第61話 ソラリス
「風向きは?」
緑の波の真ん中から、ソラリスは波の向こうへと声を飛ばした。
「現在、南南西。やや強め!」
向こう側から張り上げた声が返ってくる。
「午後は」
「エメラルドの気象予測では、西寄りに変わり、やや弱まる見込み」
「火入れは午後だな。区画を仕切るぞ。南西から順に旗立てろ」
ソラリスが指示を出すと第七隊の隊員たちが一斉に畑へ散っていった。
畑の端に目印が立てられ、延焼を広げないための幕のようなものも張られていく。
その動きは見事なほど連携が取れている……ようだったが。
「おい、そっち杭が曲がってるぞ!」
「曲がってんのは地面だよ!」
「なんだと!地面が泣くぞ!」
「隊長ー!こいつら仕事しません」
行動には無駄がなさそうなのに、絶えず軽口を叩き合っている。
「おう。あんま喧嘩すんなよ」
ソラリスは興味なさそうに背を向けたまま返事をした。
「この村の水路は誰が管理してる?」
隊員たちのことは目で追わず、ソラリスは地元の消防団の団員たちに声をかけた。
「自分です」
大柄の青年が一歩前に出た。
「よし」
ソラリスは人懐っこい笑顔で青年を見た。
「じゃあ任せる」
「え?」
「防火訓練はしてんだろ」
「そうですね……」
「なら大丈夫だ」
自分より大柄の青年の肩をバシッと叩いて笑う。
戸惑う青年に、ソラリスは真面目な顔で付け足した。
「用水路は全開。排水は流せ。畑に水を溜めるな。消火用の散水管は西側に配置だ」
「わかりました」
ソラリスはふっと顔を上げて東の空を見た。
「川は東だったな」
「はい。林の影になっていますが、すぐ近くです」
ソラリスは軽くうなずいて、大声で隊員を三人呼び、指示を出した。
隊員が環を上空にかざすと、村の入り口の方から丸い水槽を抱えた円盤のような機械が、音もなく滑ってきた。
「浮水散機の給水は川だ。第七隊は村の井戸を使うな」
「了解」
浮水散機は生き物みたいに向きを変え、隊員と共に林の向こうへ消えていった。
その後もソラリスは指示を出し、設備と手順を確認した。
ナナリエはペリドットの大臣と玉穂の茎を見ながら、すでに来年の対策を相談している。
ハルジオンはガーネットの職員とともに村の人たちへの説明にあたっていた。畑の北側に民家があるため、西寄りの建物の中に避難するよう指示が出されていた。
「で。お前は何してんの?」
みんなの様子を見ていた私にソラリスがため息混じりに声をかけてきた。
「え。……見てました」
「みんな忙しそうにしてんのに?」
「はい……すみません」
この人、なんとなくハルジオンより怖いかもしれない。
「ここ見物席じゃねえぞ」
「え?」
「自覚あんのか?」
役に立っていない自覚ってこと?
ごめん、あんまりなかったかも!
「えっと、それは……」
何かした方がいいのかと思って足を踏み出したら、ぬかるんだ土に足を取られて倒れかけてしまった。
ソラリスはひょいっと私の二の腕を掴んで支えた。
「あ、すみません」
「鈍臭いな」
青い瞳は鮮やかなのに、なぜかとても冷たく感じた。
「子どもは屋内退避だ」
「身体は十四歳ですけど、中身は二十七歳なんです!」
「そりゃ、鈍臭さ倍増だな」
ソラリスは掴んだ二の腕を引き寄せて低く警告した。
「見物してないで、早く帰れ」
「帰れって、どこに——」
私が言い終わるより早く、よく響く声がした。
「彼女は見物が仕事だ。戦力として数えるな」
集落の方からハルジオンが歩いてきていた。
「記録係みたいなもんか」
「そうだ。役に立つかは別だが」
私は捕獲された宇宙人みたいにソラリスにぶらさがっていた。
「役には立たないですか……」
「役に立つ時もある」
ハルジオンは迷いのない顔で言い切った。
「あんまりないってこと……?」
「いや、お前、能天気なのか自己評価低いのかどっちだよ」
ソラリスは呆れた様子で手を離した。
「変なやつらだな」
「変なのは君の方だ。王立特務救難隊第七隊隊長イサリダ・ソラリス」
「お前、まだそれ言うの?練習してきたわけ?」
だよね。私もそう思う。
「珊瑚宮イサリダ家傍系の養子。五年で八度の所属変更。畜産、舞踊、看護、物流……経歴だけ見れば節操がない。現在はエメラルド宮所属、王立特務救難隊第七隊へ出向中。昨年の西南地区の暴風雨災害の救難指揮は迅速かつ正確だった、と聞いている」
「気持ち悪。なんでそんな知ってんだよ」
「たしかにこれは怖い」
しまった。この人につられて心の声が漏れてしまった。
「お前、話わかるじゃん」
ソラリスが満面の笑みで私を見た。
代わりにハルジオンが突き刺すような目で私を見ている。
「いや……恐ろしい経歴の持ち主だなって」
ああ、適当なことを言ってしまった。
だけど、ハルジオンの顔が緩む。
私が上司の顔色を伺う日が来るなんて。敗北した気分。
今度はソラリスが不満そうにそっぽを向いた。
「でも、エメラルド宮所属なんて意外ですね」
この人が天体観測や気象予報してるところ、あまり想像できない。
「最後にいたのがそこだっただけだ。特に意味はねえよ」
「結環の儀の申請のときにも、エメラルド宮だったってことですね」
ふと、このタイミングで思い出してしまった。
「うわ。お前もかよ。見物が仕事って本当なんだな」
「いえ、これはたまたま……」
「結環の儀だが」
ハルジオンが一段と低い声で言った。
「なぜ再度申請をしなかったのだ」
湿っているはずの空気に少しだけピリッとしたものが流れた。
「そもそも申請出しとけって言われただけだし」
「責任者が何度も足を運んで再申請の要請をしたと聞いているが」
「知り合いでもないやつの頼みを聞く理由がないだろ」
「……どうかしている」
「どうかしてんのは制度のほうだろ。なんで俺が合わせなきゃなんないんだ」
「……ちなみに却下したのは私だ」
「やっぱお前か。偉そうな顔してるもんな」
ソラリスは愉快そうに笑った。
ハルジオンは笑っていない。
上司の眉間に皺が寄っている。
「あの……この人は王子殿下らしいですよ。“お前”はちょっとまずいんじゃ」
「はあ?王子なんてこの国に掃いて捨てるほどいるだろ」
え?そうなの?
……たしかにそうかもしれない。
「……“お前”でかまわない」
ハルジオンが鼻で笑った。
「呼び名に特に意味はない。好きなように呼べ」
「おう。意外と話わかるじゃん」
「だが、制度の運用は守れ。そして王立部隊の色は白だ」
ハルジオンがソラリスの赤いスカーフを軽く引っ張った。
「いいだろ、赤」
「珊瑚の色とも違うな」
「ああ。俺に似合うだろ?」
ハルジオンは否定も肯定もせず、スカーフから手を離した。
これ以上言っても無駄だと言いたげに視線を逸らす。
「焼却の準備を終えたのなら昼食をとれ。費用は議会持ちだ」
「やったあ。お昼だ」
しまった。また私の心の声が。今日は疲れているのかもしれない。
「お前、本当に能天気だよな」
爽やかそうな青い目を、ひどくうんざりさせて、ソラリスはため息をついた。
昼食へ向かう途中で、畑を見て回っている村民を見つけると、ハルジオンはそちらへ歩いて行った。そして、私たちには先に行くよう片手で促した。
なんとなくソラリスと一緒に歩き始めてしまった。
下手なことを言うと、ひと刺しにしてくるからな。この人。
静かにしとこ。
「なんか怯えてね?」
不自然に黙っていたことに気づかれてしまったかもしれない。
なんて答えようと躊躇ったとき、玉穂の波の向こうからナナリエが顔を出した。
「アンリ、こっちにいたのね」
意外と近くにいたんだ。ナナリエが葉のかげに屈んでいたから気づかなかった。
隣にペリドットの大臣も腰を落としているのが見えた。
「ごめんなさい。ひとりにしてしまって」
「ひとりって、俺が見えてないのかよ」
「心細かったよ、ナナリエ」
私が手を差し出すと、ナナリエは私の手をぎゅうっと握った。
「来季の病害対策の話をしていたら夢中になってしまって」
ナナリエはちらっと振り返って、ペリドットの大臣を見た。
大臣は黄緑色の優しそうな目でナナリエに目礼して立ち去っていった。
議会の時から思っていたけど、このふたりはよく目で合図を送り合っている。
研究熱心そうな雰囲気も似ているし、気が合うのかもしれない。
「来年は収穫できるかな?」
私は緑の大海原を見渡した。
「来年は一時的に違う村の種を蒔くことになったわ」
「この村の玉穂は途絶えちゃうの?」
「いいえ。前年に採取した予備種をペリドット宮管轄の隔離区画で試験栽培して、発症しないことが確認できたら再来年この村の畑に戻すことになったの」
「そっか」
この村にずっと受け継がれたものが途絶えないとわかって、私は少し心が軽くなった。
「原因となる真菌は瑠璃宮の研究所に運んで解析をするわ」
「調べるんだね」
「そうね。検証は大切よ。そして種は必ず守る」
ナナリエは胸の前で拳をぎゅっと握った。
「それ、誰がやんの?」
ソラリスは軽く聞いた。
否定的でも肯定的でもない、フラットな声だった。
ナナリエは一度軽く頷いてから答えた。
言いたいことはわかるわ、というように。
「この村で有志を募って試験栽培に携わってもらうわ。希望があれば研究所への配属も可能にする予定よ」
「ふーん」
ソラリスはまたどっちともつかない気の抜けた声を出した。
ナナリエは気にした様子もなく畑の中をすたすた歩いていく。
ふたりの歩調は私より少しだけ早くて、そしてどこか同じリズムだった。
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