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星粒のリテラエ ——暫定魔女が記録する、理系王女と最適解王子のたったひとつの“誤差”  作者: はなちゃん
第五章 雨上がりのソラ 〜私の足元には、ふたつの影がある〜
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第57話 健康診断は迷宮である —ガーネット—

 総合病院というのは、どこの世界でも迷宮になっているのだろうか。


 白く清潔で、等間隔に同じような部屋が並んでいて、そして、すれ違う人がみんな忙しそう。


「最初に中央棟七階で問診を受けた後、西棟二階に下りていただいて身長と体重の測定です。もし混んでいるようなら先に南棟三階で聴力検査と視力検査、四階で心電図検査が受けられます。四カ所回っていただいた後、最後に中央棟三階で髪の毛の剪定処置をお受けいただけます」


 総合受付の人が一息に言った。


 中央棟七階、西棟二階、南棟三階と四階。最後に髪の剪定。


 髪の剪定。

 やっぱりこの星、人間と植物との境界が少し曖昧だ。


 そしてこれは、ひとりだと絶対に迷子になるやつ。


 でも大丈夫。私には心強い味方がいる。


「ハルに『今日は絶対空けておけ』って言われてるの」


 ヒヤシンス様が琥珀色の髪をふわりと掻き上げた。


「国中の人事権握ってるからって偉そうなのよ、あいつ」


 心強い味方は、ものすごく不満そうだった。ヒヤシンス様は、今日は外来担当から外してもらっているらしく、特別に私の健康診断に付き合ってくれるらしい。

 普通、外科医が健康診断の案内係をすることなんてないよね。


「院長にも手土産を渡すように言われてました」

 ナナリエが思い出したように言う。


「あー。じゃあ今のうちに行ってきて。アンリには私がついてるから」


「お姉様の分も休憩室に置いておきますね」

「あ、個数多めのやつね。さすがハル。外科の詰所に置いておいて。すぐに消えるから」


「じゃあ、アンリをよろしくお願いします」


 ナナリエとは別方向に歩き始めながら、ヒヤシンス様が鼻で笑う。

「……ほんと、ハルは抜け目ないのよね」


「配慮の人って感じですよね」


「あら、肯定的に解釈してあげるのね。私には盤面に駒を置いてるようにしか見えないわ」


 ヒヤシンス様はエレベーターみたいなものの呼び出しボタンを押した。

 ……これが姉と弟の距離感か。遠慮ないな。私は少し苦笑いをした。


「自分すら駒にするところがあるから、時々心配になるわ」


 ヒヤシンス様の声が少しだけ落ちた。

 遠慮がないだけじゃなくて、弟のことをちゃんと見てるんだな。


 そう思ったところで箱型の乗り物の扉が開いた。


「七階ね。間違えて六階で降りると産科、八階まで行くと歯科ね」

「健康診断するのも骨が折れますね」


「折れたらくっつけてあげるから大丈夫よ」

 ヒヤシンス様は楽しそうに目を光らせた。



 七階に着いて環をかざすと、問診の部屋へ通された。


 問診は、ほとんど「わかりません」で終わった。


「出生時の記録は」

「わかりません」

「幼少時の病歴は」

「わかりません」

「最近大きな病気にかかりましたか」

「たぶん、ないと思います」

「ご家族の病歴は」

「あー、わかりません」


 問診係の人が心配そうに私を見つめた。


「本当に何もわからないのね」

 頭の上の方でヒヤシンス様が感心している。


「残念ながら」

 私はしょぼんと頭を下げた。


「大丈夫よ。診ればわかるから」

 ヒヤシンス様は、私の肩をぽんぽんっと叩いた。



 気を取り直して受けた身体測定も、わからなかった。


「身長333ピレ、体重120メソです」


 数字は覚えた。

 でも単位がわからない。


 単位が違うから何ひとつわからない。

 大きいのか、小さいのか。重いのか、軽いのか。


「身長の割に痩せ気味ね。あとで年齢と照らし合わせてみましょ」


 痩せ気味か。

 たしかに腕も足も細いもんな。


 この、カレンダエのひと月のうちにたくさん食べたんだけどな。

 まだまだ食べてもいいってことだね。


 ちなみに、カレンダエの一年は十二ヶ月あるらしい。

 一年の始まりは冬の翡翠の月。今は春の真ん中、瑠璃の月だ。


 瑠璃の月は、学校や議会の新しい年度が始まる月らしい。

 だからこの間の議会も、新年度の初回みたいなものだったんだと思う。


 それにしても、こちらに来てからもう一ヶ月近く経ったことになるのか。



 次は南棟三階。


 館内を移動して検査室に辿り着くと、扉の前にキラキラした目のナナリエが立っていた。


「間に合ったわね」

「間に合った?」


 次は視力と聴力。


「それでは椅子におかけになって、こちらに顎をお乗せください」


 あ、もしかして、これ。絵を見てたら、目にプシュッてなるやつじゃない?

 怖い。何が起きるのかわからないの、怖い。


「さあどうぞ」

 流れるような手つきで椅子に座らされる。


「はい、顎」

 おでこと後頭部を支えられて、検査台に頭をはめ込まれる。


 この穴を覗くのか……。


 おそるおそる覗くと、きらきらしたものが見えた。


「虹色が見える」


 あまりの美しさにため息をつくと、検査員の人もため息をついていた。

「……王女殿下困ります」


「やっぱり。虹彩の表面にハニカム状の微細構造がぎっしり並んでいるのね。これは黒じゃない。光の侵入角度によって干渉光が青や紫や緑に変化している」


 ものすごい早口が聞こえる。


 検査台から顔を外して反対側を覗き込んだ。


「あ!アンリ、まだ途中なのよ」

 上気した顔のナナリエが向こうからもこちらを見てきた。


「ナナリエ」

 ヒヤシンス様が低い声を出した。


「……はい」

「検査の邪魔」

「はい」

 ナナリエはすっと立ち上がって部屋の端っこへ行った。


 視力は問題なし。


 聴力も問題なし。


 心電図も正常。


 そしてまた中央棟へ戻ってきた。



「最後は髪ね」


 ヒヤシンス様がどうぞと部屋へ案内してくれた。


 その部屋の主人のような仕草だった。


 白い椅子と、大きな鏡。


 まるで美容室のようだった。


 だけど机の上に置かれている道具は、ハサミというより医療器具みたいだった。


 鏡に映る私は本当に細くて、膝下まで伸びる黒髪がとても重そうに見えた。


 よっこいしょと椅子に座ると、ヒヤシンス様が三つ編みをほどいてくれた。


 ぱらっと広がる髪の毛。


 そこに櫛を挿して、優しく髪を梳かしてくれた。


 小さい頃にお母さんにやってもらったみたいだった。



 ……まただ。


 この子の身体がどきどきしてる。


 セアノサス様が褒めてくれたときと、似ている。


 うれしいのかな。


 安心しているのかな。



 以前、この子の身体を通して感じた、ナナリエへ向けられた眩しい気持ちとは違う。


 守られる安心感の中に浸っているみたいだった。


 もっとも、その眩しさも、最近は私にはよくわからなくなってきているのだけれど。



「さあ、剪定するわよ。切る位置がずれると痛いから動かないでね」

 ヒヤシンス様が細いハサミのようなものを手に取った。


「えっ。失敗する可能性があるんですか」

 ヒヤシンス様は鏡ごしに口角を上げてみせた。

「私、失敗しないから」


 そ、そうか。

 今度は私自身がどきどきし始めた。


 髪の毛が掬われる。

 ヒヤシンス様は笑顔をしまい、何かを見極めるような静かな目つきになった。


 ぴちんぴちんと不思議な音を立てて髪の毛が切られていく。


 切られた髪は、白いトレーに大切に乗せられた。


 床には一本も落ちない。


 私の髪は腰くらいまでの長さに切り揃えられていった。


 頭が軽い。


 気持ちも、なんだか軽くなった気がする。


「これを成分分析に回して」

 ヒヤシンス様が補助の人に告げた。


 その横で、ナナリエがそわそわしている。

「アンリ、私にも少しちょうだい」


「ど、どうぞ……」

「ありがとう!大切に利用させていただくわ」


 ……利用。

 髪の毛を欲しがられるなんて変な気分。


 ナナリエは今すぐにでも部屋を出て行きたそうにうろうろし始めた。

 でも私の側にいると決めているのか、なんとか部屋に留まっていた。


「結果が出たら連絡するから院内で待ってて」

 ヒヤシンス様は予定があるらしく、いったんそこで別れた。



 髪の剪定が終わると、私は一気に疲れた。


 検査は終わった。


 あとは結果を待つだけ。


 だけど、待合に向かう私の周りをナナリエが衛星のようにぐるぐる周回している。


「ナナリエ、なんでも言っていいんだよ」

「えっ……!」

 少し顔を赤らめるナナリエ。


「あの、……じゃあ、一緒に来てもらえる?」

「いいよ」


「!」


 信じられないって顔をして喜ぶナナリエ。子どもみたいだった。


 くるりと方向転換をしたナナリエは、壁にぶつかった。そんな彼女を初めて見た。


「……!」

「大丈夫?」

「いけない。まずはあなたに飲み物を買ってくるわ。いえ、一緒に向かった方がいいわね」

「うんうん。どこでも着いて行くよ」


 ナナリエは喫茶室でフルーツジュースと焼き菓子を買ってくれて、それを持って私たちはあの不潔な研究室に戻った。


 私はナナリエがきれいにしたソファでおやつタイムにした。

 ナナリエは待ちきれないみたいに、よくわからない機械の前で作業をし始めた。


「それなに?」

「電子顕微鏡よ」

 たぶん、そんな感じのもの。光じゃなくて、もっと小さな粒を当てて、ものすごく小さいものを見る機械らしい。

 私は本物の電子顕微鏡を見たことがないので、どこまで合っているのかはわからない。


 ナナリエは私の髪を薄い台に乗せた。機械が低く唸る。

 隣に設置された盤面が淡く光る。


「これは……」

 ナナリエは盤面を見て呟いた。


 私はお菓子を食べながらその様子を見ている。


「光が入っているのに、出てこない」

「黒いから吸収してるってこと?」

 私はもぐもぐしながら、ナナリエの横まで移動した。


「吸収とは違うわ。閉じ込めている」

 盤面に写っているのは黒い断面。


「普通の髪は、光や信号を通すための道があるの。でもアンリの髪には、外へ出す道がない。入ったものを、内側に抱え込む構造をしている」


 普通の髪、そんな道があるのか。


 目の前で反射しているナナリエの髪をまじまじと見た。

 ナナリエの髪は特に、乳白色で虹色の照り返しがあるからだろうか……。

 これは……。

「光ファイバー?」


「何か言った?」

 ナナリエが不思議そうに振り返る。


「ごめん。独り言。私も仕組みはよく知らないから」


 適当なことを言って説明を求められても困るし……。

 たしか、細いガラスみたいなものの中を光が通るんだったと思う。


 でも、ナナリエの髪は柔らかい。

 ガラスとは全然違う。

 不思議だ。


「これは、伝達する髪じゃない。保存する髪だわ」

 盤面に視線を戻したナナリエが唸るように言う。


 光を表面で美しく跳ね返すナナリエの虹色の髪。

 光を奥へ、奥へと引きずり込んで、二度と外へ出さない私の黒い髪。


 保存。

 何かを消すんじゃなくて、取り込んで保存する機能なんだ。


 意味も目的もわからないけど、消すんじゃなくて保存する髪なら、


「ちょっとかっこいいかも」


「その捉え方は、いいわね」

 ナナリエは驚いた顔で振り返って、そしてくすくす笑った。



 ふいに、ナナリエが自分の環を見つめた。


「お姉様からだわ」


 環って本当に連絡機能があるんだ。横で見ててもわからないけど。


「すぐ行きます」

 環に向かって声を吹き込むと、ナナリエは立ち上がった。


「分析結果が出たみたい。行きましょ」



 研究室から中央棟の三階に戻るとき、さっきとは違う通路を通った。


 すごく静かな通路だった。


 診察室に着くと、ヒヤシンス様は椅子に座って待っていた。


「身体年齢は十四歳前後」


 十四歳。実年齢と比べるとだいぶ幼い。


「栄養状態は少し悪いけど、今すぐ治療が必要なほどじゃないわ」

「じゃあ、これからもたくさん食べます」

「たくさん食べて、いっぱい遊びなさいね」

 子どもに言うみたいな言い方だ。


 ヒヤシンス様は一瞬迷って、だけど続けた。


「それから髪から採取した遺伝子情報は、王族に近いわ」

 琥珀色の瞳が真っ直ぐ私を映した。


「ただし、登録されているどの血統にも接続しない。王族に近い構造を持っているのに、現存する王族との親族関係は証明されない」


 隣で、ナナリエの息を呑む気配がした。


「登録されている王族の血統と、すぐ照合できるんですか?」


「各地に病院はあるけれど、王族は必ずガーネットの病院で生まれるの。出生記録はガーネットを統括している珊瑚宮が管理しているわ」


「医療の記録なのに、武門が管理しているんですか?」


「王族の出生記録は、医療記録である前に国家機密なの」

 そこまでさらっと説明したあと、ヒヤシンス様が悲しそうに微笑んだ。


「……王族に近いのなら、あなたのご両親も特定できるかと思ったんだけど」

「そうですか……」


 私の……いや、この子の親を探してくれようとしていたんだ。

 でも、見つからなかった。


 ひんやりした手が私の手に触れる。

 ナナリエが何も言わずに私に寄り添う。


 いや。私じゃなくて、この身体の持ち主に寄り添っているのかもしれない。


「今日は短時間の解析だったから、もう少し調べてみるわ」

 ヒヤシンス様は軽やかに立ち上がった。


 ナナリエは私の手を握ったまま、まっすぐに私を見た。


「私も調べるわ。あなたが何者なのか、あなたが知りたいと思ったときに、ちゃんと答えられるように」


 私は黙って頷いた。


 ゆっくり立ち上がると、ヒヤシンス様がそっと肩を包んでくれた。


「送っていくわね」


 診察室を出たとき、ふと、同じ階の一角が気になった。


 さっき通ってきたところだ。


「あの、あちらの静かな空間はなんですか?」


 ヒヤシンス様は私が示した方向に視線を向けて、頷いた。


「見送りの間よ。旅立つ人と、見送る人が過ごす場所」


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