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星粒のリテラエ ——暫定魔女が記録する、理系王女と最適解王子のたったひとつの“誤差”  作者: はなちゃん
第五章 雨上がりのソラ 〜私の足元には、ふたつの影がある〜
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第56話 王女じゃないナナリエ —ガーネット—

 婚姻前の挨拶だったのか、児童保護会議だったのか、ひとまず無事に終わり、

 そのあとはセアノサス様が用意してくれた昼食を、みんなでいただいた。

 淡い色の野菜と、透き通ったスープと、ちょっと苦めのお茶。

 私の好きな、もちもちのパンみたいなやつもあった。


 美味しかった。

 みんなで食べる食事。


 ナナリエは私に次から次へと勧めてきて、セアノサス様は満足そうに私を眺め、ハルジオンは呆れたような顔で私を見ていた。



 昼食を終えて客間を出るころ、ハルジオンが瑠璃宮の侍従から四角い大きめの麻袋を受け取っていた。


 私たちも荷物を持って出掛ける準備をした。


「情報過多な色彩のバッグね」

 ナナリエが興味深そうに見た。


「うん。お祭りの時の出店で見つけて買ったの」

 カラフルな織物の、斜め掛けのバッグだ。大容量でいろいろ入る。


「とても似合うわ」

 ナナリエは私の目を見て微笑んだ。

「ありがとう」



 瑠璃宮別邸の玄関を出ると、ハルジオンが立って待っていた。


 その隣にエンジュもにこにこ笑って立っている。

「今度はガーネットに行くんだって?」


 そう、今から私はガーネットの病院へ健康診断に行くことになったんだ。


「何歳かわかったら教えてね」

 あと、病院で年齢確認もするらしい。


「僕はそろそろ山へ帰るから。また遊びにきてね」

 山へ帰るって、夕方になったら帰っていくカラスみたいな言い方。


「エンジュは春にしか王都へやって来ないのよ」

 ナナリエが横から教えてくれた。

 カラスっていうか、季節性の渡り鳥かもしれない。


 そんなことを考えていると、隣でハルジオンがナナリエの肩に触れた。


「駅まで送ろう」


「あれ?殿下は行かないんですね」

「私は処理すべき案件が山積みだ。姉には言伝てしてあるから安心しろ」


 ……忙しそう。


「あ、じゃあ、私一人でも行けますけど」

「君は保護対象だ。一人で行かせられない。……それに」


 ハルジオンは手に持っていた四角い麻袋をナナリエに見せた。


「祭りの準備で忙しくて、しばらく研究室に行っていなかっただろう?」

「これは……?」

 ナナリエは麻袋の中身を覗き込んだ。


「病院長と、我が姉と、君の先輩へ。手土産だ」


 さすが手土産のハルジオン。抜かりないな。

 でも、院長先生と、医師のヒヤシンス様と、……ナナリエの先輩?……研究室?


「ハルジオンは相変わらずそつがないねえ」

 エンジュが呆れた声で言った。


「ナナリエ、アンリの健康診断が目的なんだから、あんまり寄り道しちゃだめだよ」


 その目には、いつもの穏やかさがなくて、すごくつまらなそうだった。

 置いていかれる犬みたいな目でナナリエを見ている。


「エンジュには関係ないでしょっ」

 ナナリエはぷいっと横を向いた。


 二人のやり取りを見ていたハルジオンがくすっと笑った。


「さあ、行こうか」


 エンジュは翡翠宮からお迎えが来て、「またね」と微笑み、空を飛ぶ車に乗って帰っていった。


 私たちはハルジオンに駅まで送ってもらった。


 駅のホームで、ハルジオンは手土産の袋をナナリエに手渡した。

 ずしっとしている。


「ひとつは予備だ。ガーネットの宮長に取り次がれることがあれば、こちらを出せ」


 うーん。

 普通、王子ってここまで気を回すものなんだろうか。

 手土産の数から、渡す順番まで指示してくるあたり、もはや秘書に近い。

 ……いや。

 秘書というより、お母さんかもしれない。


「私が持とうか?」

 手土産を四つも入れた袋は重そうに見えた。

 王女様に持たせて良いものか。


「平気よ」

 ナナリエは軽々と持った。

「ナナリエは体力がある。心配はいらない」

 王子は王女の体力を信頼しているらしい。




 ガーネット行きの列車が来た。


 今の私には、列車の乗り方がわかる。

 ナナリエの前を歩いて席を探す。

 どこへでも行けそうな気がした。


 ハルジオンは列車が走り去るまで見送ってくれた。


 ナナリエは小さくなっていくその姿を瞬きもせずに見続けていた。


 ——寂しいのかな。


 どこかから記憶が滲んでくる。

 こうやって見送られて、離れていく人を、その姿が小さくなっても見ていたことがある。

 それが誰だったのか、いつだったのか、思い出せないけど。


 私の心の隙間に車窓の景色が流れ込んできた。


 その景色の上に、ナナリエが映り込んだ。


 窓越しに目が合う。


 目が合って、私たちは少し笑った。


 ……うん。


 今は、この時間を大事にしよう。



 私はカーネリアンから帰ってきて以来、初めてゆっくりナナリエと話をした。


 ひとりでお店に入って料理を注文したこと。

 クリサンテが、商品を宣伝するためにナナリエを利用したこと。

 サヤパトリが、私とナナリエを演奏会に招待してくれるって言っていたこと。

 エンジュの奉納試合はとても見応えがあったこと。


 ナナリエは目を丸くしたり、細めたりしながら、私の話を聞いてくれた。


 意外だったのは、ナナリエの中でクリサンテの評価が高かったことだ。

「彼女の着眼点はとても興味深いわ」


 以前のお茶会での嫌味は、ナナリエの中では、完全に「都市論の話題を振ってきた面白い人」として消化されていたらしい。クリサンテに伝えたら頭を抱えるだろうなと思うと、しばらく笑いが止まらなかった。


 エンジュが楽しそうに戦っていた、赤いマントの人のことも聞いてみた。けれどナナリエは、その人個人のことよりも、珊瑚宮の人が真紅のマントなんてつけるはずがない、という点に関心を寄せていた。


 その赤いマントの人は、結環の儀のナナリエとハルジオンを見て、「足りてない。片方、抑えてる」と言った。でもそれは、傷ついた顔のハルジオンを思い出すと、口に出せなかった。


 私はハルジオンが用意した手土産を見た。

 けっして、何のお菓子かなと気になったからではない。


「院長先生と、ヒヤシンス様と、ナナリエの先輩と、宮長に……って、ところで宮長って何?」

「宮を代表する責任者のことよ。古い四宮には、血筋で選ばれる当主がいるけれど、新しい八宮は違うの。家柄ではなく、その宮で一番大きな責任を負う人が宮長になるのよ」


 そうなんだ。血筋重視だけの国じゃないんだな。

 古いとか新しいとかは、歴史の長さだけじゃなくて、仕組みそのものの違いでもあるみたい。


「ところで、ナナリエの研究室ってガーネットにあるの?」


 瑠璃宮が学術都市で、ナナリエはそこのお姫様なんじゃないの?

 瑠璃宮に研究室があるんだと思っていた。


「正確には私の共同研究者の研究室ね」

 ナナリエは窓の外に視線を外した。


「私はそこに、机を置かせてもらっているだけ」

 なんでもないことみたいに言ったけど、ナナリエが私から視線を外して話をするのは珍しかった。




 ……そして。

 今、私は猛烈に視線を外したくなっている。


「ここが、ナナリエの先輩の研究室?」

「ええ、そうよ」


 慣れたように部屋に入っていくナナリエ。

 だけど私は躊躇った。

 めちゃくちゃ汚いからだ。


 この世界、紙も本もない。資料はデータ保存されているはず。

 なのに、どうしてこんなに散らかっているの?


 よくわからないケースが山積みで、何かを拭いた後みたいな布が落ちてて、飲みかけのコーヒーみたいなものが四つは置いてある。白衣もボロ雑巾みたいな色でソファにこんもり置いてある。


 ——直視できない。


 誰かの部屋に似ている。


 そう、私だ。


 だいたいフィールドワークから帰ってきて資料整理してると、時間を忘れて、部屋の広さもわからなくなって、1週間後くらいに冷静になるやつ。


 でも、この部屋の主人は1週間どころじゃなさそうだ。これが平常運転らしい。


 ナナリエは机の端をささっと片付けて、ハルジオンに託された手土産を置いた。


「留守なのかな?」

「なかなか会えないのよ」

 残念そうに呟いた後、ナナリエは部屋に散らばったマグカップを集め、脱ぎ散らかした白衣を抱え部屋を出て行こうとする。


「え。それナナリエが片付けるの?」

「私がやらなきゃ、誰もやらないから」


 ちょっと楽しそうに言って、ナナリエはどこかへ行ってしまった。


 王女に身の回りの世話をさせるなんて、とんでもないズボラ人間がいたものだ。

 そしてナナリエは世話を焼きたい人なのかもしれない。


 シミだらけのソファに恐る恐る座って室内を眺めた。

 部屋の主人がいないのにうろうろするのも躊躇われたし、何か壊しそうだったので。


 でも、視線は自然と観察してしまう。

 作業台の上には、大きな筒から細いコードのようなものが飛び出た機械が置いてあって、その横にモニターのように晶盤が置かれていた。他にも透明なケースを上に乗せた四角い重そうな機械も置いてあった。どれも用途はわからない。


 部屋の一角に明らかに清潔な場所があった。


 ここがナナリエの席なんだなってすぐにわかった。


 小さな机の上には何も置かれていない。


「待たせたわね」

 ナナリエが一仕事終えた顔で戻ってきた。


「そこがナナリエの机?」

「そうよ」

 ナナリエは自分の机を布巾で拭きながら答えた。


「ナナリエは何の研究をしてるの?」


 たしか細胞生物学って言っていた。


 ナナリエは少しだけ考えて、顔を上げた。



「一言で言えば、王がなぜ王たりえるのか、かしら」


「王様の研究?」


「ええ。この国では、王は神に近いものとして扱われている。でも私は、それを神事ではなく、生物学的に解明したいの。身体に何が起きて、何を受け取り、何を返しているのか」


 今度はソファの方へやってきて、ローテーブルも拭き始める。


「王だけが担える機能があるなら、それは何によって成立しているのか。逆に言えば、その機能に依存せずに王を選べるようになれば、後の人たちの役にも立つでしょう?」


「役に立つ?」


 ナナリエは、少しだけ手を止めた。


「……お兄様、今の仕事を楽しんでいるの」


 手元の布巾を見つめながら呟く。



「でも王になったら、もう統治には関われない」



 少しだけ、握りしめる手に力が入っている。



「ナナリエ……」


「私も、研究室に来られるのは、あと一年ってところかしら」

 今度は、なんてことないって顔で言った。



 ナナリエも、ハルジオンも、今の仕事が好きなんだ。


 そう思った瞬間、少しだけ驚いた。


 ナナリエは、あまり、「好き」とか「楽しい」とか、そういう言葉を口にしない。


 なのに今、ハルジオンのことを、「楽しんでる」と言った。


 ああ、ちゃんと見てるんだ。


 お互いが、何をしている時に嬉しそうなのか。



 王様の仕事がどれくらい重いのかは、まだよくわからない。


 でも、好きな仕事を手放すことがつらいのは、わかる。


 私だって、もうどこにもフィールドワークに行くなと告げられたら、きっと息ができなくなる。


「それにね、結環の儀、けっこう疲れるのよ」


 ナナリエは冗談ぽく笑った。


「それを楽にできるなら、次の人たちも助かるでしょ」


 そう言うと、流し台へ向かい布巾を洗い始めた。



 その背中は神聖なお姫様ではなく、ここで生活している一人の女の子だった。



 以前、ハルジオンが「双王の仕組みはナナリエが一番詳しい」と言っていた。

 エンジュは、ナナリエに聞くのは「納得はできるけど、安心はできない」と言っていた。


 この国の王様はいったい何を背負っているんだろう。



 ぽすっと音を立ててナナリエがソファに座った。


 私の肩に、ナナリエの肩が触れる。


「ついにアンリの髪の毛を採取する日が来たわね」


 ナナリエの手が私の髪に触れる。虹色の目がキラキラしている。


「……いけない。許可をとるんだったわ」


 セアノサス様に言われたことを思い出したように、一度目を伏せるナナリエ。


「あなたの髪を少し採取してもいい?……痛みのない範囲で、倫理的に、正式な同意を得て」


 髪なんて美容室で切ったら捨てられていくものなのに、そんな言い方されるとちょっと身構える。


 痛いの?倫理的ってなに?


 背中に変な汗をかき始めた時、高くて明るい声が投げかけられた。


「こらこら、今日は健康診断に来たんでしょう?」


 入口のところで、腕組みをしているヒヤシンス様が立っていた。


「患者を研究対象みたいな目で見ないの!」


 ナナリエは悪戯を見つかった子どもみたいな上目遣いでヒヤシンス様を見た。


 ヒヤシンス様はつかつかと近づいてきて、ナナリエの頭をぽんっと撫でた。


 そのまま、部屋を見渡してため息をつく。

「相変わらず汚い部屋ね」


 ヒヤシンス様はナナリエの頬を両手で挟み、顔を覗き込んだ。

「うだつの上がらない男の下で働いてないで、私のところへ来なさいよ」


 ナナリエは頬を挟まれたまま、視線を逸らす。

「お姉様、今日はアンリの健康診断に来たんです」


 ふたりが私を見た。


 ヒヤシンス様の琥珀色の瞳がきらりと光る。


「そうね。さっそく案内するわ」

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