カメラマンα×モデルΩ
「すごい……」
「ほんとに綺麗だよね、この人」
信号待ちの人波が、頭上の一枚を見上げてざわめく。
伏せた睫毛。
ゆるく開いた唇。
こちらを見ていないのに、なぜか見られている気がしてくる目。
誰が撮っても綺麗に写る男ではある。
けれど、この写真だけは違う、と誰もが口を揃えた。
――そして、その夜。
広告のなかで澄ました顔をしていたモデルは、シーツの上で息を乱していた。
「……ん、っ」
「ここ、相変わらず弱いな」
「言わなくて、いい……っ」
耳もとで笑う気配がする。
首すじをたどっていた唇が、鎖骨の窪みで止まった。
そのまま、確かめるようにゆっくりと吸われて、モデルの背が跳ねる。
この男は、いつもそうだ。
急がない。
焦らない。
ただ淡々と、こちらが崩れる場所を一つずつ拾い上げていく。
写真を撮るときの、あの手つきと同じだった。
二人は、仕事だけの関係ではない。
もっとも、始まりは仕事だった。
もっとよく撮りたいから、もっとよく知りたい。
カメラマンが口にしたのは、それだけだ。
どんなときに肩の力が抜けるのか。
どんな声を出すのか。
どこに触れれば、あの完璧な表情が崩れるのか。
アルファとオメガとしての相性も、悪いはずがなかった。
気づけばモデルのほうが、すっかりこの関係に溺れている。
けれど、この男の前でだけ晒すこの顔があるからこそ、あの写真が撮れるのだと、モデル自身がいちばんよく知っていた。
事が終わって、しばらく。
汗の引いた身体を横たえたまま、モデルは天井をぼんやり眺めていた。
隣で寝転がっているこの男は、こういうとき、いつも静かだ。
「ねえ」
「ん」
「俺たち、番になろうよ」
指先で相手の胸を軽くつつく。
「いいパートナーになれると思うんだ」
返事は、拍子抜けするほど早かった。
「別に構わない」
「え、ほんと?」
思わず身を起こす。
顔がぱっと明るくなったのが、自分でもわかった。
ところが。
「でも、まだ駄目だな」
「なんで」
「噛み痕がつく。次の撮影に響くだろ」
「そんなの、メイクで隠せるでしょ」
「そういう問題か?」
カメラマンは身体をこちらへ向けて、じっとモデルを見た。
暗がりでも、その目だけはよく見える。
見慣れているのに見慣れていない、その瞳に、モデルはドキッとした。
「変なやつだな。俺と番になりたいなんて」
「なんで?」
「おまえなら、相手はいくらでも選べるだろうに」
モデルは、少しだけ考えた。
言葉にしてしまうのが、なんだか惜しいような気もした。
それでも結局、正直に言うことにする。
「俺のこと、いちばん知ってるの、キミだから」
指先をシーツの上で泳がせながら。
「……だから、もっと知ってもらいたくて」
「ふうん」
相変わらず、素っ気ない返事だった。
――だと思ったのに。
次の瞬間、視界がぐるりと回った。
肩を押さえられて、あっという間に組み敷かれている。
「わっ、ちょっと」
「じゃあ、さっそく」
覆いかぶさってきた男が、耳もとで低く言った。
「もっとおまえのことを、教えてもらおうかな」
「……珍しいね。今日は積極的」
「別に。いつもどおりだろ」
「そうかもしれないけど……」
言いながら、モデルは顔が熱くなるのを感じていた。
いつもは、こちらが求めてばかりだ。
この男から手を伸ばしてくることなんて、めったにない。
だから、つい。
「……嬉しい」
はにかんで、そう漏らしてしまった。
――カメラマンの動きが、止まった。
「……今の」
「え?」
「最高にいい」
「は?」
意味を問い返す間もなく、深く唇を塞がれる。
さっきまでとは、まるで違った。
淡々と手順をなぞるような触れ方ではない。
逃がさないというより、ここから先を全部見たいという、貪るようなくちづけだった。
「んっ……ま、待って、急に……」
「もう一回して」
「何を……っ」
「今の顔」
顎を掬い上げられて、まっすぐに覗き込まれる。
「もっと見せて」
――ずるい。
そんな声で言われたら、逆らえるわけがない。
いつもより性急な手つきに翻弄されて、モデルはもう、まともに息もできない。
名前を呼ばれるたび、頭の芯から溶けていく。
窓の外がうっすら白みはじめるまで、二人の夜は終わらなかった。
そして、後日。
「最近さ、なんか色気増したよね」
「わかる。……でも、このカット、すごく可愛い」
書店で雑誌を開いた誰かが、そんなことを言っている。
そこに載っていたのは、これまでとは少し違うモデルの一枚だった。
完璧な角度でも、計算された表情でもない。
ふとした瞬間に、まるで誰かに向かってはにかんだような、やわらかい顔。
――撮影現場。
カメラマンはファインダー越しに、真剣な眼差しでモデルを見つめている。
そしてモデルもまた、レンズではなく、その向こうにいる男を見つめている。
誰にも見せない顔を、この人にだけ見せる。
その一瞬を、この人だけが撮る。
二人だけの世界が、今日もまた、一枚の写真になっていく。




