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星粒のリテラエ ——暫定魔女が記録する、理系王女と最適解王子のたったひとつの“誤差”  作者: はなちゃん
第五章 雨上がりのソラ 〜私の足元には、ふたつの影がある〜
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第65話 雨上がりのソラ —ペリドット—

 翌朝目覚めると、少しだけ違和感があった。


 いつも無意識に私の手を握って眠るナナリエが、今朝は握っていない。


 場所が変わったから?


 そうも考えたけど、私は気づいた。


 ナナリエの中で、私と「この子」の輪郭が、少しだけ分かれたのかもしれない。


 目を開けたナナリエは、虹色の瞳に私を映した。


「いつも目覚めが早いのね」

「意外と寝坊はしないんだよね」

 私はにやりと笑って見せた。



 雨が降り出すまでに残り二つの村の玉穂の焼却を終えねばならない。

 ペリドットの大臣クレソンさんの判断で、二手に分かれることになった。


 クレソンさんの班と、ハルジオンの班だ。

 第七隊も二手に分かれることになった。


「じゃあ先に行ってる」

 方針が決まった途端に、ソラリスはバイクみたいな一人乗りの磁走車に乗って次の村へ飛んでいってしまった。


 私たちは第七隊の輸送車に乗せてもらうことになった。


 到着した村も、ひとつ目の村と状況は同じだった。

 抜き取りで止められる段階は過ぎていて、ハルジオンとナナリエは村の人たちを集めて説明をした。


 村の人たちは気を落としてはいたが、来年に向けての対策をすでに彼らの中で話し合っていたようだ。


「来年は少し畝を高くしよう」

「雨の逃げ道も変えよう」

「風が通るように株間を空けよう」


 みんなが意見を出し合っていた。


 第七隊が焼却の準備を終えた頃に、ソラリスがこちらの村に到着した。

 もうひとつの村はもう焼却に入っているらしい。


 小さな村だったけど、みんなが集まって感謝と見送りの祈りを捧げると、緑の畑は大きく波打って答えた。


「風が出てきたな。急ぐぞ」


 ソラリスの指示で点火され、私たちはまた静かに見守った。



 昼食は玉穂の蒸しパンで、私も村の台所で蒸すのを手伝わせてもらった。

 陶器製の蒸し器の穴から立ち上る白い湯気は、甘い香りがした。


「今度は捏ねるところから一緒にやりましょうね」

 仲良くなった女の人と、そんな約束をした。


 小さな学校の校舎の窓辺で、玉穂の蒸しパンを食べながら外の様子を見た。


 畑の端に何人かの隊員が座って休憩しているのが見えた。

 ほかほかの丸いものを頬張りながら畑の様子を見ているようだった。


 木の影になって全部は見えないけれど、相変わらず白い煙は生き物みたいに動いていた。



 不思議だ。


 初めてこの国で目覚めた時は、暗い部屋でひとりきりだったのに。


 そこから遠く離れた学校の窓辺で、この国の人たちと一緒に作った、この国の穀物を食べている。


 この国の人たちが大切にしているものに、少しだけ触れた気がする。



 胸元で揺れる欠けた輪っかを持ち上げた。


 黒い石の中でたくさんの色が光に揺れている。


 ナナリエが私のために作ってくれた、この世界と私を繋ぐもの。


 もらったものが多過ぎる。


 私も何か返したい。


 投げられたものをずっと持ったままじゃ、寂しい気がする。


 そう思ったとき、ナナリエの好奇心いっぱいの顔が蘇った。


『なにか、わかった?』


 私がこの国でなにを見たのか、知りたがっていた。

 ちゃんと私の仕事を理解してくれていたんだ。


『それって、ふたりだけの秘密ってことね』


 わくわくした声。


 ふたりだけの秘密。


 手紙。


 石に宿る記憶。


 私の中で、ナナリエへ贈るものの形が見えた気がした。



「アンリ!」

 ふいにナナリエが呼ぶ声がした。


 廊下から教室の中を覗いている。

「やっぱり二階にいたのね」

 走ってきたみたいに少し息が上がっていた。


「村長との打ち合わせが長引いてしまって」

 ナナリエは教室を見回した。

「退屈じゃなかった?」


「全然!はい、これ。ナナリエのぶん」

 私は玉穂の蒸しパンの包みをナナリエに手渡した。


「甘い香りね」

「私も少し手伝ったんだ。蒸すときの見張りだけだけど」


「すっかりここで生活してるのね」

 ナナリエは嬉しそうに目を細めた。


 すっかり冷めてしまったけど、玉穂はふかふかしている。


 ふかふかを両手で持って、ナナリエは大きな口を開けた。


「え?いつも小さく千切ってるじゃん」

「たまにはいいでしょ」


 ナナリエは横目でにやりと笑って、かぶりついた。

 噛みちぎられた部分が一瞬しぼんで、でもすぐにふわんと元の形を取り戻す。


 しばらくもぐもぐして、飲み込むと、ナナリエは微笑んだ。

「美味しいわ」


「わかるの?」

 昨日の夜は、“美味しい”は謎の概念みたいに言ってたじゃん。


「甘くて、アンリが作ってくれたって情報が入っているから充分でしょ」


「どういうことなの……」

 私は苦笑するしかなかった。


 全然わからないんだもん。


 でも、口いっぱいに頬張って嬉しそうにもぐもぐしているナナリエは、そこに“美味しい”があるって証明してるみたいだった。


 私はもうひとつおかわりした。


「アンリは本当によく食べるわね」

 ナナリエは楽しそうに事実を述べた。


 おしゃべりをしながら食べ終わる頃には、外の煙が少し細くなっていた。


「もうすぐ降り出しそうね」

 ナナリエが空を見上げた。

 灰色の雲は分厚くなって今にも泣き出しそうだ。


「間に合うかな?」

「大丈夫、と言いたいところだけど、天候だけは制御できないから」


 ナナリエは少しだけ笑って、静かな目で遠くの煙を見た。


「でも、彼なら全て読んでいそうね」

「誰?」


 ナナリエの目がとても静かで、少しだけ怖かった。


「あの青い目をした、あの人よ」


「ソラリス隊長?」

「あら、そういう名前なの?変わった響きね」

「え?名前知らなかったの?」

「名乗ってたかしら」


 そういえば、ハルジオンがそう呼んでいただけで、本人が名乗っているところは聞いた覚えがない。


 え?でも。

「普通に会話してたよね」


 恐ろしいくらいに噛み合って。


 ナナリエは首を傾げた。


「相手が目の前にいるなら、名前を知らなくても困らないでしょう?」


 これは苦笑できないレベルで、全然わからない。

 でもナナリエは少しも困っていないようだった。


 ソラリスも目の前の人をみんな「お前」と呼んでいたけど、もしかして、それも同じ理屈かもしれない。


 私には違和感しかなかったけれど、ナナリエにとっては気に留めるほどのことでもないみたいで、その話題は続かなかった。

 空を見上げて、焼却の行方だけを気にしていた。

 

 煙が完全に見えなくなったとき、消防団のおじさんがみんなを呼びにきてくれた。


 無事に終わったみたいだ。

 私は胸を撫で下ろした。

 大切に育てたものを失うのに、中途半端な結果ではやり切れない。


 畑に到着すると、すでに村の人たちが集まって確認をしていた。


「夏に咲く花でも植えるか」

「そりゃあいい。一面を青にするのはどうだ」

「いや、赤だな」

「土壌改良ならウリ科だろう。黄色だ」


 そのまま丸くなって会議が始まった。


 来年じゃなくて、すぐ目の前に迫る夏の畑を考えているんだ。


 同じペリドットでも、集まる人たちの経験や考え方で、違う答えが出るんだな。


 ここに生きる人たちのたくましさが眩しい。



 一方、空は本格的に暗くなってきた。



 ぽつ。


 と、一滴落ちてきた。


「お。こらえてくれてたか」

 ソラリスが空に笑いかけた。


 すると、さあーっと柔らかい雨が、待ち構えていたように降ってきた。


「雨だ」

 本当に降り出した。


 みんなはどこからともなく小さな円盤を取り出し、頭上に浮かべた。


 傘だ。


 何度か使ったことがある。


 小さな円盤が頭上に浮いて、ひとり分くらいの範囲の雨を磁気の力で横に流してくれる。


 円盤の下にいると、見えない壁を伝って雨が体の周りを膜のように流れていくんだ。


 ときどき、雨粒を通った光が分解されて虹色に見えるときがある。


 オーロラのカーテンに守られているみたいで、どこかカレンダエの夜空に似ていた。


「大気が落ち着く。いい条件ね」

 ナナリエが無機質に呟いた。


 一ヶ月前には雨は最悪の条件みたいに言われていたのに、今は空を洗い流して煙と灰を鎮めてくれている。

 雨と一緒に、心に溜まっていたものもさらさらと流れていくみたいだ。


 ペリドットの見送りは、みんなで空を見上げることだった。


 灰色の空がひとしきり泣いたあと、乾いた風が雲を流した。


 雲の切れ目から、青が見える。


 ふたつの太陽が静かに顔を出した。


「虹だ」

 誰かが呟いた。


 振り返ると丘の向うの、ずっと遠く。


 青空に虹がかかっていた。


「幸先いいねえ」

 村の人たちも、作業を終えた隊員たちも、みんな丘の向こうを見上げていた。


 だけど。


「こんだけ降りゃ再燃の心配はないな」

「排煙被害の方は抑えられそう」


 青空の虹なんて気にも止めない現実的な会話が聞こえてきた。


 みんなの視線はまだ丘の向こうに向けられていた。


 なのに、どうしてだろう。


 私だけが振り返った。



 眩しい。


 ふたつの太陽の下にソラリスとナナリエが並んでいた。


「残るは土壌の毒素の分解だけね」

「んじゃ、あとは土がやる仕事だな。軽く耕して帰るか」


 ふたりは畑を見ているようで、そのもっと先を見ているみたいだった。


 私はふたりに声をかけられなかった。


 でも怖い、とはちょっと違った。


 少し遠いけど、同じ地面に立っている。


 近づきたいと思った。


 踏み出した足が小石を蹴って、その音にふたりが振り返った。


 太陽が眩しくて、ふたりの表情はよく見えなかった。


 けれど私に笑いかけてくれているのはわかった。


「迅速な対応、感謝する」


 後ろから声が聞こえた。

 振り返るより早く、ハルジオンが私の横を通り過ぎた。


 ハルジオンはソラリスの前で止まり、手を差し出した。


「おう。おつかれ!」

 ソラリスは爽快な笑顔でハルジオンの手を握り返した。


 握った手はすぐには離れなかった。


「また一緒にやろうぜ」

 先にソラリスが言った。


 ハルジオンは真っ直ぐにソラリスを見ていた。


「ああ。必ず」

 ただそれだけの短い言葉を返し、ふたりの手は離れた。


 ソラリスは第七隊の列に向かって身軽に駆け出していった。



 その背中を少しだけ見送って、ハルジオンがナナリエと私に声をかけた。


「神殿に用がある。行くなら乗せていくが」


 空からハルジオンの車が降りてくる。


「エンジュに……」

 さっきまで元気そうだったナナリエの顔に、疲労の色が見えた。


「私も……」

 言いかけて、ナナリエは私の顔を見た。

「行ってもいいかしら?」


「もちろん。私も一緒に行くよ」

「ありがとう」

 ナナリエは安堵した表情でハルジオンを見上げた。


「お願いします。ハルお兄様」

「ついでだ。かまわない」


 車の扉が静かに開く。


 ふたりの後を追って私も車に向かった。


 乗り込む前に、ふと、足元を見た。


 私の足元にはふたつの影があった。



 雨上がりの空はどこまでも澄んでいて、



 空には太陽——この国のソラが、ふたつ並んでいた。


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