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星粒のリテラエ ——暫定魔女が記録する、理系王女と最適解王子のたったひとつの“誤差”  作者: はなちゃん
第五章 雨上がりのソラ 〜私の足元には、ふたつの影がある〜
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第79話 手紙を届けて

 扉を閉めたハルジオンが、背中を向けたまま軽くため息をついた。

 やらなければならないことを、ひとつ終えたような深いため息だった。


 再び背筋を伸ばして、こちらへ向き直った。


「髪を結ったのだな」


 少し疲れた表情で首を傾げる。


 ハルジオンにほどかれた髪は食事をするのに煩わしかったから、三つ編みに戻した。


 そういえばこの人、私の髪を使って何かを消そうとしていたんだった。


 ハルジオンは扉の前から動かず、静かに目を伏せた。


「許可もなく触れてすまなかった」


 さっきまでの張り詰めた雰囲気はもうない。


「消すのはだめです」


 それだけは、だめ。


 ハルジオンは静かに頷いた。


「そうだな。……それに、君の現象は消去ではないのだろう」


「あー……」

 そういえば。


「君の髪も瞳も、取り込んだものをその中に保存すると……」


 ハルジオンは視線を斜め下に逸らした。


「……ナナリエから聞いている」


 なんかちょっと照れたように言った。


「そうです。ガーネットの病院で解析してもらったときに言われました」

 ナナリエが髪の毛の構造を見ながら教えてくれた。

「伝達するためでも、消すためでもなく、保存するための構造だって」


 ハルジオンは小さく息を吐いて、肩をすくめた。


「ならば、私の消したかった感情も消えるのではなく、君の中へ移るだけだ」


 なるほど……。

 たしかにそういうことになるな。


 でもハルジオンの中から消えるなら、それは同じでは?


「自分で持て余したものを人に背負わせるのは、私の信条に反する」


 うわあ。

 この人、本当に真面目だなあ。


「私の苦しみを、君に預けるわけにはいかない」


 預ける、か。


「まあ、話を聞くくらいならいつでもできますけどね」


「君を感情の受け皿にさせる気はない」

 ハルジオンは真面目な顔で言った。


「そういう預け方もあるってことです」


 この人には伝わらないか。

 と、少し諦めた時、頭の中で何かがぴかっと光った。


 預ける……。


 ……預ける!?


「……あ!」


 思い出した!


 立ち上がった瞬間に椅子が倒れた。


「なんだ突然」

 ハルジオンが半歩後退りして身構えていた。


「しまった!」

「だからなんだ」

 ハルジオンの声が少し苛立っている。


「あれ、なんで怒ってるんですか」

「怒ってなどいない」

「いえ、どう見ても……」

「どうでもいいから、先に用件を言え」


 怖い。


 胸の内を曝け出してくれたときには、分かり合えそうだと少し期待していたけど。


 この人、やっぱり怖い。


「突然声を上げて叫ぶほどの用件なのだろうな?」

「そ、そうじゃなかったら……?」

 大した用でもないなら容赦しないってこと?

 牢獄行き?


「くだらない話でも許す。だから話を続けろ」

「えっと、エンジュ……もう帰っちゃいましたよね」

 おそるおそる聞いた。


 ハルジオンはこめかみをピクッと動かす。

「帰った」


「私って、外出できます……?」


 琥珀色の瞳が瞼の下に隠れる。

 眉間に深い皺が刻まれた。


「状況がわかっていないようだな」


 怖い。


「わ、わかっています。罰として謹慎?危険人物だから隔離?そういうやつですよね!」


 ゆっくり瞼が開く。


「……そうじゃない」

 ひどくめんどくさそうな顔だった。

「君の処遇については考えがある。いずれ堂々と国内を歩けるようにする。必ずだ」


 この人が言うと実現するんだろうなという説得力がある。

 これは……政治家だ。


「それは……いったいどうやって……」

 恐ろしくなって、私は唾を飲み込んだ。


「話が逸れた。エンジュに何の用だ」


 え。私としては、今の話の続きが聞きたいんだけど。


 でも怖いし。とりあえず従おう。


「エンジュに預かってもらっているものがあるんです」


 今月の終わりに取りに来てねと言っていた。

 つまり、今日だ。


 ハルジオンは難しい顔のまま口を開く。


「それは何だ」


 そんなことまで聞かれるのか。

 まあ管理されてる身だからな。


「ナナリエへの贈り物……ですかね」


「ナナリエへ?」

 少しだけ空気が和らぐのを感じた。

「それは……何だ」


 また同じ質問を繰り返す。

 証人尋問じゃあるまいし。


「石です」


「石?」


「石に向かって私の言葉を吹き込みました」


 なんて説明すればいいんだろう。


 手紙を表す言葉なんて、この国にはないし。

 テガミってそのまま発音してみる?


 でも、用途を言った方が伝わる気がする。


「私からナナリエへ伝えたいことを記録して渡すんです」


「ああ」

 こめかみを指で押さえながらハルジオンがため息をついた。

「君は通信もできないし、情報の書き込みもできないんだったな」


 関心を示すように歩み寄ってきて、倒れた私の椅子を直してくれた。


「だから代替手段として石自体に空間の記録をしようと?」


 私が座ると、ハルジオンも正面に座った。


「それもあるんですけど、それだけじゃなくて」


 私はテーブルの上から予備のグラスを取って水を注いだ。


「他の誰にも知られなくて、自分もそこにいなくて、ナナリエがひとりの時に読んでもらうためのものです」


 私が差し出したグラスを、ハルジオンはお礼を言って受け取った。


 少しだけ考えるように、グラスの中の水へ視線を向ける。


「ナナリエのためだけに、言葉だけを届ける、ということか」


 水が少しだけ揺れた。


 私は黙って頷いた。



 静かだった。



「それで」


 低い声が落ちた。


「なぜ、今?」


 責めるような感じではなかった。


「えっと、神殿の石に記録を定着させるのに時間がかかるらしくて。ちょうど今日には完成するんです」


「なるほど」


 ハルジオンのその一言で、自分が答えになっていない説明をしたことに気づいた。


 なぜ、今なのか。

 

 それは。


「今、伝えたいからです」


 ハルジオンはしばらく黙っていた。


「……会う機会を作ろうか」

 呟くように言った。

 

「え?」

「私が手配する。君たちだけで話せる時間くらいは用意できる」


 私は少しだけ考えた。


「いえ」


 しっかり前を見る。


「いいのか」


「顔を見ると話が逸れちゃうので」


 片道だけど、それでいい。



「だから先に、言葉だけ届けてください」


 ハルジオンが黙って頷いた。


 それ以上、何も聞いてこなかった。



 あの石に吹き込んだ言葉は、今日のナナリエに向けて作ったものじゃない。


 でも、今のナナリエにこそ届いてほしい言葉たちだ。



 今、何しているだろう。


 いつもの道を歩いて帰ったのかな。


 お昼ごはんを食べたのかな。


 食べていないかもしれない。


 夢中になることがあると、すぐに食事を抜くから。


 誰かがそばにいてくれているだろうか。



 背筋を伸ばして議会で立っていた姿。


 人々の視線も気にしないような凛とした姿。



 ——私に足りないのは、心というものかもしれないわ。


 寂しそうに笑って、部屋を出たその横顔が頭から消えない。



 あのときは、何も言えなかった。



 でも、違う。



 どうして疑うの。


 自分で言っていたじゃないか。



 ——心もまた、物質と物質の電気信号です。



 自分の中に探したって、それはないんだよって。


 あなたがいて、わたしがいる。


 その間に心があるって、あなたは知っているでしょ。



 だから伝えたい。



 大好きだって。



 あなたは私の大切な友達だって。



 返事はいらない。



 その言葉が、あなたの足元を支える石のひとつになれば、それでいい。


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