プロローグ
20XX年、冬。
深夜23時47分。
某県を走る電車の車内は、終電が近いこともあって人影がまばらだった。
その車両の真ん中あたり。
向かい合わせの座席に、一人の少年が座っていた。
黒縁眼鏡。伸びきった前髪。少し大きめのパーカー。膝の上には、コンビニの袋が置かれている。
年齢はおそらく高校生くらい。
少年は、ずっと俯いていた。
時折、何かを呟いている。
「……なんでだよ」
誰に向けた言葉なのかは分からない。
「なんで俺ばっかり……」
突然、少年が顔を上げた。
「うるせえよ!!!!!」
車内に響き渡る怒声。
乗客たちが一斉に振り向く。
少年は頭を抱え、座席から立ち上がった。
「俺だって……俺だって普通に生きたいんだよ!!」
誰も答えない。
少年はさらに声を荒らげた。
「なんで笑うんだよ!! 何がおかしいんだよ!!」
向かいの席に座っていた大学生の男が、スマートフォンを取り出した。
録画ボタンを押す。
少年はそれに気づいていなかった。
ただ、車内で一人、行き場のない感情を吐き出していた。
やがて電車は次の駅に到着する。
少年はコンビニ袋を持ち、ふらつく足取りでホームへ降りていった。
その背中を、誰も追わなかった。
20XX年12月某日 23時58分
とある匿名掲示板。
【爆笑】電車の真向かいの席にマジモンのチー牛いるんだがwww
1:風吹けば名無し
やばいの撮れたwww
電車で突然発狂し始めたチー牛おるんやがwwww
(動画)
2:風吹けば名無し
草
3:風吹けば名無し
ガチで草
4:風吹けば名無し
なんやこいつ……
5:風吹けば名無し
これマジモンやんけ
6:風吹けば名無し
もう終わりだよこいつ...
7:風吹けば名無し
家出中か?
8:風吹けば名無し
脱獄犯チーで草
9:風吹けば名無し
こいつの住所特定したった
10:風吹けば名無し
>>9草www明日の朝には100万再生やろな
その予想は、当たった。
動画は翌朝にはSNSに転載され、昼には数十万回再生を突破。
夜にはまとめサイトにも取り上げられた。
少年の顔には、いつの間にか名前がついていた。
「チー牛」。
ただ一つの短い動画だけが、彼という人間のすべてであるかのように扱われていた。
そして、少年はその夜から帰る場所を失った。
家には帰れなかった。
ー続くー




