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第3話 ゾンビと少女(3)

 ルーピアは人目を避けるため、細く入り組んだ路地裏を、まるで自分の庭であるかのように突き進んでいく。


「ルーピアはここに住んで長いのか?」


 彼女の足取りがあまりに迷いないので何となしに尋ねてみると、「いえ、私はこの町の者ではありません。つい2日ほど前に到着したばかりです」という意外な言葉が返ってきた。


「え、じゃあもしかして今って、ただ闇雲に走り回ってるだけ?」


 俺の問い掛けに、彼女は首を横に振る。


「ご安心ください。この町の逃走経路はすでに調査済みです。今は町外れにある廃教会に向かっております」

「廃教会? そんないかにもな場所、今の状況じゃ逆に目立ちそうなもんじゃないか?」

「そうですね……実は私事で恐縮ではあるのですが、そこに大変な貴重品を保管しているしだいでして、どこへ逃げるにしても、まずはそれを回収しなければならないのです」


 なるほど。

 ワケありなのは自分だけだと思っていたけど、どうやら彼女も似たような境遇にあるらしい。

 逃走経路なんてものを把握してある辺り、俺なんかよりもよっぽど追い詰められている感がある。

 この件に首を突っ込んだのは早計だったかも、なんて今さら後悔しても仕方がないけど、下手したら高い代償がつきそうだ。


 やがて俺達は、目的地であるところの町外れへとたどり着いた。

 ルーピアのルート選択は完璧で、ここに来るまでの間も誰一人として遭遇せず、かつ追跡者の影も見当たらない。


 活気に満ちていたあの町とは対照的に、そこは物悲しく、荒涼とした雰囲気に包まれていた。


 そこは墓場だった。

 町を見下ろせる丘の上にある、広大な死者の園だ。

 数十はあろうかという墓石が立ち並び、それらを見守るようにして、小さくも背の高い教会が据えられている。


 機能しなくなって、一体どれだけの時間が過ぎたのだろうか。

 朽ち果て、ただそこにあるだけの存在となったその教会に、今の俺は同情を禁じ得ない。


「ここはずいぶんと昔に放棄されてしまった場所だそうです。今は町の中に新しい教会と墓地が設けられていて、棺や墓石は、遺族の方々がそちらへ移送したと聞いています」


 するとつまり、今ここに残されているものは揃って無縁仏ということになるわけか……。


 ふと、生前の俺の遺体がどうなったのか気になった。


 通夜に葬式に火葬に納骨。

 そういった一通りの供養はされたんだろうか。

 俺の家族やクラスメートは、故人の成仏を祈ってくれたんだろうか。

 当の本人はというと、天国にも地獄にも行くことなく、こんなわけの分からない異世界で、今日も元気に腐っているわけだが。


 俺とルーピアは墓地の真ん中を突っ切り、教会の中へと踏み込んだ。

 外見同様に朽ちた内部。

 備品や内装は破棄されてしまっているらしく、がらんどう。

 決して大きいとは言えない建物なのだが、物がないだけでこうも広く感じられるのかと、変に感心してしまった。


 それにしても、ルーピアがここに保管しているという貴重品とやらはどこにあるのだろう?

 パッと見では、見当がつかない。


 俺が辺りを眺め回していると、ルーピアは部屋の中央に歩み寄り、膝をついた。

 もちろんそこには何もない。

 まさか床下にでも隠しているのだろうか。

 などとあれこれ考えていると、不意に彼女が何事かを呟き始めた。


『――侍ふ従士は舞い戻る。身を委ね給え、心を委ね給え、その姿を委ね給え』


 すると不思議なことが起こった。

 今の今まで何もなかったはずのその場所が、にわかに淡い光に包まれる。

 そして瞬きを数回繰り返す間にじわりじわりと、赤い布切れに包まれた何かがその姿を現した。


「え? 何それ、魔法?」


 思わず身を乗り出す。

 こちらの世界に来てからというもの、ゲームやアニメの世界の産物だと思い込んでいた魔法なる超常現象を、俺はいくつも目の当たりにしてきた。

 しかしそのどれもが、主に俺を狙って発射された、いわゆる攻撃系の魔法ばかり。

 今彼女がやって見せた穏やかなタイプのものは初見だった。


「はい。これは2大魔法体系の内の1つ、霊術における結界魔法です。魔術と違って一般の方々が目にすることはあまりないと思いますから、珍しいでしょうね」


 ルーピアは取り出した貴重品を鞄に詰めながらドヤ顔をして見せる。

 可愛い。


 さて、俺からしてみればどんな魔法でも珍しいわけだけど、今話を聞いた感じ、魔法には大きく分けて2つの系統が存在するらしい。

 それが魔術と霊術。

 その差は何だろうか?


 浮かんだ疑問をそのままぶつけてみると、ルーピアはうっすら「え?」という表情を浮かべた。

 まあたぶん、この世界に生きる人々にとっては一般教養レベルのお話なんだろう。


「……単純な違いということでお話しするなら、魔術とは己の肉体に宿る魔力を糧に、呪文をもって発生させる超自然の現象。

 そして霊術は、神霊に祝詞(のりと)を捧げることによってもたらされる、奇跡に限りなく近い現象とされています」


 ふーん? 要するに、神様にお祈りをしてお願い事を聞いてもらうってことか?

 俺からしてみれば胡散臭いことこの上ないが、この世界ではきちんと実用化されている、立派な技術の1つなんだろうな。


「ところでシノブ様。不躾ではありますが、頭の怪我を見せていただいても構いませんか?」


 言われて思い出した。

 そう言えば俺、頭割られてるんだっけ?

 やられた瞬間はとんでもない痛みで縮み上がったけど、少ししたらそれも鈍り、今ではほぼ無痛状態だからうっかりしていた。


「え、見るの?」


 それはやめといた方がいいんじゃなかろうか。

 頭部損傷の割れ口だよ?

 そんなグロテスクで筆舌に尽くし難いもの、こんな女の子に見せるなんてちょっと抵抗あるなぁ。

 中を見られるってのも恥ずかしいしなぁ。


 だいぶ心配ではあったけれど、とりあえず彼女の背に合わせ片膝をつき、被っていたフードをめくって見せる。


「魔術とは、敵を討つ(すべ)。厳しい鍛錬が必要ではありますが、それしだいで万人が使うことを許されている魔法です」


 ルーピアは俺の頭を両手で抱えるようにして持った。

 思わずドキリとする。

 何の躊躇もなく、彼女は俺の身体に触れていた。

 俺の記憶が確かならば、その部分は俺の血と髄液とでカピカピになっていたはずだ。

 俺だったら触らない。

 触りたくない。

 本人ですらそう思うというのに、彼女は平然とそれをやってのけている。


「対して霊術は人を守り、癒す(すべ)です。そう、例えば、こんな風に――」


 ルーピアは再び何かを呟き始めた。

 さっきの結界魔法が何とやらの時とは、明らかに違う文句だ。


『水と土を統べる主よ。傷つき倒れしはあなたの下僕。彼の者を癒し給え、彼の者を救い給え。されば下僕は再び尽くさん……』


 俺は事の成り行きに息を呑む。

 癒すだの救うだの言っていたけど、まさか成仏させるつもりじゃないよね?

 いや、この場合は浄化か? 消毒かも?


 確かルーピアは神官見習いとか言っていたが、あながち的外れな考えではない分、戦々恐々としてしまう。


 それでも彼女の手を振り払わないのは、どこかでこの少女のことを信じたいと願っている自分がいたからだ。

 俺の正体を目の当たりにしながらも、変わらず平然と接してくれている彼女のことを、俺はいつの間にか信じてみたくなっていた。


 そうこう考えている間に、俺はある変化に気付いた。

 ……足元に微かな温もりを感じる。

 その温もりは俺の身体の芯をたどるように、ゆっくりゆっくりと上に上がってくる。

 ぽかぽかとしていて、何だか安らかな気持ちに……。


 あれ……?

 これは……まずいんじゃないのか……?

 これって……。


 ――て言うかこれ、成仏の前触れなんじゃないのかっ!?


「ちょ、ちょっと待て、ルーピア!」

「はい、終わりましたよ」


 え?

 終わった?

 俺もう終わったの?


 とは言え、特に身体にも意識にも変化はない。

 相変わらずの腐りっぷりだ。


「頭の傷はもう影も形もありません。これが霊術によってもたらされる、癒しの力です」

「は……?」


 彼女に促され、自身の頭頂部――冒険者によって剣を打ち込まれた箇所に手をやる。


「……マジで?」


 驚いたことに、そこにあったはずの傷は、綺麗さっぱりなくなっていた。

 頭蓋まで砕けるほど致命傷だったというのに、文字通り跡形もない。


 奇跡に限りなく近い現象――さっきのルーピアの言葉が、脳内で反芻された。


「こうした霊術の使い手たるには、神霊に祈りを捧げて、それを聞き入れられるための資質が必要となります。それは誰にでも与えられるわけではなく――」

「その神秘の力で、俺の身体何とかなんないの!?」


 ルーピアが得意げな表情で披露しかけていた講釈に、俺は渾身の勢いでおっ被せた。


「な、何とかとは?」

「だから、分かるだろ!? 俺のこの腐った身体、その神霊の力とやらで何とかなんないの!?」


 俺は彼女を押し倒さんばかりの迫力で詰め寄る。

 当然だ。

 俺が今の旅を続けている理由は、ゆっくりと、だが確実に進行している肉体の腐敗。これを治癒する方法を探すことにあった。

 少なくとも腐敗が顔に及ぶまでには何とかしたいと、血眼になりながら這いずり回ってきたのだ。


 もしかしたらその願いが成就するかもしれない。

 もしかしたらフィナーレを迎えるのかもしれない。

 こんな、成り行きで立ち寄った地方の田舎町で、俺はハッピーエンドを成し遂げるのかもしれない。

 そう思ったら、抑えようにも抑えられ――


「いえ、それは不可能です」


 収まった。

 今の一瞬で収まった。


 まあ、そうだよな。

 そんなご都合主義あるわけないよな、ゲームやマンガじゃあるまいし。

 いやあ、早かったな。もう少し夢見れると思ったんだけどなあ。


「……何で?」


 一応聞いておこう。

 彼女がキッパリ言い切ったんだから無理なんだろうけど、一応ちゃんと諦めたい。


「前にも話しました通り、私はまだまだ見習いの身に過ぎません。傷を癒す程度のことは出来ても、一度腐食が進んでしまった肉体を治癒するには、私の祈りは未熟過ぎるのです」


 ん? でもそれって……。


「その言い方だと、まるで一人前の神官なら可能みたいに聞こえるな」

「ええ、可能でしょうね」


 何ですと!?


「神官に限定された話ではありませんが、一部の熟達した霊術師ならば腐敗はおろか、人の命を蝕む病や毒気を癒すことすら可能と聞いたことがあります。もちろん、その術師の得手不得手はあるでしょうけど」


 ――希望だ。

 今、俺の目の前に希望が見えた。


 もしかしたら方法なんてないのかもしれない。

 俺はこのまま成す術なく朽ち果てていくのかもしれない。

 そんな不安に押し潰されそうになりながらの、ここまでの旅路だった。


 でも、あった。

 今この場には存在しないけれど、この世界には確かに存在している。

 俺を救うことのできる、奇跡の力が。


「それから、さっきは何もお役に立てないような物言いをいたしましたが、腐敗の進行を抑え込む程度のことならこの私にも可能です」


 ちょっと!

 さっきから朗報が止まらないんだが!

 大丈夫、これ!?

 何かのフラグだったりしない!?


「俺を……助けてくれるの……?」

「はい、もちろんです。この私にできることであるならば。ですが、1つだけ問題が……って、ひゃ!?」


 俺はルーピアの手を、両手で強く握り締めた。

 生前は彼女いない歴=年齢だった俺だ。

 正直、今初めて女の子の手に触った。

 触ったって言っても手袋越しだけど。


「……あ、ありがとう……っ!」


 少し震えた声で、心からのお礼を述べる。

 するとルーピアは、俺の手をもう片方の手で優しく包み込みながら、にっこりと笑って見せた。


「いえ、少しでもシノブ様のお役に立てるのでしたら、光栄です」


 て、天使や……!

 この娘はマジモンの天使や……!

 外見だけやない。

 その中身も、正真正銘の大天使や!


 きっと、すべてが上手くいく。

 俺の心が、そんな希望に満たされた思いで一杯になりかけていた、ちょうどその時――


 事件は起こった。

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