第七章 和平の春
婚約から一年。
王国と公国の関係は目に見えて改善した。
国境関税の一部撤廃。
商人の相互往来。
河川航行権の共同管理。
捕虜の子孫に残されていた財産問題の整理。
軍事境界線から双方五里以内への常備兵配置制限。
二十年間、誰も手をつけられなかった問題が、一つずつ解かれていった。
国境の町では市場が戻った。
戦争以前は同じ国だった地域である。
親戚が国境の向こう側にいる家も少なくない。
橋を渡るだけで税を取られていた商人たちは、新条約を歓迎した。
王都でも、公国産の鉄製品や葡萄酒が再び店先に並び始めた。
セシリアは王都と公国を行き来しながら、交渉へ参加した。
名目上は婚約者。
だが、彼女はただの象徴であることを拒んだ。
関税率について財務官と議論し、河川管理について技師の説明を聞き、国境村落の住民代表とも面会した。
最初はそれを面白く思わなかった王国貴族も、やがて彼女が公国政府の考えを正確に理解していることを認めざるを得なくなった。
ユリウスも、当初はその働きを評価していた。
「君は王妃になるより大臣になった方が向いているかもしれない」
ある夕食の席で彼が言った。
「公国には女性の大臣もおります」
「王国では無理だ」
「では、私が最初になるかもしれません」
「王妃と大臣を兼ねる気か」
「殿下が怠けられなければ、その必要はありません」
ユリウスは笑った。
セシリアもわずかに口元を緩めた。
穏やかな時期だった。
二人の間に激しい恋情があったわけではない。
だが、少しずつ信頼が積み重なっていた。
その一方で、王国内部には別の感情が蓄積していた。
公国との交易が増えれば増えるほど、公国製品の質の高さが目についた。
公国の鉄器。
公国の織物。
公国の農具。
公国商人の資金力。
「このままでは王国の市場を奪われる」
商工貴族たちが不満を口にした。
さらに軍部にも反発があった。
国境から兵を減らす条項は、二十年間「失地回復」を掲げてきた将軍たちにとって受け入れ難いものだった。
「父祖の血で得た土地を、反逆者にくれてやるのか」
そう公言する者もいた。
彼らの中心にいたのが、ヴァレリー侯爵だった。
六十歳。
第一次王公戦争で父と兄を失った人物である。
彼にとって公国は、和平相手ではない。
家族を奪った敵だった。
「殿下」
ヴァレリーは王太子に繰り返し言った。
「婚姻による和平など、一時のものです」
「公国との戦争を続けろと言うのか」
「戦えとは申しておりません。ただ、彼らを信用してはならぬと申し上げております」
「二十年間、向こうから攻めてきたことはない」
「攻めずとも国は奪えます」
侯爵は、公国から入ってきた商品の価格表を机に置いた。
「市場を握り、金を握り、やがて政治を握る。殿下が公女と結婚された後、この国で誰が最も強い発言力を持つでしょう」
「私だ」
「本当に?」
それ以上は言わなかった。
疑いは、言葉よりも沈黙の中で育つことがある。
そしてユリウスは、少しずつ公国を見る目を変えていった。




