第十二章 帰国
公国使節団は翌朝、王都を出た。
本来予定されていた晩餐会も、各省庁との協議もすべて中止された。
国境へ向かう馬車の中で、セシリアはほとんど口を開かなかった。
同行する外交官たちも同じだった。
怒鳴る者はいない。
怒りより先に、処理しなければならない問題が多すぎた。
国境軍配置制限が破棄されたと仮定するなら、公国軍をどこまで戻すか。
関税。
外交官の安全。
王国にいる公国商人。
国境を跨ぐ住民。
数年間で積み重ねた関係が、一夜で宙に浮いた。
「殿下」
外務卿が馬車の向かいから言った。
「王国側へ確認書を送りますか」
「送ってください」
「内容は」
「婚約解消は受諾します」
外務卿が一瞬、目を上げた。
「謝罪も求めません」
「……よろしいのですか」
「必要ありません」
セシリアは窓の外を見た。
「ただし、友好条約の継続意思だけ確認します」
「もし拒否された場合は」
答えるまで、少し間があった。
「その時に考えます」
公国へ戻ると、母が城門まで迎えに来ていた。
エレオノーラは娘を見ると、何も尋ねず抱きしめた。
セシリアも最初は動かなかった。
やがて、母の背へ両腕を回した。
「母上」
「はい」
「同じでした」
それだけだった。
エレオノーラは娘の後頭部に手を置いた。
「そう」
「本当に、同じでした」
母は何も言わなかった。
その日の夕方、公国閣議が開かれた。
軍務卿は即時動員を主張した。
「条約破棄は事実上の敵対宣言です」
「まだ正式文書を受け取っていません」
セシリアが答えた。
「大広間で王太子本人が宣言しております」
「だからこそ、文書で確認します」
「殿下」
「戦争を始めるのは、確認してからでも遅くありません」
閣議室が静まった。
公王である父が娘を見た。
「お前はどうしたい」
「婚約は終わりました」
セシリアは机の上に両手を置いた。
「それで構いません。私個人についての謝罪も賠償も求めません」
「では」
「友好条約だけ継続できれば、それで」
軍務卿が眉を寄せた。
「王太子に侮辱されたのですよ」
「私の名誉のために兵を死なせるつもりはありません」
その言葉に、エレオノーラが顔を上げた。
二十年前。
自分も同じようなことを言った記憶がある。
「最後に一度だけ、王国へ戻る道を残してください」
セシリアは言った。
公王は目を閉じた。
「分かった」
三日後。
公国から王国へ正式文書が送られた。
内容は驚くほど穏当だった。
婚約解消を無条件で受諾。
王太子から公女への謝罪要求なし。
賠償要求なし。
友好条約のみ継続。
国境軍配置制限も維持。
双方が望むなら婚姻以外の形で関係を続ける。
王都では、この文書が「公国の弱腰」と解釈された。




