第52話 祭りのあとに残るもの —王都—
新しい朝が来た。
祭りの翌朝の街は、少し疲れているみたいだった。
低い位置から差し込む光が、窓や、金属の柱や、白い石畳に、鈍く反射している。
閉まっている店も多く、人もまばらだ。
昨日の結環の儀は、昼を過ぎたころに終わった。
だけど夜になるまでナナリエには会えなかった。
前日一緒にいたサヤパトリやクリサンテが、私を見つけて軽く声をかけてくれたが、彼女たちもその日の列車でそれぞれの土地へ帰っていった。
別れ際、サヤパトリが連絡先を教えてくれた。
本当なら、環同士で記録を渡せるらしい。けれど私の欠けた環には通信をする機能がない。
紙も筆記用具もこの世界にはなかった。
だから私は、サヤパトリが言った住所を、何度も心の中で繰り返した。
忘れたくなかった。
祭りの中でできたつながりが、祭りと一緒に解けてしまうのは、少し寂しかったから。
そのあとは、ひとりで街の雑踏の中を歩いていた。
祭りの余韻も、結環の儀の響きも、まだ胸の中でうまくほどけていなかった。
夜になってナナリエが帰宅すると、ようやく言えた言葉は、
「おつかれさま」
それだけだった。
ナナリエも、
「疲れたわ」
とだけ答えた。
そして二人とも睡魔に飲まれるように布団に沈んでいった。
だけど、ナナリエの朝は早い。
もう、こうして朝日の照らす街を歩いている。
「お祭りの翌日から仕事なんて大変だね」
私は欠伸をしながら言った。
眠ったおかげで体は軽い。
でも、頭の奥にはまだ、昨日の重さが少しだけ残っている。
「お祭りの翌日だから仕事なのよ」
ナナリエは当たり前のように言った。
街は静かだった。
けれど、眠っているわけではなかった。
昨日までの祭りのあとを片付けながら、少しずつ日常に戻り始めている。
祭りの余韻を、てきぱきと回収している人たちがいた。
ごみの集積所だろうか。
色別の箱に仕分けられた不用品の前に、低く浮いた荷台のようなカートが止まっている。
車輪はない。
けれど、重そうな箱を山ほど積んでも、沈み込む気配はなかった。
「あの制服、黄色だね」
「シトリンね」
シトリン。
クリサンテとその部下の銀行の人たちを思い出す。
「シトリンって金融のところだよね。不用品の回収までしてるの?」
「金融と流通ね。……それに不用品とは少し違うわ」
ナナリエは、黄色いカートに積まれていく箱を見ながら言った。
「今は不要なものとして出されていても、必要な場所はある。金属やガラスはカーネリアンへ。食べ物になれなかった野菜くずや、役目を終えた花飾りはペリドットへ。怪我人の手当てに使った布は、ガーネットの確認へ。シトリンは、それを必要な場所へ流すの」
「捨てるんじゃなくて?」
「そのままでは有害なものは、瑠璃宮が調べて扱いを決めるわ。だけど、捨てるためだけに集めているわけじゃない。戻すために集めているのよ」
戻す。
街はひとりでに日常に戻るわけじゃない。
誰かが朝早く起きて、昨日の夢のあとを袋に詰めて、次の一日に間に合わせている。
祭りのあとに残ったものまで、この国の中を巡っている。
そういえば、この国の人たちは、亡くなった人のことも「循環に還る」と言う。
金属も、花も、人も。
形を変えて、どこかへ戻っていく。
そういう考え方が、この国の根っこにはあるのかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていたら、カレイド宮殿に到着した。
双王陛下の住まいで、中央行政院と国議会が入っている白亜の建物。
この国の言葉で、ソラが太陽なら、カレは神々なのだと聞いた。
双神王国カレンダエの、カレイド宮殿。
この国の中心。
北に移設する前の神殿だった建物だからか、王都の他の宮殿より古く、威厳がある。
昨日もここで結環の儀が行われた。
「お祭りの翌日から、今日は何のお仕事をするの?」
カレイド宮殿の白い階段は段差が大きくて、私は大股で上った。
ナナリエはすたすた歩きながら答える。
「結環の儀の翌日は、初議会というのが慣例なの」
初議会。
「議会のお仕事……」
小学生のとき、修学旅行で国会議事堂には行ったことある。
イギリス旅行の時には、ウエストミンスター宮殿も見た。
だけど、議員さんが実際に集まって、議論してるところって見たことない。
なんか難しそう……。
ナナリエが申し訳なさそうな顔をした。
「アンリは傍聴席で待っていてくれる?もちろん、王都内を散策していてもかまわないわ」
そっか。
そりゃあ議員でもない私が議席に座れるわけもない。
傍聴席からの見学は、ちょっと面白そうだ。
それにハルジオン……殿下がナナリエと行動を共にしろって指示してるし、王都内を食べ歩きしてるのがバレたら絶対怒られる。
「見学させてもらうね。ナナリエ、お仕事がんばって」
ナナリエと別れて、二階の傍聴席へ続く階段を上った。
議場に入るとまず目に入ってきたのは、大きな円。
円形の議場。
中央にぽっかり空いた丸い空間。
その周りを、十二の色が囲んでいる。
そして私の正面。おそらく、いちばん北側。
二階の傍聴席よりもう少しだけ高い場所に、二つの玉座があった。
王様たちの席だ。
そう思った瞬間、背筋が伸びた。
王様たちはまだ議場に入ってはいない。
けれど、その玉座がすでに議場に重みを与えていた。
議場を見下ろす。
玉座の真下には緑色の席がある。
そこから時計回りにだんだん青くなり、赤くなり、黄色くなり、また緑色に戻っていく。
議席の数は……けっこうある。目視では数え切れないけど八十から百席くらいかな?
横並びで行と列が揃ってればわかりやすいけど、外に行くほど人数の増える同心円状の席だから、私には計算できない。ナナリエなら一瞬で計算しそうだけど。
玉座の真下は緑色か。あの席は……。
「翡翠宮の席だよ」
隣で聞き覚えのある能天気そうな声がした。
「うわ。びっくりした」
「しっかり観察してるね。偉いよ」
陽だまりのような穏やかな笑顔でエンジュが笑っていた。
「なんでいるの?」
「社会科見学かなあ」
議会を見下ろしながら楽しそうに言った。
「なるほど……」
「あ、それで納得してくれるんだ」
あははと声を出して笑う。
「見て見て、あれ、僕のおじいちゃん」
エンジュは少し目線を上に上げた。
玉座の真ん中、少し後ろに、いつの間にか翡翠色の衣を纏ったおじいさんが立っていた。
皺が刻まれたその顔はとても厳格そうに見えた。
「難しそうな顔してるね」
「難しいことでも考えてるのかなあ」
「えっと、エンジュが若宮司で、おじいさんが……」
「大宮司だね。カレンダエの最高位の神官になるよ」
よくわからないけど、偉い人なんだなあ。玉座のあいだに立ってるし。
「あと、玉座の真下にいるのが国議会の議長だよ。慣例的に翡翠宮から選ばれるんだ」
エンジュは、今度は玉座の真下を指して説明した。
薄い緑色のきっちりした服装の人が他の議席より一段高いところに座っている。
厳しそうでも、気弱そうでもない。
「エンジュの親戚になるの?」
「翡翠宮はそんなに広くないからね。たどれば、だいたい親戚になるかな」
軽く肩をすくめて話を続ける。
「あと翡翠宮から出ているのは、祭祀を担当する大臣をひとりと、議官や書記官あわせて五人かなあ」
「その人たちはどうやって選ばれるの?」
選挙かなって、ふと思った。
「議員はね、すべて十二の宮の当主が自ら選ぶんだよ」
当主が選ぶ。
そこに権力が集中するのでは?
「当主はどこに座っているの?」
私は議場を見渡した。
「当主は、ここにはいない」
エンジュは議場を見下ろしたまま答えた。
「十二の宮の当主は行政実務には関わらないんだ」
え。
選ぶのに、座らないんだ。
「当主は宮そのものを保つ人。議員や大臣は、実際に国を動かす人。役割が違うんだよ」
エンジュは背もたれにゆったりもたれかかった。
「ちなみに、翡翠宮の当主——僕たちのひいおばあちゃんはカレンダエで一番怖いよ」
くすくす笑いながら言う。
あ。たしか。
翡翠宮に行った時に、ナナリエが建国からの歴史を延々共有されてた。
ほんの十日ほど前のことなのに、ずいぶん前に感じる。
昨日までの、お祭りのあとだからかな?
「エンジュ、今日の説明はわかりやすいね。先生みたい」
「失礼なこと言うねえ」
苦笑しながら続ける。
「すでに確定していることは、いくらでも答えられるよ」
少し引っかかる、変な言い方。
そりゃあ、確定してないことは断言できないだろうけど。
「ねえ、本当に社会科見学に来たの?」
「えー?じゃあ、アンリの先生になりに来た、でもいいけど」
「ああ……それはそれでありそう」
私がため息を吐くと、エンジュは、あははとわざとらしく笑った。
けれど、その目は議場から離れない。
何かを確かめに来ているみたいだった。
「他に質問はあるかな?」
「本当に先生みたいだね」
「そう見える?それなら嬉しいよ」
にこにこ笑って、本当に嬉しそう。
いろいろ聞きたいことはある。昨日の結環の儀のこととか、エンジュが対戦してたあの人のこととか、あの人が言っていた「足りてない」の意味とか。
でも、とりあえず目の前の……。
「この下の赤い席って、玉座から一番遠いんだね」
「珊瑚宮だね」
やっぱり。
「遠くない?」
「遠いよ。そういうふうに作ったから」
「誰が?」
「珊瑚宮が」
エンジュは、傍聴席の目の前の手すりに肘をついて、議場を見下ろした。
「この議場を建てたのは、百二十年前の珊瑚宮だよ。自分たちの力を玉座のそばではなく、議場の中に置くためにね。だから、自分たちの席を双王から一番遠い場所にした」
「どうして?」
「近すぎると、守るものを間違えるから」
近すぎると、守るものを間違える。
「珊瑚宮は、双王への想いが強い家門なんだ」
「王様に忠誠を誓ってるってこと?」
「それとは少し違うかな。珊瑚宮からも双王は出るからね」
「じゃあ、何を大事にしてるの?」
「双王を絶やさないこと」
エンジュは静かに言った。
「誰が玉座に座るかより、双王という形を次へ渡すこと。珊瑚宮は、たぶんそれを一番に考えている」
エンジュの目に、ほんの一瞬だけ影が落ちた。
だけど、口元にはいつもの笑みが残っている。
その目がどこか一点を見つめて止まった気がして、私はそっと目で追った。
十二色円環の議場の中。
柔らかい金糸のような髪が、光を受けて静かに揺れている。
エンジュの視線の先にいたのは、ハルジオン殿下だった。




