第3節:教育、DIS Prototype、軍事・防衛、そして光る5種の植物
未来都市事業は地球上だけにはとどまらなかった。AGB PharmaTechはやがて月面へも進出し、巨大な居住ドーム、地下居住区、病院、学校、研究施設、エネルギー設備、生命維持システム、月面交通網などを備えた都市を建設した。月という閉ざされた環境では、空気、水、電力、食料、医療のどれか一つが失われても人命へ直結する。
だからこそ、AGB PharmaTechは都市全体を徹底的に一つのシステムとして管理した。人間の生活を守るためには、予測不能な要素をできるだけ減らさなければならない。その考えは、月面都市において地球上の未来都市以上に強く現れていた。
さらに、AGB PharmaTechは**教育事業**にも進出した。学校、研究大学、医療教育機関、専門技術者養成施設、特殊資格訓練施設などを自社で運営し、幼児から高度研究者までを対象とした巨大な教育体系を構築していった。
表向きの目的は明確だった。科学を理解する。病気を正しく知る。薬の危険性と有用性を学ぶ。災害時にどのように行動するかを知る。医療や技術を次世代へ受け継ぐ。その教育によって、多くの優秀な医師、研究者、技術者、救助員が育っていった。
しかし教育にも、マックの思想は入り込んでいた。知識を教えるだけではなく、「どう考えるべきか」まで教える。感情的に行動する前に、まず状況を分析する。個人の衝動より集団の安全を優先する。混乱より秩序を選ぶ。
社会全体の利益のためなら、自分の行動を調整することも必要である。それら一つ一つは、教育として見れば必ずしも異常ではない。
しかしAGB PharmaTechでは、それが積み重なり、「人間は自分の感情に従うより、科学的に最適化された行動を選ぶべきである」という思想へ近づいていった。
その教育事業の象徴として生まれたのが、子ども向け科学教育アニメ**『煌めきパルスくん』**だった。
煌めきパルスくん、カクカク、ツルツルの三体が秩序の都を冒険しながら困っている人を助け、身体、脳、神経、薬、病気、感情、依存、医療について子どもにも理解できる言葉で説明する。全五百話に及ぶシリーズは世界各国の言語へ吹き替えられ、三体はやがてアニメから飛び出し、AGB PharmaTechの公式マスコットとなった。
精神ファミリークリニック、学校、科学館、災害支援施設、未来都市、月面都市など、世界中のさまざまな場所に三体の姿が置かれるようになった。
表向きには、子どもに科学と医療を分かりやすく教える親しみやすいキャラクターだった。しかし「感情を整える」「みんなのパルスを合わせる」「秩序を守る」といった物語の中には、AGB PharmaTechが理想とする社会像も少しずつ入り込んでいた。
そして、もう一つ、AGB PharmaTechのほぼすべての事業を横断して働く存在があった。
DIS Prototype。高度な人工知能と人間に近い身体を持つ支援用アンドロイドであり、医療、教育、災害救助、未来都市、月面施設、危険区域、軍事・防衛など、企業のほぼすべての事業へ配置されていた。
病院では医療物資を運び、患者の移動や長時間監視を補助する。
学校では教材を準備し、科学実験や学習支援を行う。
災害現場では、人間には危険すぎる倒壊建物や高温区域、化学汚染区域、放射線環境へ入り、生存者を探す。
未来都市では交通設備やエネルギー施設を点検し、月面では居住ドームや生命維持装置の保守を行う。
DIS Prototypeは、AGB PharmaTechの技術を実際の世界で動かす手足だった。
その存在もまた、本当に人を助けている。しかし、人間以上に疲れず、恐怖に左右されず、命令へ正確に従い、同じ基準で判断できるDIS Prototypeは、マックにとって別の意味も持っていた。感情によって判断を誤る人間と違い、安定した判断を続ける存在。マックが長年求めてきた「不安定ではない知性」を、機械側から実現したものでもあった。
そして、ディスカバリー社から受け継いだ軍事・防衛事業も、AGB PharmaTechの巨大な柱として残った。
防衛装備、軍用車両、特殊兵器、軍事医学、危険区域用装備、都市防衛システムなどが研究・開発され、紛争地域ではAGB PharmaTech自身の救援部隊を守るためにも使われた。
ここでも企業の理屈は一貫していた。
病院を守る。学校を守る。救援部隊を守る。都市を守る。人間を守る。だから武器も「守るための技術」である。
しかし、「守る」という言葉をどこまで広げるのかについて、AGB PharmaTech内部では次第に境界が曖昧になっていった。
危険が起きた後に守るのでは遅い。ならば危険を予測する。危険を予測できるなら、発生前に封じ込める。争いを起こす可能性のある集団を事前に監視する。社会を脅かす可能性のある行動を制限する。そうして防衛と管理の境界もまた、少しずつ近づいていった。
医療も本物だった。精神ファミリークリニックも本物だった。災害救助も本当に人を救った。教育も本当に子どもたちへ科学を教えた。未来都市も実際に安全で便利だった。DIS Prototypeも現場で多くの人命を守った。軍事・防衛技術も、実際に都市や救援部隊を守るために使われた。だからAGB PharmaTechの表向きの顔を、単なる偽物や宣伝だけで片づけることはできない。この企業の歪みは、善意の裏にまったく別の悪意を隠していることではなかった。むしろ、善意そのものがどこまでも拡大し、やがて本人の自由や個性さえ越えてしまうことにあった。
患者を救うために神経を調整する。災害から人を守るために地域全体を管理する。安全な暮らしを作るために都市全体を監視する。争いをなくすために感情を安定させる。教育によって秩序を学ばせる。人間より安定した判断を行うDIS Prototypeを社会へ配置する。危険を防ぐために軍事力を持つ。そして究極的には、人間そのものをPost-Humanityへ進化させる。
マックの中では、それらはすべて別々の事業ではなかった。一つの思想から伸びた枝だった。
人間は苦しむ。人間は間違える。人間は争う。ならば科学によって、その原因を取り除けばいい。それが患者一人に向けられている間は治療だった。都市へ向けられれば管理となり、社会へ向けられれば統制となり、人類そのものへ向けられれば改変となる。
AGB PharmaTechとは、その境界を最後まで明確に分けることのできなかった巨大企業だった。
そして、そのすべてを統括する中枢が、スイス・ジュネーブ、レマン湖畔にそびえるAGB PharmaTech本社だった。ガラスと金属で覆われた巨大な建物の内部では、今日も新しい薬が研究され、患者を救う医療技術が開発され、災害救助計画が更新され、未来都市のAIが世界中の生活情報を解析し、月面都市の生命維持システムが監視され、DIS Prototypeの新しい個体が起動し、防衛設備の試験が続けられている。
そのどれもが、表向きだけの偽物ではない。本当に人を救うための仕事だった。
そして、そのどれにも同時に、マック・アダソンが長年抱き続けてきた問いが潜んでいた。
人間を救うだけで、本当に十分なのか。
人間そのものを、苦しまず、争わず、壊れない存在へ変えてしまった方がいいのではないか。
医療研究所から始まったその問いは、今や病院だけではなく、教育、災害支援、都市、月、人工知能、軍事にまで広がっていた。AGB PharmaTechとは、巨大化した企業そのものが、マック・アダソンの思想を世界規模で実行する一つのシステムとなった存在なのである。




