表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星粒のリテラエ ——暫定魔女が記録する、理系王女と最適解王子のたったひとつの“誤差”  作者: はなちゃん
第五章 雨上がりのソラ 〜私の足元には、ふたつの影がある〜
PR
66/68

第66話 陽だまりのような場所 —翡翠—

 黒。



 また、ここだ。


 何もない空間。


 終わりのない時間。



『あんり』


 ひまわりが咲いた。


 十四歳の私がこちらを見ていた。


『この前は、話が途中になってしまったね』


 相変わらず、私に似合わない落ち着いた話し方。


『本当なら、君の体を通して、私だけが世界を少し体験するだけのはずだった』


 ひまわりみたいに明るい色の瞳なのに、彼女は物憂げに影を落とす。


『いつもみたいに』


 いつもみたいって。


 何度もこうやって誰かの体に入っているみたいな口ぶり。


『なのに、どうしてかな。君はそちらへ行ってしまった』


 本当にわからない、というように悲しげに目を伏せる。


 相変わらず、私は彼女に話しかけられない。


 一方的に話を聞かされるだけ。


『そちらでは自由にしてくれてかまわない。それが、せめてものお詫びだ』


 あ。ごめん。


 すでに自由に歩き回っていたよ。


 あなたの都合も考えずに。


 そんな声も彼女には届かないけれど。


 彼女は明るい色の目を細めて微笑んだ。


『収束するところは、たぶん変わらない。でも、そこまでの道は君のものだ』


 ややこしい言い方するなあ。


 本当に十四歳?


 表情も言い方も、年上と話しているみたい。


『それでは、また。その日まで』


 あなたと私が元に戻るときのことを言っているの?


 そうだ。「間に合うように帰る」って伝言、まだ伝えていない。






「アンリ、翡翠に着いたわ」

 ナナリエの声で目が覚めた。


 あ、そうか。

 ハルジオンの車で寝ちゃったんだ。


「ごめん、寝てた」

「いいのよ。今回は疲れたわね」


 ナナリエはそう言ってくれたけど、私は運転席にも声をかけた。


「ハルジオン殿下、すみません」


 寝言がうるさかったぞ、と嫌味のひとつでも言われるのかなと思ったのに、ハルジオンは振り向きもせずに「かまわない」とだけ答えた。



 ここを訪れるのは二ヶ月ぶりだろうか。


 とても久しぶりな気がする。


 森林のトンネル、神殿まで続く長い階段。


 以前は延々と続いているように見えたけど、二度目は少しだけ足が軽い。

 私の足もたくさん歩いて力がついてきたのかもしれない。


 最後の一段を登り切ると、樹々の間を神職の人たちが音もなく歩いているのに気づいた。


 動いているのが、風なのか、光なのか、人なのか、わからなくなる。


 やっぱり、ここは森と神殿、風景と人物の境目が曖昧だ。


 そして。


「ようこそ。また来てくれて嬉しいよ」


 急に目の前に現れる。


 ずっとそこにいたのに。


 神殿のエンジュは少し不思議だ。


 王都で会った時は輪郭がはっきりしていたのに。


「エンジュ……」

 ナナリエは木漏れ日の中を滑るようにエンジュに近づいた。


「ナナリエ。疲れたんだね」

 穏やかに微笑む。


「エンジュ。頭を平らにして」

 ナナリエが命令するような口調でエンジュを見上げた。


 ゆっくりと首を傾げたエンジュの肩から、太い三つ編みにした緑色の髪が滑り落ちる。


 頭を平らに?


 鍼治療をして、くらいの軽さで言っているけど。


 そういえば以前、参拝客の頭にエンジュが手をかざすと、光の粒が手と頭の間で循環していた。


 ナナリエはそれを「個人に蓄積された情報の偏りを均す」と説明してくれた。

 そこから何かを取り除いたり、エンジュから相手に与えたりするんじゃない。


 頭の中でぐちゃぐちゃになった考えをいったん整理して、机の上を平らにするみたいなことか。


 ゆっくり上がったエンジュの右手は、低い位置で止まった。


 柔らかい視線がハルジオンに向く。


 ハルジオンは静かに頷く。


「疲れているはずだ。よく見てやってくれ」


 エンジュは安心したように、止めていた手をナナリエの頭の上にかざした。


 光の粒がゆっくり動き始める。


 ナナリエは眠そうに目を閉じた。


 行く先々で検証して、難しいことをいつも考えて、ナナリエの頭の中はきっと情報が複雑に絡み合っているんだろう。


 ふわっと力が抜けたようにナナリエが揺れた。

 いつの間にか隣に立っていたハルジオンが、その背中を受け止める。


「何かを決断する時が一番負荷がかかるよね」


 エンジュはナナリエを見ながらため息をついた。

 そのまま、ハルジオンを見る。


「僕は、ハルジオンの方が心配だ」


 翡翠色の目が揺れていた。


 玉穂の畑の光景が蘇る。

 あるはずのない答えを探して迷い悩むハルジオンと、おじいさんに来年の収穫を誓うハルジオン。


 エンジュは見てもいないその光景を、まるで知っているみたいだった。


「私は問題ない」

 ハルジオンはエンジュから視線を逸らした。


 その視線がそのまま私に向く。

「この子を見てやったらどうだ」


 え?私?


 驚いてエンジュの顔を見上げたけど、エンジュはまだハルジオンを見ていた。


 少し遅れて翡翠の目が私に向けられる。


「そうだね。僕もちょっと興味ある」

 冗談ぽく笑う。


 え?興味ってなに?


「僕に何かが見えるわけじゃないから安心して。ただ、循環させるだけだから」


 記憶を読み取るとかそういうことじゃないなら、まあいいか。

 それに私も興味ある。頭皮マッサージみたいで気持ちよさそう。


「じゃあ、お願い」

 私が頭を突き出すと、エンジュは優しく微笑んだ。


 ……のだが。


 頭の上に降りてきたエンジュの手が、次第に小刻みに震え出した。


「ふふ……」

 エンジュは左手で口元を押さえて笑いを堪えていた。


「ちょっと」

 頭皮がリラックスするどころじゃない。

 笑われているのが気になりすぎる。


「何かおかしいなら言ってよ」

「おかしいっていうか、すごいよね」

「何が?」

「こんなに取り散らかった頭は初めてだよ」

「何それ!」


 私はエンジュの手を持ち上げてどかそうとした。


「待って」

 エンジュが笑いをしまって、真面目な顔に戻った。


 手は、私が押したくらいじゃ、びくともしなかった。

 木の幹みたいに動かない。


「笑ってごめんね」

 翡翠色の瞳が少しだけ降りてきて、影を落とした。

「きっと、たくさんのことを吸収したんだね」



 木漏れ日のように穏やかな温かさが、ふわっと私を包んだ。

 包んだ、というよりは染み込んでくる。


 わからないことも、面白いこともたくさんあって、私はとにかく拾い集めてきた。

 それをノートにまとめて、分類して、理解する間もなく。


 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと。

 そして、身体の奥から顔を覗かせる、あの少女の記憶。


 たしかに、机の上はぐちゃぐちゃだ。


 だけど苦しくはない。


 こういう私も好きだなって思っている。


 頭の中で絡まった糸がほどけて、きれいに結び直されていく。


 糸の山に埋もれていた大切なものが少しだけ手を差し伸べてきた。


 ——私の足場を支える大地のようなものが。


 ふわり。


 結び直された糸が布になって、その上にそっと被さった。


 あれ。


 今、何かに触れかけていた気がしたのに。



 はっとして目を開けると、エンジュがにっこり笑った。


「じゃあ、お茶淹れようか?」

 あ、そうか。この人お茶を勧めるのが好きなんだ。


「エンジュ、ペリドットの特産品だ」

 元気のない声なのに、ハルジオンは手土産を忘れていなかった。


「アンリの作ってくれた玉穂の蒸しパン、もらってくれば良かったわ」

「なになに?アンリ、料理したの?」


 エンジュは散歩するような足取りで歩き始めた。

 私たちもその後に続くと、テーブルと椅子が現れた。


 そこが、森の中なのか、神殿の内側なのか、相変わらずわからない。


「今日は水出しじゃないんだ」

 エンジュが言いながら急須にお湯を入れた。


 この前は朝から水出しの緑茶を淹れて、透明な氷を用意してくれてたっけ。


 急須を待つ間、エンジュはグラスに氷をたくさん入れた。


「急冷の方がすっきりした味になるからね」


 氷の上に濃い緑のお茶が注がれる。


「翡翠宮だから緑のお茶なの?」

 溶けながらグラスの中を回る氷を見ながら、私は疑問を口にした。


 一瞬、三人とも首を傾げる。


「琥珀宮は琥珀色のお茶だったよ」

 私は、ナナリエが柄杓のような茶器をゆったり掲げながら舞うように淹れてくれたお茶を思い出した。

 琥珀色のお茶から花のような香りが漂っていたことさえ、昨日のことのように蘇る。


「ああ。なるほど」

 エンジュが呟いた。


「たしかにそうかもしれないわね」

 ナナリエが今更気付いたみたいに言う。


「珊瑚宮の茶もたしかに赤いかもしれないな」

 ハルジオンが考え込むように眉間に皺を寄せた。


「あれ。そういう決まりじゃなくて?」

 私が聞くと、エンジュはおかしそうに笑った。


「お茶に決まりなんてないよ。その地域で古くから親しまれているものがそれだっただけ」

 笑いながらみんなにお茶を差し出す。


「アンリは、生活に溶け込んで分析するのが仕事なんです」

 ナナリエは得意げにハルジオンに言った。


「ああ、観察と記録が仕事だと、以前言っていたな」

 あれ、覚えててくれたのか。

 観光だとか見物だとか言って、興味なさそうだったのに。


「アンリは私たちの国をよく見てるんです。ね?」

 ナナリエは小さい子どもみたいにはしゃいで、私に笑いかけた。


「うん。この国が好きだからね」


 答えながら少し迷った。

 好きなんて、この国のことをほとんど知らない私が言っていいのかなって。


「そっか」

 エンジュが柔らかく受け止め、ナナリエが照れるように笑った。

 ハルジオンは、少しだけ眉を下げて、でも嫌じゃなさそうな表情だった。


「そしたら、瑠璃宮は青いお茶なの?」


「あー」

 エンジュが苦い顔をする。

「あそこは黒いね」


「あら、濃い茶色よ」

「味もひどい」

「頭がスッキリするそうよ。私も苦くて飲めないけど」

「瑠璃宮の人たち、ちょっと変わってるから」

「変わってるのは翡翠でしょう。いつも急に目の前に現れて驚くのよ」


 ふんっと鼻から息を吐いて、ナナリエはお茶を飲んだ。


「……甘くはないわね」

「またそれ」

 私は苦笑した。


「ナナリエの基準は甘いか甘くないか、だもんね」

 エンジュもため息をついた。


「すっきりしていて頭が冴える」

 ハルジオンが静かにお茶を飲みながら言った。


 エンジュは嬉しそうに目を細める。

「やっぱりハルジオンはわかってくれる」


 グラスの中で氷が溶けて揺れる。


 そういえば、昨晩のソラリスもハルジオンに料理を手渡しながら同じことを言っていたな。

 お前ならわかってくれると思った、って。


 ただの偉そうな人じゃなくて、けっこう苦労人なのかも。


「殿下って、けっこう気を回しますよね」

 言ってから、やっぱり余計なこと言うんじゃなかったって後悔した。


 ハルジオンは眉間に薄く皺を寄せて私を見た。

 でも、ここにはナナリエもエンジュもいる。


「そうだね。ハルジオンは背負いすぎる」

 エンジュが私の言葉を拾い、ナナリエも黙って頷いた。

「今回も総責任者じゃなかったのに……」


 エンジュの言葉に、ハルジオンは何も返さなかった。

 手元のお茶だけを静かに見つめている。


「ハルジオンは誰のことも置き去りにできないから」

 エンジュの声が少し落ちた。


 テーブルに落ちる木漏れ日の形が変わった。


 もうすぐ夕刻に入る。


「この国の王族の子どもは」

 ふいに、エンジュが私に笑いかけた。

「三つから七つまで翡翠宮の学舎で学ぶって、前に言ったでしょ?」


「ああ、星の見方とか、草木の声の聞き方とかを教えてもらうってやつ?」

 たしか、前にそんな説明された。


 私の言葉を聞いた、ハルジオンが怪訝そうな顔になる。

「エンジュ、草木の声の聞き方など学んではいないだろう」


 え、違うの?


「自分の意思を言葉で伝えたり、協調性や自主性を身につける場所だ。八歳からの中等教育に向けて、学ぶ姿勢や生活の基本、数や言語能力などを身につける初等教育だ」


 うん、これは普通に幼稚園ってことだね。


 ナナリエが隣で首を傾げた。


「そうなんですか。退屈なことを強制されて、あの頃は本当に苦痛でした」

 ……みんな、それぞれだなあ。

 エンジュもハルジオンもナナリエに向けて微妙な苦笑をした。


 苦笑をしまって、エンジュが話を続けた。


「七歳、初等教育の最終年にお泊まり学習があったんだけど、最後の山歩きですごく疲れちゃった子がいて。歩く速度がどんどん遅くなったんだ」

「そんな活動あったかしら」

 ナナリエが目を丸くした。


「その子に、ハルジオンが最初に気づいて」

 ちらっとエンジュの視線がハルジオンに向く。


「へえ。殿下、おんぶでもしてあげたんですか?」

 私もハルジオンを見た。


 難しい顔のまま黙っていた。


「ううん。ハルジオンは自分も一緒にゆっくり歩き始めたんだ」

 エンジュが柔らかい声で答える。

「後ろの子たちが遅いぞって文句を言っていたけど、ハルジオンは気にしてなくて」


「……お前こそ」

 ようやくハルジオンが声を上げた。

「前の方から戻ってきて、『こんなにいい風が吹いているんだから急いだらもったいないよ』と言っていただろう。呑気な顔で」


「呑気な顔はもともとだよ」

 ハルジオンの反応に嬉しそうに目を細める。

「けっきょくみんなにも不満を言われて、先生にも列を乱したことを注意されて」


「人から向けられる感情にいちいち反応していたらキリがないだろう」

 ハルジオンはいつもの不機嫌そうな顔で、ため息をついた。


「……でも、その疲れちゃった子の気持ちは、見過ごせなかったんだよね」

 エンジュは少しだけ呆れたみたいに笑った。


 ナナリエがじっとハルジオンの顔を見つめた。

 心配するでも、尊敬するでもない、ハルジオンの中身を確認するような目。


「だから僕は、誰かの隣に寄り添うハルジオンの隣に、ずっといたいんだ」


「……自分の意思はないのか」

 ハルジオンは肩をすくめた。


「あるよ」

 エンジュが少しだけ身を乗り出す。


「これが、僕の願いだ」

 いつになく真面目な顔でエンジュは言った。


 ふたりの間には、私の知らない長い時間があるんだな。


 そう思ったとき、ナナリエが口を開いた。


「お兄様とエンジュはその頃から一緒にいたのね」


「ナナリエも知らないんだ?」

 三人はずっと一緒にいたんだと思っていた。

 このふたりとナナリエが五歳差なら、初等教育は入れ違いだったのか。

 八歳からは、それぞれ別の宮で中等教育を受けていたはずだし。


「私がお兄様に会ったのは私が九歳、お兄様たちはもう十四歳だったわ」


 ね?とナナリエはハルジオンの顔を見た。

 ハルジオンは黙って頷く。


「あー。じゃあほぼ今の殿下って感じですね」

 私もハルジオンを見たけど、今度は無反応だった。


 代わりにエンジュが答える。


「だいたいそうだねー」

「お兄様は、最初からお兄様だったわ」

 ナナリエがちょっと得意げに言った。


「僕は三歳のハルジオンも知ってるんだー」

 エンジュがナナリエに自慢をした。


 ナナリエのこめかみがぴくりと動く。


「なによ。信頼関係は長さじゃないわ」

「そんな話をしてないよ。ただ、知ってるって言っただけ」


 ムッとした表情のナナリエを見て、ハルジオンがくすっと笑った。

 久しぶりに笑った顔を見たかもしれない。


「エンジュとナナリエは幼い頃から顔を合わせていたようだが」

 気の抜けた感じで言う。


 あれ。ハルジオン、もしかして、私に話しかけてるのかな?


「ナナリエは昔から強烈だったよ」

「エンジュの印象は……ないわね!」

「ひどいなあ」


 ナナリエがエンジュに容赦ないのも、なんとなく理解できた気がする。


 たぶん、ほんの一部だけど。


 三人はずっと一緒にいたわけじゃない。


 でも、お互いの知らない時間まで大切にしながら、この柔らかい陽だまりのような場所で、何度もお茶を飲んできたのかもしれない。


 なんて、少し想像してみた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ