第2話 ゾンビと少女(2)
痛い。
とんでもなく痛い。
痛覚の麻痺がだいぶ進行しているとは言え、これほどのダメージを想定したことはなかった。
俺の血と脳漿とが混ざったものが傷口から溢れだし、俺の身体を汚く濡らしていく。
死んだ――と思った。
頭を剣で叩き割られたんだ。
そりゃ死ぬだろう。
死ななきゃ嘘だ。
この場にいる誰もが、こいつは死んだと思っているに違いない。
それは当然だ。
間違っていない。
ただ一つだけ、間違っていることがあるとすればそれは――
俺が、元から死んでいるってことだけだ。
「……あ?」
誰かが声を漏らした。
俺は手を伸ばしていた。
俺の頭をかち割った剣の、その持ち主の手首を掴もうとしていた。
「な、何だ、こいつ!?」
だけど相手はその手が届くより先に、慌てて剣を引き抜いてしまった。
その際、頭蓋に食い込んでいたフードも一緒に引っ張られてしまい、予期せぬタイミングで俺の素顔が露になる。
萎びた銀髪。
土気色の肌。
そして、濁った赤眼――
パッと見では、単に健康不良の若者に見えることだろう。
しかし、よくよく見てみれば違和感に気付くはずだ。
生物であるならば、人間であるならば。
自分の目の前の相手が生きているか死んでいるかなんてことくらい、自然と感じ取れるものだ。
ましてやその相手の頭に剣を打ち込んだというのに、しかしそいつは倒れない。
これで気付かない方がどうかしている。
何にせよ、俺の正体に気付いた人間は、誰も彼もが口を揃えてこう叫ぶ。
「ぞ……!」
「ぞ……ぞ、ぞっ……!」
「ゾンビだぁぁぁぁぁ!!」
好きでゾンビになったわけじゃないのにこの仕打ち。
事実であるが故に、名誉毀損で訴えることができないのが腹立たしく、もどかしい。
名誉毀損という罪状がこの世界に存在するかは知らないけれど。
「どうりで臭ぇわけだ! こんな汚物が町中に入り込んでたなんてよ!」
「うわぁ……無理無理。俺こういうの生理的に無理……」
「兄貴、どうします!? 自警団ギルドの連中を呼んできた方が……汁でも飛んできたら最悪ですよ!」
ふふ……ほんと好き勝手言うね、この人達……。
言葉の暴力が時として、頭を割られるより大きなダメージとなることを、今初めて学んだわ。
「おめーら、狼狽えんな! こいつはゾンビなんかじゃねえ! ハッタリだ!」
な、なんだってー!?
「え? 兄貴、でも……」
「あの連中がこんな風に喋るか? こんな風に動くか?」
「でも、頭に剣……」
「こいつはな、ゾンビみてーなナリしてりゃ、気味悪がって誰も手出しできねーと踏んでやがるんだ」
「あ、兄貴、でもこいつ頭に剣がぶっ刺さっても動いて……」
「ガタガタガタガタ、うるせえよっ! 人間だろうがゾンビだろうが、細切れにしちまえば変わりねえだろうがっ!」
それ言い出したらさっきのハッタリの下り、別に必要ねえだろうがっ!
「ちょっと待って。何かいつの間にか、俺を倒すことに主眼が置かれてる気がするんだけど大丈夫? この娘のこと忘れてない?」
「ガキは拐う! おめーは殺す! 俺は強い!」
「な、なるほど……」
俺は強い! の部分が物凄い勢いで流れをぶった切っている気がするが、謎の説得力を秘めた力強い言葉だ。
「頭割っても死なねーなら、首を落としゃいいんだよっ!」
言うなり、男は俺の素っ首を目掛けて剣を薙ぎ払う。
だけど、そう何度も致命傷を負わせられるわけにはいかない。
何より、死ぬのは痛い。
瞬間、強烈な金属音が、骨伝導で鼓膜を揺らした。
「んなっ!?」
相手は素っ頓狂な声を上げた。
無理もない。
俺は横薙ぎで繰り出された剣撃を、歯で白羽取りしていた。
「や、野郎! 離せ! 離せコラっ!」
さっきは、まさかいきなり斬りつけてはこないだろうと高をくくっていた。
ただの人間相手に、無様にも遅れをとった。
でも二度目はない。
人外に相応しい強靭な咬筋力。
それは、チンケな冒険者が見せびらかす程度の安物の刃を、意図も容易く噛み砕く。
懸命に剣を引き離そうとしていた相手は、急に支えを失い尻餅をついた。
その頭に降りかかる金属片をヒイヒイ言いながら払いのける様子が、また可笑しい。
俺は口の中に残った鋼をボリボリ咀嚼すると、連中に見せびらかすように、のどを鳴らして飲み込んだ。
誰かが小さく「うそだろ……」と呟いたのが聞こえた。
男達はみんな唖然とし、その血の気を引かせているのが分かる。
ヘイトが溜まっていた分、それが愉快で仕方がない。
愉快で愉快で、しょうがない。
「何だよ、そんな驚いた顔して。まさか知らなかったのか?」
俺はニヤリと、暗い笑顔をたたえて見せた。
「悪食なんだよ、ゾンビはな」
――――――
と言うわけで、俺はゾンビだ。
生ける屍だ。
英語訳ならリビングデッドだ。
名前は草葉忍。
元々は現代日本でごく普通の男子高校生をやっていたはずが、事故で死んで魂だけがこちらの世界――つまり異世界に飛ばされてしまった。
別に異世界だの何だのはどうでもいい。
一度死んだっていうのに、こうして別の身体でやり直すチャンスを得ることができたのは、不幸中の幸いと言っていいだろう。
だけど、ゾンビって。
腐った死体って。
やり直しが死にスタートって。
これはもう、幸い中の不幸と言わざるを得ないだろう。
俺は泣いていい。
「――で、あんたは逃げなくて良かったの?」
冒険者という名の山賊連中は、あの後すぐに尻尾を巻いて逃げ去っていった。
まあ、いつものことだ。
ここまでの道中で、何度となく正体を晒す機会があったけど、その度に人々は俺の前から姿を消していった。
街道脇で絡んできた追い剥ぎも、魔物から救ってあげた女の子も、荷物を運んであげようとして近付いたお婆さんも。
俺の正体を、俺の体臭を前にした途端、揃いも揃って逃げ出していく。
なのに――
「逃げる……とは?」
この青い目の少女は、まだそこにいた。
「いや、だって、俺ゾンビだし」
「そのようですね」
「顔は普通だけど、割とあちこち腐ってるし」
「ゾンビは大抵そうです」
「臭いだってほら……ひどいし」
「良い香りとは言い難いですね」
「だから単純に…………気持ち悪いだろ?」
「私はそうは思いません」
「……え?」
息が止まるかと思った。
厳密にはいつも止まってるんだけど、そういう野暮なツッコミはなしだ。
俺は呆気にとられたように彼女の顔を見た。
その、俺とはまったくの正反対に位置する美しい顔。
そして気付く。
この少女が今まで一度も、俺のコンプレックスに対してマイナスな言動をとっていないことに。
「申し遅れました。私の名前はルーピア。神殿仕え……の神官見習い故、家名はございません」
「これはこれは、ご丁寧に。俺は草葉忍。まあ……見ての通り、腐った死体です」
こうして互いに自己紹介を交わした後、ルーピアは俺を投げ飛ばしたことを詫び、窮地を救われたことに礼を述べた。
「いや、別にいいよ、そんなの。首突っ込んだのは俺の方だし……」
何だか調子が狂う。
この醜悪な存在を目の当たりにしておきながら、それでも普通に接してくる、この少女の考えが読めない。
まるで宇宙人と対話しているような気さえしてきた。
「それにしても珍しいお名前ですね。どこで区切るのですか?」
「草葉で区切るんだよ。クサバ・シノブって具合に」
「なるほど、ではシノブ様ですね」
え?
いきなり下の名前で呼ぶの?
早くない?
……ああ、勘違いしてんのか。
日本とは名前の順番が逆だからな。
この世界に来てまともに自己紹介したの初めてだから気が回らなかったわ。
まあいいや。こんな綺麗な娘に下で呼ばれるなんて滅多にない貴重な経験だし、放っておくとしよう。
「さて、ではそろそろ参りましょうか。すでに追手がかかっているかもしれません」
追手――さっきの連中が手勢を増やして報復にくるか、あるいは自警団ギルドに通報した可能性もある。
とりあえず身を隠す必要があるだろう。
身を隠して、そしてこの町を離れる必要があるだろう。
次の町までどれくらいの距離があるかは分からないけれど、補給なしに移動を再開するはめになるとはついてない。
「……あれ? 参りましょうかって、ルーピアも一緒に来るの?」
「おかしいですか?」
「いや、おかしかないけど、俺と一緒にいたら巻き込まれる感じにならないか?」
「何をおっしゃってるんですか」
スイッと、彼女はこっちに向き直る。
「もうすでに、お互い巻き込みあっている仲じゃありませんか」
そう言って、笑った。




