第十三章 戻る道
「彼らは戦えません」
ヴァレリー侯爵は断言した。
王国閣議。
公国から届いた文書が机の中央に置かれている。
「なぜそう思う」
老王アレクシスが尋ねた。
声は弱いが、まだ王だった。
「婚約を公然と破棄されても謝罪すら求めぬ。友好条約だけ続けてほしいと懇願しているのです」
「懇願ではない」
宰相が低く言った。
「文面を読め。感情を挟まず、現状維持を求めているだけだ」
「同じことです」
ユリウスは黙っていた。
祖父アレクシスが、孫を見た。
「受け入れろ」
「祖父上」
「婚約はお前が壊した。そこまではもう戻らん。だが国同士まで壊す必要はない」
「公国は我々を経済的に従属させようとしています」
アレクシスの目が細くなった。
「誰にそう教わった」
「事実です」
「私は」
老王は息を整えた。
「二十年前にも、その言葉を聞いた」
室内が静まり返った。
「ヴィクトールが王家を支配しようとしている。アルヴェイン領を放置すれば王国が乗っ取られる。だから力を削げと」
ユリウスは祖父を見た。
「結果が、今だ」
「祖父上の代の失敗を繰り返すつもりはありません」
アレクシスは長く孫を見つめた。
「そうか」
老人は椅子の肘掛けを握り、ゆっくり立ち上がった。
「ならば、私に言えることはもうない」
その日の閣議で結論は出なかった。
しかし一週間後。
王太子名義で公国へ返書が送られた。
友好条約について全面的再交渉を要求。
さらに、旧アルヴェイン領の一部を王国へ返還すること。
国境要塞三か所の撤去。
公国軍の兵力制限。
事実上、独立後の秩序そのものを覆す内容だった。
公国閣議では、誰もすぐには発言しなかった。
セシリアは文書を読み終え、机に置いた。
「これは」
外務卿が言った。
「受け入れられません」
「分かっています」
「返答は」
「拒否してください」
「それだけですか」
「もう一文」
セシリアはしばらく考えた。
「公国は現在の国境を越える意思を持たず、王国にも同様の自制を求める、と」
軍務卿が彼女を見た。
「殿下。まだ和平を求められますか」
「求めます」
「いつまで」
セシリアは答えなかった。
母エレオノーラが、娘の横顔を見ていた。
その夜。
二人きりになった時、セシリアはようやく言った。
「私が婚約を受けなければ」
母は何も言わず、娘を見た。
「王国へ行かなければ、こんなことにはならなかったでしょうか」
「二十年前」
エレオノーラが静かに言った。
「私も、お祖父様へ同じことを言いました」
セシリアは目を上げた。
「答えは?」
「戦争を始めるのは、一人の娘ではない、と」
母は窓辺へ歩いた。
「戦争を選ぶ国家です」
娘は俯いた。
「それでも」
「ええ」
エレオノーラは振り返った。
「それでも、自分のせいだと思うのです」
母と娘はしばらく黙っていた。
「消えませんよ」
「何が」
「その思いは」
エレオノーラは娘の隣に座った。
「二十年経っても」
セシリアの指がわずかに震えた。
母はそれを見なかったふりをした。




