↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短編集  作者: さく
7/8

元教え子×教師

「先生、久しぶり」





休日の街で声をかけてきたのは、数年ぶりに会う元教え子の攻めだった。


高校教師である受けを見下ろすほど背が伸びて、すっかり大人の顔をしている。





「……でかくなったな」


「再会の第一声それ?」





在学中のこの男は、とにかく人懐っこい生徒だった。


休み時間になれば職員室に顔を出し、廊下ですれ違えば先生、先生と寄ってくる。


犬の尻尾でも生えていそうな懐き方だったのを、受けはよく覚えている。


その面影は、たしかに残っていた。


けれど、笑ったときの目もとは記憶よりずっと落ち着いていて、肩幅も、腕の太さも、声の低さも、あのころとはまるで違う。


見上げなければ目が合わないのが、どうにも据わりが悪かった。





「せっかくだし、飯でも行きません?」





そう誘われて入った店で、受けは思いのほか長く話し込んだ。


卒業してからのこと。


仕事のこと。


同級生の近況。


担任と生徒だった関係が、いつのまにか、ただの二人の男の会話になっている。


それが再会のきっかけだった。


以来、この元教え子はちょくちょく受けを誘ってくるようになった。





「先生、土曜空いてる?」


「空いてるけど」


「じゃあデートしよ」


「食事だろ」


「はいはい」





受けは軽く流す。


昔から懐かれていた、その延長だと思っていたからだ。


けれど攻めは、会うたびに少しずつ距離を詰めてきた。


恋人はいるのかと聞いてくる。


好きな店の系統を探ってくる。


会計のときにさりげなく背へ手を添えて、冗談めかして口説いてくる。


そのたびに受けは、生徒のいたずらを受け流すような顔をしてみせた。


そんなある日のことだった。





「こないだ同僚に言われたよ。あの人、恋人ですかって」





食事の席で何気なくそう話すと、攻めは箸を止めた。





「へえ。なんて答えたの」


「まさか、元教え子だよって言っといた」





ふ、と笑う気配がした。





「先生ってさ」





グラスを置いて、こちらを見る。





「いつまで俺のこと、生徒だと思ってるの?」


「実際、生徒だっただろ」


「昔はね」





すっと、距離が詰められた。


テーブル越しに身を乗り出されて、影が落ちる。


あの日と同じだ。


見上げなければ、目が合わない。





「今の俺、ちゃんと見てよ」





低い声だった。


受けは、とっさに言葉が出てこなかった。


その一瞬の沈黙を、攻めは見逃さない。


ゆっくりと身を引きながら、それはもう満足そうに笑った。





「やっと意識した?」


「……生意気になったな、おまえ」





それ以来、受けは少しだけこの男を意識するようになった。


もちろん、認める気などない。


そんな折の、いつもの食事だった。


その日は妙に酒が進んだ。


話しているうちに時間を忘れて、店を出るころには二人ともいい具合に酔っていた。


夜風が涼しい。


並んで歩く肩が、何度も触れる。





「先生。俺のこと、意識してるでしょ」


「してない」


「うそだ」


「元教え子相手に、何を意識するんだよ」


「またそれ?」





笑いながら、腕を掴まれた。


酔いのせいか、振りほどく力が入らない。


街灯の下で顔を覗き込まれて、受けはようやく気づいた。


この男の目が、まったく笑っていない。





「……先生」





呼ばれた声が、いつもより掠れていた。


近づいてくる。


逃げようと思えば逃げられるはずの、ゆっくりとした距離の詰め方だった。


唇が重なる。


驚くほど、やさしかった。


一度離れて、額を合わせたまま、攻めは小さく笑う。





「怒らないんだ」


「……酔ってるからな」


「じゃあ、俺んち来て」





――は?思考が追いつかないうちに手を引かれて、気づけばタクシーに乗せられていた。


え、ちょっと待て。


いや待て、本気か。


隣に座る男の横顔を盗み見る。


冗談を言っている顔ではない。


それどころか、繋いだままの手にじわりと力がこもった。


止めるなら今だ。


教師として、常識として、いくらでも言葉はある。


――なのに、口が動かなかった。


連れていかれた部屋の玄関で、靴を脱ぐより早く、背中から抱きすくめられた。





「……おいっ」


「ちょっとだけ。落ち着かせて」





首すじに額を押しつけられる。


腕の力は強いのに、その体温がかすかに震えているのがわかった。


この男でも緊張するのか。


そう思った瞬間、自分の心臓のほうが、ずっとうるさく鳴りはじめた。





「なあ、本気で言ってるのか」


「本気じゃなかったら、家まで連れてこないよ」


「……相手、俺だぞ。おまえの担任だった男だぞ」


「知ってる」





耳の裏に、低い声が落ちる。





「その先生が好きなんだって、ずっと言ってるんだけど」





――ずるい。


こんな声で言うようになったのは、いつからだ。


あんなに高い声で先生先生と呼んでいた子どもが、どうしてこんな。


寝室へ連れ込まれても、受けはまだ抵抗を続けていた。





「待て、本当に待て。おまえ、酔ってるだけだろ」


「酔ってない」


「明日になったら絶対後悔するぞ。俺は元担任で、しかも男で――」


「先生」





呼ばれて、口をつぐむ。


ベッドの縁に座らされた受けの前に、攻めは膝をついた。


見上げてくる目が、灯りの下でまっすぐこちらを向いている。





「怖いなら、やめる」


「……っ」


「でも、嫌じゃないなら」





大きな手が、そっと受けの手を取った。





「今夜だけでいいから、生徒だったこと忘れて」





――ああ、まずい。


そんな顔をされたら、断れるわけがない。


言葉が出ないまま、受けはただ小さく息を吐いた。


それが答えだと、この男にはきっと伝わってしまう。


案の定、攻めはふ、と笑って、そのまま覆いかぶさってきた。





「……あかり」


「ん?」


「せめて、消せ」


「やだ」


「なんでだよ!」


「ずっと見たかったから」





さらりと言われて、返す言葉をなくす。


ベッドに沈められた受けの頬を、大きな手が包んだ。


指の背でゆっくり輪郭をなぞられて、そのまま親指が唇に触れる。


焦れったいくらい、丁寧な触れ方だった。





「先生、緊張してる?」


「……してない」


「心臓、すごいけど」


「うるさい」





顔を背けようとしたら、こめかみにくちづけが落ちてきた。


それから目尻に、頬に、顎の下に。


順番に確かめるように唇が下りていく。


そのたびに、頭の芯が痺れていく。


まずい。


相手は教え子だ。


そう思うのに、覆いかぶさってくる体の重さも、シャツ越しに伝わる熱も、どうしようもなく男のもので。





「高校のとき」





ボタンにかかった手が、途中で止まる。





「先生に怒られるたび、こうなったらいいのにって思ってた」


「……最低な生徒だな」


「うん。だから、卒業まで我慢した」





そう言って笑う顔が、あんまり幸せそうで。


受けはとうとう、腕で顔を隠した。


隠したそばから、その手をやんわり外される。





「隠さないで」


「……見るなって言ってるだろ」


「無理。せっかく大人になったのに」





指を絡めて、シーツの上でぎゅっと握られた。


その手が、記憶の中のものとは比べものにならないほど大きくて。


あのころ廊下で袖を引いてきた手と同じだとは、とても思えない。





「あのさ」





耳もとで、囁くように言われる。





「今夜は、名前で呼んでいい?」


「……は?」


「先生って呼ぶの、今夜だけはやめたい」





答える前に、掠れた声で名前を呼ばれた。


心臓が、跳ねる。


十年近く「先生」としか呼ばれてこなかったのに。


同じ声が自分の名前を形にするだけで、こんなにも落ち着かなくなるとは思わなかった。





「な……っ、勝手に決めるな」


「だめ?」


「……だめとは言ってない」





もう一度、名前を呼ばれる。


抱きしめる腕に、力がこもった。


そのあとのことは、酒のせいにするには、あまりに鮮明に覚えている。


翌朝。


目を覚ました受けは、隣で眠る男をぼんやりと眺めていた。


寝顔には、たしかに高校時代の面影がある。


あのころと同じ、無防備で子どもみたいな顔。


けれど、シーツからはみ出した肩の広さも、いまだに自分の手を握ったままの大きな手も、そして昨夜のあれこれも、記憶の中の少年とはまるで違った。


――こんなに大人になってたんだな。


しみじみとそんなことを考えて、受けは自分で自分の頭を抱えた。


教師の感慨を抱く場面ではない。


断じてない。


そして問題は、そのあとだった。


一度「大人の男」として認識してしまったせいで、以前のように接することができなくなったのだ。


食事中に顔を近づけられるだけで、心臓が跳ねる。


肩に触れられれば、あの夜の腕の熱を思い出す。


そして当然、この男がそれを見逃すはずもなかった。





「先生、最近俺のこと避けてない?」


「避けてない」


「じゃあ今日もデートしよ」


「だからデートじゃ――」


「その言い訳、もう無理じゃない?」





受けは、見事に詰まった。


攻めは声を立てて笑って、それから、ふいに真面目な顔になった。





「俺さ、次からは元教え子として誘わないから」


「……何?」


「ちゃんと男として口説く」





まっすぐな目だった。


教壇から見下ろしていたころには、一度も向けられたことのない目。





「嫌なら、断っていいよ」





そう言い残して、その日はあっさり帰っていく。


受けは、遠ざかる背中を見送りながら、熱くなった顔を片手で押さえた。


昔はあんなに可愛げのある生徒だった。


それがいつのまにか、自分を抱くような男になって。


そのうえ今度は、正面から口説くと宣言してくる。


――ずるいだろ、それは。


そして、数日後。





『先生、デートしよ』





当たり前のように、連絡が来た。


受けは画面を睨んだまま、たっぷり五分は迷って。


結局、断れなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。