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星粒のリテラエ ——暫定魔女が記録する、理系王女と最適解王子のたったひとつの“誤差”  作者: はなちゃん
第五章 雨上がりのソラ 〜私の足元には、ふたつの影がある〜
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第76話 消したい



 暑いな。




 まだ夏も始まっていないのに。



 この国の夏はどのくらい暑いんだろう。



 私は石畳の道を西に向かって歩いていた。


 通りのお店からいい匂いがする。


 お昼ごはん、寄り道して買っていったら緊張感がないって怒られるかな……。


 あんまりお腹も空いていないし、早く屋根のあるところへ行こう。



 私は琥珀宮殿の扉を開けた。


「アンリ様ですね」


 白髪混じりの金髪の紳士が恭しく向かえてくれた。

 ハルジオンの秘書かなんかかな。


「午餐の間へお通しするよう申しつかっております」


 午餐の間?

 なにそれ。


 紳士は私を四階の食堂へ案内した。

 食堂といっても広くなくて数人で使う個室みたいなところ。


 琥珀宮殿はハルジオンの執務室しか入ったことないから、知らなかった。

 昼食のためだけの部屋なんて、贅沢だな。


 瑠璃宮殿にはそんなものなかったぞ。全員で集まる広い食堂か、私室に食事を運んで食べるだけだった。

 瑠璃宮の人たちはそこまで食事に重心を置いている感じでもなかったし。


 しつらえも、琥珀宮は伝統を感じる工芸品が置かれ落ち着いた雰囲気だ。

 機能性を優先する瑠璃宮とは、同じ宮殿でも空気がまるで違う。


 ……なんて、自分の状況も顧みず、ついつい観察してしまった。



 席に着くと、配膳係の人たちが料理を運んできてくれた。


 え。レストランみたい。

 でも、なんで、もてなされてるんだ、私は。


 なんで……。


 なんで、ここまで事前に整えてしまえるんだろう。

 ハルジオンは。


 あんなに苦しそうな顔で、広い議場にひとりで立っていたのに。


 私の昼食の心配をするくらいなら、もっと他に考えることあるんじゃないの?



「ごゆっくりお召し上がりください」


「あの……」

 立ち去ろうとする紳士を、思わず呼び止めてしまった。


「私がここに来るって事前に連絡があったんですか?」


「はい。今朝そのように……」

 言いかけて、少しだけ目を細める。

「お見えになる場合と、お見えにならない場合があるとは仰っていましたが」


 なるほど。両方の可能性を考えていたのか。


 それは私に選択の余地があったのか、それとも。

 ハルジオンが違う選択をする可能性があったのか。


 ……まあ、本人に聞かなきゃわからないことだ。


 考えるのをやめて、目の前の、やたらおしゃれに盛り付けられた肉料理に集中することにした。


 若干の不安はある。


 この高そうな昼食の代金、あとで請求されたりしないよね、という不安が。




 料理を半分以上食べ進めた頃、急にドアが開いた。


 わかっている。

 この国の人たちはノックをしないって。


 たぶん、人の気配を感じ取れるからノックの必要がないんだって。



 だけど美味しいお肉に集中していた私は、突然開いたドアに驚いて喉を詰まらせた。


「……大丈夫か」


 ハルジオンが驚いた顔で、こっちを見ていた。


「そんなに慌てて食べるとは、よほど腹が減っていたんだな」


 違うんだよ!

 あんたにびっくりしたんだよ!


 でも、喉が苦しくて声が出せない。


「落ち着け」

 ハルジオンはコップの水を手渡してきた。


 喉の詰まりを水で流し込むと、ハルジオンはすでに向かいの席に座っていた。


「取り上げないから、落ち着いて食べるといい」

 疲れた顔で、ほんの少し笑っている。


「殿下は召し上がらないんですか?」

「……もう済ませた」

 ハルジオンは視線を軽く下げる。


 これは嘘だな。

 虚ろな目が語っている。


「お腹が空いていないんですか?」


「君はいいな。よく食べる」

 背もたれに深く沈んでハルジオンは言った。


 いいなと思うなら、自分も食べればいいのに。


 そう思ったとき、ハルジオンは目を伏せた。


「……ナナリエは少食だった」


 その言葉に私も思い出してしまう。

 ナナリエのいつもの、栄養効率だけを考えた食事風景を。


「ナナリエ、ドロドロのスープしか飲まないですもんね」

「顎を使うのが疲れるらしい」

 ハルジオンが少しだけ体を起こした。


「熱いものもだめだ。うっかり口にすると顔をしかめる」


 堰き止めていたものが切れたようだった。


「公務で各地に行くと、得体の知れぬ食べ物を警戒していた」


 声は静かだった。


「いつも私に先に食べさせて、安全性を解説させられていた」


 淡々と事実だけが置かれていく。


「どんな事象も検証したがるナナリエだが、食事だけは研究対象外だったようだ」


 事実を並べて、目を細める。



「だが、甘いものは別だった」



 ……だった。

 別に過去形にしなくてもいいのに。



「……そんなところまで覚えているんですね」



 ハルジオンは黙った。

 黙って空中を見つめていた。


「……あるべきところへ押し上げようと思った」


 ぽつりと言った。


 引き上げるじゃなくて、押し上げるという言い方が少しだけ気になった。


「そのときに隣に立てるよう、私も……」


 言葉は、そこで途切れた。



 眉を寄せて目を伏せる。


 俯いた拍子に、横髪が頬に落ちた。


 でもすぐに顔を上げ、いつもの整った顔に戻る。


「君が異邦人だからと、余計なことを言ってしまった」


 異邦人。


 壁を感じる言葉。


 だけど、ハルジオンの本音なのかもしれない。


 守るべき人たちには言えなかったものが、無関係な私には少しだけ漏れてしまったのだろう。



 視線がぶつかった。


 私を見る、琥珀色の瞳に温度はなかった。



「……消せるのか」



 ……え?


 心臓がぎゅっとなった。


「その髪で触れたものは、本当に記録を消せるのか」


 私は思わず俯いた。


 たしかに系譜の記録は消した。


 それでみんなにたくさん迷惑をかけた。


 さっきの議題でも、私が危険だという結論も出た。


 私はナナリエを巻き込まないように、彼女から離れることを決めた。


 次は?


 ハルジオンは私を裁こうとしているの?


 事実を検証しようとしているの?


 でも、私にだってわからない。


 私に聞かれたって、本当のことなんて……。



 そこまで考えたとき、視界がかげった。


 顔を上げるとハルジオンが目の前に立っていた。



「消したい」



 表情が読めない。


 怒っているとか、焦っているとか、悲しいとか、そういうのが全くない。


 凍ったみたいな目をしている。


 ハルジオンの手が、ゆっくりと伸びてくる。


 その先に、私の三つ編みがある。


 指先が、毛先を止めている髪留めに触れた。


「なにするんですか……」


 腹が震えて、声が出なかった。


 ハルジオンは私の声なんて聞こえていないみたいだった。


 ほんの少しの力で髪留めが引かれた。


 三つ編みがほどけて黒い髪の毛が広がる。



 何が怖いのか、自分でもわからなかった。


 でも、何かがすごく間違っている気がした。


 ハルジオンは私の髪を手で掬って、彼の顔に近づけた。


「消して欲しいんだ」


 瞳に色が戻った。


「なにを……?」


 表情はたしかにあるのに、それを私は形容できなかった。


「……わからない」


 ハルジオンにもわかっていない。



 まだ名前のついていないものを、消そうとしている。


 たぶん、ひとつだけじゃない。


 いくつも絡み合っている。


「わからないが、これらは全て消したほうがいいものだ」



 違う。


 いろいろ違う。


 消したいんじゃない。


 これは消すべきものじゃなくて——



 何か言わなきゃ。


 言葉を必死に探す。


 ゆっくりと持ち上げられる、私の髪。


 ハルジオンの髪と触れるまで近づく。


 

 ……だけど。


 私の髪を掬うハルジオンの手が、空中で止まった。


 はっとしてハルジオンの顔を見ると、その視線は鋭く横を向いていた。


「……来たか」


「え?」


 視線の先を追ったとき、その先で勢いよく扉が開いた。


「ハルジオン!」


 怒鳴るように飛び込んできたのは、翡翠の目を赤く染めたエンジュだった。


 緑の三つ編みが少しほつれ、若葉色の服も少し崩れていた。


 ……どうしてエンジュの服装が乱れているんだろう。

 余計なことに思考がとられる。



「何してるの」


 エンジュが険しい目でこちらを見た。



 ……そこで私は冷静になった。


 ふたりきりの個室。


 髪を解かれる私。


 その髪を掬い、切実な顔をしているハルジオン。


 ……その光景は充分にあやしい。



「あ!これは誤解で!」


 いや、なんで私が弁解しなきゃならないんだ!



「遅かったな」


 ハルジオンは冷たい声で言いながら、手にしていた髪を静かに下ろし、私の肩にそっと乗せた。


「いや、早かったと言うべきか」


 ……声が少し笑っている?


「春の祭りのとき以外、神殿を出られないんじゃなかったのか」


 いつも冷たいけど、こんなふうに嘲笑うような言い方は初めて聞いた。


 ハルジオンの嘲笑を迎え撃つように、エンジュが睨んだ。



「君に会うために飛んできたんだ」



 飛んで……?


 いや、違う。急いで来たってことか。



 エンジュの翡翠の瞳が熱を帯びている。



 見つめ合うハルジオンの瞳は、どこまでも冷え切っていた。


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