第3話「取り扱いに困るもの」
――現在。バー「皇帝のご寵愛」の店内。
「……で、バネちゃんのスタッフに袋叩きとはね。双竜のサムも、焼きが回ったかな? 昔のあなたなら、三桁は倒してたでしょ」
数日前の記憶を辿っていたサムは、久しぶりに聞いた「双竜」の呼び名に、はっと現実へ引き戻されました。
「……六十八人以上、突っかかってくる奴がいなかったんだ」
「あら、負け惜しみ?」
「いや、事実だ。あの毒ガスは誤算だったが」
「サムさん、あれは毒ではなくてですねー、健康的に無力化する――」
「まあ、負けには違いないわよね」
「……ふん」
サムはため息をつき、煙草を取り出そうとしました。
その時です。
「あの。……サムさん、煙草は……」
「あ、すまん。そうだったな、バネッサ」
「……すみません」
「いや、作業の区切りで一服するのが癖でな。今後、気を付ける」
バネッサは、分かってくれて嬉しいというように、ほっと微笑みました。
その顔を見て、サムはまた記憶の続きを辿ります。
◇ ◇ ◇
――サムがバネッサのアジトに殴り込みに行った日。
行き違いはありました。
ありましたが、新しいオーナーであるバネッサは、少なくとも話の分からない相手ではありませんでした。
ファンシーな改装にも、特別なこだわりがあったわけではないそうです。
単に、新しい客寄せとしてどうかと考えたのだと言います。
バネッサは、きちんと説明しなかったことを何度も謝りました。
そして、改装を元の雰囲気に戻すので、サムにこのまま残ってもらえないかと頼みました。
サムも、改修について何も要望を出さなかったこと。
それから、少々暴れすぎたことを詫びました。
そのうえで、今後の方針を話し合います。
サムは、縛られたままでしたが。
ただし、バネッサは一つだけ譲りませんでした。
店内禁煙です。
サムとしては、なかなか辛い制約でした。
けれど、店はもう自分だけのものではありません。
結果としてそれを承諾し、サムはしばらくの間、マスターとして残ることにしたのです。
再改修工事は、急ピッチで行われました。
そして、残る作業が内装の一部だけとなった日の夕刻。
カウンター周りを片づけ終えたサムは、久々に看板代わりのランプを灯しました。
バネッサと、古い友人であるメイが、連れ立って来る予定だったのです。
◇ ◇ ◇
――現在。バー「皇帝のご寵愛」の店内。
バネッサとメイが知り合いだったことは、サムにとって意外でした。
けれど、このバーの譲渡話をバネッサに持ちかけた発端がメイだったのではないか。
そう考えると、いくつか腑に落ちる点があります。
世話好きのメイが、自分の店の窮状を憐れんだのか。
サムは、金に困っていたわけではありません。
けれど、そんな誤解をされたのだとしたら、それはそれで情けない話でした。
そういう気分のところへ、来店早々、メイはいつもの調子でサムをからかってきました。
昔からのことです。
本来なら、軽く流せたはずでした。
けれど今日は、どうにも引っかかりました。
その態度を、目の前の二人は、改装の件でまだ怒っているのだと勘違いしてしまったようです。
「バネッサ、すまなかった」
「え。いえ、そんな、サムさん。あの、煙草は身体に悪いのですよ。だから」
バネッサは、まだサムの煙草の件を気にしていました。
サムは、改装の件で不機嫌になっていたことも含め、バネッサには悪いことをしたと思いました。
けれど、詫びるにも、何と言えばいいのか分かりません。
「……ああ。そうだな」
壁の柱時計を見て、バネッサがスツールから立ち上がりました。
「そろそろお暇しますー」
「えええ。もう少し良いじゃない」
「これからお稽古なんですよー」
「あらら。あんたも大変ね」
「大変ですよー。……メイさん、例の件、お願いしますね」
「はいはーい」
「……では。お疲れ様でしたー」
バネッサは、にこにこと笑いながら扉に顔をぶつけました。
ごん、と鈍い音がしました。
けれど何事もなかったかのように、彼女は店を出ていきました。
「面白いやつだな、バネッサは」
「うん。一年前くらいに知り合ってね」
「……あんたも、昔はあんな感じだったな、メイ」
「ん。そうかな。……そうかもね」
サムは、先ほどから気になっていたことをメイに聞きました。
「バネッサが言っていた『例の件』って何だ?」
「後で教えてあげる。その前に、おかわり頂戴」
「もったいぶるなよ。何を企んでいるんだ、メイ?」
「企んでなんかいないわよ」
「あんたがそういう話ぶりをする時は、たいてい碌なもんじゃない」
メイがいたずらっ子のようにニヤリと笑います。
「……おかわり、頂戴」
「とっくに片づけ終わったんだが」
「サム。一杯くらい付き合ってよ」
「……分かったよ。つまみを用意するから、ちょっと待ってろ」
サムは腸詰肉と野菜を炒め、皿に盛りました。
それからメイの隣にどっかと座り、氷の入ったグラスに強めの酒を注ぎます。
「乾杯ー」
「で。例の件とは何だ」
「補修工事してたらね、見つけたんだって」
「見つけた? 何を?」
「取り扱いに困るもの」
「危険物か?」
「それで、扱いに困ったバネちゃんが、私に相談してきたの」
「だから、何を見つけたんだ」
メイは、グラスを揺らしながら、少しだけ楽しそうに笑いました。
「……屋根裏部屋の壁よ」
「屋根裏の壁? 何のことだ」
「やっぱり、知らなかったのねー」
「おい、メイ。お前、酔ってるな?」
「見てきなさいな。北側の壁よー」
今夜はもう、客も来ないだろう。
サムは、まず店じまいの準備を始めることにしました。
外に出ると、地に積もった雪を撫でるように、冷たい風が通り抜けていきます。
サムは小さく身震いしました。
そして、看板代わりのランプのフードを上げ、火を吹き消しました。




