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短編集  作者: さく
2/8

農家α×都会っ子Ω

「なんだそりゃ、そんな隅っこで何してんだ!」




出迎えたアルファは、収穫箱を片手で抱えたまま豪快に笑い飛ばした。


背が高い。


日に焼けている。


腕が丸太みたいに太い。


一か月の農業体験取材に来た都会育ちのオメガは、初対面で完全に気圧されていた。




「で、でかくて……」


「でかい!? 何がだ!? 俺か!? 面白いなおまえ!」




でかい声で笑われた。


滞在する一か月、農作業を教えてくれる担当がこの男だという。


オメガは静かに絶望した。


案の定、初日から散々である。


畑に入って三歩で虫に悲鳴を上げた。


ぬかるみに足を取られて、片方の長靴を泥のなかに置き去りにした。


収穫箱に至っては、持ち上げようとして腰から崩れ落ちた。




「おい大丈夫か! っていうか無理すんな、箱のほうが重いぞ!」


「できます! ぐぎぎぎぎぎぎぎぎ」


「できてないじゃないか!」




大爆笑された。


悔しい。


翌朝は全身が悲鳴を上げていたが、それでも時間どおりに畑へ出た。


腕が上がらないくせに、また同じ箱を持とうとする。


アルファは目を丸くして、それから、腹を抱えて笑い出した。




「あんた、意外と根性あるな! 気に入った!」


「……別に、気に入られたくて来たわけじゃ」


「まあまあ。ほら、こっち持て。半分な」




一週間もすると、少しずつ様子が変わってきた。


危なっかしい手つきをしていると、後ろから太い腕が伸びてきて、鎌の角度を直される。


休憩になれば、氷を放り込んだ麦茶が黙って差し出される。




「食ってみろ、これ」




もぎたてのトマトを、ぽんと放って寄越された。


かじった瞬間、口いっぱいに広がる甘さに、オメガは目を見開く。




「……っ、なんですかこれ、甘い!」


「そりゃ、さっきまでそこにぶら下がってたやつだからな」


「都会のと全然違いますよ!? これ毎日食べられたら幸せだろうな~」




夢中で頬張る姿を、アルファはにこにこと眺めている。




「なんでも旨そうに食うやつだな、あんたは」


「初めてのものばっかりなので」


「そうか。じゃあ明日はとうもろこしだ。あれは生でいける」


「生!?」




畑仕事にも、二週間を過ぎるころには少し慣れた。


土の匂いにも、朝五時起きにも、この男の笑い声の大きさにも。


――そして、三週目の午後である。


すっかり要領を掴んだ気になっていたオメガは、斜面の畝で盛大に足を滑らせた。


とっさに手をつく。


右の足首が、ぐきりと嫌な音を立てた。




「――っ」


「おおっと!」




気づいたときには、あの太い腕に軽々と抱き上げられていた。




「歩けます! これくらい、平気ですって!」


「駄目だ駄目だ。ほら、暴れるな。落ちるぞ」




アルファは急いで母屋に戻る。


自分を抱えておいて、どうしてそんなに早く動けるのかとオメガは驚いた。




「大した怪我じゃないですって」


「悪化させるわけにはいかないからな」




縁側に座らされ、足首を冷やしてもらいながら、オメガはそっと様子をうかがった。


包帯を巻く手つきが、意外なほど丁寧である。




「そんなに焦るほどのことじゃ……」


「焦ってねえよ」




そこで、アルファの手が止まった。


しばらく黙り込んで、それから、いつもより少しだけ小さい声で笑う。




「……そうだな。なんであんなに焦ったんだろうな、俺」




その日から、どうにも噛み合わなくなった。


目が合うたび、どちらからともなく逸らす。


何気なく手が触れれば、二人そろって固まる。


足が治って畑へ戻ると、アルファはあからさまに過保護になっていた。




「それ持つな。俺がやる」


「もう治りました!」


「治ったやつほどまたやるんだよ」


「やりません!」


「はははは! 言うようになったな!」




言い合いながら、並んで歩く距離は、以前よりずっと近い。


そして、滞在最終日の前夜。


一か月ぶんの取材メモも、写真も揃った。


母屋の縁側で、二人は並んで夕飯を食べていた。


虫の声が、やたらとうるさい。




「明日、帰るんだったか」


「はい。東京に戻ります」


「そっか。よかったな」




いつもの調子で、豪快に笑われた。


なのに、ちっとも嬉しくない。


箸が進まないまま、オメガは暗い畑をぼんやり眺めた。


あんなに苦手だった土の匂いが、いつのまにか平気になっている。


隣の男も、めずらしく黙り込んでいた。


長い沈黙のあと。




「……静かになるな、明日から」




ぽつりと落とされた声に、オメガは顔を上げる。




「あんたが来てから、うるさくてかなわなかったからな。急に静かになったら、調子が狂う」


「……それ、遠回しに文句言ってます?」


「そう聞こえたなら、俺の言い方が下手なんだろうな」




そう言って、こちらを見る。


夜目に慣れた視界のなかで、その目だけがまっすぐだった。




「寂しくなるって言ってんだよ」




呼吸が止まる。


しばらく言葉を探して、結局オメガは正直に言った。




「……俺も、寂しいです」


「そうか」




それきり、二人とも黙り込んだ。


気まずいわけではない。


ただ、次に何を言えばいいのかわからなかった。


結局そのまま夕飯を平らげて、オメガは空いた皿を重ねて立ち上がる。




「洗い物、やります」


「いいって。座ってろ」


「一か月やってきたんだから、今さらでしょう」




軽口を叩きながら、二人で台所に立った。


洗う係と拭く係。


この一か月で、すっかり慣れた並びだった。


皿を受け取るとき、指がかすめる。


そのたびに、どちらも黙る。


最後の一枚を棚に戻したところで、アルファが口を開いた。




「なあ」


「はい」


「今夜、うちに泊まってけ」




蛇口を閉める手が止まった。


宿泊先の部屋は、歩いて三分の距離にある。


荷物もまとめてある。


断る理由なら、いくらでも並べられた。




「……そうします」




出てきたのは、それだけだった。


振り返ると、思ったよりずっと近くにこの男が立っていた。


大きな手が、そっと頬に触れる。


指先が硬くて、日に焼けていて、少しだけ土の匂いがした。




「俺が考えていること、わかるか」


「……きっと、俺と同じこと考えてる」




目を閉じた瞬間、唇が重なった。


寝室へ運ばれるあいだ、オメガはずっと現実感がなかった。


軽々と抱き上げられ、片手で襖を開けられ、布団の上へそっと下ろされる。


抵抗する余地なんて、どこにもない。


覆いかぶさってくる影が、あまりに大きい。




「……こうしてると、ほんとに華奢だな、あんた」




節くれだった手が、シャツの上から腰をたどる。


その手のひらだけで、腰が半分包まれてしまう。


自分の身体がこんなに小さいのだと、初めて知った気がした。




「壊しそうで、怖いな」


「壊れませんよ、そんな簡単に」


「そう思ってるのは、あんただけだ」




ボタンを外す指が、ひどく慎重だった。


畑では収穫箱を片手で振り回すくせに。


触れる手つきだけは、割れ物でも扱うようにゆっくりしている。


素肌に唇が落ちてきて、思わず声が漏れた。




「……っ、ん」


「敏感だな」


「う、うるさい……!」




言った瞬間、頭上で低く笑われた。


首すじから鎖骨へ、唇が下りていく。


骨ばった部分に歯を立てられて、身体が跳ねた。


押さえつけてくる手のひらの熱さも、覆いかぶさる胸板の厚みも、何もかもが自分とは違う。


逃げ場がない。


けれど、不思議と怖くはなかった。




「……ほんとに、でかいですね」


「今さらか」




耳もとで笑われて、そのまま深く抱き寄せられた。


大きな身体に押し包まれながら、名前を呼ばれる。


何度も、確かめるように。


そのたびに指の先まで痺れて、頭のなかがとろけていった。


しがみついた背中は、腕を回しきれないほど広かった。


翌朝。


先に目を覚ましたオメガは、隣で眠る男を見て、一気に昨夜を思い出した。


――やってしまった。


顔が熱い。


布団のなかでもぞもぞと縮こまる。


嬉しいのか恥ずかしいのか、自分でも判断がつかない。


ただ、腰も脚も、今日は農作業どころではなかった。




「起きてんのか」


「……起きてません」




太い腕が伸びてきて、あっさり引き寄せられる。


抵抗する間もなく、また胸のなかへ収められてしまった。


その日の昼、駅まで送ってもらった。


改札の前で、アルファがぶっきらぼうに言う。




「また来い」


「取材の予定が入れば」


「仕事なんかなくても来いって言ってんだ」




まっすぐな物言いに、オメガは思わず笑った。




「……じゃあ、来ます」


「おう。待ってる!」




最後まで、この男は豪快に笑っていた。


――都会へ帰れるのを、あんなに楽しみにしていたはずなのに。


電車が動き出した瞬間には、オメガはもう、次はいつ会いに行こうかと考えていた。

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