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星粒のリテラエ ——暫定魔女が記録する、理系王女と最適解王子のたったひとつの“誤差”  作者: はなちゃん
第五章 雨上がりのソラ 〜私の足元には、ふたつの影がある〜
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第73話 言葉にしてしまったこと

 クリサンテを見送って執務室に戻ると、ナナリエはお茶を片付けていた。


「私がやるよ」

 そう声をかけながら、どこか私は上の空だった。


「いいのよ」

 ナナリエはカップをトレーに乗せてテーブルを拭いていた。


「彼女の話を聞いて改めて——」

 手を動かしながらナナリエは呟いた。

「心が無機質ということの意味を考えてみたわ」


 ナナリエが真剣な目でテーブルを見つめた。


「でもクリサンテは、そうじゃないってわかってくれていたよね?」

「彼女の判断はわからないけれど、私に何か欠けているのは間違いないわ」


 トレーを持ってゆっくり立ち上がる。


「まだ足りないって、いつもお兄様にも言われているし」

「足りないって何が?」


 そういえば以前、ハルジオンが私にだけ言っていた。


 国を回るときにハルジオンが同行すると、彼が答えを用意してしまう。

 だから私に、ナナリエと行動をともにしてほしいと。


「わからない。でも、たぶんエンジュにも同じことを言われている」

「エンジュはなんて言っているの?」


「私の研究内容は正しいかもしれないけど、安心できないって」


 ナナリエの研究内容——双王の仕組みの解析。

 エンジュはそれを、たしかに安心できないと言っていた。

 でも私は、内容までは詳しくは知らない。


「そこには国を想う気持ちとか、大好きって気持ちがないって」


 ナナリエの視線が落ちて、トレーの上のカップが少しだけ音を立てた。


「私に足りないのは、心というものかもしれないわ」


「違うと思う」

 それだけが言葉になった。


 その次が浮かばない。


 翡翠宮を出発した日の朝、エンジュは困った顔で言っていた。


 たぶん、ナナリエとソラリスのこと。


 怖くて、近づきたくて、大好きだって。


 あの『大好き』は、ナナリエが今考えているものとは、少し違う気がする。


 でも。


 何が違うのかは、うまく説明できない。


「エンジュはそういう意味で言ったんじゃないと思う」


「アンリにはわかるの?」

 答えを求めるように、ナナリエは私を見つめた。


「……やっぱり、わからないのは、私だけなのかしら」


 瞳が揺れていた。


 なんて言葉を伝えればいいんだろう。


「ナナリエは苦しそうなエンジュのことをちゃんと心配して行動してるし、玉穂の畑のことだってたくさん調べて対策を考えた。それって大好きって気持ちとか、国を想う気持ちなんじゃないの?」


 思いつく限りに言った。


 ナナリエは腑に落ちない顔で、首を横に振った。


「それは私がそうしたいから、そうしなきゃと突き動かされてしただけのことよ」


 どうしよう。うまく伝えられない。


「大好きなんて気持ちじゃないわ」


 寂しそうに笑って、ナナリエはトレーを持って静かに部屋を出ていってしまった。



 伝わる言葉で伝えたい。


 言葉を探したまま、数日が過ぎていった。



 クリサンテが言っていたことも、頭から離れない。


 気のせいだと思っていたことも、意識するとはっきりとした輪郭を持って迫ってくる。


 恐れの視線。

 小さな囁き。

 触れそうな時に、わずかに固まる手。


 それなのにナナリエはいつも通りだ。

 いつも通り優しくて、いつも通り私をみんなの前に連れていく。



 その日は、灰穂病についての事後報告会議だった。


 あれから十日以上経つが新規の感染が見られないことと、他の村では玉穂が順調に生育し豊作の見込みであることなどが報告された。

 焼却対象になった村の補償も滞りなく行われ、来年に向けて動き出していることもわかった。


 希望のある話を聞いて少しだけ気持ちが前向きになったとき、会議の出席者のひとりがナナリエに声をかけてきた。


 私の方に視線を投げかけながら、何気ない感じで確認する。


「そちらの魔女様は、王女殿下が保護監督なさっているのですか?」


「そうです」

 ナナリエは迷いのない表情で答えた。


「そうですか……」

 その人は理解したような顔をしていたけれど、その後ろで別の何人かがこちらに視線を向けていた。


 明らかに、私と、私と一緒にいるナナリエを見ていた。


「王女殿下」


 控えめな声がして、振り返るとペリドットの大臣クレソンさんが立っていた。


「殿下の見解を伺いたいことがあるのですが、少しお時間よろしいでしょうか」


「かまいません」

 すぐにナナリエは頷いて、私に声をかけた。


「アンリ、少しだけ待っていてくれる?」

「……もちろん」


 ナナリエがクレソンさんと話を始めたので、私は廊下に出た。


 おやつを買ってきてナナリエと一緒に食べようかなって思って。


 廊下に出た私に、声がかかった。


「少しいいか」

 低く落ち着いた声。


 ハルジオンだった。


「……殿下」

 久しぶりに会話をした気がする。


 最近は忙しくしているみたいで、ナナリエが訪ねていっても不在がちだという。


「聞きたいことがあるのだが」

 どこか疲労の色が見える。


「なんでしょうか」

「誰かに——」


 ハルジオンが言いかけたとき、ハルジオンの肩をぽんと叩く人がいた。


「ハルジオン殿下」

 優しい笑顔の右大臣だった。


 ハルジオンが向き直って会釈をする。


「お探しのイサリダ・ソラリスですが、現在第七隊に休暇申請を出し、十二宮の横断調査に出ているようです。残念ながら連絡がつきません」


 ハルジオンもソラリスを探してるんだ。

 私はハルジオンの顔を見上げた。


「ご確認いただきありがとうございます」

 表情を崩さずに頭を下げるハルジオン。


「所在を確認次第、またご報告しますね」

 右大臣はそれだけ告げると微笑みを絶やさずに立ち去った。


「殿下もソラリスを探してるんですね」


 やっぱりソラリスには何か特別な事情があるのかもしれない。


「私も、とは?」

 ハルジオンが眉を寄せて私を見下ろした。


「ナナリエも探すって言っていました」


 右大臣と同じように、連絡を取る手段がないみたいだったけど。


「エンジュは、ナナリエなら会えるかもって言っていました」


 みんなが探しているなら、早く連絡がつくといいな。

 そんなことを考えていた。


「……そうか。もし会えたら教えてくれ」


 ハルジオンはそれだけ言うと、本題に入るように表情を険しくした。


「ところで」

 険しい表情に、私も身構えた。


「系譜管理局での一件、誰かに話したか?」


 系譜管理局の——


「君の……いや、その身体の、情報を吸収する現象のことだ」


 戸籍の記録を私が吸収して、そこから消してしまったことを言っているんだ。


 王都に来たばかりの頃の出来事だ。


 あれから三ヶ月も経っている。


 ……でも。


「たしかに……」

 私は思い出した。


「話したことがあります」

「誰に?」

 ハルジオンが短く問う。


「系譜管理局の青い髪のおじ……お兄さんです」

「……あいつか」

 ハルジオンの目が鋭くなる。


「それはいつのことだ」

「春の祭りのとき、王都の会場で」

「二ヶ月も前か」


 少しずつ、今までの違和感の正体が見えてくる。


「……あの、なにか」


「いや、こちらで手を打つ。君は下手に動くな」

 ハルジオンの目は厳しかった。


 でも怒っているのとは違った。


 だから余計に、怖かった。


 ハルジオンは険しい表情のまま何も言わずに立ち去った。



 周囲の怖がるような反応の意味がわかった。


 それがどれだけ特殊なことなのかは測りきれない。


 でもみんなの様子を見ればわかる。


 クリサンテが言った突拍子もない噂。


『ぜんぶ、消したんだ』


 琥珀宮で私の背中に投げつけられた子どもの声。


 どこまで広がっているのか、わからない。



 系譜の情報を消してしまったのは、私のせいではない。


 知らなかったし、この身体が勝手に起こしたことだ。


 ——だけど。


 その事実を、深く考えもせず、言葉にしてしまったのは間違いなく私だ。


 ナナリエが庇ってくれたのに。


 そのあとにハルジオンが根回しして収拾してくれていたのに。


 それを、私が台無しにしたんだ。


 それがどれくらいの意味があるかも考えずに。



 この国のことを理解したつもりで、何もわかっていなかった。


 あの視線が、私に向けられるだけならいい。


 でも、そうじゃない。


 私への恐れだけじゃなくて、私を庇い続けてそばに置くナナリエにも影響が出ている。


 それがとても怖かった。



 何をすればいいのかもわからない。



 私はただ長い廊下に立ち尽くしていた。



 答えを見つけられないまま。



 春だけが終わっていく。




 そして、双王陛下を迎えての定例議会が開かれる日がやってきた。

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