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星粒のリテラエ ——暫定魔女が記録する、理系王女と最適解王子のたったひとつの“誤差”  作者: はなちゃん
第五章 雨上がりのソラ 〜私の足元には、ふたつの影がある〜
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第70話 伝える —翡翠—

「エンジュの母ちゃん、今日はいねえの?」

 小さな台所で野菜を刻みながらソラリスが何気なく言った。


「母様は用事がなければ神殿には来ないから」

「母ちゃんの料理、食べたかったなー」

「……また今度ね」

「お前のまた今度は当てにならねえじゃん」

「君がそれ言う?」


 私は玉ねぎのような野菜を鍋で炒めながらふたりの会話を聞いていた。

 ナナリエは珍しそうに私の手元を見ている。


「アンリ、料理ができたのね?」

 ナナリエはすごく驚いていた。

「まあ、いちおう」


 なぜかチャーハンと煮込みうどんを作っている記憶ばかりが蘇ってくるのは……その頻度が高かったせいなのかもしれない。

 複雑な料理は、ほぼ思い出せない。たぶん、作ったことがないんだと思う。


「今は何を作ってるの?」

「ああ、これは……」


 朝見た夢のせいかもしれない。

 早起きした朝は、これをよく作ってくれていた。

 横で見ている私に、作り方を毎回解説してくるから覚えてしまった。


 覚えたらやりたくなるのが、私だ。

 時間がかかってめんどくさいはずなのに、手順が頭に入っているから不思議とできてしまう。


「私が一番好きな料理だよ」


 王都で初めてひとりで注文したのも、このメニューだ。

 玉ねぎみたいなもの、乳から作られたバターみたいなもの、それから肉の出汁。

 意外と再現できそうだった。


「意外だな」

 ソラリスが鍋を覗き込んできた。

「お前は、ガッとやってジャッと焼いたような料理しかしなさそうなのに」


「……だいたい当たってます」


 ソラリスだって、ガッとやってジャッと焼いたような料理しそうだけどね。

 この人は本当に繊細な料理するからなあ。何も言えない。


「すごいわ」

「すごいねえ」

 ナナリエとエンジュがわくわくした顔で、私たちを見ていた。


「お前らは何もしないのかよ」

 ソラリスが卵を割りながら、呆れたようにため息をついた。


「僕は、焚き火を起こして素材をそのまま焼くのは得意だよ」

 エンジュが得意げに言った。

 おっとりしてるわりに、意外とアウトドア派なんだな。

「それ料理じゃねえし」


「私は何も作ったことないわ」

 ナナリエも得意げに言った。

「何も!?」

 ソラリスが叫ぶ。

「そうよ」


「お嬢様かよ」

「……いちおう王位継承者ではあるわ」

 そこだけ控えめに言うのはなぜ。

「人生の半分は損してるぞ」

「そうかしら?効率的に栄養を摂取すれば問題ないものよ」

「わかってねえなあ」


「まあ、ナナリエは食べること自体に興味ないからね」

 私はそう言いながら、鍋にスープを加えた。

 しゃっといい音が鳴る。


「ん」

 ソラリスが謎の瓶を手渡した。


「なにこれ」

「これ使うだろ?」

 瓶の中は白くて小さめの乾いたスポンジのようなものが入っていた。


「玉穂の粉を水とよく練ったあとに、洗って、焼いたものよ」

 ナナリエがさらりと解説した。

 料理はしないけど、食材の作り方は知ってるんだ。

 ナナリエらしいな。


「洗って焼くの?」

「そうよ。でんぷん質だけ洗い流して、たんぱく質を取り出すの」


「また長い説明かよ」

 ソラリスが瓶を開けて、白いカサカサの塊を取り出して私の鼻先へ持ってきた。

 その自然な動作に思わず口を開けてしまう。


 ぽいっと口に放り込まれた香ばしい香り。

 噛むとサクッと柔らかく崩れる。


「あー……」

 これは知ってる。お麩みたいなものか。


「これを使うのか……」

 そういえばこの国のパンって蒸しててお餅みたいだから、合わなかったかも。

「教えてくれてありがとう」


「おう。自分で工夫して作ろうとするやつ、俺は好きだぜ」

 ソラリスの笑顔はなんか大きかった。

 ちゃんと見ててくれるって伝わってくる。


 出来上がったスープの上にお麩を浮かべて、チーズを乗せて。

 オーブンで焼いたら完成だ。

 私の大好きなオニオングラタンスープ。


 タイミングを合わせてくれたソラリスのオムレツも一緒に並べられた。


 テーブルで待ち構えていたナナリエが嬉しそうに食べる。


「とっても美味しいわ」


 ナナリエのその顔が、とっても好きだなって思った。




 朝食のあと、ソラリスはさっさとどこかへ帰って行き、ナナリエはひいおばあさんに会いに行ってしまった。


 翡翠宮に来たら必ず会いに行っているみたい。


 ナナリエの叔父さん——瑠璃宮の当主であるセアノサス様には簡単に会えたのに。

 ひいおばあさん——翡翠宮の当主には、まだ会えていない。

 すごく偉い人なのかな。


 私は神殿の森の中を散策していた。

 迷子にならないようにエンジュに教えられた道を通る。


 空に向かって真っ直ぐに伸びる木は、本当に神殿を支える柱みたいだ。

 その木を支える地面は、苔むしていたり、小さな草花が広がって、緑の絨毯みたい。


 木漏れ日の下で、何かが反射した。

 私を呼んでいるみたいに。


 近づいて、しゃがんで、それを手に取る。

 真っ黒なのに艶のある手触りのいい石だった。


 私は、少し前に思いついたことを試してみた。


「ナナリエは面白い。ナナリエは興奮すると鼻息が荒くなる」

 独り言を言って、ちょっと様子をみる。


 その石を、そっと自分の髪の先に当ててみた。

 読み取るぞって念じる。


 頭の中にイメージが流れ込んできた。

 それは、この森の静かな時間だった。


「短すぎたのかな」

 私は呟いた。


 緑の絨毯にお尻をつけて座った。

 柔らかくて気持ちいい。


 もう一度石を手のひらに乗せて、じっと見た。


 声を吹き込むイメージだ。


「この国の人たちは結びつきがとても強い。お互いに知らないことなんてないんじゃないかって思うくらいに」


 えーと、あとは何を言おうかな。


「あと少し植物に似ている……」


「アンリ?」

 背後から、この森のように穏やかな声がかかった。


「なにしてるの?」

 エンジュが不思議そうな顔で立っていた。


「エンジュこそ」

 ひとりでブツブツ喋ってるところを見られちゃったのは、少し恥ずかしい。


「朝のお勤めが終わったから、アンリが迷子になっていないか見に来たんだよ」

「迷子になんてなってないよ」

「そう?ここ、けっこう迷うんだよ」

 エンジュは、私の隣に立っていた木を背にして腰を下ろした。


「でも気持ちいい場所でしょ」

 木にもたれて、エンジュは目を閉じた。


 それに応えるように柔らかい風が吹く。


 昨夜も今朝も、ずいぶんと顔色が悪かったけど、今はとても自然に見える。


 ゆっくり開いた瞼から翡翠が覗く。


「石に、話しかけていたの?」

 首を傾げると、肩から太い緑色の三つ編みが落ちた。


「声を吹き込もうと思って」


 私は石をエンジュの方へ差し出した。


「声?」

「うん」


 エンジュは驚いた表情だったけど、私の意図を理解しているみたいだった。


「記録を残そうと思って?」

 エンジュは私の手のひらから石を拾い上げた。


「ナナリエにね」

 私は少し恥ずかしくなって俯いた。

「私の言葉を贈ろうと思って」


 この国に手紙という言葉があるのかわからなかったから、そう言った。


「直接言うんじゃなくて?」

 エンジュは石を見つめながら、不思議そうに確認した。


「うん。私からナナリエに一方通行で渡すの」


 エンジュは黙って聞いていた。


「ナナリエがひとりのときに聞いてもらえたらいいなって思って」


「帰るときに渡すつもりで?」


 その質問に私は驚いて顔を上げた。

 そんなつもりじゃなかったから。


 エンジュは微笑んでいるのに寂しそうに見えた。


「ううん。ただ、贈りたいから。それに成人のお祝いだよ」


 私がこの神殿に初めてきたときにハルジオンとエンジュに頼んだんだ。

 ナナリエに成人のお祝いをしたいから、仕事を紹介してって。


「そっか」

 エンジュは笑った。

 気のせいかもしれないけど、少しだけほっとしたように見えた。


「ナナリエ、きっと何度も聞くだろうねえ」

「そうだといいな」


 エンジュは手に持った黒い石を掲げて私に向けた。


「君の瞳と同じ色だ」


 そのとき、エンジュは私の名前を呼ばなかった。

 黒い石と、私の——ヨルカの瞳を見比べるみたいに並べた。


「この石は火の中から生まれた石だよ」

 石が向きを変えても、色は全然変わらなかった。

「いろんな記憶を凝縮させる石」


「……でも、誰かに伝えることが目的なら違う石がいいかもしれない」

 エンジュは立ち上がって歩き始めた。


 なんとなく後を追った。


 ほんの少し歩いただけな気がするのに、森の雰囲気が変わった。

 小川が流れていて、空気が少し冷たくて、一段と清らかな場所。


 そこに苔の生えた石の壁があった。

 突然現れた部屋みたいだった。


「保管庫だよ」

 保管庫というわりに扉もなくて開けっぴろげに思えた。


 でも、きっと限られた人しか入れないのかもしれない。

 なんとなくそう思った。


 中に入ると壁一面が棚になっていて木箱が並べられていた。

 エンジュはそこから小さな箱をひとつ手に取った。


 丁寧に蓋を開けると、箱の中身を見せてくれる。


「これ、依り代になっている木でできた石?」

「珪化木だよ。神殿の記憶を残すために保管してるんだ」


 以前見せてもらった、あの大きな輪っかの石と同じ色をしている。

 茶色くて、ところどころ緑とも青ともつかない虹色の光を返す石。


「琥珀宮の正式な記録とは違う、もっと気配みたいなものかな」


 エンジュは木箱を両手で包み大切そうに視線を落とした。


「でもこれは、まだ空っぽ」

「空っぽ?」


「うん。まだ誰の記憶も入っていない」

 そっと私に木箱を差し出す。

「アンリの言葉を入れるにはちょうどいいでしょ」


 私は思わず受け取ってしまった。

 箱は軽いのに、ちょっと重い。


「でも大切に保管してあるものなんでしょ」

「大切だよ」

 エンジュはにっこり笑った。


「だから、いいかなって思って」


 いいのかな。


「さっきソラリスも言ってたでしょ」

 エンジュが少し眉を下げた。


「アンリは自分で考えて作ろうとした。そういうの、僕もいいなって思う」

「ありがとう」



 静かな木の下に座って、私は石を手に取った。


 この国を見て気づいたことを少しずつ話し始めた。


 どんなふうに聞いてくれるだろう。


 だんだんとナナリエの顔が思い浮かぶ。


 気になるものを見つけたときのわくわくした顔。

 夢中になり過ぎたことに気づいて我に返ったときの照れた顔。

 考察するときの難しい顔。

 真理を掴むような遠くを見つめる目。


 エンジュはずっとそこにいたけど、ほとんど木と同化していて、いるのかいないのか気にならなかった。


 私の言葉を聞いてくれた石を箱に戻した。


 ……あれ?言葉だけじゃなくて、もしかして私の顔も記憶に残ってしまうかも?

 今更気づいた。


 どんな顔で喋っていたんだろう。

 変な顔だったらどうしよう。


「石に記憶を定着させるのには時間がかかるから」

 私が石を箱にしまうのを見て、エンジュが言った。

「しばらくこの保管庫で静かにさせておこう」


 箱の蓋を静かに閉める。


「そうだな……今月の終わりには落ち着くと思う」

「そっか。じゃあそれまで預かってくれる?」


「任せて」

 エンジュは本当に嬉しそうに笑った。


 たぶん、石を預かることじゃない。

 誰かから託されることが嬉しいんだ。


 もしくは、誰かと誰かを繋ぐのが。

 この人は誰かのために何かをするのが好きなのかもしれない。


「取りに来るの、待ってるね」


 エンジュへ木箱を渡そうとして、私は少し手を止めた。


 これをナナリエに渡す。

 そう思ったら、さっき石に吹き込んだ言葉とは違うものが胸につかえた。


「本当は怖いんだ」

 ぽろっと言葉がこぼれ落ちる。


「ナナリエはちょっと変わってて、優しくて、大好きなんだけど」


 受け取ろうとしたエンジュの手も、空中で止まっていた。


「ナナリエとソラリスが同じ場所にいるとさ、息を呑むっていうか。なんか、怖くて足がすくむんだよね」


 私はほんの少しだけペリドットであった出来事をエンジュに話した。

 話すことで、エンジュの負担になるのかもしれないと思ったのに。


「ソラリスも明るくて頼り甲斐があるのに……ふたり揃うと、遠くて、知らない人みたいに見えるの」


 こんなこと言っていいのかわからなかった。

 ふたりともエンジュの友達なのに。


「……怖いのとは少し違うかもしれないけどさ」

 だから最後はちょっと言葉を濁した。


「……怖いよ」

 エンジュはぽつりと言った。


「人の手の届かないものは怖い」

 エンジュは私の両手から箱を静かに受け取った。


「雨も、風も、土も、陽射しも、人の都合では動かないよね」


 全然関係のない話みたいに聞こえた。


「でも、それがなければ生きられない」


 いつかエンジュが言っていた。


 太陽は私たちを温めるためにいるわけじゃないし、水も私たちを潤すためにいるわけじゃないって。


 だから畏れ敬っているって。


 それを思い出した。


「それは怖いものなんだ」

 静かだけど、確かな声だった。


「でも、目を逸らせない」


 エンジュと目が合った。


「憧れるし、近づきたいし」

 少し困ったように笑う。


「たぶん、大好きなんだと思う」


 大好きと言っているのに、なんだかとても寂しそうだった。


「アンリを安心させようと思ったのに」

 エンジュは軽い笑い声をあげた。


「僕の方が、ほっとしちゃったよ」


 私にはエンジュがほっとした理由がわからなかった。


 でも、その笑顔がとても自然で、エンジュらしく感じた。


 だから、それでいいかなって思った。

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