第74話 いつも通りの議会
朝の光を跳ね返す、真っ白なカレイド宮殿。
王都を囲む十二色の宮殿の真ん中に位置する、この国の中心。
宮殿の大階段を登って右手に進むとカレンダエの国議会の議場がある。
この議場に入るのも八回目か。
実務会議などに出席するナナリエのお供を含めれば、何度この宮殿を訪れたか数えきれない。
この宮殿の中も、すっかり歩き慣れた。
一階の左手には行政院があって、王都の住民の行政窓口がある。
二階以上は国の様々な機関が入っていて、十二宮の境なく職員が働いている。
五階の売店にしか置いていないお菓子が、ナナリエのお気に入りだ。
建物の構造は把握した。
けれど、この国のことはまだまだわからない。
わかりかけたと思っても、やっぱりわからない。
議場の入り口でナナリエと別れた。
いつもそうだ。
私はいつも、入り口の横の階段を登って二階の傍聴席へ行く。
二階から円形の議場を見下ろして観察している。
いつものように階段を登ろうとしたとき、事務方の職員に呼び止められた。
「魔女様。本日は王女殿下の随行者として、東側議席後方にお席をご用意しております」
ナナリエはそんなこと言っていなかった。
「いつも傍聴席ですけど」
「本日、傍聴席は大変混み合っておりますので」
そうだ。
今日は、双王陛下ご臨席の定例議会の日だ。
議場で開かれる議会自体は珍しくない。
でも、双王陛下が臨席する御前議会は月に一度だけ。
お祭りの後と、先月と、そして今日。
私にとっては三回目の御前議会だ。
そして、双王陛下のお姿を拝見しようと、傍聴席は人で埋まる。
先月の御前議会のときも満席だった。
その配慮なのかもしれない。
でも、誰が?
ナナリエじゃない気がする。
少しだけ不安に思いながらも、満席の傍聴席であの視線を浴びる勇気はなかった。
だから、私は職員の案内に着いて行った。
円形の議場は、上から見れば十二色が均等に輪を描いていた。
でも今、同じ高さに立つと景色はまるで違う。
青ばかりだ。
正面に瑠璃宮、右手にサファイヤ宮、左手にアメジスト宮。
それぞれの宮から選ばれた議員が並んでいる。
まだ訪れたことのない地域。どんな人たちなんだろう。
一番近くにいるのに、瑠璃宮の人たちは私のことなんて何も気にしていなかった。
近くの人たちと静かな声で何か話している。
その向こうに、最前列に座るナナリエの背中が見えた。
隣席しているアメジスト宮の大臣が熱心に話すのを、黙って聞いているみたいだった。
ナナリエのさらに向こうに、ハルジオンの横顔も見えた。
彼もまた隣のシトリン宮の大臣の楽しそうな話を頷きながら聞いているようだった。
開会前の議場全体はざわざわしていた。
そのざわめきがぴたりと止まる。
全員が起立して、胸元に右手を当てた。
北側の高い席を見上げると、双王陛下が静かに入場するところだった。
議会が始まった。
最初にサファイヤ宮の議員たちが立ち上がり、前回から継続審議となっている法案について確認が行われた。
「第七条の文言修正を反映しております」
「異議なし」
ほとんどは前回からの繰越で、今回も継続審議となった。
次に南側の方の席で珊瑚宮の大臣が立ち上がった。
夏に予測される豪雨災害の対策についての見解をガーネット宮へ確認し、同時にカーネリアン宮へも協力を要請するような内容だった。
珊瑚宮が過去実績による避難計画を示し、カーネリアン宮が仮設橋材と排水設備を引き受け、ガーネット宮が避難所医療班の配置について返答した。
珊瑚宮の大臣が流れを作り、最初から話がついているみたいにあっという間に話がまとまった。
初めて議会を見学したときはハルジオンが調整役に見えたけど、二回目に見学した時には、誰か一人がこの国を動かしているわけじゃないって理解した。
災害対策の件が落ち着き、南側の赤い人たちが静かになると、少しだけ議場内に緊張が走った。
ナナリエの横でアメジスト宮の大臣が立ち上がり、一歩だけ前に出る。
「今、見直さねば磁場網は乱れます」
この国の磁場を利用した通信技術と交通インフラの補修予算の要求だった。
その内容に胸がどきっとした。
私のせい?と思った。
記録が止まるとか、情報が消えるとか、そういう言葉に敏感になっていた。
だけど瑠璃宮の人たちもアメジスト宮の人たちも議論に集中している。
青の中にひとりだけ混ざる、黒い姿の私に目を向けてはいなかった。
——私に関係することじゃないんだ。
少しだけほっとした。
「通信障害は局所では済みません。列車、媒体制御、医療通信、全てに波及します」
このまま放置できないと言っている。
しかし向かいの席で大きく首を振りながら、シトリン宮の大臣が立ち上がった。
「初議会から二ヶ月しか経たないというのに、アメジスト宮はすでに一度予算の追加申請をしている」
アメジスト宮の大臣同様、少しだけ前に出てくる。
「昨年は期中に五度も追加申請があった。国庫は無限に湧く泉ではない」
「来年度では遅いのです。国を保つために必要な予算を削るというのですか」
アメジスト宮も引き下がらない。
「予算は必要だからつけるのではない。何を後回しにするかまで含めて予算だ」
両者が睨み合ったとき、シトリン宮の大臣の隣でハルジオンが立ち上がった。
「双方、事実を述べている」
黄色の大臣と、紫色の大臣が、難しい顔のままハルジオンの言葉を待った。
「アメジスト宮は優先順位を整理して提出してくれ。全区画を同時に補修することに予算はつかない。シトリン宮は補修費だけを見るな。止まった場合の損失も試算して提出してほしい」
「……承知しました」
シトリン宮の大臣は苦い顔で頷いた。
だけどアメジスト宮の大臣は、すぐには頷かなかった。
私の左側の席でざわめきが起きる。
「王子殿下は事態を理解しておられない」
「優先順位などつけられるものではないというのに」
不満の声がひそひそと形になっていく。
その声は小さく、ハルジオンのところまで届いていないだろう。
だけどハルジオンは言葉を続けた。
「アメジスト宮が長く磁場機能の発展と保守管理を担ってきたことは、議会も承知している」
よく通る声で東側に向けて語りかける。
「だが、ここ数年の補修頻度を見る限り、個別設備の老朽化だけでは説明がつかない段階に入っているのではないか」
不満そうな囁き声が、感嘆のざわめきに変わった。
「磁場そのものに変化が起きている可能性があるなら、瑠璃宮を中心に、アメジスト、エメラルド、必要に応じてカーネリアンも含めた横断調査が必要だ」
ハルジオンの発言を受けるように、ナナリエが立ち上がった。
「ハルジオン殿下のご意見に賛同いたします。星の磁場そのものを調査すべき段階に入っていると、私も考えます」
ナナリエの横顔が瑠璃宮の大臣に向く。
科学技術を統括する瑠璃宮の大臣は大きく頷いた。
「瑠璃宮で引き受けましょう」
シトリン宮の大臣が再び口を開いた。
「調査費なら設備更新費とは別枠で試算できます。ただし、目的と範囲を明確に」
アメジスト宮の大臣はナナリエの顔を確認してから、中央に向き直った。
「ご提言感謝いたします。次回、調査範囲を洗い出し提出いたします」
先ほどまで不満な声を漏らしていたアメジスト宮の議員たちも、納得したように椅子に深く座り直した。
星の磁場そのものに変化。
その言葉に、また胸が縮んだ。
少しだけ視線を感じる。
アメジスト宮の後方に座る議員たちだ。
居心地の悪さを感じたとき、頭上から声が落ちてきた。
「魔女のせいでは?」
傍聴席からだ。
「系譜管理局で記録を消したそうじゃないか」
私の座る位置から、声の主の姿はわからない。
でも、ひとりじゃなかった。
傍聴席のざわめきが議場内にも伝播してくる。
遠くの、西側の後方から声が上がる。
琥珀宮の議員だろうか。
「王女殿下は王都で広がる噂はご存知なのですか?」
人の壁に阻まれて、発言者の姿はやはり見えなかった。
ナナリエは西側に向かい、訝しげな声で問う。
「噂ですか?」
「殿下が保護されている少女が、系譜の記録を消したという噂です」
「二ヶ月前、琥珀宮本局が調査に入った件でございます」
「アメジスト宮も立ち会い、瑠璃宮も解析班を出されましたね」
西側からの問いかけはナナリエだけでなく、東側全体に及んだ。
アメジスト宮の議員たちは口を閉ざしながらも、視線だけは私に向けていた。
瑠璃宮の議員たちが振り返らないのは、そのように徹底されているからなのかもしれない。
いや、何もわからない。
ナナリエが立ちあがろうと腰を浮かせた時。
「議長」
それより早く、ハルジオン殿下が短く声を挟んだ。
その次の言葉はなく、真っ直ぐに北側の議長席を見つめる。
議長はハルジオンを一瞥したのち、よく通る声で議場に呼びかけた。
「事前に提出のない議題については発言を慎むように」
議場内の流れは止まった。
だけど傍聴席のざわめきだけは、しばらく消えなかった。
その後も議会は続いた。
瑠璃宮からは長期的な学術研究への支援施策が、琥珀宮からは博物館所蔵品の整理基準について国民から寄せられた請願が報告された。
各宮は互いに補い合い、連携して国を動かしていた。
最後にトパーズ宮の大臣が丸い顔全体で微笑みながら立ち上がった。
「来年春の双王即位式と、王子殿下と王女殿下の婚姻の儀の進捗状況についてご報告申し上げます」
議場全体が柔らかい空気に包まれるのを感じた。
さっきまで予算で言い合っていた大臣たちまで、穏やかな表情で頷いていた。
ざわめく声も、先ほどとは温度が違った。
「琥珀宮では出席者の選定が進み、翡翠宮では儀式の進行を調整中です。ペリドットへは宴の献立作成と農家への食材の依頼を。カーネリアンへは——」
次々と確認事項が挙げられる。
「各地の学校では、子どもたちによる祝賀の舞の練習も始まり、来春を楽しみにする声が届いております」
トパーズ宮の大臣の顔も声も、完全にハルジオンに向けられている。
だけどハルジオンは、議場の中央に丸く空いた何もない床の上を見つめて報告を聞いていた。
わずかに了承するような相槌が聞こえるだけだった。
「トパーズ宮では王女殿下のお召し物の準備も順調に進んでおります」
「楽しみですな。おふたりのためなら国庫も開きますぞ!」
ハルジオンを挟んでシトリン宮の大臣とトパーズ宮の大臣が盛り上がっていた。
ふたりだけじゃなくて、最前列の大臣たち皆がにこやかに頷いていて、そこから後列に座る議員たち全員が異論なさそうに談笑していた。
ただ、その笑顔の輪の中心で、ハルジオンだけは静かに目を伏せた。
議題は出尽くし、あとは閉会を待つばかり。
議長もしばしの雑談を議場に許していた。
正午の鐘が議場内に響く。
今日の議会も無事に終わる。
誰もが、そう思っていた。
そのとき。
伏せていた目を開いたハルジオンが、音もなく立ち上がった。




