第55話 この子が歩き出す時のために —王都—
ナナリエとハルジオンの間にあるものはなんだろう。
考えたって私にわかるわけもないし、
私が考えるべきことじゃないのに、ふと考えてしまった。
目の前のふたりが、ずっと続けばいいのにと思ったからかもしれない。
私のそんな気持ちと共鳴するみたいな顔が、すぐそこにあった。
セアノサス様が微笑んでいる。慈しむ、という言葉がとても似合った。
きっと、私よりずっと長い間、ふたりを見てきた人の目だ。
ハルジオンは少し泣きそうな目をしていて、ナナリエは不思議そうに首を傾げていた。
セアノサス様は、もうふたりに何も言わなかった。
その代わり、視線が、こっちに向いた。
見つかってしまった!
「君が……」
少しだけ声が低くなる。
どうしよう。王女殿下につきまとう不審人物へ戻されてしまったら。
「君がナナリエのお友達かな」
セアノサス様の声は落ち着いていて、相手を驚かせないように気遣っているのが伝わってきた。
「ふぁ……」
気遣いも虚しく、私の喉はいうことを聞かず、わずかに声が漏れただけだった。
いろいろあって緊張してしまっているらしい。
ナナリエが私を見てから、すぐにセアノサス様に答えた。
「はい。アンリです」
はい。
それは、何にかかっていたのか。
お友達に対しての、はい?
言葉の定義を厳密にするナナリエの、はい。
そんな、短い一言が気になって、なんだかどきどきしてしまう。
「ナナリエのお友達になってくれてありがとうね」
小さな子を褒める、お父さんみたいな微笑みを向けられる。
私の、いや「この子」の身体がどきどきしているのを感じた。
守られる安心感の中に浸っているみたいに。
でも、セアノサス様の表情はすぐに切り替わり、静かにナナリエへ向き直った。
「さて、ナナリエ」
柔らかい声なのに、空気が変わった。
「アンリを個体認証に連れて行ったとき、君は何をしたのかな?」
え。いきなり、そのときの話?
もう解決したんじゃないの?
……あれ、最近も誰かとその話をしたような。誰だっけ。
「何をした、とは?」
ナナリエはわずかに眉を寄せた。
「系譜照合情報が失われたとき、君はどう判断し、誰を動かしましたか」
「あれは消失ではありません。移送です」
即座に訂正する。
「現象の分類を聞いているのではありません。君の判断を聞いています」
「……」
ナナリエは言い淀んだ。
言い訳を考えているわけじゃない。
たぶん、質問の形が難しいんだ。
「……必要でした」
やっぱり。
ナナリエにとっては、それが答えなんだと思う。
この条件なら、この対処をする。
そこに、自分が“判断した”という感覚はあまりないのかもしれない。
「必要であれば、当主の許可なく瑠璃宮の解析班を動かしてよいのですか」
「緊急性がありました」
「では、緊急時の責任者は誰ですか」
ナナリエは黙った。
「君ではありません。少なくとも、あの時点では」
セアノサス様は蛍の光のようなオレンジの瞳を穏やかに灯した。
「判断が間違っていたとは言いません。ですが、正しい判断にも、責任を負う者が必要です」
黙るナナリエの代わりに、ハルジオンが声を上げた。
「事後の承認と各所への説明は、私が引き受けました」
「ええ。存じています。だから今、ここで話をしています」
セアノサス様はナナリエから視線を外さなかった。
「この件については、すでに系譜管理局の長とハルジオン殿下が責任を引き受け、各所への説明も済ませています」
セアノサス様は静かに言った。
「ですから、今ここで君を罰するために話しているのではありません」
ナナリエが少しだけ目を伏せた。
「次に同じことが起きたとき、君が何を引き受けるつもりなのか。それを確認しています」
「私は……」
責任を取るつもりはあった、という顔を、ナナリエはした。
でも具体的な言葉にはならなかった。
「そして、もうひとつ」
セアノサス様の視線が、ようやく私に向いた。
「ナナリエ。彼女を保護すると決めたのですね」
「はい」
「ならば、友人としてではなく、責任ある立場として考えなければなりません」
え。友人じゃだめなの?
「ナナリエ。児童を保護するということは、簡単なことではありません」
児童。
その言葉が、一瞬自分のことだと結び付かなかった。
「住む場所を与えるだけではない。健康、教育、身元、将来——その子の人生に責任を持つということです」
私は二十七歳だ。
でも、この身体は。
この子は。
身元もなく、年齢も曖昧で、ひとりでは生きていけない存在に見える。
いや、実際そうだった。
ナナリエは最初から、私を守ろうとしていた。
だけど、あの必死さは本当に私に向けられたものだったんだろうか。
ナナリエにとって、この子はなんなんだろう。
眠りながら無意識に、ナナリエは私の手を握っていた。
あの朝の光景がふと頭の中をよぎった。
「初動で正式な保護手続きを取らなかったのは、私の判断です」
黙り込むナナリエの代わりに、またハルジオンが答えた。
ハルジオンは私に視線を向けて、続ける。
「彼女は年端のいかぬ子どもではありません。意思疎通ができ、判断力もある。少なくとも、中身は成人に近いと見ました」
あの時のハルジオンは、逃げ道を塞ぐように次から次へと質問をしていた。
子どもに対する優しさはなかった。
それって、最初から私の中身を見ようとしていたってことかもしれない。
「それに、ナナリエが強く庇っていた。あの場で引き離せば、かえって不安定になると判断しました」
ハルジオンの言葉に、ナナリエは戸惑うような視線を送った。
「王族の側にいる限り、公的な目は届きます。完全に放置したつもりはありません」
ハルジオンはナナリエと私を庇うように肩を広げた。
セアノサス様はハルジオンに向けて静かに頷いた。
けれど、その後ろにいるナナリエを見る目は厳しい。
「それでも、保護の形を曖昧にしたままにはできません」
厳しく、優しい。
「ナナリエ。君がアンリを守ろうとしたことを、私は責めていません」
この人の声は初めからずっと穏やかなままだ。
噛んで含めるように、ナナリエに届けようとする。
「ですが、人を守るということは、制度の外へ連れ出すことではありません。制度の中で、その子が傷つかない場所を作ることです」
ナナリエは静かに俯いていた。
「……こうと決めたら譲らないところは、姉上に似たのだろうか」
セアノサス様が小さくため息をついて、お腹を押さえた。
胃、本当に痛いんだ。
セアノサス様の視線が、今度は私に向いた。
「それで、アンリ」
なんだろう。この流れ。
「君は、何歳なんだろうね?」
本日二度目の年齢確認!
「見たところ、うちの長男と同じくらいに見えるな」
長男?
「えっと……」
何歳なんですか?って聞こうとしたとき、バタバタっと大きな足音が雪崩れ込んできた。
「ナナリエー!」
勢いよく、三人の子どもたちが部屋に入ってくる。
「あそぼー!」
一番小さい子は五歳くらい?まだ頬のぷくぷくが残っていてかわいい。
「なかなか家に帰ってこないから、見に来てやった」
真ん中の子は小学校低学年くらい。少し生意気そう。
「この前貸したゲームそろそろ返してほしいんだけど」
一番大きい子は小学生か中学生、その中間くらい。
たぶん、この子が私の身体年齢に一番近そうだ。
「ハルジオン、結婚するのー?」
五歳くらいの女の子がきらきらした目でハルジオンを見上げる。
「……する」
「おめでとー!」
子どもに圧倒されるハルジオン、面白い。
女の子のきらきらした目がそのまま私に向かってくる。
「お姉ちゃんがナナリエの友達?」
「そうだよ」
かわいい。とにかくかわいい。
そこで、咳払いが聞こえた。
「……来客中に騒がしくしてよいのかな?」
セアノサス様が低い声を出した。
「ナナリエに会えて嬉しいのはわかります」
小さくため息をつく。
「ですが、来客中に駆け込むのは感心しません。ご挨拶は?」
三人は顔を見合わせて、慌てて背筋を伸ばした。
「ケセラン!」
「パソラン……!」
私もつられてこの国式にお辞儀をする。
顔を上げたら三人の子どもが私をじっと見ている。
「目が黒い!」
「本当だ。光を返していない」
「高密度天体みたいだ」
三人が口々に感想を言う。
でも、感想っていうか観察記録?
「そうよね。気になるわよね。私も気になる」
ナナリエも子どもたちと一緒に私の目を覗き込んでいる。
「ナナリエ」
セアノサス様が静かに嗜めた。
しまった、という顔でナナリエが顔を上げる。
「君たちも、ほら」
セアノサス様が子どもたちに近づいて、頭をそっと撫でた。
「観察するなら、まず相手に許可を取りなさい」
セアノサス様が静かに言った。
「近づきすぎです」
三人の子どもたちは、はっとして一歩下がった。
「見てもいい?」
一番小さい子が、今さらみたいに聞いてくる。
「え、あ、はい……?」
「ありがとう!」
ナナリエが分身したみたいに、四人でぶつぶつ言いながらしばらく私を観察していた。
「……面白い」
四人の結論が出たみたいだ。
セアノサス様は一番大きい子の肩をポンと叩いた。
「観察はそこまで。さあ、外で遊びなさい」
子どもたちが代わる代わるお礼を言って外へ出ていくと、セアノサス様は静かにハルジオンを見た。
「……次にやるべきことは、わかっていますね」
「彼女の年齢と健康状態の確認ですね」
ハルジオンは迷いなく答える。
「え?」
「すでに身分証は作成済みです。身分証に紐づけて、検査予約も手配してあります」
「さすがは殿下。仕事が的確です」
的確っていうか。私の知らないうちに勝手に進めてて、怖いんだけど。
給与口座もいつの間にか作成されてたし。
「この国では、三つから七つまでは初等学舎。七つから十四までは中等教育です」
セアノサス様は、先ほどの子どもたちが出ていった扉をちらりと見た。
「十五からは、自分の進路を決める」
ナナリエが王様になるための修行を始めたのと同じ時期。
この国の人たちはみんな、十五から大人に向けて準備するんだ。
「君が今、どの段階にいるのかを確認する必要があります」
たしかに、この子が今どの段階にいるのか知りたい。
「アンリは、すでに私の庇護下にあります」
ナナリエは叔父さんに反論した。
「君の庇護下にあることと、社会の中で位置付けられていることは別です」
セアノサス様は毅然として答えた。
私は、ナナリエの隣にいる。
でも、それだけでは足りないらしい。
この国の制度の中での、この子の居場所。
この子が、この身体に戻ってきた時のためにも、きっと必要だ。
いつか、この子が自分の足で歩き出す時のためにも。




