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映画『Type-Σ Life Support Unit -マック・アダソン定期総合生命維持施術-』  作者: マック アダソン
第6章:現在 ——レマン湖畔の本社とマックの生命維持統括室
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第6節:定期総合生命維持施術の開始とCryo-Gel全身交換

――ッブォォォォォン……ッ!! ガガガガガッ、ヴォオオオオオッ……!!

 耳を聾するほどの重低音の機械駆動音と絶え間ない轟音が、マイナス十五度の極寒に凍りつく生命維持統括室の全域を狂ったように揺るがしていた。

マックの超ハイテク車椅子と真っ向から向かい合うように配置された巨大な漆黒のタワーファン群、さらには天井、壁面、車椅子のフレーム各所に埋め込まれた大小無数のサーキュレーターが、毎秒30メートルにおよぶ猛烈な極低温暴風を途切れることなく叩き出し続けている。室内の空気は激しく攪拌され、濃密な冷気の白煙と、乱反射して視界を切り裂く鋭い氷晶(ダイヤモンドダスト)のブリザードが空間のすべてを埋め尽くしていた。

 これほどのすさまじい豪音と風圧の渦中であれば、通常の肉声や外部スピーカー音など一瞬でかき消されてしまうはずだった。だが、BMLSTの防護服およびマックの車椅子生命維持システムには、高精度アクティブ・ノイズキャンセリング機能付き骨伝導通信システムが相互接続されていた。外耳を襲うファンと風の激しい暴音はシステムによって完全にキャンセルされ、マックの喉の微動からAI生成された合成音声データも、東崎たちのバイザー内装スピーカーへとクリアで静寂なデジタル音声としてダイレクトに伝達されていた。

 その過酷な暴風の壁の中、作業中に手元から離して一旦置いておく予備器具やノズルが吹き飛ばされないよう、重量ツールカートの天板全面には『電磁吸引ロックシート』が稼働していた。器具を天板へ置いた瞬間に強力な磁力でカチリと固定され、さらにカート天板の外周を覆う局所エアカーテン風防シールドが暴風の直撃を遮断する。また、東崎たちが手に持つ主要器具もすべてスチール製ワイヤーアタッチメントでカートへ強固に繋ぎ止められていた。

 東崎がカートから、高硬度高分子皮膜専用の超音波剥離超小型メスを取った。耳をつんざくファンの轟音を背景に、通信回線を通じて静かな声が響く。

「マック・アダソン定期総合生命維持施術――開始する」

東崎の宣言と同時に、マックが座る超ハイテク車椅子の静音油圧アクチュエーターが低く唸りを上げた。暴風による激しい揺動を相殺するジャイロスタビライザーが作動しながら、背もたれと脚部フレームが滑らかに角度を変え、無段階リクライニング姿勢へと移行する。

 マックの全身を覆う古いCryo-Gelは、もはや柔らかいジェルではなかった。長期間の強冷風とマックの体表の高熱によって硬化・焼結を繰り返したそれは、肉体と不可分に結合した分厚く硬質な「第二の皮膚」そのものと化している。

一気に全身の皮膜を剥がせば冷却能力が喪失し、マックの体内で暴走する代謝熱を抑えきれずに瞬時に脳と組織が熱暴走を起こす。そのため、施術は全身を細分化した複数の『Cooling Zone』に区切り、一つずつ順番に剥離・代替冷却・清掃・再塗布・硬化を行う精密手技によって執り行われる。

「Zone 1、右上腕」

エレナが車椅子アームに統合された局所Spot Cooling Fan Unitのノズルをマックの右上腕へ向けた。

「代替局所冷却、開始」

ファンの重低音を切り裂き、ゴォォォォ――とピンポイントで集中照射されたマイナス十五度の強冷風が右上腕へ叩きつけられる。

「局所体表温度安定。剥離可能」

ダニエルが腕に突き刺さるポートとラインの物理状態をバイザー越しに注視する。

「右上腕ポート固定正常。接続ラインへの歪み負荷なし」

 東崎が剥離器具を握り直した。厚い触覚フィードバック型ナノグローブ越しでは、素手のような微細な皮膚抵抗は直接得られない。東崎はバイザーに重畳表示されるミリ単位の深度計、モニターの微小トルク波形、そして長年の臨床経験を研ぎ澄ませて作業へ入った。

「剥離開始」

カチ……と微かな超音波の振動とともに、樹脂状に固化した古いCryo-Gelへ剥離刃の先端が入る。

数ミリ。刃を止める。角度をコンマ数度変更する。さらに数ミリ。

剥がされた硬質ジェルの破片は、剥離刃の先端と一体化した『高圧バキュームドレインノズル』の強力な吸気によって直接捕獲され、毎秒30メートルの暴風に1片も飛び散ることなく密閉バイオハザード回収容器へと吸い込まれていく。

「ポート固定部まで四ミリ」

ダニエルのアナウンス。

「確認」

「三ミリ」

「局所温度〇・二度上昇」

エレナの警告に、東崎の手は寸分の狂いもなくその場で静止した。

「冷却待ち」

ファンの唸りと暴風の轟音だけが響く室内。数秒。

「基準値へ復帰」

「再開する」

 古い皮膜の下から、マック本来の皮膚が現れる。

青白く痩せこけ、血色の失われた異質な素肌。長年のポストヒューマニティ化、極低温管理、埋め込みポートの圧迫痕、そして度重なる穿刺痕が痛々しく刻まれていた。

「新規損傷なし。皮膚整合性正常」

「再塗布可能」

 エレナが新しい高粘度Cryo-Gelカートリッジを『局所負圧アシスト塗布器』へ装着した。青白く発光する極低温のジェル。

「再塗布開始」

塗布器の先端ノズルに形成された『局所負圧フード』が狂ったような暴風の風圧を物理的に遮断・減圧し、押し出された高粘度の青白いジェルは一切吹き飛ばされることなく、正確にマックの右上腕の皮膚へ高圧密着していく。

「二・九ミリ……三・一ミリ。規定厚さ達成」

東崎はジェルが硬化を始める前のわずか数秒間で、表面の平滑度を精密ヘラで整えていく。薄すぎれば冷却不足、厚すぎれば重量で身体の動きを阻害し、ポートの可動域を押し潰してしまう。一度置くヘラやカートリッジは、その都度ツールカートの磁力シートへ「カチッ」と吸着固定された。

「硬化反応開始」

エレナが硬化モニターの数値を読み上げる。

「六十パーセント」

東崎の手は止まらない。

「七十四」

「八十八」

「九十五」

数秒。

「……百パーセント」

カチリと一瞬で青白い硬質冷却装甲へと変質した。

「冷却伝導率、正常復帰」

 その作業中、暴風が吹き荒れる車椅子の上でリクライニングされたマックの知覚は、重度の離人症と『Cryo-Vision Σ』の過負荷による光学的ノイズに満たされていた。

古いジェルが剥ぎ取られ、剥き出しの生肌へマイナス十五度の局冷風が叩きつけられる瞬間。普通の人間なら叫び出すような劇痛と極寒の刺激すら、マックの脳内では「自分自身の腕ではなく、研磨された古い金属パーツが冷媒液に浸されている」ような激しい体外離脱感(離人感)として冷ややかに処理されていた。

 まばたきを奪われた灰色の瞳の視界(スモーキーモノクローム)には、施術の進行に伴う新規の青色(アイスブルー)HUDネオンデータが浮遊表示されていた。


[CRYO-SURGERY: ZONE-01 RIGHT ARM]

OLD GEL STRIPPING: 100% COMPLETE

SURFACE TEMP: -2.1°C -> -11.8°C (OPTIMAL)

NEW GEL LAYER: 3.1mm / CURING: 100%

TOTAL PROCEDURE PROGRESS: 8.5%


 さらに、目の前で作業を続ける三人の頭上には、彼らの防護服の稼働限界と作業精度を示すステータスが追従していた。

AZUMASAKI: MANUAL DEXTERITY: 99.1% / SUIT FROST: LOW

WEISS: SPOT-COOLER CONTROL: STABLE

CARTER: PORT LOCK TORQUE: OPTIMAL


 血の通った人間ではなく、正確にタスクを消化していくメンテナンス・アーム。

マックは猛烈な風圧を浴びる透明な『Cryo-Mask Σ』の底から微かに呼吸を乱しつつ、骨伝導通信回線へAI合成音声をダイレクトに送信した。


『……Zone 1の硬化反応に遅延はないな、東崎』

バイザー内装スピーカーからクリアに届いた不気味な機械音声に、東崎は手を止めずに答えた。

「問題ありません、マックCEO。熱伝導率、規定値内に安定しています。続いてZone 2へ移行します」

 工程が進み、施術はいよいよ最も熱と不快な湿気がこもりやすい部位――「背中から腰部・臀部にかけての裏側ゾーン(Zone 3 & 4)」へと到達した。

マックは24時間365日、車椅子の座席へ固定され続けている。背もたれと密着する背面部は、彼の高体温と老廃物、そして熱放散の途絶によって最もCryo-Gelが急速に劣化・変性し、凄絶な蒸れと熱だまりを引き起こす最重要リスク部位だった。

「背部および腰部Zone、固定解除」

ダニエルが車椅子の制御コンソールを操作した。すると、マックの体を車椅子アームから伸長した多関節サスペンションアームが優しく前方に保持し、車椅子の背もたれパネル(バックサポートパネル)が自動で3つに分割され、後方へと15センチほどスライド退避した。

背もたれとマックの背中との間に、作業用の隙間が生まれる。

「熱気および不快湿度、集中検知。清掃・吸気開始」

エレナが背面の隙間へ高圧バキュームノズルを差し込み、こもっていた熱気と湿った老廃物膜を一気に吸い出す。

東崎は背面の狭小スペースに対応したロングタイプの極薄超音波メスを差し込み、背中一面に張り付いたドロドロに劣化し変性した古いGel皮膜を数ミリ単位で手際よく削ぎ落としていった。剥離された破片は即座にドレインノズルへと吸い込まれていく。

 その背部清掃の最中、通信回線を通じて一切の抑揚を欠いた平坦なAI合成音声が届いた。

『……背面の放熱効率低下は、幾パーセントに達していた? エレナ・ヴァイス』

不意に名を呼ばれたエレナだったが、視線を手元のサーモモニターから外すことなく、通信越しに即座に応答を返した。

「施術前の測定値で四十二パーセントの熱放散阻害です、CEO。背部中央ポート周辺に老廃物とジェルの熱変性層が集中していました」

『……過酷な計算誤差だな。その熱だまりを放置すれば、十二時間以内に脊髄インターフェースが熱融解を起こしていたはずだ』

「ええ、ですから今、ミリ単位で清掃と冷却皮膜の再形成を行っています。……ダニエル、背面下部ポートの物理負荷は?」

車椅子の側方から裏側を覗き込んでいたダニエルが、触覚センサーの数値を読み上げながら追従する。

「ポート固定圧、完全正常。引張荷重ゼロです、CEO。背もたれパネルの退避トルクも規定値内で保持されています」

『……結構だ。歪み一ミリの妥協も許すな』

「背部・腰部ポート損傷なし。皮膚清掃完了」

「背面専用フラットアタッチメント、塗布開始」

背もたれの隙間から挿入されたフラットノズルが、マックの背中全域へ均一な新しい極低温Gelを密着塗布していく。背もたれパネルが再び元通りに前進固定され、背中全域のGelが一瞬で100%硬化を完了した。

「背部冷却伝導率、完全正常復帰。熱だまり解消」


 一時間。二時間。三時間……。

時間の経過とともに、作業環境は凄絶さを増していった。

暴風の中に舞う微細なダイヤモンドダストと冷気は、重密閉防護服を着た三人の全身へ容赦なく凍りついていく。東崎たちの肩には白い霜が分厚い結晶となって層をなし、腕やブーツの表面も氷の粒で白く覆われ始めていた。ヘルメットバイザーの縁にも霜がせり出し、中央の透明透過ヒーターでかろうじて視認性を保っている状態だった。

 さらに、作業の過程で散逸したわずかな結露と冷気が、車椅子のヘッドレストに固定されたマックの頭部へも降り注いでいた。

長年の過酷な環境と代謝異常により生気を失い、ボサボサに乱れて頭皮や額に張り付いたマックの白髪。その毛束へ新たなジェルの微粒子と氷の結晶が絡みつき、樹脂とガラスが固まったような青白く冷酷な光沢を放つ不気味な塊となって、彼の頭部へさらに頑丈に固定されていく。洗髪や整髪といった人間的観念から永久に切断された彼の肉体の悲壮感が、そこに生々しく浮き彫りになっていた。

 過酷な装備を纏い、毎秒30メートルの風圧に抗いながら不自然な低重心姿勢で精密手技を何時間も維持し続ける三人の肉体にも、確かな疲労が蓄積し始める。

「東崎」

エレナが静かに声をかけた。東崎の作業手元をモニターしていた数値を示しながら。

「Zone 5の剥離精度、ミリ単位の微振動を検知。右腕の操作速度が低下しています」

東崎は否定しなかった。重密閉グローブの中で、自分の指先にかかる負荷の蓄積を自覚していたからだ。

「了解。無理はしない。交代する」

事故が起きる前に完璧な精度を維持したまま仲間へバトンを渡す――それこそが最高峰BMLSTの鉄則だった。東崎は器具をカートの電磁吸引シートへカチリと固定した。

「Zone 6、エレナへ引き継ぎ」

「引き継ぎ確認。剥離器具、受領」

ダニエルがポートの固定を再確認する。

「ポート固定圧正常。エレナ、そのまま進行可能」

 作業分担の切り替えを、マックは網膜のデータログで静かに追っていた。通信回線へ低く音声を乗せる。

『……作業効率の低下を認め、即座の権限譲渡か。合理的な判断だ、東崎。個人的なプライドで精度を落とす者は、我が社のBMLSTには不要だ』

AI合成音声の冷酷な言葉に、東崎はデータチェッカーのモニターへ視線を向けたまま言った。

「お褒めに預かり光栄です、CEO。我々の目的はただ一つ、あなたの生命維持を百分之百の精度で完遂することです」


 作業が四時間を経過し、最難関部位である「顔面部」へと到達したその時だった。

ピ――――ッ! ピ――――ッ!

突如、生命維持統括室全体に鳴り響くファンノイズを切り裂いて鋭い警報音が鳴り響き、室内灯の青白い光が警告の淡い赤色へと明滅した。

マックの網膜HUD上にも、視界の四隅を染める赤色ポップアップがダイレクトにフラッシュ表示される。


[WARNING: COOLING SYSTEM FAILURE]

COOLING ZONE 03 OUTPUT BELOW THRESHOLD

CORE TEMPERATURE RISING: 20.4°C -> 20.9°C


「全員、施術一時停止!」

東崎の鋭い声が飛ぶ。

エレナが冷却コンソールへ目を走らせた。

「Zone 03(背部・胸郭周り)、冷却出力低下! 体温上昇傾向!」

外部管制からルーカスの切迫した声が通信に入った。

『管制ルーカス! 超ハイテク車椅子側のCooling Fan Unit 3、ベアリングの局所凍結により回転数が正常値の六十二パーセントまで低下!』

「原因特定。バックアップ冷却ラインへ緊急切替!」

エレナが迅速に別系統のサブ冷却ファンをフル稼働させる。

ゴォォォォォ――ッ!!

爆音を立てるタワーファン群の唸りに重なり、重厚なサブファンの駆動音が室内に轟く。しかし、マックの体内で暴走する代謝熱は即座には収まらない。核心体温の数値が刻々と刻まれていく。


CORE TEMP: 21.0°C ... 21.2°C


「体温上昇、止まりません!」

『管制ソフィア! 薬液循環、圧力ともに正常。だが核心熱の放散が追いついていない!』

「ダニエル、ポートとワイヤーの熱負荷は!」

「ポート結合部、熱膨張なし! ライン損傷ゼロ!」

 赤く明滅する視界の中で、マックのAI合成音声が骨伝導回線へ冷静に響いた。

『……核心体温、二十一度を突破した。脳幹インターフェースの熱遮断限界まで、あとゼロ・八度。どう処置する、東崎南』

切迫した警告音の中でも、東崎の声には微塵の揺らぎもなかった。

「Zone 03へ直接、高濃度の緊急代替冷却ジェルを重ね塗りします。物理的熱伝導で直接熱を奪う。エレナ、高粘度カートリッジ準備!」

「了解! アプリケーターセット!」

 その瞬間――ピピピッと、今度は東崎自身の胸部ユニットから別の警報が鳴り響いた。

東崎のバイザー内側に黄色い警告テキストが点滅する。


CAUTION: RIGHT GLOVE EXTERNAL FROST ACCUMULATION

SURFACE TEMP: -28.0°C (RISK OF MANUAL DEXTERITY LOSS)


 『管制高橋! 東崎、長時間の強冷風暴露により右グローブ外装の着霜率が危険域に達した! 指先の感度低下リスクあり!』

ダニエルが目を見張る。

「東崎、手が凍結し始めている! 塗布を交替するか!?」

「不必要だ、即時対処する」

東崎は落ち着いた動作で、胸部生命維持ユニットの大型耐寒ダイヤルを操作した。

「右手局所内部加温、レベル4起動」

RIGHT GLOVE HEATING: LEVEL 4 ACTIVE

グローブ内部の微小ヒーターがフルパワーで熱を生み出し、指先の感覚が瞬時に蘇る。東崎はグローブを握り、開き、数ミリ単位の指先動作をその場でテストした。

「手指操作能力、完全復帰。塗布を開始する!」

 東崎とエレナが連携し、Zone 03の患部へ代替冷却ジェルと強力なバックアップ冷気を集中照射した。

一秒。二秒。三秒……。

「マック核心体温……上昇、停止しました!」

エレナの声。

CORE TEMP: 21.2°C -> 21.0°C -> 20.5°C -> 20.4°C (STABILIZED)

警告の赤色フラッシュが消え、静かなアイスブルーの表示へと戻っていく。

『管制ルーカス。Fan Unit 3を主系統から隔離、予備ファン系へ切り替え完了。冷却伝導、完全安定しました』

 体温が適正値へ戻ったのを確認し、マックのAI音声が再び滑らかに出力された。

『……冷静な対処だな、東崎。指先の機能障害リスクを抱えながら、コンマ数秒の遅滞もなく代替塗布を実行したか』

「パニックは事態を悪化させるだけです、CEO。我々はあらゆるトラブルのシナリオを頭に叩き込んで現場に立っています」

『……よろしい。全系統の安定を確認した。最後のゾーンへ進め』

「了解いたしました。全系統再確認完了、施術を再開します」

 危機を完璧な連携で脱した三人は、いよいよ最後の最難関部位――「顔面部」の作業へと着手した。

 マックの鼻と口を覆う高機能密閉マスク『Cryo-Mask Σ』は、毎秒30メートルの暴風と高圧の呼吸用ガスを供給し続けているため、施術中も一秒たりとも外すことはできない。

そして何より、マスクと皮膚の密閉境界線には、ジェルや清掃液の侵入を固く禁じる『Dry Seal Zone』が設定されていた。万が一にも高粘度のCryo-Gelが一滴でもマスク内部へ流入し、排気バルブや気管へ送るフッ素ガスラインへ詰まれば、マックは一瞬で窒息死するか、肺組織を薬品で溶解させて即死する。

『管制ソヨン、呼吸系モニター集中監視中。高機能マスク気密圧正常。内部湿度、呼吸圧ともに変動なし』

ダニエルが低重心でマックの顔面ギリギリまで近づき、チタンフレームの外周を目視で点検する。

「右側Dry Seal Zone、露出確認。東崎、ミリ単位の塗布を要する」

東崎は通常よりもはるかに細い極細ノズルを持った専用ナノアプリケーターを構えた。

「右頬側、塗布開始」

 マイナス十五度の暴風が叩きつけられ、肩には白い霜が分厚く積もっている。

それでも東崎の手元は微動だにしなかった。

ほんの微量の青白いCryo-Gelが、マックの青白い頬の皮膚の上へ置かれる。

一ミリ。さらに一ミリ。

マスクのチタンフレーム外周ギリギリ、わずか0.5ミリのDry Seal Zoneの境界線を、東崎のアプリケーターが滑るように超精密に撫でていく。

 顔面直近でミリ単位のノズルが交差する中、マックの灰色の瞳が東崎のバイザーを至近距離から見つめていた。通信回路を通して、低く潜もったAI音声が届く。

『……一ミリの手元の狂いが、私の気道を物理的に破壊する。恐怖はないのか、東崎』

東崎のアプリケーターの先端は、一ミクロンも揺れなかった。

「恐怖を感じる余地はありません。息を止め、数値だけを見て手元を動かしています」

「マスク内圧、完全に一定を保持しています! 侵入ゼロ!」

ダニエルが息を詰めて横から補佐する。

『内部液体侵入ゼロ。気密保持百分之百』

ソヨンの緊迫したアナウンスが続く。

「右側完了。左側へ移行」

「マスク内圧正常」

「湿度変化なし」

「Gel膜厚さ、二・九ミリ均一」

 東崎の手技が完璧に完了し、最後の高粘度ジェルがマックの顔周りを隙間なく埋め尽くした。

「硬化反応開始」

エレナが数値を読む。

「六十パーセント……八十……九十……九十八……百パーセント!」

マスク内部への浸入は一滴たりとも存在しなかった。

「顔面部Dry Seal Zone、完全閉鎖完了!」

 

 施術開始から、実に十時間が経過していた。

古い古い皮膜はすべて取り除かれ、マックの全身は、青白く澄んだ硬質冷却装甲――新しく生成された「第二の皮膚」によって隙間なく覆い尽くされていた。

マックの網膜HUD上に、最後の完了ステータスが静かに表示される。


[CRYO-SURGERY: ALL ZONES COMPLETE]

TOTAL PROCEDURE PROGRESS: 100%

ALL COOLING ZONES: OPTIMAL (-11.8°C)

CORE TEMPERATURE: 20.4°C (PERFECT STABILITY)

SYSTEM INTEGRITY: 100%


 ファンノイズの轟く中、東崎たち三人の白い防護服は、頭から爪先まで重厚な白い霜と氷の結晶に覆われ、まるで氷の彫像のようになっていた。

東崎は霜の付いた右手をゆっくりと下ろし、通信回線を開いた。

「全八系統、全Zoneの交換・硬化を確認」

一拍の静寂の後、東崎の落ち着いた声が室内に響いた。

「Cryo-Gel全身交換施術、完了」

『管制室、全項目確認。施術完了を記録』

 マックは密閉された『Cryo-Mask Σ』の底から、ゆっくりと視線を三人に向けた。AIコンバーターを通して、通信回線に静かで冷徹な声が届く。

『……見事な手際だったな、東崎、エレナ、ダニエル。本日のメンテナンス・タスクの完全完遂を承認する』

「感謝いたします、CEO。バイタルおよび全冷却系の安定を確認いたしました」

東崎が深々と一礼を返した。

 白濁した灰色のレンズの奥で、マックの瞳の青白いバイオ・ルミネセンスが静かに揺らめいていた。

モノクロの世界と青白いデータの海の中で、マックは自らの命を完璧につなぎ止めた三人の「最高のメンテナンス・オブジェクト」を、どこまでも冷徹に、アンド完璧な計算とともに見つめ続けていた。

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