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星粒のリテラエ ——暫定魔女が記録する、理系王女と最適解王子のたったひとつの“誤差”  作者: はなちゃん
第五章 雨上がりのソラ 〜私の足元には、ふたつの影がある〜
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第54話 結婚前のご挨拶 —王都—

「いろいろ教えてくれてありがとう、先生」

 傍聴席出て、階段を降りながら、私はエンジュにお礼を伝えた。


「たくさん勉強したね」

 エンジュは伸びをしながら歩いている。


 虫も虹色の外殻を開いて透明の翅を伸ばしている。

 心なしか気持ちよさそう。

 いや、かわいいなんて、思ってないから。


「そういえば、結び環りの行列を見たよ」

 あどけない子どもたちが一生懸命に歩いているところを思い出して、ほっこりした。


「みんな、かわいいよねえ」

 エンジュも子どもたちの顔を思い出しているのか、優しい表情だ。


「エンジュは子どもたちが好きなんだね」


「それもあるけど……僕も先生にたくさん教えてもらったから」

 少し遠くを見る。


「エンジュの先生?」


 うーん、と少し考えてから、言葉を選ぶように話し始めた。


「この国ではね、三つから七つまでの子は、翡翠の学舎で学ぶんだ。各地の神殿にも学舎はあるけど、王族の子どもは翡翠宮で直接ね」


「へえ。何を習うの?」

 三つから七つって幼稚園児くらいだよね。この星の時間の感覚はわからないけど。


「星の見方とか、草木の声の聞き方とか。あとは、神殿で迷子にならない方法」

「それ、授業なの?」

「大事だよ。神殿は迷うからね」

 エンジュは真面目な顔で言った。


「そのときの先生?」

「そうだね……」

 だいぶ幼い頃の出会いが心に残っているんだな。


「いつも耳を澄まして、遠くを見ている先生でね」


 階段の下から風が吹き上がって、エンジュの緑の髪がふわっと舞い上がった。



「聞こうとする人にだけ、世界は小さな声で囁くよって。昔、先生がそう言ってた」


 緑の髪の下に隠れていた耳が半月のように現れる。


「いい先生だったんだね」


 ずっと心に残っている先生。


 エンジュは遠くを見たまま微笑んだ。


「うん。いい先生だった」


 今はどこにいるんだろう。


 遠い視線の向こうが少し気になった。


 次の言葉が見つからなくて静かになる。



 それを察したのか、エンジュがにこっと笑った。


「ハルジオンも七つまで、僕と一緒に学んだんだよ」

 いつもの楽しそうな顔に戻っている。


「昔はすぐ泣きそうな顔をする子だったんだあ。ハルジオンって」

 そのまま、思い出し笑いをし始めた。


「泣いてたの?」

「泣いてはいない。いつも、泣きそうな顔をしていただけ」

 肩を震わせて笑っている。


「困っている子を見つけるのは早いんだけど、いつも一緒に困っちゃうんだよねえ」


 ああ。


 そんな姿は一度も見たことはないけど、少しだけ想像ができる。


 懐かしそうに、とても大切そうに、エンジュがそう言うから。


 本当に大切な友達なんだな。



「ふたりは歳が一緒なの?」

「うん。今年で二十五だよ」


「え!歳下!?」

 思わず声が出てしまった。


 エンジュの笑顔がちょっと冷めて、なんか嫌そうな表情になる。

「ええ……。アンリは何歳なの?」


「二十七だよ。もともといたところでは」


「アンリの星の公転周期は、シリカとは違うでしょ」

 エンジュが肩をすくめる。ため息までついている。


「それ、ナナリエにも言われたけど」


 私は、この小さな身体で、木のように背の高いエンジュを見上げて、少し睨んだ。


「みんな、私が歳上なのを認めたくないってこと?」


「そんなことはないよ……」

 語尾の方が震えてる。エンジュは顔を背けて、肩を震わせていた。


「ねえ。笑ってる?」

「いや……」

「失礼すぎない?」

「……その自覚はある」

「どういうこと」


 この納得のいかない気持ちはどうしたらいいんだ。


 もう一度エンジュを睨もうと見上げたら、エンジュは笑いをしまって真面目な顔をしていた。



「本当は、何歳なんだろうね?」



「……え?」



 そこで何か聞き返すより前に、背後から声がした。


「アンリ」


 ナナリエだった。


 議会での硬い表情は消えて、ほんのり嬉しそうにしている。

 すすすっと近寄ってきて、私をぎゅっと抱きしめた。


「おつかれさま」

「疲れたわ」

 昨日の夜と、同じ会話。


「今日はもう帰っていいって」

 帰っていいって。……誰かから許可が出たみたいな、変な言い方。


「そうじゃないだろう」

 ナナリエの後ろから低い声がした。

 ハルジオン殿下が深刻そうな顔をして立っていた。


「殿下も、お仕事お疲れ様です……」

 顔が怖すぎて直視できない。

 さっき少し親近感を覚えたのは、取り消した方がいいかも。


 ハルジオン殿下は表情を変えないまま、ナナリエを見た。

 いつもの、ナナリエだけに向ける優しい笑みはそこになかった。


「当主を待たせている。行こう」


 どこへ?

 私はナナリエの顔を見た。


 ナナリエはハルジオン殿下に頷いたあと、私に向き直った。

「瑠璃宮の王都別邸に叔父上が来てるの」

「叔父さんに会いに行くの?」


 小さく頷いて、ナナリエは私の手を握った。

「行きましょう」


 これ、私も行っていいやつなの?


 誰に聞けばいいかわからなくて、きょろきょろしてしまう。


 エンジュは視線を外していた。


 彷徨った私の視線は、ハルジオン殿下とぶつかる。


「来たいというなら、かまわない」


 目が笑っていない。許可する人の目じゃない。


「……ただの、結婚前の挨拶だ」



 え!



 それ!



 私がついていくの!



 いや、無理でしょ。



 助けてよ、そこに突っ立っているエンジュ。


 振り返ったけど、エンジュは微笑みながら大きく頷いた。


 任せたよ。


 って顔して。


 おかしいでしょ。



 私の手のひらを、ぎゅっとナナリエが握りしめる。


 その手がいつもより冷たくて、私はナナリエの顔を見た。

 いつもの無表情。だけどほんの少し息が早い。


 緊張してるの?


 ……とりあえず、行こう。


 ナナリエが望むなら、どこへだって。




 少し先を歩くハルジオン殿下の背中を追いかけながら、私たちは瑠璃宮に向かっている。


 でも、そういえば、

 ナナリエの叔父さんって、瑠璃宮の当主って、

 私のことを素性のわからぬ者と言い、ハルジオン殿下に調査を依頼した人だよね。


 だんだん不安になってきた。

 いや、今は素性はわかるぞ。

 “暫定的に西の魔女”という不審人物としての素性ではあるけど。


 たぶん大丈夫。



 瑠璃宮の別邸は、青と黒の壁に金の縁取りだ。


 初めてここを訪れた時は夜だったから、どこまでが建物で、どこからが夜空なのか区別できなかった。

 昼の光の中では、その重厚な姿がよく見える。


 先を歩いていたハルジオン殿下が立ち止まって、ナナリエに手を差し出した。


 ナナリエはちらっと私を見る。


「一緒に行くから」


 私は安心させるように笑い、ナナリエの手を離した。


 ナナリエは頷いて、ハルジオン殿下に駆け寄り、躊躇いなく手を繋いだ。


 少しだけ、ハルジオン殿下の表情が和らぐ。



 そうだ。


 こういう雰囲気だ。


 さっきの議場で見た硬く重い雰囲気じゃなくて。


 このふたりは、こういう柔らかい空気を出せる。




「当主様は只今、来客中ですので応接でお待ちください」


 私が泊まっていたときには会ったことのない紳士が、奥の部屋へ案内してくれた。

 当主様と一緒に来た人なんだろう。


 応接室の長椅子は二人掛けと一人掛けに分かれていて、私は迷わず一人掛けを選んだのだが、ハルジオン殿下が「こちらへ」とナナリエの横に私を座らせた。


 いや、あなたがメインのお客さんなのでは?と戸惑ったけど、ナナリエが私の腕を引いたのでひとまず座った。当主様が来たら、素早く移動しよう。


 だけど、ハルジオン殿下は椅子に座らずに、ナナリエの隣に立っていた。


 余計に気まずい。

 上司を立たせて、自分が座るなどとは。


「あの……」


 上司に声をかけようとしたとき、それが声になる前に、



 ハルジオン殿下が静かに腰を落とした。



 ナナリエの前に。



 そして彼女の手に自分の手を重ねる。



 それは王子様がお姫様に跪くというのとは少し違った。



 小さな子どもに目線を合わせて話しかけようとするみたいに。



「お兄様?」


 ナナリエは不思議そうに首を傾げた。



 ハルジオン殿下は何も言わず、ナナリエを見つめた。


 何かを言いたそうで、言えない。


 慣例通りに、と言った殿下の顔が蘇る。



 琥珀の瞳はずっとナナリエを映していた。



 何も言わないままハルジオン殿下は膝をついていた。





 ドアの向こうから足音が聞こえて、壮年の男の人が部屋へ入ってきた。


 やはり、この国はノックの文化はないらしい。


 気配で感じ取るものなのかも。


「お待たせいたしました」


 青い髪にコーラルオレンジの目の落ち着いた男性だった。

 穏やかそうで、思慮深そうで、少し胃の調子が悪そうな顔をしていた。



 ハルジオン殿下は、ナナリエから手を離すと静かに立ち上がった。


 そして胸に手を当てて一礼する。


「瑠璃宮当主セアノサス殿。お時間をいただき、感謝いたします」


 今までナナリエの前に膝をついていた人とは違う、王子殿下の声だった。


 でも、議場で聞いたものほど硬くはない。


「スヴェロギ・ハルジオン、慣例に従い、王女ナナリエ殿下との婚姻に向け、正式に準備を進めることとなりました。本日は当主殿へそのご報告と、婚姻前のご挨拶に参りました」


 緩やかに頭を下げると薄金の髪が光に透けた。


「なお、正式なご挨拶ならびに婚姻に関する諸儀につきましては、後日あらためて場を設けさせていただきます」



「そのように畏まらないでください。ハルジオン殿下」


 セアノサス様が困ったように笑った。


「いつも、ナナリエがお世話をおかけしております。……本来なら、叔父である私が担うべきことまで、あなたに背負わせてしまっている」


 私はさりげなく脇へ避けた。なるべくセアノサス様の視界に入らないように。


 ちらっとナナリエを見ると、やや不服そうな表情をしていた。

 お世話をおかけしている、というのが引っかかっているらしかった。



「そのようなことはありません」


 ハルジオン殿下はすぐさま否定した。


「私の方がナナリエに学ばせてもらっています」


 ナナリエの表情が、間違い探しレベルでぱっと明るくなる。

 わかりにくいのに、わかりやすい。



 セアノサス様は柔らかく目を細めた。


「結環の儀も、滞りなく結ばれました。瑠璃宮としても、ようやく胸を撫で下ろせます」


 その言葉を聞いて、ハルジオン殿下の表情がわずかに硬くなった。


「……滞りなく、ですか」


 琥珀の瞳に影が落ちている。


「……殿下?」

「いえ。問題ありません」


 ハルジオン殿下はすぐに表情を戻した。



 だけどそれを見過ごすほど、セアノサス様が殿下にかける気持ちは弱くなかったようだ。


「……先代の両陛下のことが、お心におありですか」


 それを問えるのは自分だけだ、という重い声。


 ——先代の両陛下。ナナリエのお父さんとお母さん。


 ハルジオン殿下は、逃げ場を失った子どものように俯いた。


「……比べるなど、不敬です」


 苦しそうな声だった。



「先代は、少々強く結ばれ過ぎておられました」


 セアノサス様の視線がナナリエに向いた。


 ナナリエはじっと叔父さんを見つめ返している。



 質問もせず、ただ静かにふたりのやりとりを眺めているみたいだった。



「いえ。先代のおふたりは眩しかった」


 ハルジオン殿下は顔を上げた。


「私では、力不足なのでしょう」


 自分に責任があるみたいな言い方だった。


「けれど、力不足でも引き受けねばならないときもあります」


 迷いと決意が混ざったような目をしている。



 セアノサス様は、受け止めるような、労わるような優しい目で殿下を見つめた。


「通常の婚姻であれば、あなたを瑠璃宮にお迎えできたのですが」


 穏やかで柔らかい声だった。


「けれど、即位なされば、おふたりとも宮を離れることになる。それだけが残念でなりません」


 君に、うちに来てほしいんだよって顔でセアノサス様は笑った。


 この世代の人たちはどこか優しい。


 上の世代から受け取った重いものを抱えつつ、それでも下の世代には、できるだけ柔らかいものを渡そうとしている気がした。


 胃が、痛くなりそうな感じ。



「私も、セアノサス殿とご一緒したかったです」


 ハルジオン殿下の硬い表情が少しだけ、年相応の青年に戻った気がした。



 ずっと黙って座っていたナナリエが、すっと立ち上がった。



 そのまま隣に立つ人の手を、そっと握った。



 ハルジオン殿下は不意を突かれたようにナナリエを見つめた。



 ナナリエは見上げた視線を少し緩めて、叔父さんに向き直る。



「私が、お兄様とご一緒します」



 手を握ったまま、それだけ言った。



 ハルジオン殿下は何も言わなかった。



 ただ、握られた手を、自分からもぎゅっと握り返す。



 その力だけが、息を潜める私に観測された。


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