第十四章 越境
王国軍が国境へ集結し始めたのは、初夏だった。
一万。
二万。
三万。
王国政府は「演習」と説明した。
公国側も動員を開始した。
ただし軍は国境線から十里後方に置かれた。
先に越境したという記録を残さないためだった。
セシリアは連日、軍務会議へ出席した。
和平交渉を担当した者として、自分にも責任があると考えていた。
「王国第一軍団、南部国境へ到着」
「第二軍団は?」
「三日後です」
「こちらは」
「北方軍二万四千。中央軍一万八千。動員予備兵を含めれば七万まで可能です」
数字だけが積み重なっていく。
二十年前の戦争について、母から何度も聞いた。
だが、地図の上に置かれた駒が、数千人の人間を意味することを理解するのは別のことだった。
六月十四日。
王国側から最後通牒。
三日以内に国境要塞二か所を明け渡し、旧王国領南部五郡について帰属交渉を開始せよ。
拒否すれば、王国は自国の歴史的権利を回復するため必要な措置を取る。
公国は拒否した。
六月十八日未明。
王国軍一万五千が国境を越えた。
最初の報告が届いたのは午前六時過ぎだった。
軍議室へ入ってきた伝令は泥だらけだった。
「王国軍、メーレン橋を突破。国境監視隊は後退しております」
誰も口を開かなかった。
公王が娘を見た。
軍務卿も見た。
セシリアは地図へ目を落とした。
二十年前、祖父もここに立っていたのだろうか。
違う部屋。
違う地図。
だが、同じ報告を受けた。
「殿下」
軍務卿が言った。
「迎撃命令を」
セシリアはすぐに答えられなかった。
戦争を始めるな。
それは簡単な言葉だった。
だが、相手の兵が国境を越えた後にも言い続ければ、それは和平ではなく降伏になる。
「……国境を守ってください」
声は小さかった。
軍務卿は一礼した。
「承知しました」
それだけだった。
第二次王公戦争が始まった。




