「お父さん! お母さん!」
片方は青みがかったグレーの髪をした高身長の男性、そしてもう一方は少女と同じ銀の髪を腰まで伸ばした女性。
その二つの人影は、少女の両親のものであった。
ようやく見つけた探し物。少女はホッとして、二人を呼びながら駆け出す。
しかし、
「……あれ? 待って……待ってよ!」
少女に背を向け、横並びで歩く二人の下に少女の声は届いていないのか、一切の反応がない。
それに、少女は走っているのに、歩く二人には何故か追いつけず、二人との距離は広がっていく一方だ。
「やだ……置いて行かないで……」
走って、走って、でも追いつけなくて、二人の姿は次第に小さく、見えなくなっていく。
それでも少女は諦められず、流れ出る涙を拭いながら必死に走った。
「あっ!」
黒一色の世界、走り続ける少女は、やがて見えない何かに躓く。
息は絶え絶え、受け身をとった手は痛い。それでもまだと立ち上がり、顔を上げた、その時、
「え……」
歩いて行く二人の先に、突如、闇が生まれた。
その闇は、黒一色に染まった世界の中でもはっきりと認識できるほどの、一際黒い漆黒。
一度入ってしまえば二度と帰ってくることはできない。そんな確信が少女にはあった。
「行っちゃダメ!」
二人を行かせまいと、再び駆け出す少女。しかしやはり、二人に追いつく気配はない。
少女の健闘むなしく、二人の姿は少しずつ闇の中へと消えていく。
「そっちに行かないで!」
そして最後に二人の背へと手を伸ばし――
「――待って!」
少女――シーラの夢は、いつもそこで終わりを迎える。
## ## ##
「……ひどい顔」
ベッドの上で手鏡を手に、そこに映る自分の顔を見て、シーラはぽつりと呟いた。
涙で瞼は赤く腫れ、表情には生気が宿っていない。悪夢で目覚めたことにより、気分も最悪。
もう何年もこうして悪夢で目覚める日々を送っているが、一向に慣れない。そもそも慣れるべきものではないのだろうが。
慣れた時はきっと、心が死んだ時だ。
「やめやめ! いつまでもこんな顔してたら心が腐っちゃう」
と、思いきり自分の頬を両サイドから挟むように叩いて、嫌な気分を払いのける。
生気の抜けた顔のままラグナとウォルムに会えば、二人は心配してくれるだろう。
でも、二人には心配をかけたくない。
「よし!」
そうしてベッドから体を起こし、シーラは顔に笑みを張り付けた。
「おはようラグナ」
「おはよう」
服を着替え、顔を洗い、軽く朝食を済ませた後、いつものようにギルドに向かおうと家を出ると、庭でトレーニングをしているラグナと出くわした。
トレーニング内容は魔力の操作。
なんでも、毎日欠かさずやらないと魔力操作の感覚が鈍るとのこと。
「今から依頼を受けに行くつもりだけど、ラグナも来る?」
「いや、今日は昼から昇級試験を受けるからな。それまでゆっくりしとくよ」
「あ……そうか、昨日で依頼は三十件達成したんだっけ」
銅級冒険者が昇級試験を受けるには、依頼を最低三十は達成しなければならない。
シーラの協力もあり、ラグナはそれを冒険者になってから僅か二週間で成し遂げたのだ。
「シーラのおかげだ。ありがとな」
「う、うん。どういたしまして」
真正面からの素直な感謝に、少し照れながらも笑顔で返す。
普段は口数の少ないラグナだが、こうして時折目を見ながら礼を言ったりしてくるものだから、意表を突かれてしまう。
「それじゃ、行ってくるね」
「気を付けてな」
互いに軽く手を振って、シーラは家の門を出た。
そしてギルドへと向かう道中、
「……そういえば、ラグナは銀級になったらもうこの街を出るんだっけ」
と、ラグナが以前言っていたことを思い出す。
昇級するならこの街でも可能だということを伝えたところ、ラグナ曰く、『折角冒険者になったんだから、冒険しなきゃ損だろ』ということらしい。
「……寂しくなるなぁ」
シーラにも、いつかは世界中を冒険してみたいという思いはある。
ラグナと一緒に冒険できたら楽しいだろうな、とも思った。
でも、自分にはやるべきことがある。
だからまだ、行けない。
それをしなければ、気が済まない。
「……いけないいけない」
自分の顔が強張っているのが分かり、軽く深呼吸して心を落ち着かせる。
そして、
「おはようございまーす!」
できるだけ明るく、元気よく挨拶をしながらギルドに足を踏み入れた。
「……あれ?」
いつもならここで挨拶が返ってくるはずだが、聞こえてこない。
見れば、ギルド内は騒々しく、何やら問題が起きたのであろう雰囲気が漂っていた。
「何かあったんですか?」
何事かと、近くにいたシアンに話しかける。
すると、
「ん? あぁ、シーラちゃんっスか。いやぁ、何か北の森に四年ぶりに霧がかかったらしくて」
「――っ!!」
「シアンちゃん! それをシーラさんに言うのは……あっ! シーラさん待って!」
シアンの話を聞いた途端、血相を変えて駆け出すシーラ。
その表情からはいつもの明るさが消え、瞳の奥にはドス黒いものが渦巻いていた。
「――どこに行くつもりだ?」
「……そこをどいてよ、おじさん」
そんなシーラの前に立ち塞がるようにギルドの出入り口に立つのは、ギルドマスターであるウォルムだ。
まるでこうなることは分かっていたかのような迅速な対応に、シーラは奥歯をギリリと鳴らす。
「行かせねぇよ。通りたければ俺を倒してからにするんだな」
「……そう。言っとくけど、手加減はできないから!」
▼△▼△▼△
「……なんか、騒々しいな」
トレーニングの最中、門の外から聞こえてくる街の住人の声に、ラグナは目を細める。
祭りでもあるのかと思うレベルの騒がしさだ。
このままではトレーニングに集中することができない。
と、
「聞いたか? 冒険者ギルドの前でギルドマスターとその姪がガチバトルしてるんだってよ!」
騒ぎの原因を聞き出そうと門を出ようとした瞬間、耳を疑う情報が飛び込んできた。
「お、おい! それは本当なのか!?」
「うお!? な、何だお前」
門から飛び出し、情報をもたらしたであろう男に、胸ぐらを掴む勢いで詰め寄る。
「いいから教えてくれ! 一体何が原因でそうなったんだ!」
「……いや、俺は噂を聞きつけただけで詳しいことは何も……」
「……っ」
碌な情報を聞き出せないと判断するのと同時、ラグナは走り出した。
〈身体強化〉を行い、全速力でギルドへと向かう。
どうしてそんなことに? と記憶を探るも、答えは出てこない。
しかし、きっと何かがあったのだ。あの二人が戦わなくてはならない何かが。
「おいおい……」
速攻でギルドに着くと、ギルドの前には何かを取り囲む形で人だかりが出来上がっていた。
街の人間全員が集まっているのではと思うほどの人数だ。これでは前に進めない。
「邪魔くせぇ、な!」
人々の頭上を飛び越えて、強引に人だかりの中心へと降り立つ。
直後、目に飛び込んできた光景に、ラグナは思わず息を飲んだ。
「ギルマス!!」
そこには体中にアザを作り、仰向けに倒れたウォルムがいたのだ。
オカリナに膝枕され、生きているであろうことが窺えるが、気絶しているのか、ラグナの呼びかけに反応を示さない。
「ラグナさん……」
「……何があったんだ」
「シーラさんとギルマスが戦って、それで……」
「原因は?」
「……ゴホッ、そこから先は……俺が話そう」
「「! ギルマス!」」
意識が戻ったウォルム。上体を起こそうとするも、力が入らないようで、頭はすぐにオカリナの膝枕へと引き戻される。
そして起き上がるのは諦め、そのままの体勢で話を続け、
「北の森に……霧の魔獣が現れたんだ」
霧の魔獣。その存在はラグナの記憶に新しい。
立ち向かう冒険者をすべて返り討ちにし、ウォルムが右腕を失った原因。
「それが……あんたがこうなっているのと何の関係があんだよ」
「……霧の魔獣は、あいつの……シーラの両親の仇なんだよ」
「な……!」
初めて明かされた衝撃的な事実に、ラグナは言葉を失う。
違和感はあった。
シーラは何故、両親とではなく叔父と暮らしているのか。
両親が話題に上がることもなかったことから、すでに亡くなっている可能性を考えたことはある。
だが、まさか霧の魔獣に殺されていたとは、思いもよらなかった。
「あいつはずっと、復讐の機会を待っていたんだ。両親の仇をとるために、自分のやりたいことも後回しにして。そして今日、霧の魔獣が現れたと聞いて、あいつは一人で立ち向かおうとした」
「それで……」
「……それを止めようとして、このザマだ。あいつに戦い方を教えたのは俺なんだがな……。ははっ、情けねぇったらありゃしねぇ」
「……」
口では笑っているが、ウォルムの目からは涙が流れ出ている。
そのウォルムの感情が痛いほどに伝わって、ラグナは拳を強く握りしめた。
「頼むラグナ……! シーラを無事に連れて帰ってきてくれ! お前にしか……お前にしか頼めないんだ!」
まだ動くのは辛いだろうに、ウォルムは必死になって体を持ち上げ、頭を地面に擦り付ける。
そうして絞り出すような懇願に、ラグナは、
「――あぁ、任せろ!」
と、力強く答えるのだった。




